54. 花よ枯れよ
「我が敵に滅びを」
俺の魔術に詠唱は無用だが、術具に込めた魔術を発現させる合言葉を唱える機会くらいはある。戦槌を振り下ろし、蔦と花に覆われた塔へと叩き付ける。崩壊の魔術がいかなる占術をも受け付けなかった塔の外壁を蔓草諸共に腐食させ、一掃する。
「まだだな」
「地下へ参りましょう。契印の間はそう遠くはありません」
「ぴゅーっと行ってぱっと殺しましょ」
俺は塔の地上部分をドロドロとした泥と腐敗の混合物に変えて崩壊させたが、アガシアと契約を交わした最後のアガソス王族が死んだ手応えはない。地上部分の捜索に時間を使う事を嫌い、予め儀式を行って用意していた変成術だ。
道を知っているかつてはアガシアの第二使徒だったダラルロートが手早く該当部分を切り開き、金属人形どもを投入する。アガソス王族でも使徒でもない者に対して用意された幾らかの罠は人形どもに損害を引き受けさせる。丈夫なのだけが取り得のつまらぬ玩具だ。知恵のある生きた人形の方が面白い。
アガソス歴代の王によって手厚い守りを施されていたであろう秘密の通路を、臓器を繋ぐ管を切除するように切り払って進む。いつアステールが現れてもおかしくはない為、速度を重視している。黒塗りの板金鎧に身を覆い、可能な限り準備し惜しまず用いた強化術と薬品の効果で軽く感じられる身を飛翔させて進む。
やがて蔓と花で守られた壁に行き当たり、ダラルロートに促された俺は腐敗による崩壊の魔術を放つ。アガシアの力が衰えてさえいなければ、もっと手強い障壁だった事だろう。今やただの土塊だ。
「裏切者、裏切者が来た!」
途端、半狂乱の女の声を聞いた。蛙が喉を鳴らす声を聞いたような気配もする。
「お久し振りですねえ、アガシアの花よ」
アガシアの花とダラルロートが呼んだのは女でも男でもない。
花だ。白い大輪の花が一つ、太陽ではない光源が注ぐ地下の空洞の中央に咲いている。光を受けた花弁には光る脈が走り、蔓も恐ろしく太い。俺の背丈の三倍はある巨大な植物だ。王女を拉致すべく転移を試みれば、霧散した。アガシアの神力に移動を拒まれた。失敗を受け、俺は躊躇いなく致死性の毒を創り出して蔓で編まれた寝台のようなものに寝かされた女を包み込む。
「させない、許さない!」
肉体に触れた端から腐食させ、肉を汁に変えるほどの毒を一滴で充分だと言うのに浴びせるほど創ったのだがな。アガシアの花が高く叫べば、溶けて腐る瞬間だったアガソスの王女には傷一つない。まあ、解っていた事だ。腐食から再生された蔓の寝台は王女を包み、隠そうとする。俺は続けて長く苦痛を味わいながら死に至る毒を創造する。多重詠唱と多段詠唱を駆使し、アガソスの王族を数多く殺めた毒と病をも呼び起こして空間を満たす。
「アディケオに身を委ねよ、アガシア。全ては力なき者の拒絶が招いた事」
「しない!」
……ほう、これだけやってもまだ防ぐか。流石は分霊と言うべきだな。
拒絶の言葉だけで垂れ流した毒が無効化され、王女を殺すには至らない。憔悴し切った表情で眠る白髪の王女の肉体と精神は苦痛を感じていようがな。神の分霊に抱かれて守られようとも定命の者だ。アガシアが諦めるまで苦しむといい。
「幾度でも死が優しき祝福だと思える痛みをくれてやる」
「治す、何度でも。まだアステールがいる」
毒と病を恐れる必要のないダラルロートが飛翔して突撃し、炎の拵えの刀剣で蔓を切り払い、王女の胸を貫いて抉った光の拵えの刀剣を引き抜く。血を噴き上げるはずの王女の肉体は速やかに再生された。なるほど、アガシアは治癒術には人よりも長けているようだ。俺とても何度と言わず何百回と死ねるほどの毒をくれてやったのだがな。即死させても復活させられているようなものだ。
王女の臓器と血管は特に防護されていない。脳に詮をして破裂を誘発し、心臓の室を塞ぐほどの詮をし、肺にも腫瘍を蔓延らせたがアガシアの花は復元させて見せた。王女はどれほどの苦痛を味わった事やら。
「来るよ、ミラー」
鏡の警告を受け、まだ使える人形どもを操作する。盾なり木偶となるように。
「カーッ!!」
遠慮の全くない雷がアガシアの花と眠る王女を含めて空間を蒼く照らし、俺達の肉を焼く。雷の単発ではなく、更に火炎の竜巻めいた元素術も発生して高速で迫って来る。ダラルロートが数多くの黒衣の幻影を発生させるのに合わせ、俺も幾つかの分身を場に出す。多段展開された範囲攻撃魔術を複数回命中させられる事態は避ける必要がある。それでも当てられた術は俺が一息で治癒させる。
「遅刻ですよ、御老公」
「我こそはスタウロス公アステール、アガソスの護りたる十字星!」
手には十字の意匠の双剣を抜き放ち、紋様の輝く白銀の鎧に身を包んで立つアステールが叫ぶ。幾許かの血の汚れこそあれ、ミーセオ兵の犠牲がどの程度の消耗を強いたか期待すべきではないだろう。アステールと直接剣戟を交わすのは二刀を構えたダラルロートに任せ、俺はアガシアの花に抱かれる王女を見る。
「死なせない、アステール」
「応! 腐れ弟子など今すぐじいやが畳んでやりますぞ!」
アガシアの花の関心はアステールとダラルロートに向く。
「花の前で無様は晒さぬ!」
「そろそろ死んで頂きたいと言うのが正直な弟子の感慨です」
アステールの攻撃はリンミで戦った時よりも更に苛烈だ。負傷を気にせず、当て易さの劣化にも構わず手数で押して来る。アガシアの花からの癒しがあるからだ。
アステールの魔法騎士としての技量は高い。元素の最上級術をあたかも唾と気合だけで生じさせるかのような詠唱破棄で二重詠唱をも頻繁に披露する。
アステールの重さと数を重視した連撃をダラルロートはリンミで戦った際よりも更に守備的な動きで耐え、幻影と欺瞞に紛れてアステールの自由を封じながら剣術と魔術の限りを尽くす。激しい舞の全てを俺が目で追う余力はない。ダラルロートの生命力にはアステールの全力攻撃に対してそこまでの余裕がない。俺と鏡とで懸命に治癒し続ける。
腐敗による崩壊をダラルロートの幻影群諸共に撃ってもみたが、アステールには耐え切られてアガシアの花に癒され、アガシアの花は一部の蔓が腐って萎れるものの腐る端から音を立てて再生する。王女も同様に再生した。
「愛せ、アガシアを!!」
「こいつにうちの子は絶対やらん!!」
アガシアの花からの威圧とも支配とも異なる魔力が俺とダラルロートに向いた。ダラルロートが身を震わせて滑るように疾駆していた足を止め、俺は俺で鏡の術で精神を揺さ振り直された。強大だが、アディケオの分霊から受けた神威よりも明らかに弱い。
足を止めてしまったダラルロートにアステールが大きく双剣を振るい、滅多打ちに突き込む。俺の目には軌跡の全ては到底見えぬ二刀流の連撃を。回避行動が取れないダラルロートへ治癒を向ける鏡が凄まじい勢いで俺の術の余力を吐き出す。化け物と言えども今回ばかりは死んだか。
アガシアの花が攻撃に転じて来た機会を掴むべく、俺はダラルロートへの治癒術は使わなかった。念動力の竜爪で王女を包む蔦を引き千切って白髪の王女を掴み取る。治癒術が通るのは解っているのだ。アガシアの花から取り上げた状態で、気絶者を起こす初歩的な治癒術を掛けてやった。
「アガシアとの契約を破棄せよ」
理力術で扱う不可視の竜爪以外は下級魔法の多重詠唱だ。俺は眠っていた者を覚醒させ、簡単な命令をした。まだ幼く、王家の血統以外に見るべき所はない娘に。
「……貴様は」
ダラルロートを切り伏せたアステールが俺を見た。ダラルロートに護られていた俺に対する認識欺瞞を脱したようだ。
かつては栗色だったと言う髪を全て白く染めた王女は俺の命令を速やかに受諾してくれた。アガシアの花が声にならぬ悲鳴を高く上げた。花は蕾となり、蔓をのたうたせて地中へと潜る。花が咲いていたそこに、俺の求めるものがある。
「暗黒騎士ミラーソードが命ず」
アステールを見る。全ての契約者たる王族を失ったアガシアの使徒を。
俺の目に映る年老いた男を。守護の力が消えた甲冑を。元素術と二刀の剣術に長けた魔法騎士の脳を、肺を、心臓を、脾臓を、それらに絡み付く血管を。
「ノモスの犬!!」
「死ね」
今やアガシアは地上への干渉力を失い、アガシアの恩寵を断たれたアステールが俺に抗う術はなかった。ダラルロートを踏み越えて俺に迫ろうとしたアステールは思考すべき脳を破裂させ心臓を止められ、なおも駆けながらにして倒れた。
俺がすべき事は今や一つ。露出した契印を掴み取り、己の信奉神に捧げるのだ。俺の母が何度もそうしたように。
「我、ミラーソードはアガシアの契印をアディケオに捧げる! 受け取れ、アディケオ!!」
喜色を湛えた蛙の声が俺に応え、全ての護りを失った契印をアガソスの地から召し上げる。俺は契印があった空白に跪き、俺の血統の父たる腐敗の邪神の聖句を唱えた。
「捧げよ、然らば与えられん」
「お疲れ様、ミラー」
やる事はやった。契約は果たした。鏡の剣に宿る片親の声に労わられ、俺は食事を摂る為に立ち上がった。




