113. 魂裂きの誘い
ダラルロートがエファの教育に乗り出し、俺もリンミにいる間は関わっていた。しかしダラルロートの様子がどうもおかしい。最初は堕落の影響が強くなり過ぎて属性転向でも起こし掛けているのかと思ったが、そうではないと両親に指摘された。
「原因は明らかに君だよ、ミラー」
「我が子よ、魂裂きは分かたれた魂の双方共に無事で済む性質のものではない」
「そうよ。特にかーちゃんに捧げ過ぎて魂が残り少ないお母さんなんてアウト間違いなしなんだから誘っちゃダメよ、ミラー。僕も耐えられないと思う」
「そう言うものなのか?」
俺はイクタス・バーナバに魂を半分捧げられてからと言うもの、むしろ調子がよくてな。エファにしても、ティリンス全土に対する全知で負う疲労や苦悩をイクタス・バーナバが喰ってくれるのだとかで好意的だ。
全知の異能は凄まじく強力だ。エファが持つ全知はティリンスと言う一つの地方に限られたものだが、なお強い。ティリンスの事なら本当に何でも識れる。俺もエファから借り出して全知を使い、パラカレ城砦の城下町で部屋を一つ借り切りにしている宿屋の女将が何をしているのか眺めようと思ったらできた。それも、今している事だけじゃない。知ろうと思えば過去も、交友範囲も、何もかも。全知は高位の魔術師である俺にとってすら集中力の消耗が激しく、とんでもない情報量に溺れそうにもなった。夏殺しのクソ野郎が筋金どころか鉄骨入りのクソッタレだったのは強過ぎる異能のせいで狂ってたんじゃねえのか、とは思わされたよ。
俺には全知の常時保持は無理だと悟る事件があり、基本的にはエファに任せている。……何でも識れるって辛いぞ。ティリンス地方で今どんなお化けが徘徊しているか、過去の全て、或いは未来の可能性なんてものにまで触れさせられたお化け恐怖症の俺の卒倒は短時間では済まなかった。或いは衝撃が強過ぎる余りに卒倒を通り越して死んでいたのではないかと思うのだが、目が覚めた時にはエファと両親に看病されて寝込んでいたよ。あの時の「あ、俺死んだわ」感は鮮烈だった。具体的に何を見たのかは記憶操作で消して貰ったが『全知は恐怖症持ちの俺と相性が良くない』とは解った。よく生きていたものだ。
「ミラーはさ、ダラルロートに双頭の印を与えようとしてるよね?」
「父は嫌かね? 常に使える肉体を持ったダラルロートがいれば便利じゃねえの」
「……ミラー。魂裂きはそのように気軽な動機で行うべきではない」
「母までそう言うのか。……言われてみるとそうなのかもしれん」
俺さ、無意識にダラルロートの魂もイクタス・バーナバに捧げちまえと思っていたらしくてな。両親に指摘された事で意志と記憶が幾らか整理されたものの、俺はイクタス・バーナバとの繋がりが強くなっていて発想が狂神の影響を受けているらしい。言われてみれば毎晩の夢に出て来る気もするし、魚の目が俺を見ている感覚もある。だが、操られている訳ではないんだよ。話し合って諭されたような感覚と言えばいいのか? 俺との同意なく一方的にやられている訳じゃない。自然に滲んで来ていた発想だった。
「なあ、ダラルロート。魂の内も外も、時間の昼と夜も問わずに触れ合えるのはいい事だと思わないか」
「ミラー様、私はそう言った思想には馴染みません。己の醜さを知ればこそ、その身の醜悪を覆い隠すアディケオに加護を願うのですから」
「エファ、ダラルロートもお部屋を開けてくれたら遊びに行くよ」
エファへの講義の合間にダラルロートに訊いてみればそんな反応だったし、エファの言葉を受けて認識欺瞞の上からでさえ解るほど動揺した。
エファが言う『部屋』は大君の私室や、隠れる君の御所の中に授かった領域と言う物理的な意味だけじゃない。分体を与えずに俺の中に保管されている間、それぞれの人格は各自を防護する精神領域のようなものを構えている。父は鏡の剣の中に巻貝みたいな家があるし、かつて地獄の天幕にいた母は鏡の剣の中に住まいを建てている。アステールは公爵の部屋と言う幽閉目的で俺が作った隔離領域にいて、俺の力の源泉である腐敗と堕落からは離されている。エファはどうも公爵の部屋に入り浸っているようだ。かつて接触したダラルロートの部屋は桟敷のある河だった。
「……分体を与えられていない間も部屋にはおりませんよ。基本的には源泉に浸っておりますので」
「ああ、腐敗と堕落に親和しているなら部屋は必要ないのか」
「全く必要ない訳ではございませんよ。ミラー様の精神が何らかの悪影響を受けている時、源泉に留まっていては影響を避けられません。ミラー様の中で溶けずに残っていられる人格が皆、何がしかの部屋を構えている理由ではないですかねえ」
何しろ俺、自分自身がどうやって人格を保管しているのかは上手く言葉にできないからな。それぞれの部屋にいる人格を名前なり職位で呼び掛けながら神力を使えば引き裂いた俺の肉片に宿る、と言う理解だ。
「源泉に行けば会えるの?」
「溶けず、腐りもせずにいられるならば」
エファに問われればダラルロートは答えるが、声は乾いたものだ。近頃のダラルロートは認識欺瞞が随分と緩い。答えるべきではないと考えている事を答えていると自覚している、とでも言うような声音だった。
「じゃあ、溶けても腐っても蘇るからエファは会いに行ける」
「ダラルロート相手にそこまでせんでもよかろう、エファ」
「エファは愛したいし、愛して欲しいんだよ。ミラーの中にあるものを全部」
「全部は難題だな。大君は手強い化け物だし、俺の母は父にぞっこんだ。まあ、欲張るなら根気強くやれ」
「触れ合っていれば解ってくれるよ。エファはそうして貰ったから」
……ダラルロートは本当に様子がおかしいな。何故にそう、俺とエファを恐ろしげなものを見る目で見るかね。平素なら認識欺瞞で悟らせなかっただろうに。強度が落ちている訳ではないのに、俺の目にはダラルロートの失調と動揺が解る。命の喰い過ぎでレベルが上がったせいなのかね? 母とアステールは本当に訳の解らぬ戦果を挙げて帰って来た。まだ消化が追い着かない。あの二人を一緒にすると戦略級の軍事兵器と化す。
それとも俺がイクタス・バーナバの神の目を借りているのか? やろうと思えばイクタス・バーナバと同じ口を使いながら同時に別々の言葉を喋れると思う。えらく馴染みがいいんだよ。不快感は全くないし、俺は問題を感じていない。呑まれつつあるのかもしれんが、それはそれで構わないと思える穏やかなものだ。俺、支配される事自体はそんなに嫌いじゃないからなあ。嫌いな奴に支配されるのは我慢ならんがね、もちろん。イクタス・バーナバは嫌いじゃない。
「魂裂きは趣味に合いそうにないかい、ダラルロート。嫌だと言うならやらん。無理強いはしない」
「趣味、と申しますか」
「何だよ、もうちと本心で話した方が楽にはなれると思うぞ」
ダラルロートは言い辛そうにしていたが、促せば答えはした。
「分かたれた私が私よりも幸福そうならば殺しに掛かるでしょうからねえ」
「ああ、まあ……解らんでもないし殺るわな、ダラルロートなら。よし止めよう、またアステールが憎悪剥き出しでブチ切れるような案件を作った日にゃ俺がアステールに殺されるわ」
「そうなさって下さいませ」
魂を引き裂かれて連れて行かれた方の俺はイクタス・バーナバが子を成す為の子種になり、娘として生まれたデオマイアに宿っているのだそうな。まだ見ぬ娘に想いを馳せ、恐怖症を受け継いで生まれたであろう娘が心安らかに過ごせているか案じていた。大切に護り育てられているのは知っている。
俺はサイ大師の言い付けでミーセオ帝国側の外交使節の長なんぞやる羽目になったから、エムブレポへ向かう準備をさせている最中だ。ミーセオの官僚は優秀だが、仕事が速いとは言えん。まあ、ダラルロートやワバルロートが速過ぎるのだろうがな。リンミの大君は有能なのでなるべく早めに失調から回復させてやりたいな。