114. 勧誘
「よしエファ、今日はここまでだ。よくやったと思うぞ。アステールと交代してくれるか」
「うん。じいやと代わる。ミラーとダラルロート、また後で」
「おう」
俺は今日に予定していた分の講義を終え、真面目に勉強をした褒美名目の果物やら菓子を食べ終えたエファをアステールに変えようとした。エファは交代を命じると即代わるのではなく、ちょっとした挨拶を口にするんだよ。俺は軽く応じたが、ダラルロートの表情は硬く言葉はなかった。
ダラルロートの様子は依然としておかしい。本調子のダラルロートであれば軽く流しつつ、出来の悪かった箇所についての嫌味を確実に言ったはずだ。俺自身、ダラルロートの扱い方を覚えるまでの間にどれだけ貶された事か。ダラルロートは目上が相手でも平然と貶すが、目下だと思っている対象にならば更に容赦ねえはずだ。
両肩の烙印に支援を受けて分体に宿るべき別の意識を呼び出してはいるんだがね。エファが絡む入替にはひょっとすると烙印なしでも行けるかもしれん。違いはよく解らないが、何かが違うんだよ。入れ替わったのは品のいいアガソス風の私服を着た初老の公爵だ。
「儂とエファを交代させたのは講義で何かあったかの」
「御明察、そうなんだよ。見てくれよアステール、このひでえ難易度と設問を! しかも正答するだけじゃ飽き足らずにねちねちやるんだぜ!」
表向きの呼び出し理由は俺とダラルロートと共に講義内容とエファの理解度について意見を訊く為だ。本当の理由はイクタス・バーナバはダラルロートに関しては手を引く事に同意したが、もう一人興味のある魂があると言うので勧誘さ。まあ、最初は軽い雑談から行こうじゃないか。
課題はやはり難し過ぎたらしい。一通り目を通したアステールの雰囲気が変わった。
「ダラルロート、この妙な難度は何じゃい!? 貴様はエファにミーセオの皇帝付きの側近よりも高度な学識を要求する気か!」
「……それほど高難易度とは思いませんがねえ」
「ほざけ! 貴様はエファを鍛えたいのか虐めたいのかどちらだ、言うてみい」
余程の事がなければ温和だが最近は余程の事しかなかった為に静かに怒り心頭だった仮面の老騎士ことじいやと、唾を飛ばして怒鳴り散らし真夜中から一刻と経っていない深夜を早朝だと言い放つ御老公。アステールにはそんな二面性があり、イクタス・バーナバが強い関心を示している。演技だとしても、平時から二面や多面を使い分けている者の魂は非常に引き裂き易いんだとさ。
「私はエファがミラーソード様に恥をかかせぬ程度の教養を持つべきだと考えているまでですよ」
「ここまで高度かつ性格の悪い設問にせんでええじゃろが」
「そうですかねえ」
「儂から言わせて貰えば過剰もいいとこじゃな」
「アディケオの宦官としてはもう一段か二段上であって欲しいのですがねえ」
かつてアガソスで師事し二刀流の剣術を学んだアステールを前にすると幾らか調子が戻るようで、ダラルロートの喋りに淀みはない。一見すると正常だ。しかしダラルロートらしからぬ受け答えにも聞こえる。俺は師弟の会話を眺めながら何がおかしいのかなと考える。
「エファに教養が必要だと言うなら、エムブレポの宮廷が要求する水準を視察してからでも良いのではないのかの? ミーセオとエムブレポの両国間で大使の交換には同意したのじゃろうに」
「大使の赴任はまだ先です。知らずに困る事はあっても知っていて困る事などございませんからね」
アガソス滅亡前のアガソスとエムブレポは決して友好的な関係ではなかった為、大使を交換していなかったんだそうな。エムブレポからの侵入があれば、全知で察知した夏殺しが手勢のティリンス侯爵軍を差し向けて険道パラクレートス周辺で殺すなんて土地柄では相互通商条約すら難しかったのではないのかね。
夏殺しなんて碌なもんじゃねえぞ、マジで。夏殺しが死んだ今でさえ一撃でアステールを殺され、俺も一撃で狩られた光景は悪夢に見る。俺、もう二度と入口に歓迎文が小刀で縫い止められた地下迷宮に二人と鏡の剣だけで潜るなんて馬鹿な事はせんからな! 分体を行かせるとしても俺は留守番する。
「それにした所でこの内容はなかろう、ダラルロート。
さてはアディケオとミーセオ皇帝との間で使者働きをし過ぎて脳が煮詰まっておるのか?」
「サイ大師との間の交渉の方が面倒でしたな。サイ大師は師がスタウロス公アステールである事は当然、御存知ですので」
アディケオの第一使徒サイ大師にだけは真実を報告しているから、戦力としてアステールを貸して欲しがられたのは事実だよ。現場では『暗黒騎士ミラーソード』を名乗る母の副官、仮面の老騎士と言う形式で報告書に名前を載せるのは勘弁してくれたようだ。書類の一枚一枚に対してまで認識欺瞞の占術を永続化して掛けるのは現実的ではない。
サイ大師にも拝み倒しながら言った事だが、亡国アガソスのスタロウス公アステールとリンミニアのミラーソード配下の一人 仮面の老騎士アステールは同姓同名同郷同い年の別人なのだ。不正の恩寵厚きアディケオの第一使徒と第三使徒が口を揃えてそう言うのだから、そうなんだよ。真実なんぞ虚偽で塗り潰してやる。
「……その件に関しては手間を掛けさせた。東部戦線はスタウロス公爵領ゆえかつての領民を守ろうとは思っておったが、暗黒騎士殿が敵を二万も殺してくれたのでな……。当分は落ち着くだろう」
お、じいやに変わった感じだな。御老公よりかは脈があると思うぜ? そろそろ声を掛けてもいいんじゃないかい。促せば、神は俺の口で語り掛けだした。
「スタウロス公が公爵領の守護に今も関心があるのなら、イクタス・バーナバと取引をしないか」
「卿はミラーソードではないな」
「ああ、イクタス・バーナバがアステールと話をさせて欲しいとさ。聞くだけは聞いてやってくれ」
アステールも元は第一使徒だ、神降ろしだと察してはくれたな。俺は魚の目と目で合図しあいながら肉体の支配を譲り、譲られながら喋る。
「スタウロス公の魂には二度の魂裂きに耐えるだけの完全性がある。双頭の印を二度使い、二つに分けた魂を更に割って三つの魂にしないか。半分の魂はミラーソードが保持し、四分の一になった魂がアガシアに仕え、四分の一の魂の片方にはエムブレポの守護騎士になって欲しい。イクタス・バーナバの提案は以上だ、どうだろうか」
「アガシアを助けに隠れる君の御所へ突撃されるのはちょっと勘弁だが、どうよアステール。じいやに会いたいとエファの半身が拗ねてるんだそうだ」
受けねえとは思うが、一応聞くだけは聞いても良かろう。無理強いはしない。
俺は無言で眺めているダラルロートに注意を向ける。一言もないなんて大人しい化け物じゃないんだがな。アステールと俺の両方を視界に入れ、俺の方により多くの関心を向けている風だ。そういや、神降ろししている俺をダラルロートに見せるのは初めてかな。
「アステールの魂は引き裂き易そうなんだと。身に覚えはあるな?」
「……ある」
苦渋の滲む声。ああ、やっぱ断られそうだな。―――だからこそ今話すのだ、ミラーソード。
「イクタス・バーナバはこの場での即答を求めない。回答はスタウロス公にとって敵国でしかなかったエムブレポについてよく知って貰った後の方がよい。
どうか、イクタス・バーナバはスタウロス公の魂に関心がある事を覚えておいて欲しい。他の神には奪わせたくない、善き魂だ。助力を請われたなら、イクタス・バーナバはスタウロス公の呼び掛けに応える用意がある」
ダラルロートの認識欺瞞はやっぱり薄いな。何だその目? イクタス・バーナバから丁重に接されるアステールへの嫉妬か……? わかんねえな、うちの大君の本心は。神が扱う俺の口と目がダラルロートへ向けば、敬意に覆い隠された緊張を感じたよ。
「リンミの大君についても関心はあるのだが、ミラーソードを通して断られた後なのでな。イクタス・バーナバは哀れな魂の救済に関心はあれど、救いを求めぬ魂を引き裂く事はしない」
「無理に裂くと分割後に本来の一割未満になった魂と同様、破滅しちまうんだとよ。だからイクタス・バーナバは無理にとは言ってねえ。そんな訳で、俺からはどう答えろとは一切命じねえよ。好きなように決めてくれ」
哀れな魂と呼び掛けられた時のダラルロートは大君らしくないったらなかったね。認識欺瞞をそんな一気に引き締めたら完全に『動揺しました』と同義じゃねえか。イクタス・バーナバの神の目には欺瞞の外も内も見えちまっていた。揺れたせいで思い切り関心を持たれてるぞ。下手を打ちやがって。
「どっちがどっちの声だったかは解ってくれてるよな、俺の四天王よ」
「ああ」
「ええ」
俺が問い掛ければ即答はしたが、イクタス・バーナバへの返答はどうかな。
「提案への回答は保留させて欲しい」
「スタウロス公に保留と答えて貰えただけでもミラーソードに機会を貰った意義は大きい。イクタス・バーナバは色好い返事を聞けるようスタウロス公を見守ろう」
イクタス・バーナバの声には喜色がある。結構本気でアステールが欲しいんだな。 そうかと思えば、ダラルロートがそれはもう低い声を出した。ミーセオの貴人らしい典雅さも何もかも剥げた、低い男の声だ。
「師よ」
「保留は保留だ、ダラルロート。儂には後悔がある。……死者の魂で済むのならば差し出してでもと思う程度にはな」
「生前の師であれば次代に託すとでもお答えになったはずだ」
今日のアステールはエファから交代した後、認識欺瞞の仮面を着けていない。素顔に滲む苦渋の深さは計り知れない。
「儂はそうまで強くはあれなかったろうと思うぞ、ダラルロート。
自らの魂の九割と己の異能の大半を、儂が宿っていた分体の蘇生に注ぎ込もうとしたティリンス侯を止め切れぬ弱い意志しかなかったのだからな」
アステールの口から出たのは聞いた事もないほど苦く、後悔の念を滲ませる重苦しい声だった。




