111. アディケオの第一使徒サイ大師
「―――とまあ、そんな次第だ。サイ大師」
俺はミーセオ帝国の皇都アディケイアの皇居で面会を願い出ていた。
相手はミーセオ皇帝家の守護者と名高きアディケオの第一使徒サイ大師だ。常に皇帝家を外敵と内患から守護しているサイ大師は決して暇ではないはずなのだが、第三使徒である俺からの面会要請にはすぐさま応じてくれた。
第一使徒に面会するのは俺にとって初めてではないが、今面会しているサイ大師は今日会うのが初めてだと思う。と言うのも、俺と互角くらいの強さに変わっている。以前会った時にはその時点での俺と互角くらいの存在だった。認識欺瞞なのか、それとも他の手段なのか。成長する度、俺の不規則な成長に完全に合わせた別の『サイ大師』が出て来るのだ。厳しい顔をした黒髪の若い武人なのは変わらないし美丈夫の体格も同じだが、何故か毎回俺と同じだけの強者を出して来る。正直、底が知れない。
「旧アガソスの各国境線に関してはミラーソードが最も善戦していた」
「なあ、サイ大師。俺、基本的に夜間には行動できんのがやっぱ辛いんだと思うわ。
勘弁してくれ、色々と。エムブレポに過大な戦力を与えた件についてはヤバい事やっちまったと反省はしているし、埋め合わせに母とアステールを貸したろう。アディケオの不興を買ってサイ大師にぶっ殺されるのは御免だぞ」
エムブレポとの和睦に関してはティリンス地方の約半分を放棄する感じで話がまとまりそうだ。ミーセオ帝国はティリンス地方の半分しか領有できない。
本当は帝国側が三分の一で終わりそうだったのだがな。母がアステールを指名した上で鏡の剣を取り上げた実質三人で出掛けたと思ったら、半日でティリンス地方を三分の一奪回して来た。正直、意味が解らなかった。リンミにいた俺に対して、直接頭に呼び掛けて繋いで来たイクタス・バーナバに母を止めてくれと懇願された時は何事かと思ったわ。
『ただいまー。はー、お父さんも今日は疲れたわ』
『アステールはよくやったぞ。これほどの副官には生前恵まれなかった』
『アガソスに関して儂が知らん事など少ないだけじゃい』
『……イクタス・バーナバ直々に泣き付かれたんだが何したんだ、二人とも』
『戦術級精霊を十かそこらとエムブレポ兵を倒しただけだ。なあ、アステール?』
『過小報告は止めい。精霊石は回収しただけで十六あるし拠点は六つ解放しとる』
母とアステールの手で引き直された最前線を出汁にミーセオの官僚が粘り、夏の権能が前進して来る前に何とか半分を確保した訳だ。俺としてはエピスタタに殺され損な思いしかない。最初からリンミなり自宅を出ず、荒ぶる軍神二人に任せて殺せるだけ殺させておけばもっと手早く解決したのではないのか?
迷宮めいたエピスタタの巣を潜り、個人戦などして死んでいる場合ではなかった。ティリンスの不始末を報告した際に他の前線に貸してくれとサイ大師に言われてさ。鏡の剣と二人を揃えて旧アガソスの東部戦線へ放り込んだら、半日で二万も殺して帰って来やがった。雪崩れ込んで来る命の感触が只事ではなかった。
どう言う理屈なんだか、俺の母は弱者に対しては徹底的に強いんだそうでな。帰還して来た母の着る《耐久力》と《復元》を刻んだ鎧が完全破壊一歩手前の惨状だったのには驚かされた。壊れかけの鎧のまま、決して壊れぬ《非破壊》を刻んだ戦槌を手にして大暴れしたんだそうな。アホみたいな戦果を挙げていた。何だよ、暗黒騎士が戦槌を担いで歩いて行ったと思ったら敵軍が千以上死んでいたとか言う脈絡のない報告書は。そんなのが十数枚で合計二万だ。事実らしいのが怖い。どんな死神だ。
『ねえ、ミラー。もうミラーはお家から出ずに命だけもぐもぐ頑張って消化してくれた方がいいんじゃないの?』
『俺、暗黒騎士ミラーソードでアディケオの第三使徒なんだぞ……。それは不味かろうよ、色々と』
イクタス・バーナバが夏殺しの魂を半分召し上げてからの展開は速かったな、と遠い目をする。なるほど、堅牢なるティリンスだの護国侯エピスタタと呼ばれる訳だ。たかが一人が厄介過ぎた。
「最大の懸案だった夏殺しについて直接報告を望んだ事は無論覚えていよう」
「見てやってくれるか」
俺は映像と音声を記録した宝玉球を操り、サイ大師に事の顛末を見せてやる。
分体としてアステールとエファを出し、イクタス・バーナバから遣わされた使者を合わせた三人で夏殺しエピスタタと戦った際の記録を。
* * * * 記録装置の投影 * * * *
エファと使者の二人が持つティリンス全土に対する全知によって所在を暴かれたエピスタタは、特に驚きのない場所―――ティリンス侯爵邸の自室にいた。アステールが踏み込む。エピスタタは茶の用意をして来客を待っていた。
「ティリンス侯」
「やあ、スタウロス公。今回は小生に勝ち筋はないゆえ、どうか冥府への旅の前に最後の茶に付き合って欲しい」
「じいや、受けてもいい」
「じいや、断ってもいい」
エファと使者は似たような話し方をするし見た目も似せられていたが、使者は多眼だった。エファは二つの眼が使者は六つ、魔力の輝きを伴って見開いている。イクタス・バーナバがエファの魂の半分を子種にして産み落とした夏殺しを殺す者、夏狩人だ。
招きはアステールだけが受けた。一つの魂から引き裂かれた二人は気遣わしげにアステールを見るか、エピスタタへの憎悪を向けるか悩ましげに表情を変えながら扉の近くにいるのが宝玉球の端に映っている。
「……受けよう」
「やあ、嬉しいよスタウロス公。小生は望みを叶えて貰えた。次の死を迎えれば今度こそは昇天できそうだ」
「儂は止めたぞ、ティリンス侯」
「だが、スタウロス公は蘇生の際の約束通り訪ねて来てくれたではないか。生きた小生をこうして二人に殖やし、イクタス・バーナバとミラーソードの娘に番わせて貰えるのだろう? 完璧だ、小生にとって望ましい結果だよ。もはや血は絶えまい」
「……夏殺しと言う名は残らないとしてもか?」
「夏殺しの名が残るかどうかなど瑣末事だよ。名を喪った聖騎士の名と同様、腐って忘れられて構わない。小生が残したかったのは子を成せない小生自身の血なのだからね」
悠然とエピスタタが言い、アステールは認識欺瞞の仮面を外した。憎悪を感じさせる眼だった。
「……これほど幼い魂を引き裂かせる必要などなかった。
殺さずに交渉してくれていればミラーソードはパラクレートス線を使いこなしただろう。殺してしまったにしても、せめてティリンス侯自身の人格だったならばミラーソードと折衝を重ねてティリンス全土を奪回させる事はできた」
「生かしておく脚本では成就に五年を要したし、やろうと思えば聖霊サナトゥスとなった小生一人で実行できた。現実を見てくれ、ミラーソードは一月で小生に婚約を約束された神の子と生きた小生をもう一人くれたぞ。
今や小生はミラーソードに感謝しかしていない。今日この場に来てくれなかった事だけが残念だ、礼を言いたかったのに」
腹の立つ言い分だと思うだろ? 俺、アステールに宝玉球を返されて最初に視聴した時は両親共々絶句したわ。
「エピスタタはいつからアガソスを捨てていたのだ」
「……我が妻だった女性が小生に振舞うワインに毒を盛った時からだよ、スタウロス公。小生は毒入りと知った上で毒杯を呷った。せめて、妻に愛されていると信じているエピスタタを演じる為に」
エファと使者が口を開く。使者の方が発言は長かった。
「夏殺しは嘘を言っていない」
「夏殺しは嘘は言っていない。心情の全てではない」
「そうとも、全知を継いだ子らよ。小生の家系は代々、アガシアと交わって子を成して来た。妻は仮初の妻だ。アガシアの関心が失せた後、絶え間なく身を苛む渇愛を埋める為に娶り愛を請う妻だ。
よき夫を演じようとはしたとも、歴代の夏殺しに倣ってな。だが小生はアガシアとの間に子を授かれなかった。授かりさえすれば妻に育児を通して母の実感を与えられただろうに。小生は次代への継承に失敗した初めての夏殺しとなる事を免れたが、妻に殺されたティリンス侯爵ではあり続けるだろう」
エピスタタは淹れた茶を飲み、一つの瓶を出して来た。
「スタウロス公も正気でいるのが辛くなったら呷るといい。眠るように死ねる、良い毒だった。ミラーソードの調合だが、中庸にしてしまったミラーソードではこれほどの毒を産み出せまい」
アステールは毒入りワインの瓶に一瞥さえくれなかった。認識欺瞞の仮面を砕けそうなほど強く握り締め、敵意に満ちた声を上げる。
「属性変更を強要したのはイクタス・バーナバへの誘導だったな」
「それ以外に何の理由がある? イクタス・バーナバが双頭の印によって引き裂くのを最も好むのは中立にして中庸の魂だ。小生は今、神自身であれば正しき善でも構わずに引き裂いてしまえると言う実例を前にしてもいるがね」
エピスタタがエファと使者を見る。慈しむような視線に返される憎悪を心地良さそうに受ける赤毛の男を宝玉球は記録している。エファと使者が共に憎悪を募らせれば募らせるだけ、エピスタタは愛されていると感じたようだった。
「さあ、我が子らよ。十九代目の夏殺しを狩る時間だ。
五つの試練は既にミラーソードと共に終えている。超克の試練だ、小生を殺しておくれ。渇愛と全知の重みに耐えかねた代々の夏殺しがそうして来たように」
アステールは席を立ち、認識欺瞞の仮面を着け直した。両手には十字双剣を抜き放つ。アガソスとミーセオの両国を探したとしてもアステールの帯剣よりも優れた魔剣はそうあるまい。
「じいや、エファにやらせて欲しい」
「じいや、イクタス・バーナバに譲って欲しい」
映像でさえそうと解る怒気を孕んで殺気立つアステールにエファと使者が弓を手に願う。けれど、どちらも聞き届けられる事はないと知っている。
アステールは幼い言葉を省みなかった。流星めいて交差する二刀流の十連撃がエピスタタの死せる肉体を打ち貫く。聖霊と化した身は血を流す事無く霧散するように消えかけ、しかし復活する。愛の権能による自己再生は聖霊さえも復元させる。アステールはもう一度、稲妻めいて十字双剣を振るった。結果は同じだった。復活だけがない。エピスタタは最期まで満足げに子供を見ていた。
「……幼子に親を殺させるほど堕ちてはおらぬ。それが子らの眼前であろうとも」
アステールの剣が空を切り払い、鞘に戻された。幼い二人がアステールに左右から纏わりつく。
「じいや、エファは知っていた」
「じいや、イクタス・バーナバも知っていた」
「だから、泣かないで」
「だから、責めないで」
「泣いても責めてもおらぬ、ただ」
掠めた剣先は瓶を切り捨て、エピスタタが存在していた床をワインだった液体で濡らしていた。
「じいやには後悔がある。それだけだ」
スタウロス公アステールでありアガシアの第一使徒であった者の手がエファと使者を撫で、泣きじゃくる二人を宥める情景で映像は終わっている。
* * * * * * * *
宝玉球をしまい、俺はサイ大師に項垂れて見せる。
「サイ大師以外には報告書を見せられねえ、と言った意味は解ってくれるな?
ありゃ俺の所の四天王で愛情深さじゃ間違いなく一位のじいや、仮面の老騎士だ。アガシアのクソ女の手下の御老公、深夜を早朝だと言い張る迷惑なクソジジイとは同姓同名同郷同い年の別人だ」
「せめて今少し報告し易い欺瞞にできなかったのかね」
エファが分割された後、アステールがやるって言って聞かなかったんだよ!!
俺は邪魔だから残れって言って来たのはエファとイクタス・バーナバの両方な!!
夏殺しと同等の二人とアステールに揃って弓と剣を向けられた時の俺の心境が解るか? かなり真剣に反逆されたのかと思ったわ。
後で報告する俺の身にもなってくれよ……。サイ大師相手に下手な嘘を吐いたら俺は間違いなく絞められる。嘘偽りなく報告はせねばならなかった。俺の授かっている不正の恩寵はサイ大師よりかは圧倒的に少ないのだ。
「な、解るだろ?」
「仮面の老騎士殿は知己によく似ているが、おそらく別人だろう」
俺はサイ大師を拝み倒し、どうにか勘弁はして貰った。ミーセオ帝国相手に『夏殺しエピスタタはスタウロス公アステールがケリを着けました』なんて提出できるか馬鹿! 亡国アガソスの公爵だったんだぞ。サイ大師とても何度も剣を交えて戦った相手だろうが、スコトス以下の他の使徒よりはまだ望みがあった。
ミーセオとエムブレポとの同盟交渉の使者として外交使節団の代表に立つよう言い付けは喰らったがね……。いいさ、イクタス・バーナバとの間に生まれた俺の娘に会いたいと思えば覚悟はしていた仕事だ。官僚どもを鞭打つのはダラルロートに任せる。アディケオと皇帝の説得に散々扱き使った後だが、奴も覚悟はしとるだろ。
「ねえねえ、お母さん。初孫への初めてのプレゼントは何がいいと思ってるの?」
「神子よ、アディケオの第一使徒にはおそらく我々の声が聞こえているぞ。もう暫く静かにせよ。私もまだ提案を出しかねている」
……俺だって、俺だって娘への贈り物を何にしようか考えたいわ。忙し過ぎて付与が全く進まない。時間をくれ、時間さえあれば俺はもっと娘への贈り物を用意できるんだ!
「ミラーソード、同盟交渉の進展は急がずとも良い。
現在の国境線が維持されるならミーセオ帝国は提案を受け入れられる」
「そうか! 付与に時間を取るよ、すまねえなサイ大師。愛してる」
「その愛はミーセオ帝国へ向けられていると受け取ってよいのか」
「そうしてくれ」
是非そうしてくれ、俺はエピスタタのクソ野郎をアステールが殺したと言う結末にだけは満足しているのだから。俺とエファの魂をそれぞれ半分ずつ捧げてまで奴の掌の上で踊り、奴が望んだ結果を出した、とは考えたくない。考えたら今度こそ負けだと思う。
アディケオの第一使徒サイ大師は愛情を理解しない男じゃない。
ただ、俺がどんな勢いで強大化しても必ず同格の姿を見せる。
「……俺さ、前線に出ない方がいい結果になるんじゃないかとは最近悩んでる」
「傀儡使いとはそうしたものだ、ミラーソード。貴公に求められているのは情緒の安定とまだ幼い生命の継続だ」
「そうかい、ありがとうよサイ大師。あんたの事は尊敬してる」
アディケオの第一使徒は頼れる上司だ。少なくとも、今日まではそうだった。ヤン・グァンではどうもならん相談事を持ち込む相手でもあるんだがね。今後もそうありたいとは思っている。




