2話 崩壊
2話 「崩壊」
ここは、北海道道南。
街風町1丁目——函館市付近に位置する住宅街。
近くには、スーパーやコンビニ、病院に薬局。役所に郵便局に、銀行。雑貨屋に車屋。飲食店は多数。
ゲームセンターや本・ビデオの大きなレンタルショップなどもあって、生活には困らない。
しかし、函館の中心からすると十分に田舎。年々潰れる店が多くなり、住人の過疎化もどんどん進んでいる。
学校の生徒数も百人、二百人いたのが今や三分の一程度にまで減少している。
海原家は、そんな町の団地に位置している。
〈続いてのニュースです。
昨晩、北海道函館市内の公園で男子児童の遺体が発見されました。
遺体の身元は、8月13日から行方不明となっていた——『城楼国 碧』君(7歳)だと判明しました〉
二つとなり町の千歳の家から帰宅したわたしは、家族みんなでニュース番組を見ながら、晩御飯を食べている。
昼にもらった3個の絶品サクサク春巻きを、みんなで一つずつ分け合っておかずにして食べた。
〈遺体の状態は顔面が膨れ上がり、全身が大火傷を負ったような惨状だったとのことです。
警察は事件・事故の両面から、引き続き慎重に捜査を進めています〉
近い。マジか。
「怖いね、7歳の男の子が。
一体何があったんだ?
惨たらしい……相当辛い思いをしたんだろう」
お父さんが箸を置いて、戦々恐々、複雑な表情を浮かべている。
「本当にね。
まるで、拷問を受けたみたいじゃない」
「六空も夜出歩く時気をつけなよ。
知らない人には付いて行かないこと!」
「はいはい、わかってるわよ」
お母さんが小学生に言い聞かせるようなことを言ってくる。わたしは皿に敷き詰められた好物のマグロを取りながら、適当にあしらう。
わたしみたいな、チビで色気もない女がターゲットになることはないと思うけど。
「そう言えば、六空。
宿題は無事に終わったのか」
「うん、みんなのおかげで!」
「六空に友達ができたのは嬉しいけど、甘えてばかりじゃダメよ」
「そうだぞ、頼ってばかりだと自分で何もできなくなるぞ。
逆に頼られた時に、力になってあげれるようにならないと」
「わかってる、わかってる。
お返しはしたし。
この後もするし」
醤油のついていない生のマグロを頬張りながら、生返事。
わたしは、あの三人と仲良くなるまで、両親に心配されていた。
中学を卒業するまで、孤独だったから。
あの頃のわたしは陸上部のエースだった。
勝負に貪欲で負けず嫌いで。自分が最大の結果を出して、周りの士気を上げさせたかったから努力も沢山したし、周りにもそれを押し付けた。
だけど、それが嫌われた。わたしのせいで後輩が辞めていった。
わたしが大会中に怪我をして走れなくなった時、陰でそれを聞いてしまった。
わたしは人が嫌になった。全部嫌になった。
人に嫌われることをしていた自分も嫌になったし、直接文句を言わない周りも嫌になった。
高校に入ってからもわたしは孤独で、孤高に、クールに振る舞っていた。
陸上部に入ったけど、前のトラウマからすぐに幽霊部員になって辞めた。
それからしばらくして。
学校を休んだ日に、二人はやって来た。
〈う〜な、ば〜ら、さんっ!
こんにちは!〉
〈……えと、〉
〈寒田 百夏と!〉
〈若葉 千歳です!
ウチら同じクラスなんだから、名前は覚えて欲しいな〜〉
〈…………何しに来たの?〉
〈いや、海原さん、学校休んだから。
宿題の範囲教えに来たの!〉
〈それに、ノートの写真も撮ったから。
海原さんに送ろうと思ったけど、アドわかんないから。
教えてくれない?〉
〈どうせ、宿題はやらないからいいよ。
ノートもいい〉
〈うわ、玉砕!
モモ、ショック!〉
〈ダ〜メ!
あたしらの時間意味ないじゃん!
……家に上がらせてもらいます!〉
〈おっ、いいね、千歳氏。
アタシもお邪魔します!〉
〈ちょ、ちょっと、こっちは風邪ひいて休んでるのに〉
〈どうせ、ズル休みでしょ。
マスクもしてないし〉
〈……そうだけど〉
〈図星かい!?〉
千歳と百夏に声をかけてもらえなかったら、今でも独りだったと思う(かなり強引で、最初は鬱陶しかったけど)。
八宵も、【運動は苦手だけど、走るのは球技よりも単純だから好きです】って言ってくれて話が合った。
ニ年生になってからも、わたしたちは同じクラスでいつもつるんでいる。
わたしはお父さんとお母さんの言うように、あの子たちに頼ってばかり。甘えてばかり。
でも、あの子たちの前だと家族といる時よりも自分が解放される気がして。
クールな振る舞いをしなくてもいいんだと思えたら、どうしても甘えてしまう。
だから——大切にしたい。
ずっと、一生。あの子たちを。
【ホントウニ?】
…………えっ?
【コンナスガタデモ……ダイジニシテクレル?】
何!?
反射的に立ち上がり、周囲を見回す。
何もいない。どこにも異常は見つけられない。
「…………どうしたの、六空?」
「ハエでも飛んでたか?」
両親はその現象に気づいていない。
——今のは。
心の声に、返答がきたんだ。低いしゃがれた生気のない声で。
【ウラヤマシイナ……リク……。
アタシモ…………タベタイ……ソレ……】
「誰!?」
思わず声を張り上げた。お母さんとお父さんはびっくりして固まっている。
【ココダヨ……アタシダヨ……】
わたしの心が読まれている!
わたしが見ているものが見えている!?
………………まさか——
わたしは窓の方へと駆け出した。
勢い余って、テーブルの足に小指をぶつけたが、そんなの気にする暇もない。
カーテンを一気に開ける。
【ミツ……カッタァ……】
それを見たわたしは目を見張る。
のけ反り、ガタガタと後ずさる。
【リ……ク……ゥゥ……。
チ……ト……セ……ダヨ……ォォ……】
しわがれた声が心の中に差し込まれたと同時に。
窓ガラスが割れて、ソレは飛び込んできた。
お母さんは悲鳴を上げ、お父さんはお母さんとわたしを下がらせようと前に出る。
「……ち、ちと……せ?」
「リ……ク……。
コンナスガタニ……ナッチャッタヨォォ」
信じられない。
千歳がテレパシーを使えるようになったこと。窓ガラスを割って飛び込んでくる身体能力、ここまでの移動手段なんかはこの際どうでもいい。
千歳の今の姿だ。まるで、さっきテレビで報道されていた男子児童のようだ。
服はボロボロで肌が露出している。肌は釜で焼かれたかの如く無惨に荒れ狂い、ゾンビかミイラのよう。顔面は腫れ上がり、目玉と口は飛び出て裂けている。
しかも、背中にはまるで天使のような純白の翼が生えている。
「ウゴオォォ!!
ウングゴオオオ!!」
別の存在になった千歳は、雄叫びを上げながら食卓にあった残りの刺身を物凄い勢いで平らげた。そして、わたしたちの方を向いた。
「……ゥゥ……ウウウゥゥ……!!」
気持ちの悪い唸り声を上げて、身体をゆらゆらとさせている。今にもこちらに飛びかかろうと機会を伺っているように見える。
その異常な見た目の中で、ただ一つ千歳らしさが、ソレが千歳だとわかるモノがあった。
彼女の首にかけられている、【漫画のキャラのキーホルダー】。
今日の午前中にわたしがあげたものだ。千歳はそれを、大事そうにしてネックレスのように首にかけている。
「六空……春恵……。
逃げて警察に行きなさい……」
お父さんは急な事態に状況が飲み込めていないながらも、壁にかけてあった孫の手を取り構える。
「六空……いざとなったら、あなただけでも行きなさい」
お母さんも混乱しつつもわたしの手を取って、いつでも動ける体勢を作っている。
二人とも得体の知れない存在を前にして震えている。けれどもこの非常に異常な事態の中、わたしを、家族を守ろうとしてくれている。
どちらもそこにいるのが千歳だと気がついていない。
「来るな、化け物!」
お父さんが孫の手を振りかざして威嚇した。
「待って、お父さん!
あれはちと——」
ゴリッ!
「——うぐおおおおおおおお!!」
わたしが静止しようとした瞬間、何かを噛み砕くような鈍い音と、あまりにも悲痛な絶叫が家中に響き渡る。
「あなた!」
お父さんが天を仰ぎながら倒れた。
途端に血飛沫の柱が立ち昇り、天井を赤紫に染めあげる。
「……お、お父さん!!」
「——いやああああああああ!!」
わたしとお母さんは、あまりに刹那なおぞましい光景に悲鳴を上げた。
お父さんの太い首元が噛み砕かれて、りんごの芯のようにくしゃくしゃと細くなっていた。それに、しぼりまくったぞうきんのようにねじれてもいる。
お父さんは白目をむき、口を大きく開けたまま動かない。
それをやったのは、言うまでもなく……目の前の千歳だ。
千歳は視線をお母さんの方へと移した。次の標的を定めたようだ。
わたしは崩れ落ちて動けなくなった。
「…………な、なんなの……?
一体、これはなんなの……?」
「六空!
お母さんのことはいいから逃げなさい!」
理解が追いつかない。お母さんがわたしを無理矢理立たせて逃がそうとしてくれているが、理解が追いつかない。
状況をどう把握すればいいのか。
どこからどこまでが【夢】なのか。
いつ、目が覚めるのか。
「六空、早く逃げて——」
それが、わたしが聞いたお母さんの最後の言葉だった。
空を切る風が一閃。
放心してへたり込むぼやけたわたしの涙目に、宙を回転しながらストンと落下していく生首が見えた。
わたしの瞳に、走馬灯が映る。
——
〈100m走、3着だったんだって?
やったな、流石自慢の娘だ!
だけどごめんな、仕事で見に行けなくて〉
〈今日はケーキ買ってきたの!
六空、本当におめでとう!〉
〈いいよ、ケーキって。
お子様じゃないんだから〉
〈何言ってるんだ、家には家族しかいないじゃないか〉
〈そうよ、恥ずかしがることないじゃない〉
中学1年の頃の陸上大会。決勝で3位だった時のお父さんとお母さん。
あの時、スゴイ褒めてくれて、嬉しかった。
だけど、次の年にわたしは退部した。
あんなに喜んでくれていたのに。
………………優しいお父さんとお母さん。
わたしの活躍を自分のことのように喜んでくれて……。
——
…………ああ、もう、そろそろだろう。
いつの間にか、わたしは寝てしまっていたんだ。
もうすぐ、わたしが殺されそうになった瞬間に、きっと起きるに違いない。
明日になったらチャットしよう。千歳に。千歳に襲われたって。
千歳は怒るだろうなぁ。不謹慎だし、やっぱ黙っているか。
そんなことを考えていると、足元にわたしのスマホが落ちているのが目に入った。
アプリか何かの通知か、メールでもきたのか。バイブルとともに画面が映り、ロック画面が表示された。
あ、これ……わたしと百夏と八宵と、それに——千歳。
数ヶ月前に四人でキャンプに行った時に撮ったやつだ。
そうだよ、これが本当の千歳なんだ。
リーダーで、頼もしくて、真面目で、厳しくて、うるさくて、やさしくて。
千歳が、わたしのお父さんとお母さんを手にかけるはずがない。
「あはは……ははっ、はははは……」
わたしは乾いた笑い声を上げた。
次の瞬間、わたしの耳元に千歳の伸びた鋭い爪が——
「——ウグウウウゥゥゥゥ!!」
……………………………………。
視界がぼやけて、何が起きたのかはっきりと理解できているかは定かではない。
…………もし、今わたしの目に映って、脳みそが認識した光景が嘘ではないのなら、またしてもとんでもないことが起こった。
スマホのロック画面が映って少しした後。
画面の中から出てきた【赤黒く太い左腕】が、わたしの頭部を引き裂こうとしていた、天使千歳を殴り飛ばしたのだ。
天使千歳は、廊下の突き当たりの風呂場の方へと吹っ飛んでいった。
わたしは瞳をパチクリさせられるだけで、言葉が出てこなかった。
ロック画面から出てきた左腕は、やがて、グングンと肩と頭部まで露わにし。
しまいには、スマホから、多分中学校にはまだ上がっていないくらいの少年が姿を現すのであった。
「…………は?」
赤いトゲトゲな髪型のアジア系の少年。身長ははっきりとはわからないけど、多分わたしぐらいだと思う。
黒いパーカーと狐色の半ズボンを着用しているが、靴は履いていない。見ると、両腕両足が血塗られたように赤黒くなっている。
まるで、地獄からの使者か、悪魔のようだ。
彼は深紅の三白眼を丸くして、ここはどこだと辺りを見渡している。
「……おい、お前がおれを呼び出したのか?」
「………………」
「答えろ!!」
変声期途中の声に物凄い剣幕で怒鳴られ、肩がビクッと震える。
わたしは訳がわからず、ただ首だけを横に振った。
「おれを戻せ、今すぐに!」
少年はわたしのスマホを取って、突き出してくる。
「し、しらない……わかんない……」
たどたどしくそれだけを返すのが精一杯だった。
すると。
「リクゥゥゥゥ」
吹き飛ばされた天使がヨタヨタと戻ってきた。
今度こそ、わたしを殺そうとしているに違いない。
「…………なんだ、コイツ。
低級の天使か」
天使千歳を見た少年は、赤黒い左手を握りしめて、身構えた。
「こっちの世界の準備運動には、ちょうどいいな」
そしてわたしに、
「天使を殺るのは、悪魔の役目だ。
お前は下がってろ」
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