11話 「殺らないわけがない」
「ずばり!
あなたはあの悪魔の棟梁なのですか!?」
ジェノが跳躍し、赤魔くんに何かを尋ねながら唾を飛ばしてきた。
その唾は瞬く間に大きなシャボン玉となり、こちらを狙い撃つ無数の水の砲弾へと昇華された。
「——だったら?」
赤魔くんは淡白に返しながら、それら全てを一弾指の手刀で打ち消した。
「そこの君たち!
何をしている!?」
ジェノの攻撃で、地面にうずくまりながら吐いていた警官が、こちらに気づいたようだ。
わたしたちを取り押さえようと向かってくる。
「こっちに来んじゃねぇ!」
赤魔くんが地面を強く、震脚のように踏みしめた。
すると、周辺の地面が両サイドにボコボコと盛り上がり、誰も寄せ付けない高層の断崖が形成された。
その中にいるのはわたし、赤魔くん、ジェノの三人だけ。
戦闘は途切れずに続いている。
「はッ!」
赤魔くんが両腕から毒を噴射させた。
今度はわたしも吸った例の紫のガス。
「行方不明だと聞いていましたが、こっちに降りてきていたとは!
ですが、あなたとこうして戦えることができて、私は嬉しい!」
ジェノは毒をものともせずに飛行しながら突っ込んできた。
赤魔くんが舌打ちする。
弱体化の影響がまだ続いているのか、この一撃必殺の毒は、翼を露出させるまで追い詰めないと効果が発揮できないようだ。
「あなたを倒せば私は一気に出世できる〜!」
ジェノはウキウキと、赤魔くんに向かって鋭い爪を振り下ろす。
「1週間前にニッカと戦っているのに、おれの報告を受けていないのか?」
赤魔くんは片手でジェノの攻撃を受け止めた。
「……あのお方は私と同じく、自らの楽しみを優先する嗜好の持ち主。
あえて誰にも言わなかったのでしょう」
「へぇ、よく知ってるじゃねぇか」
「上司ですから」
「末端の低級の分際で」
得意になっていたジェノの鼻っ柱が、容赦のない一言でもがれた。
「あなたも、随分こちらに来て衰えているように見えますがね!
動きが緩慢ですよぉ!」
煽られてムカついているジェノが軽く後方にステップ。
赤魔くんに掴まれていた手から脱出し、高速回転。
ジェノがしなる蹴りを繰り出した。
長い足から放たれる、空気を切り裂く蹴り。
わたしは、それを何となくでしか目で追えなかった。
……これが天使と悪魔の格闘戦……。
——ズドン!
「!?」
重りを空中で勢いよく落とした時のような鈍い音。
「…………な、がえっ……」
ジェノの喘ぎ声。全く予想していなかった事態に直面した時の弱々しい声だ。
ジェノの蹴りが目標に到達するよりもずっと先、赤魔くんが左手の鉄槌を垂直に放ち、ジェノの蹴りをはたき落としたのだ。
赤魔くんは間髪を容れずに、怯んだジェノの懐に侵入。
ジェノの鳩尾をひたすらに殴り続けた。
ズダダダダダダダダダ……!!
腹が裂けると思われる程の苛烈な連続攻撃。弾丸を連射しているような音。
ジェノは逃げることも防ぐこともできず、ただただ殴られまくる。
「……おぶえっ……!」
最後は右足を伸ばしての蹴り上げ。
ジェノは白目をむきながら上空に打ち上げられた。
そこからの容赦のない更なる追撃。
両腕を巨大化させての、ダブルロケットパンチ。
ジェノはその技をノーガードで顔面に食らい、なすすべなく星にされた。
「……ふぅ」
赤魔くんが飛ばした腕を回収させながら息を整えている。
彼の横顔がわたしのいる地点から見える。その表情はとても引き締まっていて、凛々しかった。
「なっ、楽勝だろ?」
赤魔くんが振り向いて、ニヤリと笑った。
「……う、うん」
わたしは圧倒されて、コクコクと水飲み鳥のようなぎこちない頷きしかできなかった。
強い……思っていた以上に……。
彼自身が言っていた通り、1週間前とは比べ物にならないくらい、爽快なまでに天使に善戦している。負ける気がしないというのは本当だった。
これでも、まだ天界にいた時よりも弱体化しているレベルなのだろうか……?
今の彼のコンディションでニッカと戦えば、圧勝できるのではないかと思えてしまうが……。
「……な、何ですか、これは……!」
天高く吹き飛ばされたジェノが、意外と早く戻ってきた。
それでも、中折れ帽とサングラスはどこかに吹き飛び、背広は穴だらけ。所々に露出している肉体は血と痣で彩られていた。
一目でわかる満身創痍ぶり。
「こんなの、おかしいですよ!
あり得ないですよ!
私が……まだまだ天使としての生を楽しむはずの私が、こんなところで追い詰められているというのですか!?」
ジェノはみっともなく狼狽えている。
それを見たわたしの顔が強張るのがわかった。
こんなの、おかしいだと……?
そうだよ、おかしいよ。
呆気なさすぎるんだよ……。
お前はわたしの大切な物を沢山奪ったんだ。
それなのに、この程度で終わった気でいるのかよ……!
狼狽えるのは、まだ早すぎるんだ。
わたしの握り拳が、全身がプルプルと憎悪で震えている。
コイツを……コイツを殺るのは……。
「おれを前にして今までよく強気でいられたよな、無知が。
てめぇの比べ物になんねぇくらい、こっちは修羅場をくぐり抜けてきてるんだよ」
地上にいる赤魔くんが、空中にいるジェノを思い切り見下した。普通は逆だと言いたくなるその様が、ジェノのプライドを余計に刺激したようだ。奴は顔を真っ赤にさせて噴火した。
「許しません、許しません、許しませんよぉ!
私が屈辱を受けるなど、生まれて初めてだ……!
どうやって晴らしてくれましょうか。
…………? そうだ」
奴は何かを閃いたらしい。
高く飛翔し、赤魔くんが作った断崖の上まで移動した。
そこからなら、奴が作った結界内部——お祭り会場一帯全てを見渡せる。
「ねえ、もしかしてアイツは!」
赤魔くんは黙って立っている。
わたしには奴の目論見がわかってしまった。
その瞬間、今まで状況を俯瞰していたわたしの落ち着きが吹き飛んだ。
「今から、ここであなたに吐き苦しめられている人間たちを無差別に殺してあげますねぇ!
その後は、みんな天使になる!
戦果を作れば負けじゃない!」
ジェノは両腕を広げて仰々しく宣言。
赤魔くんでもこれは対応できないと思った。
地上からでは断崖によって外側の状況が見えない。
奴と同じように飛んで止めようとすれば、奴はその前に見せしめに人々を殺すはずだ。
赤魔くんが腕を伸ばしたり、巨大化して対処するのも、いくら何でも間に合わないと思った。
奴もそれを見越してやっているに違いない。
飛び出しても無駄だと分析できているのにも関わらず、わたしは反射的に身体が動いた。
……だが、赤魔くんが左腕を横に展開し、わたしを静止させた。
「誰も天使にならねぇし、誰も死なねぇ……。
そう言っただろ?」
その言葉は、わたしに向けたものか。
それとも、奴か——
「いきますよぉ……。
私のシャボン弾丸の速度……!
この距離からなら対応できま——」
赤魔くんの姿が消えていた。
次の瞬間。
「——ごああ!!」
あり得ない衝撃を不意に食らった時の声。
何が起こったのか。
「……ヤバ……」
ぽつりとどうにか出てきた言葉が、たったの二文字。
地上にいるわたしの目と、たった今見て何度も反芻している記憶が確かなら。
赤魔くんが刹那に飛んでジェノに迫り。両手を重ねて形成させた巨大なスレッジハンマーを、奴の頭に振り下ろして地上に撃ち落とした。
前に彼の特訓を見学していたから何となくでそう判断できるが、もしこれが初見だったら何も認識できなかったかもしれない。
今の攻撃は、ジェノの野望を完全に上の高みから叩き潰すという意味を込めた渾身の一撃だったと思う。
〈——おれは、てめぇの目論見を潰せるんだよ!!〉
さっきの赤魔くんの言葉が蘇る。
もはや、ジェノが何をしても何一つ勝ち目がないことを思わせるくらい、綺麗に、清々しく決まった鉄槌だった。
「……あ、何ですか……このザマは……。
私が、こんな……」
地面に這いつくばるジェノ。
もう技を出してあがける体力は残っていないようだった。
「……まだ気絶してねぇのか。
翼も出てねぇし。
ザコのクセにしぶてぇな」
赤魔くんが空中からゆっくりと舞い降りる。
彼はこれ見よがしに、赤みがかった両翼を具現化させていた。この状態では弱体化するにも関わらず。
どこまでもジェノを屈辱の底に叩き落とすつもりのようだ。
「今日沢山の人間を殺して天使を作り……明日はとなり町で殺戮した後、ライブを楽しむという私の予定が……両断される……!?
私が裁かれるというのですか!?」
それを聞いて、わたしは憎悪が再燃。
明日……だと?
そんな短いスパンで人を殺そうとしていたということは、コイツは千歳を天使にしてから今日までの期間も、どこかで多くの命を奪っていたのではないか……?
ニュースや新聞はチェックしていないのでわからないけど、多分そのはずだ。
……わたしは、天使になった千歳がわたしの家に来る前にやってたニュースを思い出した。
函館の方で、行方不明になっていた7歳の少年の変死体が見つかったという事件。遺体の状態は天使になった千歳たちに似ていた。
…………その子を殺ったのも、コイツか……!
けど、遺体が見つかったということは、その子は天使にはなっていないということだ。遊び半分で殺したのか、殺したけど天使にできなかったのか……。
……きっと前者だと思う。今、明日はとなり町で【殺戮】って言っていたし。天使にしないで殺すだけもできるってことだ。
もう、いい。
コイツに明日なんて渡さない。
今すぐコイツを——
「……い、嫌だ……!
嫌だ、嫌だ、嫌だああああああ!!」
ジェノは赤ちゃんのように喚いて狼狽。
そのまま背を向けて立ち上がり、地面を激しく蹴って駆け出した。
火事場の馬鹿力というべきか。
先程の赤魔くんの速度にも比肩する速さ。
自らの所業を余所に、何が何でも己の生命を繋ぎ止めようとする見苦しい執念。
……わたしは深呼吸。
胸の陰陽マークに触れて、ステルスを解除した。
「逃がさねぇよ」
赤魔くんが左腕を伸ばし、奴の後を追う。
On your marks。
身を屈め、後ろ足の右膝と両手の指を軽く地面に着ける。
——クラウチングスタートの構え。
「六空?」
赤魔くんがわたしを見てためらった。繰り出した左腕の速度が低下。
Set。
わたしはお尻を持ち上げる。行先はただ一つ。
Go!!
地を蹴り、空気を蹴る。
前傾姿勢からの前を向いて加速。
わたしは空中を全力で飛び、疾った。
さっきの赤魔くんのような速さを求めて。
……少しして、赤魔くんの左腕に追いついた。
わたしはその伸び続ける左腕を引っ張るように抱えながら、更に飛行速度を上げていく。
「……そういうことか……」
わたしのやろうとしていることを理解する声が聞こえた。
ごめん、赤魔くん。
最後に追い詰めるのはわたしにやらせて。
この戦い、わたしが決着をつけなければいかない。
目指すゴールは——ジェノ。
今までの飛行練習の全てを出し尽くす!
感じる追い風を、全身に纏え!
さっき生えたばかりの翼の力もフルに使ってやる!
吐き気も、身体の痛みも殆ど回復してきている……。
残った異常なんか吹き飛ばせ!!
やがて——
「おおおらあああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
全力で、赤魔くんの左腕を杵のように振り下ろした。
「おぶはあああああっっ!!」
背中に強烈な鉄拳を食らったジェノは、珍妙な叫び声を上げて大の字に倒れ込んだ。
「はあっ、はあっ……。
嘘だ、こんなの!
こんなの、残酷すぎるよ、神様ああ〜。
何が悪魔だ、ふざけるなああああ」
ジェノが振り返る。完全にコイツの腰は抜けていた。
こちらを涙目で見上げながら、ジリジリと無様に後ずさりしている。
「何だ、お前は!?
アイツの腰巾着め!
お前一人ではこの状況に持ち込めなかっただろうが!
得意気に見下しやがって!
人の力を借りて勝てて嬉しいか!?
このっ、このっ!」
ジェノが口汚く罵りながら、石を投げつけてくる。
…………石を弾いたわたしはジェノの頬を殴り続けた。
「——痛い!
や、やめてっ……やめっ、やめてっ……!」
本当はゆっくりと100発殴りたいが、そこまでの時間は残されてはいないだろう。
10発くらいにしておいて、シメに靴で思い切りその顔を踏んづける。泥が近くにないのが残念だ。
「ごめんなさいっ!
気に障ったなら何回でも謝るから!
だからっ、見逃して〜!」
わたしは足をどけて質問。
「——おい、天啓発動までの残り時間は?」
「は、はい〜、あと3分くらいかと」
「お前を消滅させれば、本当に天啓の発動を止められるんだな?
あと、わたしもこれ以上天使にならないんだよな?」
「もっ、もちろんでございます〜。
…………えっ、まさかっ、だからって私を殺らないですよね……?」
「…………それが聞ければ、十分だ」
わたしはこれまで被っていた、タヌキのお面を外した。
「——!!」
ジェノの両目がこれ以上ない程見開かれた。
「お前を殺らないわけがないだろ」
「……あ、あわわ……」
ジェノがパクパクと口を開き、ようやく純白の翼が露出した。
この顔に見覚えがあるのは褒めてやってもいい。
だけど、それだけだ——
赤魔くんの左腕を持ち上げ、大口を開けているジェノの口に捩じ込む。
「——赤魔くん!!」
わたしは遥か後方にいる彼に叫ぶ。
それは——殺ってOKの合図。
……数秒後。
紫の気体がジェノの口いっぱいに広がり、奴は大泣きしながら跡形もなく消えていった……。
* * *
ザコが消えて、奴が作った結界が解けていく……。
周りの人達のパニック具合は変わらないが、とりあえずいつもの環境に戻せてよかった。
……とはいえ、これ以上騒ぎが広がる前に、異物であるおれたちは早めに退散した方がいいだろう。
……六空。
幸せにすると約束した。
それにも関わらず、彼女を半分天使にさせてしまった。
おれの死物を殺す毒も、彼女のアシストがなければあんなザコに無効化される始末。これでもまだ弱体化しているのか。
本当は六空を前線に出したくないが、おれ一人では対応しきれない……。
……クソが、情けねぇ!
……だが、これで一応、六空の目的の一つは果たした。
少しは溜飲が下がってくれていればいいが……。
……おれの方のゴールはまだまだ遠い。
『ファム』……。アイツを必ず解放してみせる。
そのためなら、おれはどんな試練だって乗り越えて——
「——赤魔く〜ん!」
思考を遮る六空の声。
彼女は手を振りながらこっちに走ってくる。
「やったね!
アイツを斃せたよ!」
六空は明るく笑いながらハイタッチを求めてきた。
彼女のここまでの笑顔は、初めて見たかもしれない。
「……すまなかった」
「…………えっ?」
六空は目を丸くして、何言ってるのという顔を向けてくる。
「……いや、お前を少し天使にさせてしまったから。
おれの責任だ」
「ああ、気にしてないよ!
こうなったのはわたしが深入りしたからで仕方ないし!
むしろ、赤魔くんは助けてくれたじゃない!
心配してくれてありがと!
ほら、はいっ」
六空は気持ちのいい眩しい笑顔で手を上げてくる。
その顔を見て、おれは切ない気持ちになった。
……長いこと、おれは心の底から笑っていない。
お前のその笑顔が、偽りでないことを願うよ。
このまま彼女に応じないと気を悪くしそうなので、おれも手を上げて近づける。
パチン!
「今日はありがとっ!
これからもよろしくね、赤魔くん!」
読んでいただき、ありがとうございました!
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