夜襲①
シグルドは眠りにつく。
アザミの問いから目をそらすように。
いつもの格好ではなく、民衆が着用するような地味な庶民服に身を纏い。
剣はベッドの横に置いて。
静寂に包まれる王宮。
西から昇り、東に落ちる術式天体の一つ、ヴェストリが暗黒の夜空に月のように輝いている。
そんな静寂をかき消したのは。
しゃがれた声で呟かれた一つの詠唱。
[『式』系統は魔素――殃禍 伍重奏]
シグルドの部屋に刻まれるは、5つの風刀。
ベッドを粉々に刻み、その威力はシグルドの部屋だけに留まらず王宮の壁を貫通する。
風魔術を刻みこまれた後に、シグルドの部屋にある小窓の枠に座り。
月夜を背景にその姿を現れしたのは。
鋭い歯を持つ、大きなコウモリの魔物。
その魔物はケラケラと笑いながら
「『龍殺し』の暗殺。いとも容易い」と呟く。
アルガードは窓枠から降り、斬撃でズタズタに裂かれたベッドに近づき、毛布をめくった。
シグルドの刻まれた死体があることを確認しようとして。
だが、毛布をめくった先には、髪の毛の一本も残されておらず。
焦ったアルガードが、シグルドの居場所を確認しようと首を動かした際には。
もうすでに、シグルドは魔族の背後を取っており。
その凍てつくほど冷たい蒼色の瞳に殺意を籠め。
剣を左手に握りながら、身をかがめ
[『略式』居合]
短文詠唱を行ったシグルドは、魔族に向け攻撃を放つ。
そのあまりのスピードに不意をつかれた魔族が対応できるはずもなく。
大量の瓦礫と共に、王宮の外に吹っ飛ぶ。
ビルが解体されるほどの轟音と粉塵を撒き散らしながら、闇夜を背にし、王宮の屋根の上で。
吸血鬼の魔族と「龍殺し」が相まみえた。
「チッ、避けたか。困ったな、もう少し時間をおいてから奇襲すべきだったか、もし熟睡していれば、貴様は今頃、起きることもなく永遠の眠りにつけたというのに」
「吸血鬼の魔獣か。こんな夜分遅くに強襲とは全く……時間を考えてほしいものだ」
シグルドは剣を握りしめた右手の甲で額に滴る汗を拭りながら言った。
「すまなかったな。次は外さず、風刀を貴様の喉元に刻み込んでやろう」
ケタケタと、頬にまで裂かれた大きな口を開けながら不気味に笑うアルガード。
そんな彼の様子を見て、シグルドは思考をめぐらす。
(知能を有している魔獣……それに先程の技は風属性の最高難易度の術式、魔族フレンも用いていいた魔術だ……王宮の結界を難なく突破できた点から察するに実力も知識も実戦経験も豊富……呪術などの絡め手を使われると厄介だ。速度で潰すか)
[『略式』居合]
シグルドが身をかがめ、居合の構えを取った瞬間、アルガードも詠唱を行う。
[対立術式]
一閃。
反応出来ない速度で、強烈な一撃がアルガードの体に刻まれた。
シグルドは一瞬にしてアルガードの背後へ。
勝負あり、と思われたが。
アルガードは右脇腹の傷口を抑え、ニヤリと笑っている。
「噂に聞いていた通り、貴様は早い。だが、やはり、人間の尺度の範疇を出ない」
一撃の必殺。
シグルドの居合を受けた者は次の瞬間には体から血を吹き出し、死にゆくだけ。
だがしかし、あろうことかこの吸血鬼は、シグルドの攻撃を一度見ただけでその対策を練り、必殺の一撃を受けても軽症で済ませた。
シグルドは相手の力量を見誤っていたと反省しつつ
「素晴らしい。たった一瞬で、対立術式を編纂するとは、敵ながらあっぱれだ」
「『龍殺し』。噂の通り、只者では無いようだ。なかなかやるじゃないか、人間にしては……な」
「認めようその実力。次は本気を出してやる」
冷静を気取っていながらも、シグルドの内心には若干の焦りが見え始めていた。
(見た目からして吸血鬼だろう。しかし……まさか「居合」を一度で対応されるとは。樹素の流れを把握し、我の術が「闘素」を元に構築されていることを見切り、一瞬の内に対立術式を構築したか……素晴らしい観察眼。それに加えて、この桁外れの内包樹素量。その物量だけでいえば……我よりも多いと見た。こいつはただの魔獣の身でありながら、おそらく…………魔族フレンよりも飛び抜けて強い‼)
「フッ」シグルドは思わず口から笑いをこぼした。
「何が面白い」
「ここ最近、我の前に現れる敵の実力が日に日に増していくのが愉快でな。そのうち、神種まで現れるんじゃないかと思うと、心配で夜も眠れなくなりそうだ」
「ああ、その心配しなくていい。『龍殺し』、今日着様はここで死ぬのだからな」
「それが魔族のジョークか? 全く笑えないな。やはり魔獣の笑いのセンスは我に合わない」
「ジョークなどという、現実を直視せず、皮肉な言葉を吐き悦に浸るなど、弱者がやること。我ら魔族にはその必要はないからな」
〔『式』系統は闘素。器は『剣』――居合:神速 肆重奏〕
[対立術式]
4本の閃光となり、シグルドは空間を縦横無尽に駆け巡る。
あっという間に、アルガードの体には4本の切り傷が刻まれ、紫色の血を吹き出した。
だが軽症だ。傷は薄皮一枚程度であり、出血は酷いものの致命的な重症には至っていない。
「300年ほど前に、鋭い牙を持つ低級魔獣を飼っていたのだが……そいつに引っ掻かれた時に出来た傷のほうが、まだ効いたぞ。ガハハ」
煽るように笑いながら言うアルガード。
続けて
「英雄、人類の奇跡、龍殺し、歴史に名を刻む強者……どれもこれも下らん異名だ。貴様はただすばしっこいだけの剣士に過ぎない。結局は人間の愚かな大衆共の過大評価、つまらん。期待して損をした。人間の最高傑作が、この程度とは」
ため息を吐きながら、シグルドに近づくアルガード。
その眼には、落胆の意が宿っている。
「冥土の土産だ。最後に見せてやろう。『龍殺し』、貴様に、原生の魔術というものを。本来の魔術、魔族のあり方を」
[『式』系統は魔素――黒曜を吐く鏡]
詠唱と共に、名状しがたい深淵が、優しくシグルドを包み込む。
【原生魔獣】
【古来、原生の時代に世界樹と共にこの世に生まれ落ちた魔獣】
【原生の時代を生きた彼らは、汚れなき芳醇な樹素を内包しているが、その大半は他の魔族との交配で血を薄めてしまったり、争いに敗北し朽ちていき、現存、原生であると証明できる魔族は8体のみ】
【いわば原始の時代から生き残ってきた強者であり、魔族の信条である『孤高』をその身をもって実現、証明している列記とした魔族そのものである】
【原生の魔族はその圧倒的な強さ故に、完全な実力社会である魔界では大きな発言権を持つが、その生態は全くの謎に包まれており、基本、現には干渉しない】
【喰いたい時に喰らい、煩わしい他者は滅ぼす。その単純なポリシー、生き様は魔族にとって憧れの的であり、魔族の理想そのものであったが、その生き方を実現できる強者は魔族といえど少なく、魔族の大半は人間と変わらず、群れて生活を営む】
【いわば、孤高に生きることは、魔族にとっては人間の地位や名誉、名声、人気、富などに匹敵するほどの価値を有し、魔族にとっては「群れて生きること」は生き恥でしかなく、弱者である証明なのだ。この価値観の相違が、長らく人間と魔族の対立をもたらした大きな要因の一つになっていると推察する学者もいる】
【彼ら原生の魔族の用いる術式は、単純明快。超火力を有す回避不可能な大技、即死技】
【人類が原生魔獣の術式を叡智を持ってしても模倣できないのは、その術の難解さもあるが、挙げられる理由として一番のものは――それらの術式が、原生魔獣の力量を前提に構築されたものであるからである。つまり模倣できたとしても、人間の術師の力では、原生魔獣の発する術ほどの効力は発揮できないというわけである】
【魔族と、人間の、抗えない種族の「差」。近年、着実にその「差」は縮まってきており、ついには優位に立つほどの進歩を人間はした】
【が、それは、あくまで「群」としての差であり、「個」としての差は、未だ甚だ大きい】
【それを体現するのが、この原生魔獣たちの存在である】
「苦しいか? 『龍殺し』。もっと悶え苦しむ声を挙げてくれ、ここからでは聞こえないのだ」
直径、おおよそ100メートルにも及ぶ巨大な球体状の深淵が、シグルドを中心に構築された。
それを外部から観察し、内部のシグルドに声をかけるアルガード。
深淵からは、金属を爪で引っ掻くような耐え難い不協和音が響く。
【原生魔獣である吸血鬼の始祖、アルガードが用いる原生魔術、黒曜を吐く鏡】
【闇属性の術式の原型であるそれは、対象を中心に膨大な深淵を構築し、その深淵に取り込まれた人物は内臓が焼かれるような痛みを味わい、精神面に膨大な負荷をかけるデバフ特化の術】
【精神汚染を引き起こし、深淵内部にいる人間は五体満足のまま廃人化する。深淵に指先の一つでも触れたものは、酷い罪悪感と強い幻覚に囚われ、負の感情に飲み込まれる】
【どれだけ屈強な人間であろうとも、どれだけ優れた魔術師であろうとも、闇は彼らを包み込み、苦痛を付与する。この魔術を避けることは原則不可能であり、対立術式を構築したり、結界を張って身を守った所で効力はなく、対象の精神に入り込む。不可避のデバフ技である】
数十秒が経過した後、アルガードは術を解いた。
闇が消え、中心からポトリと、脱力して気を失ったシグルドが落ちてきた。
シグルドの情けなさを見て、アルガードは
「貴様はよくやった。人間にしては、な」
と侮蔑を吐く。
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