#5 友達
小川の側、エルザは地面に両ひざを抱え座り、キラキラと輝く水面を眺めていた。
時折吹く風があたりからの木々をさざめかせる。
「どうしよ……」
エルザはそうつぶやくと膝に顔を埋める。
なぜあんなことを言ってしまったのか。理由はエルザが一番わかっていた。
それは、恐怖だ。
エルザにはこの三百年の間、友達はいなかった。
いや、魔神の力に目覚めるまでは普通に友達もいた。
しかし、魔神の力が覚醒したときににそれまでの友達は全ていなくなってしまった。
それでも、最初は新しい仲間や友達を作ろうと行動してきた。
だが、老いのない体、業火の力、黒い右手……エルザの正体は必ずどこかでばれてしまい、みんなエルザから離れて行ってしまった。いや、離れるだけでは済まないこともあった。
そして、いつしかエルザは友達や仲間を作ることは諦めた。
そんな時に、ジンが現れた。
初めてできた気を許せる存在。自分の秘密を、力を知っても変わらずにいてくれた友達――その大切な友達が他の人間に取られるかもしれない。
それがエルザには不安で仕方がなかった。
「ジン……」
エルザは深いため息をつく。
ジンはエルザを見捨てない。そんなことはわかっている。だが、ジンを疑ってしまった。それがエルザをより後悔させた。
「どうしよ……」
そうつぶやいた瞬間、右手が急激に熱を帯びるの感じる。
「……やあ」
いつの間にか側まできていたセラがエルザの横、2人分くらいの間隔を開けて座る。
「なんか用?」
エルザは口調がつい強くなってしまう。それはジンをとられるという不信感のみではない。
「……そんなに身構えないでいい。今は何もする気はない」
その瞬間、エルザの右手が急速に熱を帯びてくる。防衛反応――魔神の力がセラを敵と認識した。
「王立冒険者ギルドの冒険者なのに魔神を見逃していいの? あんたらの仕事は魔神を倒すことなんでしょ?」
「……物知り」
「馬鹿にしないで! あんたのお仲間に追われたことだってあるのよ!」
エルザはセラをにらみ、怒鳴りつける。一方のセラは小川の水面を見つめている。
「……ごめん」
セラは素直に頭を下げた。エルザは謝られるとは思わず、気まずくなって水面を見つめる。
しばしの沈黙……耐えられなくなったエルザが口を開く。
「ねぇ。なんで助けてくれたの?」
「……ご飯をわけて貰ったから」
「え? たったそれだけ?」
エルザは驚き、セラを見る。セラの表情は、口元を隠すコートによってよく読めない。
「……ご飯は命を繋ぐもの。それを分け与えるのは自分の命を分け与えること。命には命を懸けて返す。それが一族の掟。冒険者になっても変わらない」
「ふーん……そっか」
エルザは手元にあった石を水面に投げつける。波紋が広がる。
セラの言っていることが嘘ではないことは、エルザにもわかった。セラが嘘をつく必要もない。
そして、ジンを信用している――気には入らないがその点は信頼はできるとエルザは思った。
「信じる……か」
エルザはつぶやきながら小さく笑う。
今までなら王立ギルドの冒険者など絶対に信じなかった。でも、今はそれを信じることができる。それもジンのおかげだ。
「……今度はこっちの番」
「なによ……」
「……ジンを好きなの?」
「え?」
突然の質問にエルザは、セラを見て目を丸くする。予想外の質問だった。
「ななな、なに言ってるのよ! ジンは……その……好きと言うか、なんというか……」
空を見上げる。小鳥が空を横切り、水面では小魚か何かがはねた音がした。
「わかんないわよ……好きだとか、恋だとかそんな感情はこの力に目覚めてからは忘れちゃったしね。でも……」
エルザは言いながら寂しそうな目で自分の右手を見つめる。いつの間にか、手の熱は下がっていた。
「でもね。あいつはあたしを友達って言ってくれたから、それだけは裏切りたくはないかな……ってなに言わせるのよ!」
頭をかきながらエルザは恥ずかしそうに笑う。
「って、言うか、なんでそんなことを聞くの?」
「……私もお年頃。同性と世間話とかしてみたかった」
セラは少しだけ寂しそうな目で水面を見つめている。
王立冒険者ギルドは一流の冒険者が集まる。競争率も激しい。魔神や他の国家的に重大な案件を処理するいう過酷な任務が待っている。
セラの過去についても、今の生活についてもよくは知らないが、普通の環境にいないとこはエルザにもわかった。
そして、セラも苦労していると思うと、エルザは妙な親近感も覚えた。
「はい」
エルザは少しだけ近づき、セラを見ないようにしながら手を差し出す。
「……なに」
「謝罪と仲直り……頭を下げるのはごめんだけど」
エルザのぶっきらぼうな態度にセラは小さく笑う。そして、自分も近づくと、その手をしっかりと握った。
「まあ、よろしくね」
「……うん、ライバルとして正々堂々と戦う」
「え? ちょっ、ちょっと、ライバルてどういう意味よ!」
「……さあ、どういう意味だろう」
「ちょっと! 手を離しな――」
「なにやってんだ? おまえら」
いつの間にかジンとアンジュが二人の背後に立っていた。ジンはほほの傷を触りながら呆れたような顔をしている。
「なんだよ、心配して来ていたって言うのに……まあ、仲がいいのは結構だけどよ。なぁ、相棒」
『そうですね。仲良きことは美しきかなですね』
ジンの問いかけにアンジュもライトを点滅させながら答える。
エルザはジンの姿を見ると恥ずかしそうに目をそらしてしまう。
「……じゃあ、街道で待ってるから。アンジュ、行こう……乗ってもいい?」
セラはアンジュに声をかける。
『はい、どうぞ……じゃあ、ジンさん。エルザさん。先に行ってますね』
セラはアンジュにまたがると、二人はその場から離れようとする。
ジンとエルザは、二人が話しやすいように気を使ってくれたことを理解した。
「ああ、わかった。二人ともすぐに行くからちょっと待っててくれ」
「……ゆっくりでも大丈夫」
アンジュはゆっくりと動き出す。
「セラ! アンジュ! あの……ありがと」
「……気にしない。友達だから」
『ですね』
セラとアンジュはそう言うと、そのまま林の中に消えてしまった。
エルザはジンは向かい合う。いざ二人だけになるとかなり気まずい。
だが、アンジュは思い切って自分から話し始める。
「ジン! ごめん!」
エルザは頭を下げながら謝った。
「あの、ジンはこの二百年で初めてできた本当の友達で、セラと仲良くしてるのを見たら、急に不安になって……でも、その、ジンを疑うわけじゃなくて!」
言葉がうまく出てこない。しかし、エルザは必死で自分の思いを伝えようとする。
ジンは優しい笑みを浮かべる。
「なあ、エルザ。セラはこっちでできた新しいダチだけど、オレはダチに上とか下とか付ける気はねぇから。おまえが困ってたらおまえを助けるし、セラが困ってたらセラを助ける。相棒のアンジュが困ってたら助ける。そこに順番とか付けられないからさ」
ジンはエルザの目をしっかりと見て話す。エルザもジンから目をそらさず、しっかりとその目を見つめる。
ジンの言葉からはごまかしや、嘘は感じられなかった。
エルザは一瞬目を閉じると、笑顔になる。そして、ジンに近づきその手を握った。
「もう、そこは嘘でもあたしが一番とか言うところじゃないの?」
「なんだよ。嘘なんかつけないんだから仕方ないだろうが」
「まあ、そうよね。そこで嘘なんかついたらあんたらしくないもんね……さあ、あんまり二人を待たせるのも悪いから、早くいきましょ」
そう言いながら林へと歩き出す。ジンもその手をしっかりとつかみ歩き出した。