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第二十二話

 “この事は、出来れば女将には言わないで頂けますか?”

 調理場を後にして早数分。啓輔は、先程告げられたまかりの眞耶の言葉を、頭の中で反芻しながら廊下を歩いていた。

 彼女曰く、女将達従業員は、この件について話す事を、ある種のタブーとしているらしい。

 もし女将にこの事を話せば、本当に旅館を追い出されるかもしれない――怖い顔で眞耶にそう脅された啓輔は、頷かざるを得なかった。


 ――しかしこの旅館、思った以上に怪しい所だな。今更ながら啓輔は、そんな事を思う。

 丁度一年前に起こった謎の失踪事件に、今夜届いた死者からの脅迫状……。普段超常現象の類を全く信じない啓輔でも、何かに憑かれているのではないか――? と思わず考えてしまう程だった。

「……って、何考えてんだか。探偵が超常現象肯定したら、やってけないだろ」

 自嘲染みた笑みを浮かべ、啓輔はぽつりと呟く。勿論、そんな独り言に返る声などない――筈だった。

 だというのに、何故か啓輔の背後からは、呆れた少女の声音が響いてくる。


「パパ、いい年した探偵のくせにそんな事考えてるの!? 明日(ふもと)の病院行って、頭の検査してもらってきたら?」

「ゆ、優ちゃん……言い過ぎだよ」

「……」

 小生意気な少女の声に、それを窘める少女の声――こんな会話を繰り広げる人物を、啓輔は彼女達(・・・)しか知らない。

 啓輔はゆっくりと後ろを振り返る。そして、そこに佇む二人の少女――優と海の姿を認めた。

 風呂上がりのせいか、その髪の毛はほんのりと湿っており、頬は健康的な薄ピンク色に変化している。纏っていた筈の洋服は、いつのまにか浴衣へと変化していた。


「……優。後で、パパとゆっくりお話しようか。その曲がり切った根性、叩き直してやるよ」

 啓輔が“ゆっくり”の部分を強調しながらそう言うと、優はフンと鼻を鳴らす。何処か人を見下したようなその態度――間違いなく、常の彼女だ。

「私は正論を言ったまでだと思うけど? ……車内でぐーすか眠りこけて、お昼を無しにした挙句、夕飯まで食べ損ねたお馬鹿な探偵さん?」

 ――夕飯の件に関しては、半分以上お前のせいだがな。そう叫びたい気持ちを、啓輔はぐっと堪える。

 ――相手は子供、相手は子供……。啓輔は、苛立った時にいつも頭を過らせる決まり文句で脳内を満たす。

 ようやく心が落ち着いてくるのを感じた頃、優が再び爆弾を投下した。


「六歳児の子供を前に、何か言い返す事すら出来ないのかい? 啓輔君?」

 明らかに人を見下したにしたようなその態度に、啓輔の中で何かが切れる。

「優、人を馬鹿にするのもいい加減に――」

「はいストップ! 親子喧嘩はそこまで!」

 怒気を孕んだ啓輔の声を遮ったのは、聞き慣れた男の声音だった。声の主――和人は、呆れた様な様子で二人を見やる。


「お前らなあ……仲が良いのは分かっけど、んなとこで騒ぐな。迷惑だろうが」

「……」

「……」

 その言葉で口喧嘩は止まるものの、二人は無言の睨み合いを始める。微笑ましくも大人気ないその行動に、和人は苦笑を滲ませた。

「取り敢えず、部屋入ろうぜ? 廊下(ここ)も結構冷えるしな……。こんなとこで風邪引いたら、元も子もねぇだろ?」

 そう言いながら和人は小さく身震いしてみせる。――三月になったとはいえ、夜はまだまだ冷えるこの時期。啓輔はともかく、風呂上がりの優達は湯冷めする可能性もあるだろう。


  ――と、啓輔がそう思った矢先。耳元に、くしゅん、という小さな音が響く。音のした方向を見ると、海が真っ赤になった鼻を啜っているのが見えた。

 このままでは、海が風邪をひきかねない――そう判断した啓輔は、小さく頷いた。




 啓輔が襖を開けると、そこには、先程とは全く違う風景が広がっていた。

 四人の留守中に女将が入って来たのだろう。部屋の真ん中に置いてあった筈のちゃぶ台は片付けられ、代わりに真っ白な布団が敷き詰められていた。

 それを見た子供達は、途端に目を輝かせる。

「わあ……お布団だ!」

「優、一番端っこね! 海ちゃん、隣で寝よ?」

「うん!」

 海と共にきゃっきゃとはしゃぐ優は、とても先程の高圧的であった少女と同一人物とは思えない。

 ころころと変わる娘の表情を見ながら、啓輔はふっと微笑んだ。そんな啓輔の横に佇む和人は、小さく眉根を寄せる。

「……何気色悪い顔してんだ? さてはお前、ロリコ――」

「ねぇよ」

 悪友の問いかけに即答しつつ、啓輔は軽く頭痛を覚える。冗談だって――と言いながらからからと笑われると、ようやくからかわれただけなのだと気付いた。

 いつまでも笑い転げている友人に嫌気がさし、啓輔はふっと視線を反らす。


「――風呂、入ってくる。二人の事、頼んでいいか?」

「そういやお前、まだ入って無かったんだっけ……。分かった、任せとけ」

 年甲斐もなく拗ね出した啓輔を見て、流石に少し反省したのだろう。その声音に、ふざけたような様子は無い。

「優、海ちゃん。俺風呂入ってくるけど、和人の言う事、ちゃんと聞くんだぞ?」

「「はーい」」

 元気が良い割には、あまり真剣味の感じられない返事を聞きながら、啓輔は部屋に置いてある浴衣を手に取った。

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