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青い夏と、星の降る夜

一夏の思い出にて作成した作品です。

 蝉の声が、朝から空いっぱいに響いていた。ジジジジジ、と途切れることなく続くその音は、窓を閉めていても遠慮なく部屋の中へ入り込んでくる。太陽はまだ空の高みに昇りきっていないというのに、くじら島の夏はすでに一日の熱をまとい始めていた。

 

 開け放たれた窓から、海の匂いを含んだ風が吹き込んでくる。白いカーテンがふわりと膨らみ、その向こうから差し込んだ朝の光が、部屋の床に細長い影を落としていた。


「……暑い……」

 ベッドの上で、青波(あおなみ)きららはうつ伏せになったまま呻いた。

 腰まで届く長い髪が、枕の上に広がっている。

 朝の光を受けた髪は、ただの青ではなかった。深い海の底を思わせる濃い色から、窓辺に近い部分では透き通るような水色へと変化している。まるで、一本一本の髪に海と空が閉じ込められているようだった。

 その髪の一房が、きららの頬に張りついている。


「暑い……髪が暑い……」

 もう一度呟いてから、きららは勢いよく起き上がった。

「……でも切るのは嫌!」

 寝起きとは思えないほどきっぱりと言い切る。そして、ベッドから飛び降りた。

 床に置いてあった制服のスカートを踏みかけ、慌てて片足で跳びながら体勢を立て直す。


「わっ!」

 危うく机にぶつかりそうになり、きららは両手を伸ばしてどうにか踏みとどまった。

 机の上に置かれていた筆箱が、端まで滑っていく。

「わわっ! あ〜……っと!」

 伸ばした手が間に合う。

 筆箱を掴んだきららは、ほっと胸を撫で下ろした。

「セーフ!」

 誰もいない部屋で、きららは小さく拳を握った。その直後、廊下から声が飛んでくる。

「きらら! 朝から何暴れてんの!」

「何でもないよー!」

「あんたは行動が怪獣並みなんだからね!」

「うっさ〜い!」


 返事をしながら、きららは机の上に筆箱を戻した。

 その瞬間、筆箱の隣に置かれていた小さな紙片が目に入った。

 紙には、星の形をした印が描かれている。きららは一瞬だけ動きを止めた。そして、すぐに笑う。

「……今日も頑張ろうっと!」


 彼女は髪をまとめるため、鏡の前に立った。

 鏡の中には、まだ少し寝ぼけた顔をした少女が映っている。


 青波《あおなみ》きらら。十七歳。くじら学園二年C組。


 腰まである青い髪を普段は高い位置で一つに結び、動くたびに大きく揺れるポニーテールにしている。

 きららは髪を手に取った。

「よし!」

 長い髪を後ろでまとめ、黄色いリボンで結ぶ。

 鏡の中の自分を見て、きららは満足そうに頷いた。

「今日も完璧!」

 結び目からこぼれた細い髪が、頬の横で揺れている。

 それを指先で整えたところで、再び階下から声がした。

「きらら! 朝ご飯冷めちゃうわよ!」

「はーい! 今行く!」

 今度はきちんと返事をして、きららは部屋を飛び出した。

 窓の外には、青い世界が広がっていた。


 くじら島。

 世界の大半が水に覆われていた遠い昔、空から降り注いだ星々が海に触れ、いくつもの島を生み出した。

 その中でも、きららが暮らす島は、遠くから見ると一頭の巨大なくじらの姿をしている。

 くじらの背中にあたる部分には街が広がり、尾に近い場所には港がある。頭の先には灯台があり、腹側には大小さまざまな浮島が連なっていた。

 島の下には、果ての見えない海がある。朝の太陽を受けた水面は、細かな光を無数に弾いていた。

 その先には、別の浮島がいくつも浮かんでいる。

 遠くの島と島の間を、白い船がゆっくり進んでいた。さらに上空では、飛空艇が雲の間を縫うように飛んでいる。

 くじら島では、空も海も、決して遠いものではない。それでもきららにとって、空のさらに向こうにあるものだけは、いつも遠かった。

 星、そして、星の女神。


「行ってきまーす!」

 朝食を終えたきららは、家を飛び出した。

 白いブラウスの上に紺色の制服を着て、胸元には青いリボン。夏の暑さを少しでも避けるため、袖は肘の近くまでまくっている。

 肩にかけた鞄が、走るたびに背中で跳ねた。

「きらら!あんたはまた言ったそばから!」

 家の前から声が飛ぶ。

「大丈夫ですー!」

 返事をしながら、きららはさらに速度を上げた。

 通学路は、くじら島の背中に沿って続いている。

 石畳の道の両側には、白い壁の家々が並んでいた。屋根の上には風を受ける小さな羽根が回り、家と家の間からは海が見える。

 道の先では、海面が空とつながっているようだった。

 あまりにも青くて、境目が分からない。きららは走りながら、その青を見た。


「きらら!」

 背後から声が飛んできた。

「わっ!」

 驚いて振り返った瞬間、きららの足が止まる。その勢いで、肩にかけていた鞄が前へ滑り、中から教科書が一冊、飛び出した。

「危なっ」

 黒髪の少年が、落ちる寸前でそれを掴んだ。

「……お前、朝から何してんの?」

「優斗!」

 きららは振り返り、目を輝かせた。

「おはよー!」

「おはよう。っていうか、今絶対転びかけただろ」

「転んでないからセーフ!」

「その理屈、毎朝聞いてる気がするんだけど」


 鮎喰優斗(あくいゆうと)は、拾った教科書をきららに差し出した。

 黒い髪は朝の風に少し乱れている。整った顔立ちをしているため、黙っていればかなり大人びて見えるのだが、きららと一緒にいるとその印象はすぐに崩れる。


「ありがと!」

「どういたしまして。……お前、髪長いんだから、走るときくらいもう少し気をつけろよ」

「えー? 髪は関係なくない?」

「あるだろ。さっき後ろから見てたら、ポニーテールが鞭みたいに振り回されてたぞ」

「鞭!?」

「うん。青い鞭」

「かっこいいじゃん!」

「褒めてない」


 優斗は呆れたように言った。きららは笑いながら、再び歩き出す。その隣に、優斗も並んだ。


「そういえばさ」

 きららが言った。

「今日、合唱部の練習あるからね!」

「知ってる」

「なんで知ってるの?」

「昨日、お前が五回くらい言ってたから」

「五回も!?」

「もっとかもしれない」

「そんなに言ったっけ?」

「言った」

「じゃあ、優斗も一緒に来る?」

「なんで俺が?」

「応援!」

「俺、合唱部じゃないんだけど」

「でも歌は聴けるよ!」

「聴くことはできるな」

「じゃあ決まり!」

「決まってない」


 きららは、もう聞いていなかった。優斗は小さく息を吐く。その顔には呆れが浮かんでいたが、結局、彼はきららの隣を離れなかった。

 くじら学園は、島の中央近くにある。校舎は白い石材で造られており、中央棟を中心に、いくつかの建物が扇状に広がっていた。

 校庭の向こうには、海が見える。朝の光を浴びた校舎は、まるで空に浮かぶ白い城のようだった。校門をくぐった瞬間、きららの姿を見つけた生徒たちが声をかけてくる。


「青波、おはよう!」

「おはよー!」

「今日も髪すごいね!」

「でしょ!」

「褒めてないと思うぞ」

 優斗が横から口を挟む。

「ぇえ!? 褒めてるよね!?」

「知らない」

 そんなやり取りをしながら昇降口へ向かっていると、正面から金色の髪が揺れた。


「まあ。朝からずいぶんと騒がしいことですわね」


 神崎海夜璃(かんざきみより)だった。

 金色の髪は肩のあたりで上品に整えられている。制服も着崩すことなく、胸元のリボンまできちんと結ばれていた。桃色の瞳が、きららをまっすぐ見つめる。


「おはよー海夜璃!」

「おはようございます、きららさん」

「今日もかわいいね!」

「……朝から急に何ですの?」

「だって本当にかわいいし!」

 海夜璃は一瞬、言葉に詰まった。

「そ、そういうことを何の脈絡もなく言うのはおやめなさい!」

「えー、なんで?」

「なんでもですわ!」

 海夜璃は頬を少し赤くした。優斗が横で笑う。

「神崎、今日も負けてるな」

「何にですの!?」

「きららの勢いに」

「負けていませんわ!」

「じゃあ、今日の歌唱練習で勝負する?」

 きららが言った。海夜璃の目が鋭くなる。

「望むところですわ」

「よーし!」

「ただし、今日は私が勝ちます」

「私だって負けないよ!」

「その根拠のない自信、どこから来るんですの?」

「根拠はないけど、自信はある!」

「それは根拠がないということですわ!」


 優斗は二人の間に立ち、ため息をついた。

「朝から元気だな、お前ら」

「優斗も参加する?」

「しない」

「えー」

「俺は審判」

「審判も参加者だよ!」

「違う」

 いつもの朝だった。くだらない言い合いをして、笑って、教室へ向かう。誰もが知っている日常。きららにとっては、そんな毎日が大切だった。だからこそ、夢の話をするときも、きららはいつも笑っていた。


「私、絶対に歌姫になるから!」

 昼休みに入った教室の窓から見える空は、朝よりもさらに明るい青だった。

 きららは机に座ったまま、両手を握りしめて宣言した。

「五年に一度しかないアンドロメダオーディションだよ!? 次は五年後なんだから!」

「お前は次の年齢制限に引っかかるだろ」

 優斗が言う。

「だから今回が勝負なの!」

「はいはい」

「絶対に聞いてない!」

「聞いてる」

「本当に?」

「たぶん」

 隣できららの文句を受け流しながら優斗は窓の外へ視線を向けた。


 空はどこまでも青い。

 その青の向こうには、きららがまだ見たことのない場所がある。


 歌姫。

 五年に一度だけ星の女神が降臨し、女神に選ばれた者は、煌星の天使と呼ばれる。

 選ばれた八人だけが手にする称号。

 四人の少女と四人の少年が一つのユニットとなり、世界中に歌を届ける。

 その活動期間は二十五歳まで。きららにとって、今回のオーディションは一度きりだった。


「……本当に、なりたいんだな」

 優斗が呟いた。

「うん!」

 きららは迷いなく頷く。

「ずっとなりたかったの!」

「なんで?」

 その問いに、きららは少しだけ考えた。窓の外を見つめる。

「歌が好きだから」

 それから、笑った。

「それに、歌姫になったら、世界中の人に歌を届けられるでしょ?」

「世界中って、また大きく出たな」

「だって、世界は広いんだよ!」

 きららは窓の外を指差した。

「この海の向こうにも、たくさん島がある。そこに住んでる人たちにも、私の歌を聴いてもらえるんだよ!」

 優斗はきららを見た。彼女の青い髪が、開いた窓から吹き込んだ風に揺れている。

 青い海、青い空、そして、きららの青い髪。

 今日もきららは、遠くを見つめていた。


 その日の放課後。合唱部の練習室には、歌声が響いていた。

「もう一度、最初からいきます!」

 指揮をしているのは、翠簾野公親(すみのきみちか)だった。白水色の髪が肩のあたりで揺れている。

 高身長で細身の彼は、少し風が吹けばそのまま飛んでいってしまいそうなほど儚げに見える、女子生徒たちから絶大な人気を誇る教師である。しかし、その外見からは想像もつかないほど、彼は厳しい。


「青波さん、音が少し前に出ています」

「はい!」

「白石さん、無理に声を張らなくても大丈夫ですよ」

「は、はい……!」

「全体としては、先ほどよりよくなっています。では、もう一度」

「はい!」

 部員たちの声が重なった。

 その中でも、きららの声は明るく、まっすぐだった。力強く伸びる高音。細かな技術では、海夜璃の方が上かもしれない。しかし、きららの歌には、人を振り向かせる何かがあった。歌っている本人が、誰よりも楽しそうなのだ。

 練習が終わる頃には、外は夕暮れになっていた。窓の向こうで、太陽が海へ沈もうとしている。

 昼間の鮮やかな青は、ゆっくりと色を変えていた。

 水色、薄紫、そして淡い桃色へ。海の向こうから少しずつ夜の色が広がっていく。


「お疲れさまでした!」

 きららが大きく伸びをする。

「今日も頑張ったー!」

「青波さん」

 翠簾野が穏やかに呼び止めた。

「はい?」

「頑張ることは素晴らしいですが、喉の管理も忘れないようにしてくださいね」

「はい! 気をつけます!」

「本当ですか?」

「……はい!」

 少し間があった。翠簾野は微笑んだ。

「今、少し考えましたね」

「えへへ……」

「水分補給をしてください。歌うことは、身体全体を使うことですから」

「はい!」

 きららは素直に頷いた。その後ろから、海夜璃が近づいてくる。


「きららさん」

「海夜璃?」

「明日の放課後、時間はありますわね?」

「あるよ!」

「では、歌唱練習に付き合っていただきます」

「えっ、勝負!?」

「もちろんですわ」

 海夜璃は胸を張った。

「オーディションが始まれば、あなたは私のライバルですもの」

「私も海夜璃には負けないからね!」

「その言葉、忘れないでくださいませ!」

「うん!」

 二人はまっすぐに見つめ合った。

 その様子を見ていた優斗が、少し離れた場所で呟く。

「……仲いいよな」

「「仲良くない!/ありませんわ!」」 

 二人の声が重なったことに優斗は笑った。


 その夜。きららは一人で屋根の上にいた。家の中はすでに静かになっている。昼間の暑さは少し和らいでいたが、夜風にはまだ夏の熱が残っていた。

 遠くから蝉の声が聞こえた気がした。


 きららは髪をほどいていて青いリボンを外す。結ばれていた髪が、さらりと肩を滑り落ちた。昼間は一つにまとめていた髪が、背中を伝って腰まで広がる。

 夜の光の中では、昼間とは違う色に見えた青というより、深い藍。空の底に沈んだ海のような色。

 きららは屋根の上に座り、空を見上げた。

 紺藍の夜空。その中に、数えきれないほどの星が浮かんでいる。そして、星々の間に薄く広がる白い光。


 アンドロメダ銀河。天の川。

 きららはそれを見つめるたびに、胸が高鳴った。この空の向こうに、星の女神がいる。五年に一度、地上へ降りてくる女神。

 流星群とともに現れ、世界中の人々の中から、誰かの願いを叶えた者を選ぶ。選ばれた者は、煌星の天使となる。そして、歌姫になる。


「……星の女神様」

 きららは小さく呟いた。もちろん、返事はない。ただ、遠い星々が静かに瞬いている。

「私、絶対に歌姫になります」

 誰に聞かせるでもなく、きららは言った。

「歌を、世界中に届けます」


 その瞬間、夜空の一角が突然強く輝いた。

「え?」

 きららが立ち上がる。


 一つ。


 二つ。


 数え切れない光が、夜空を横切った。


 流星のように、次々と星が降り始める。

 まるで夜空そのものが崩れ、無数の星が地上へ向かって流れ落ちてくるようだった。

 島のあちこちから、驚きの声が上がる。

 遠くで鐘が鳴った。窓が開く音。誰かが外へ飛び出す気配。

 くじら島だけではない。海の向こうに浮かぶ島々にも、流星群の光が広がっている。夜空が、青から銀へと変わっていく。きららは、息を呑んだ。


 そして、声が響いた。


 どこから聞こえているのか分からない。空からなのか。海からなのか。あるいは、世界そのものからなのか。それは、女性の声だった。

 遠く、澄んでいて、それでいて、耳元で囁かれているようにはっきりと聞こえる。


『星を望む者たちよ』


 きららは目を見開いた。声は、島中に響いていた。世界中に届いているのだと、なぜか分かった。


『願いを抱く者たちよ』


 流星が夜空を走る。


『これより半年間』

『新たな煌星の天使の選考を開始します』


 きららの胸が、大きく跳ねた。

 どこかで歓声が上がり、遠くの街からも声が聞こえる。

 誰かが泣いている。誰かが叫んでいる。誰かが、喜びの声を上げている。

 きららは、空を見上げたまま動けなかった。


『十二歳から十八歳までの者よ』


『誰かの願いを叶えた者よ』


『その願いが、誰かの人生を変えたのなら』


『半年後、星はあなたを見つけるでしょう』


 星が、さらに強く輝いた。


『歌を望む者よ』


『誰かのために歌う者よ』


『星の声を受け取る者よ』


『あなたの願いを、聞かせてください』


 声が消えた。


 しかし、流星群はしばらく夜空を流れ続けていた。きららは、ただ空を見上げていた。長い青い髪が、夜風に大きく揺れている。


 紺藍の空。銀色の星。

 遠くに浮かぶアンドロメダ銀河。その向こうに、星の女神がいる。きららは、両手を強く握りしめた。


「……始まった」

 声が震えた。怖いわけではない。嬉しかった。ずっと待っていた。この日のために、歌ってきた。

「私……絶対に、歌姫になる!」

 きららは夜空へ向かって叫んだ。

「星の女神様に、私の歌を届ける!」

 その声は、夏の夜に吸い込まれていった。返事はなかった。けれど、きららには聞こえた気がした。遠い星の向こうから。まだ誰も知らない未来から。


 —— 誰かの願いを、叶えてください。


 きららはまだ知らなかった。自分が歌姫になるために見上げていた遠い青が、いつか誰かと並んで見る空へと変わっていくことを。

 今はただ、まっすぐに星を見つめていた。


 遠い。


 けれど、いつか届くと信じている。その夜空の向こうにある、星の女神へ向かって。きららは、もう一度だけ呟いた。

「待っててくださいね」

 流星が一つ、夜空を横切った。

 それは、きららの髪と同じくらい深い青の夜を、一瞬だけ銀色に切り裂いた。そして星の光は、静かに消えていった。



読んで頂きましてありがとうございます!

AI作成によるキャラクター画像はXにて投稿しております。

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