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Bittersweet

ナイジェルたちの思考を爆速で空転させている元凶――ジークリンデは、狐籏別館のドローイング・ルームでアペリティフ代わりの梅ジュースをちびちびと舐めていた。


彼女の眼前で〈モントブレチア〉の艦橋クルーたちは、手厳しい洗礼を受けている。ステート・ダイニング・ルームに入室してもいないのに。

何しろ玄関扉をくぐったそこには、シマヅ主任とツクダ副主任の二人が竹篦しっぺいを手に、「おいでやすぅ」と待ち構えていたのだ。物珍しさと緊張から挙動不審に陥っていたクルーたちを、二人は微笑みと共に睥睨した。


「まあ、あんたはんら、こそ泥の真似事でもしてはります?」

「嫌やわぁ、お客さんならお客さんらしう、堂々とお出入りしよし」

「背筋が丸うなりはるのと、重心が前へ傾くのが原因やえ。肩で背負うのと足で踏ん張るのとでは、見えてくる景色も違うてくるもんやわ」

「あら、二人ともご機嫌ですね」


ジークリンデの漏らした呟きに、フレミングが口元をひくりと引き攣らせた。


「……これでか?」

「少し張り切り過ぎてるかも。フレミング提督、少し『罰』の内容を変えてもよろしいかしら?」

「それは、提案ですかな?」


フォレストがやんわりと割って入った。


「ええ、そう。提案です。……軍って、大変ですね」


五家当主であろうと、他省庁の人間が軍の懲罰を直接差配してはならない。それは当然の理だ。

ジークリンデは軍務卿を除けば、軍の人間と直接関わる機会が殆どなかった。ゆえに、つい航保いつもと同じ感覚を適用してしまった。


「提案を聞かせてくれ」

「はい。明日、モントブレチアの最終テスト航行と、操艦訓練を並行するでしょう?ですから今夜は英気を養う親睦会にしてはいかがかと」

「ん?罰はどこに行った?マナーの訓練はどうする?」

「今回は『それぞれのマナー習得レベル』のチェックに当てて、出立の前日に再度機会を設け、穴のある部分を重点的に指導します。罰の方ですが――」


自信に満ちたジークリンデの眼光に、フレミングはたじろいだ。嫌な予感しかしない。


「まず一つ。酒は一滴たりとも飲ませません」

「それはそうだろう。明日、試験航行だ」

「ですが、手の届くところに並べます。真砂とか、幻のワインとか、色々」

「鬼か、お前は」

「そして香りだけ楽しんでいただけるよう、一杯ずつテーブルに出します。飲んじゃ駄目ですよ?シマヅとツクダが堪能している姿をご堪能いただきます」

「鬼だ、お前は」

「でもこれでは下戸の方はノーダメージですし、アルコールの香りだけで気分が悪くなる方にはやり過ぎになってしまいます」

「確かにな。体質はどうにもならん」

「ですので席を分けた上で、酒杯の代わりにデセールをテーブル中央に。グラニテ(魚料理と肉料理の間に出される氷菓子)、アヴァンデセール(軽い口直し)、デセール(皿盛りデザート)、ミニャルディーズ(食後のコーヒーに添えられる小さな焼き菓子)、全て見るだけです。シマヅとツクダが堪能している姿をご堪能ください」

「うちらは甘いもんで呑めるさかい、心配いらんえ」

「徹底しとるな」

「こういうことは極力、公平にしないといけませんから」

「やりますなぁ。お流石です、辺境伯閣下。まず一つ、と仰るからには?」


フォレストは面白がっていることを隠しもしない。愉快そうに続きを促した。


「勿論、もう一つありますよ。二つ目は――コースを一皿終える毎に、こちらを飲んでいただきます」


ジークリンデが扇を軽く振ると、トレイを捧げた給仕が近づき、フレミングの前にショットグラスを置いた。フレミングはグラスを手に取り、目の高さに掲げる。薄茶色の液体が静かに揺れた。


「これは……茶か?」

「センブリ茶です。健胃薬として、とても有名です」

「ふむ。漢方か?」

「生薬です」

「違うのかその二つは」

「違います。こう言えば伝わるかしら、ギムレットやマティーニが漢方でジンが生薬」

「そういう違いか。理解した」

「思い出した、センブリって、罰ゲーム用のお茶ですね!」


爽やかなパスカルの声に、フレミングの手が止まった。グラスを口につける直前であった。


「……おい、航保卿。いや辺境伯」

「すごく苦いんですよ。罰ですから、罰ゲーム用のお茶でいいかと」

「親睦会っぽくていいですね!なぁ、フレミング」

「航保の親睦会では必須アイテムだと、ムラサメが言ってました」


〈ローレライ〉クルーをはじめとした航保の人間――特に美食家のサクライ少将ですら、ついて来ようとしなかった理由をフレミングは悟った。講習の厳しさではなく、この茶を警戒していたのだと。

それでもどうにか、一言を絞り出した。


「……罰ゲームの茶を使えば即ち親睦会、という発想はおかしいからな?」


パスカルとジークリンデは顔を見合わせた後、フレミングへと視線を戻し、二人揃って首を傾げた。


「俺がおかしいみたいな顔をするな」


――嗚呼、何故ここにカラムが不在なのか。

フレミングは心中で慨嘆した。親友にして、パスカルの制御ツッコミ役たるカラム・ブライアーズ大佐は、現在、首都星系外縁まで『逃亡中』であった。



〈モントブレチア〉艦橋クルーたちがセンブリ茶に悶絶していた同時刻、首都星系外縁――恒星アインが遠く一点の光として輝くのみの虚空にて、フレミング艦隊二千隻が〈ローレライ〉艦長ファビオラ・レオーネ大佐の指揮の下で訓練に明け暮れていた。カラムはレオーネの斜め前、戦艦〈スパラキシス〉の艦長席に座している。

本来の席の主、不惑(四十)を少し過ぎたばかりの〈スパラキシス〉艦長ヴィリー・シュライアー中佐はと言えば、レオーネの傍らで只管ひたすらメモを取っていた。

〈スパラキシス〉はフレミング艦隊における予備旗艦だ。必要な際には旗艦としての役割を担う。シュライアー中佐は堅実な性格と公開演練テストの実績から、予備の艦隊指揮官として選出されていた。

レオーネ大佐は現在進行形で艦隊指揮官としての訓練を受けつつ、航宙保安省第一艦隊旗艦〈ローレライ〉艦長を務めている身であるから、カラムとシュライアーを指導するのに丁度良い立場だった。


「ほうほう。明日、ついにモントブレチアと合流ですか。楽しみですね」


定時交信に目を通したシュライアーが声を弾ませた。自身の所属する艦隊の旗艦が未公開の最新鋭艦となれば、興奮するのも無理はない。


「ところで、なんでしょうか。このセンブリ地獄というのは」

「さぁ……?メッセージ作成者は……やはりパスカルですね、すみません。気にしないでください。……全く、パスカルの奴……」


カラムは額に手を当て、瞑目した。レオーネもまた、額に手を当て瞑目した。奇妙な光景にシュライアーはメモを取る手を止め、レオーネを覗き込んだ。


「どうされましたか?」

「センブリ……うちの閣下がすみません」


シュライアーは怪訝な表情になった。


「……王都で一体何が起きてるんです?」

「辺境伯閣下が、親睦会で罰ゲームを執行なさっているのだと思います。航保では恒例なんですよ、センブリ茶」


レオーネはリアルに苦味を思い出してしまい、そっと口元を押さえて視線を泳がせた。

咳払い一つで気を取り直し、シュライアーに苦笑を向ける。


「きっとモントブレチアクルーのための親睦会でしょう。うちの閣下が差配しているなら、いいものを飲んで食べてはいるはずです。ブライアーズ大佐は、参加出来なくて残念でしたね」

「自分は全く問題ありません。ああ、早く外交任務に出立したいものです」

「はぁ、成る程?……うん、状況がさっぱり判りませんな」


深刻に考える必要は無さそうだと判断したシュライアーは理解を諦め、メモに視線を落とした。


カラム・ブライアーズは現在、女子大生ミディラ――サヤ・ミイデラの猛アタックから全力で逃げている。これは押しの強さに負け、迂闊に連絡先を教えてしまったカラムにも非がある。

そんな訳で、とにかく王都から離れておきたいカラムは、嬉々として〈スパラキシス〉に乗り込み宇宙へと飛び立った。

こんな状況だが、カラムを冷やかす者は皆無だ。巧妙に、執拗に、周到に、カラムの行く先々に出現するミディラの神出鬼没ぶりを目の当たりにした者は、次々に野次馬から逃亡幇助者へと立場を変えた。この場合の逃亡幇助とは即ち、カラムに彼女の接近を警告したり、ミディラの包囲網に穴を開けることに他ならない。一人しかいないミディラに、まるで包囲されているかのような錯覚に陥るほどの遭遇率だった。

なお、このミディラの先回りっぷりは、協力者アルシド・ルペルティエ法務卿の脳が暇を持て余していたためである。

もっとも、カラムは生真面目な性質で動線が読みやすかったから、アルシドにしてみればあまり面白みのあるクォーリー(獲物)では無かった。




「ふう、忙しい忙しい」

「棒読みですよ、アルシドぼっちゃま」

「ばあや。私はもう二十五だよ?いい加減、その呼び方は止めてくれないかな」


ツルバミをウィグナー邸へと帰らせたアルシドは、早速頭の中で『台本』を練り始めた。

いくつものホロウィンドウを周囲に展開して目を走らせ、素早くキーボードを叩く。だがそれらは全て法務卿としての業務であって、カティとは無関係だ。


「これは却下、これは差し戻し――明日の晩が楽しみだ。どんな娘なんだろうね、カティ・ウィグナーは。ナイジェルに似ているのかな?」

「楽しそうですね、ぼっちゃま」

「まぁね。ブライアーズ氏が宇宙に逃げたせいで、このところ手持ち無沙汰だったから。お蔭でしばらく楽しめそうだ」

「お忙しいのでは?」

「頭の中だけ暇なんだよ。ところでばあや。父さんからの伝言を持ってきたんだろう?」


ばあやと呼ばれた老婦人・シモン夫人は、アルシドの机に蝶結びされた黄色のリボンを二つ置いて、その傍らにキャンディの包み紙を二枚添えた。


「……そうか。プリシラ夫人には?」

「夫が、先ほど」

「陛下には?」

「先代様が、直接上奏なさると」

「包み紙だけなんだね」

「……あくまで現時点での話でございます」

「うん……そうだね。ふふ、キャンディとは言い得て妙だ」

「ぼっちゃま……」


痛ましげな視線を向けられたアルシドは、それを払い除けるように手を軽く振った。


「マダム・シモン。ぼっちゃま呼びは止めてくれ。もう、キャンディが無くて泣く子供じゃない。……リボンが黄色くなった。それだけで、私は十分幸せなんだ。本当さ」

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