カイのお料理天国! 〜本日のメニューは魔王召喚鍋〜
ヤバい、完全に風邪を引いた。
ちょっと熱っぽいし、気持ちが悪い。ダルいし。
「ナギせんせぇ〜」
「どしたの?」
スカートをつんつんと引っ張られてハッとなる。まわりには五人の子どもたち。
実はこの二月、わたしはちょこちょこ近所の子どもたちを預かったりしているのだった。
最初はメルルさんのお友達の、服屋のリエルさんの子シャハルちゃんを預かるだけだったけど、今となっては常時十人前後の子どもを預かっている。
シャリルさんやメルルさんに訊いたところ、こちらでは幼稚園や保育園に代わるものはないらしい。幼稚園教諭を目指していたわたしと、忙しい近所のお母さんたちの利害が一致して、メルルさんを介してこうやって簡易幼稚園みたいなことをしているんだけど……さすがに風邪を移すかもしれないのに預かるのはマズイ。気持ち悪いってことは、胃腸炎かもだし。
今日を乗り切って、風邪がよくなるまで幼稚園はお休みさせてもらおう。そう決めると、わたしはパンパンと手を叩いて子どもたちの注目を集めた。
「みんな〜、先生からお話がありま〜す! ちょっと先生は風邪引いちゃったみたいなの。他に具合悪い人、いる? いない? よかった! なら、みんな、お家に帰ったらうがいと手洗い、忘れないでね!」
うがいと手洗いの文化は、こちらの世界にはなかった。最初はみんなやり方がわからなくて戸惑っていたけれど、今となっては病気の予防となると、大人もやる人が増えているらしい。と、パン屋のミュークさんが言っていた。
幼児の死亡率が高いこの世界で、風邪の予防ができることは大きな意味を持つ。
午後をどうにか乗り切って、わたしは迎えに来たそれぞれの親御さんに事情を話し、しばらく幼稚園をお休みすることになった。
「うぅ〜」
子どもたちを送り出し一人になると、途端に具合の悪さが際立つ。気持ち悪い。ダルい。眠い。
今日はカイはギルドで頼まれたお仕事に行っている。この前は商隊の護衛だったけど、今日は魔獣退治だ。お風呂沸かしておかないと。あ、ごはんも作らなきゃ。今日の分と……明日の朝の分。
そう思うのに、身体は動かない。うん、寝不足もあるけどね。最近はだいぶ手加減してくれるようになったからいいけれど、こうやって仕事で剣を振るってきた前後は、わたしの睡眠時間はほぼなくなる。気絶するように寝てるんだもの、朝なんて起きられるわけがない。
なんでそんなことになってるのかって? その……うん、まぁ推測してください。結婚初夜に三年……いや四年分の気持ちを思い知らされてからこちら、わたしがゆっくり眠れるのはカイが不在のときしかないんです。それが半年続いた今、たまに泊まりの仕事って聞くと「やった!」と内心思うのは許してほしい。というか、カイの体力怖い。
ベッドに横になったわたしは、深いため息をついた。
※ ※ ※ ※ ※
「……ギ、ナギ!」
目を開けると、あたりはすでに暗かった。枕元のランプが灯されて、暗闇にカイの姿を浮かび上がらせている。
「どうした? 具合悪いのか?」
「うん……ごめん、風邪引いたっぽい」
硬い掌が額に当てられる。
「微熱くらいか? ごめんな、昨日無理させたせいだな」
かもですね!
心配そうな顔のカイに、わたしは上体を起こすとそっと頰にキスをした。
「おかえり、カイ。ごめんね、ごはん作ってないや。待ってて」
「いや、俺がやるからナギは寝てろ」
肩口を押されてぽすっと再びベッドに転がる。
思えばこのとき断ればよかったんだけど、寝不足の上に寝起きのわたしは、朦朧としてほとんど頭がまわっておらず、すっかり忘れきっていたのだ。--カイの絶望的なまでの料理下手を。
気付いたときは手遅れだった。
蓋を開けた瞬間もわっと立ち上った刺激臭に、わたしはトイレに直行した。元から気持ち悪かったのに、それを後押しする出来だった。
ごめん、カイ。作ってくれたのは嬉しい。
でも、なんでそれどす黒い紫色してるの? なんで刺激臭してるの? なんか動物の骨浮いてるけどなに入れたの? 干からびたカエルみたいな手足が見えるのは目の錯覚?
グツグツと煮立つその煮込み料理は、さながら魔女の鍋だ。
涙目で吐いていると、そっと背中をさすられた。いたたまれない。
「カ、イ」
「ごめん、失敗した」
失敗ってレベルじゃないよ! もうなにか召喚する魔女の鍋かと思ったよ!
涙目のまま睨むと、カイは大きな身体を縮こませるようにして頭を掻いた。
「タイスに教えてもらった通りに作ったんだけどな」
……あれか、前に黒猫さんが言ってた異次元料理・魔王召喚鍋。あれなのか。たしかに魔王とか召喚しそうな料理だ。怖くて口がつけれない。どす黒い紫色のシチューとか初めて見たよ。
忘れてた。この衝撃は結婚式の翌日に、動けないわたしのために作ってくれたの懐かしのお湯スープ(改造版)を遥かに上回るね。いつぞやと違って細かく刻まれた干し肉が入っていたアレは、見た目と違って魔改造を受けていて、お湯スープな見た目なのにものすごく苦いという、摩訶不思議な出来だったんだっけ。
「……カイ、これティージャ入れたでしょ」
ティージャとは、滋養強壮に効くという、ものすごく苦いハーブだ。普通はお酒に漬け込んで薬酒として飲むらしいんだけど、カイはよりによってそれをお湯スープに突っ込んだ過去を持つ。そう、上記の魔改造の元だ。
「あと風邪に効くホルトを……」
違うハーブの名前を挙げる夫の姿に、わたしは脱力した。庭に植えるんじゃなかった。
ホルトとは、葛根湯のように風邪の初期に飲むハーブで、どの家の庭にも植わっているようなメジャーなハーブなのだが、扱いを間違えるとすごい味になる品だ。間違っても火を通してはいけない。普通はすりつぶして丸薬にするんだけど、これに火を通すと、甘いのにものすごい刺激臭を放つという代物に変化する。
そう、さっきの刺激臭の原因はこのハーブだ。
「うん……気持ちだけ、もらっとく……」
ぐったりしたわたしを抱え上げると、カイは再び寝室へ戻った。
「本当にごめん」
看護どころか追い打ちかけたもんね。
しょげるカイに、わたしは手を伸ばす。
「平気だよ。でも、悪いけどちょっと動けないから、カイは黒猫亭でごはん食べてきて?」
「ナギ……」
「心配しなくても、ただの風邪だから。すぐよくなるって! あ、ついでに明日のごはんもなにか見繕ってきてね!」
--そう言ったものの、翌日以降もわたしの体調はよくなることはなかった。
心配するカイは日々ベッドの脇に張り付き、あれやこれや世話を焼いてくれる。
そんな日々が続いたある日。
「こりゃおめでただね!」
様子を見に来てくれたメルルさんに言われるまで、わたしもカイもその可能性に気づかなかった。
「ナギちゃん、最近女の子の日、来てないんじゃないかい? 吐き気に微熱に倦怠感。加えて新婚さんと来た日にはこれっきゃないだろう?」
ほとんど食べずに、水を飲んでは吐くを繰り返しているわたしを心配していたカイは、ポカンと口を開けた。多分わたしも同じ表情だ。
「ミーセル医師を呼んでおくれ、カイ。多分間違いないと思うよ」
めでたいねえ!と破顔しつつメルルさんはカイの肩をばんばんと力強く叩いた。
「こ……ども?」
カッと顔を赤くして口を覆うカイの表情を、わたしは忘れない。
嬉しくて仕方がないって表情を隠したその仕草は、たまらなく可愛かった。
そして、カイによって連れてこられたおばあちゃん医師によって、わたしの妊娠は確実のものとされた。妊娠検査薬はないけど、色とか他の部分で判別するらしい。まぁ、月のもののない期間でわかることが主らしいけど。
風邪だと思って服用したホルトについては、胎児への影響はないと聞いてホッとした。よくあることさね、とおばあちゃん医師はわたしの懸念を笑い飛ばした。よかった。
そんな感じで、カイの魔王召喚鍋騒ぎは、わたしの妊娠という事件でオチがついた。
そして、少しつわりが落ち着いた頃。
わたしは改めてカイに料理禁止令を出したのだった。
アレを子どもにやられたら困るしね!
ナ「で、このお鍋、中身なに入れたの?」
カ「野菜と」
ナ「うん」
カ「ティージャと」
ナ「滋養をつけさせようと思ったのね」
カ「ホルトと」
ナ「風邪だと思ったからね」
カ「身体をあっためる紫火草と」
ナ「紫の原因それですね」
カ「マルミミウサギと」
ナ「丸ごと入れるのはどうかと」
カ「ヤモリの黒焼きと」
ナ「ヤモリ!?」
カ「新婚さんの体力回復にはこれだと、ラズがくれた」
ナ「ラズさあああん!」




