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第5話:甘き屈辱(後編)

第四章


優香は別離の条件として、結婚式に自分を招待するよう突きつけた。


そして、勇斗と美幸の結婚式当日。

優香は、豪奢なドレスを纏って現れた。

シェリーの効力は絶大だった。

優香は光り輝くような魅力を全身から放ち、その一挙手一投足に、式場のすべての視線が釘付けになる。


彼女が歩くたび、会場には芳醇なシェリーの残り香が漂い、参列者たちは知らず知らずのうちに深く呼吸を繰り返していた。


「……優香、なのか?」

勇斗は、美幸の手を握りながらも、優香から目を離せない。

かつて自分が捨てた女が、これほどまでに手が届かない「高嶺の花」だった事実に、ただ愕然とした。


花嫁である美幸の顔は、強い屈辱に歪み、煮えくり返るような憎悪が心を満たした。

主役であるはずの自分が、脇役ですらない「背景」に成り下がり、優香が式場の全てを支配しているという理不尽。


「お二人とも、末永くお幸せにね」

優香は祝福のグラスを持ちながら、二人に微笑みかけた。

会場が彼女の美貌に酔いしれる中、無言でその場を後にした。



第五章


結婚式という戦場を、圧倒的な勝利で駆け抜けた優香。

勇斗は、隣で泣き喚く美幸に触れることさえ厭わしいという顔で、優香を見つめていた。

式場を去る背中に浴びせられた、勇斗の未練がましい視線と、美幸の絶望に満ちた嗚咽。

それは彼女が欲した、最高の復讐のファンファーレだったはずだ。


だが、数日が過ぎ、『色欲のシェリー』の芳醇な残り香が消えゆくとともに、世界は急速にその色彩を失っていった。


会社での狂騒は、奇妙なほどあっけなく終わりを迎えた。

あの日以来、あれほど優香を女神のように崇め、媚びを売ってきた男たちが、潮が引くように去っていった。

彼らの瞳からは熱狂が消え、まるで白昼夢から覚めたかのような、冷ややかな困惑だけが残っていた。


(……結局、あのシェリーが、私を別人に見せていただけだったのね)



鏡に映る自分を見る。

肌の輝きは失われ、瞳の潤いも消えた。

そこにいるのは、疲れを滲ませた、どこにでもいる一人の女性だった。


優香は、激しい虚無感に襲われた。 あざとい立ち振る舞いで男を奪った美幸を軽蔑していたが、自分もまた、魔法の美しさで男たちを操ったに過ぎない。

美しさが消えれば、誰も自分の存在に気づきもしない。


「結局、魔法がなければ、誰も私のことなんて見ていない……」

自嘲気味に呟いたその声は、誰もいない夜のオフィスに寂しく響いた。




第六章


就業後、残務整理をしていた優香のデスクに、不意に温かい缶コーヒーが置かれた。


「お疲れ様です。真鍋さん、まだ残ってたんですね」


驚いて顔を上げると、そこには同期の佐々木が立っていた。

目立たず、いつも淡々と仕事をこなす彼は、あの『色欲のシェリー』が効いていた時でさえ、唯一、遠巻きに彼女を眺めているだけだった男だ。


「……佐々木君。ありがとう。でも、今の私、かなり酷い顔してるでしょう?」


優香は自嘲的に笑い、顔を背けた。魔法が解けた今の自分を、あの日と比べられるのが怖かったのだ。

しかし、佐々木は穏やかな声で言った。


「いいえ。僕は、今の真鍋さんの方がずっと話しやすいし、素敵だと思いますよ」

「……え?」

「あの披露宴の日から、真鍋さんは確かに神々しいほど綺麗でした。でも、どこか遠い世界の人みたいで、見ていて胸が痛かった。今の、頑張って仕事と向き合っている真鍋さんの方が、僕の知っている『真鍋優香』さんです」


優香の心臓が、ドクンと跳ねた。

「みんな、あの日を境に離れていったわ。魔法が解けたから…。私には、人を惹きつける魅力なんて最初からなかったのよ」

「そんなことないですよ」


佐々木は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。

「魔法があろうとなかろうと、僕は真鍋さんの、仕事に対する真摯な姿勢や、部下をさりげなくフォローする優しさを知っています。……優香さんの内面が好き、という理由では、ダメですか?」


その瞬間、優香の瞳から、あの日以来流せなかった本物の涙が溢れ出した。

魔法の力で得た数千人の賞賛よりも、たった一人が見つけてくれた自分の正体。それが、ボロボロになっていた彼女の尊厳を、一番深い場所で繋ぎ止めてくれた。



終章


鉄の扉が閉まると、館は再び、重苦しい静寂に包まれた。


「……虚飾を壊す、虚飾の美。これほどまでに煌びやかで、そして儚い終演はございません」

ノワールは、手元の羅針盤の針が、微かな震えの後にぴたりと止まるのを見届けた。


「……色欲の魔法。それは、真実を覆い隠す甘き霧に過ぎません。ですが、その霧が晴れた時、足元に残っていたものこそが、彼女が掴むべき唯一の『宝石』だったのでしょう」

ノワールは、手元の羅針盤が静かに凪いでいくのを見つめた。


「人間は愚かです。眼前を通り過ぎる煌びやかな虚像に惑わされ、足元にある真実の輝きには、それを失いかけるまで気づかない。……元婚約者は一生、失ったものの大きさに、空虚な家庭の中で気づき続けることになるでしょう」

漆黒の記録帳に、羽根ペンが滑る。

そこには『真鍋優香:対価……偽りの美貌と、真実の慈愛』と記された。


「さて。次のお客様は、どのような『業』を抱えて来られるのでしょう……」

ノワールはロウソクを一つ、静かに吹き消した。


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