第二章 「新たな舞台」
「リンの記録は……」クレアは右手のカウンターを読み上げる。「五十六点」
「よしっ、こんなものかな……次は先輩の番です」
リンが三本の線を踏み越えてこちらにやってくる。カウンターを手渡したあと、中央のラインをまたいで立ち、開始の合図を待った。今から行う動作をイメージする。すぅっと周囲の音が聞こえなった。
「スタート!」
リンの鋭い声に右脚が反応する。サイドステップ。右のラインを踏み、すぐさま左へ。中央のラインを再びまたいで、そのままの勢いで左のラインを踏む。ラインを通過するごとに一点だ。刻まれていく「反復横跳び」独特のリズムに集中する。無心のまま二十秒――
「終了ですっ」足を止める。ふぅっと息をついた。
「記録は」リンの表情が驚きに変わる。「六十五点ですっ! すごい!」
「得意、だから」
リンは小さくてかわいい。それに、素直に感情を表現する。クレアにとって、それがすごくうらやましかった。いくら背中を丸めても、一七〇センチの身長とごつごつした筋肉質の体は小さくならないし、口下手でおどおどする性格はどうしようもない。
「前の任務で受けたダメージ、もう大丈夫そうですね」
「うん」クレアは照れ隠しで話題を逸らす。「次はどうしようか」
今日はアヴァロン・プロダクションに所属する全アイドルたちの「体力テスト」だ。全八種のテストを自由な順番で測定する形式で、クレアは、リンとともにテスト会場を回っている。
リンが両手でこぶしをにぎって意気込む。
「次は五十メートル走です! これなら先輩に勝てますっ」
「いいよ。行こ……って、うわっ」リンがクレアの手をつかんで引っ張る。
「さぁ、行きましょう!」
クレアはリンとともに体育館を出て、講義棟と宿舎棟に挟まれた中庭を進む。
アヴァロン・プロダクションは全寮制のプロダクションだ。所属アイドルは、訓練生を含めて三十二人。山の奥地を切りひらき、講義棟、宿舎棟、カフェ併設の食堂、運動場、体育館、輸送機の発着場など、アイドルが訓練しながら必要な教育を受けるための施設がそろっている。
二つの棟を結ぶ渡り廊下を二つ横切ると、目の前に運動場が見えてきた。
トラックの外に用意された五十メートルの直走路を見たリンが駆け足でそちらに向かう。
「先輩も早く来てください!」そう言いながら、こちらに向かって手を振る。
――元気だな。
手を振り返した。思わず、顔がほころんでしまう。
走路に到着したとき、ちょうどリンの計測が始まった。リンが両手を地面につけて、かがむ。ひざを伸ばすと、体操服のハーフパンツからのぞく彼女のしなやかな脚が強調された。シャツがするりとずれて、彼女のお腹がちらりと見える。
ホイッスル。リンが後ろに引いていた足を力強く前へ押し出してスタートを切る。クレアよりも十センチ以上身長が低いリンだが、徐々に体を起こして、大きなストライドで疾走する姿は、見た目以上の頼もしさを感じる。
彼女は胸を突き出してゴールラインをまたぐ。そこで計測していたアイドルからタイムを聞き、全身を使って喜んでいた。
「さすがだね。走力でリンにはかなわないな」
聞き慣れたさわやかな声だ。振り向くと、ご機嫌なナタリーと不機嫌なルーティがいた。
ほとんど同じ身長の二人だが、性格や雰囲気は真逆と言ってもよい。
ナタリーは、おおざっぱで小さいことを気にしない性格だ。相手の良いところを見つけるのが上手く、さわやかな笑顔と相まって、後輩やファンから「王子様」と呼ばれている。
一方のルーティは、細かなところにまで目端を利かせることができる。あまり感情が表に出ないため、無愛想だと思われがちだが、ナタリー曰く、実は恥ずかしがっているだけらしい。
ルーティの切れ長の瞳は十分涼し気なのに、さらに目を細め、少しだけ口を尖らせている。
「ルーティさん、なにかあったんですか?」
「別に、今日は朝からこうだから」
――ここまでの結果、良くなかったのかな……
ナタリーがルーティの肩をなぐさめるようにぽんぽんと叩いたあと、言った。
「あといくつ残ってる?」
「わたしとリンは運動場側の四つ、です」
「ちょうどいいね。僕とルーティもこちら側の四つ。いっしょに回ろうよ」
「いいですよ」と答えた直後、ゴールラインから戻ってきたリンも「賛成ですっ」と同意した。
「次の方、どうぞ」
スターターに呼ばれた。「はい」と答え、スタートラインに両手をついて、かがむ。五十メートル先を見つめていると、再び周囲の音が聞こえなくなる。しかし、必要な音は聞こえてきた。それは、スタートの合図であり、ナタリーたち三人の応援の声だった。
のどを通っていく水が心地よい。全身にしびれにも似た感覚が伝わっていく。
中庭の、自販機が設置された休憩所。そこのベンチでルーティが体をやすめている。ナタリーが彼女にスポーツドリンクを手渡すと、ルーティが「ありがと」とつぶやく。
「おわったね~」ナタリーがペットボトルをあおって、ぷはっと息を吐く。「みんなの結果は?」
四人が記録用紙を「せーの」で提示した。クレア、ナタリー、リンの三人がそれぞれの得意分野で各種目の一位を取り合っていたのだが、それより際立っていたのは、ほとんどの種目でルーティが四位だったことだ。
「あらら、これは……やばいんじゃない?」
「言わないでっ」
ナタリーがからかうと、ルーティがさらに仏頂面になる。
「先輩って苦手なことが少ないんですね」記録用紙から顔を上げてリンが言った。「勉強もそつがないですし、私、数学がどうしてもダメで……」
「そっ、そう、なのかな……」
「くやしい!」ルーティが大きな声を上げる。「もう、ナタリーの課題手伝わない!」
「え、ちょっと待って」
「知らない」
ぷいっとルーティがそっぽを向く。ナタリーは彼女を拝んだ。
「そんな~すねないで、ね? ルーティ。お願い、今度も手伝って!」
「だ、誰がすねてるのよっ」
「じゃあ、いじけてる?」
「いじけてもない!」
二人のにぎやかな口論を横目に見ながらリンがクレアに話しかける。
「仲良いですよねっ。同期で入所したての頃は、すっごく仲が悪かったみたいですよ」
「聞いたこと、ある。……うらやましい。わたしは友達、いないから」
「先輩、私たちは仲間ですよ。きっと友達以上です」
「そう、だね。ごめん……」
とがめるようだったリンの困り顔が、笑顔に変わる。温かい気持ちになった。
向こうから長身の男性が歩いてくることに気づいた。マーリンだ。ノーネクタイのシャツにジャケットをはおり、きりっとした装いだ。クレアが三人に伝えると、マーリンもクレアたちを見つけて、手を振りながらこちらにやってきた。
「全員そろっているね。このあと、新しい任務の話がしたいんだ。お昼を食べたら第三講義室に集合してほしい」
「了解です」
四人そろって応えると、マーリンは、よろしく、と言って、講義棟の方へ戻っていった。
ナタリーが飲み物のふたを閉めて立ち上がる。
「じゃ、着替えてランチだ!」
「新しい任務ってどんな感じなんでしょうね?」
リンの言葉を受けて、ルーティがつぶやく。
「たぶん……『聖杯探索〈ワールドツアー〉』だと思う」
「いい? ワールドツアーっていうのは……」
ルーティがプロダクションの制服をはおり、長い髪を両手で引っ張り出したあと、ボタンを留めながら説明している。
ナタリーはロッカーの前にあるベンチに座り、靴下を履こうと手に持ったまま、その話を真剣に聴いていた。シャツのボタンも外れたままで、彼女の下着と白い肌が覗いている。
「先輩はここに入所したあと、どんなふうに過ごしてきたんですか?」
右隣のロッカーを使うリンが、クレアに話しかける。少しいぶかしんでいると、リンが髪を手ぐしでときながら、補足する。
「さっき、ナタリーさんとルーティさんは入所当時仲が悪かったっていう話をしたじゃないですか。それで、先輩のことも知りたいなぁって」
「そう、なんだ。……うん、いいよ」
二年前のことを思い出す。
クレアは中学卒業後すぐにアヴァロン・プロダクションに入所した。
昔から人との交流が苦手だったため、自由時間や休日に誰かと遊ぶことなど考えられず、勉強や訓練ばかりしていた。
入所から一年、ずっとそう過ごしていたクレアに転機が訪れる。人一倍の訓練により、充分な実力をつけたクレアは、マーリンからの強い推薦でキャメロットの新メンバーオーディションへエントリーすることになった。
クレアの力は、自他ともに想像以上で、天性の身体能力とアスタリウムの生成に関わる輝化力の高さ、そしてナタリーやルーティとの一騎打ちにも勝利したことがしっかり評価され、オーディションに合格してしまったのだ。
「そのあとの一年は、先輩二人とともに、たくさんの任務に就いたよ。いろいろありすぎて、なにから話したら……」
「二人に勝利するなんて、すごいですっ! 私は、手も足も出ませんでした」
――リンからのまなざしが痛い……
「わたしは、すごくないよ。一年間アイドルしてるけど、まだ慣れてないの。人前に出てもみんなのうしろに隠れて声も出せないし、戦闘のときだって、ヘルムを外せないもの」
「先輩……」
「今はイドラ退治だけじゃなく、言葉どおりの『アイドル』もしなきゃいけないのに……」
顔を伏せると、下から覗き込むようにリンが近づいてきた。
「ど、どうしたの……」垂れた前髪の先にいる彼女の顔がとてもやさしく見える。
「前髪が長くて、先輩のきれいな瞳が見えづらい」
リンの指が前髪に触れる。一瞬だけ彼女の顔がはっきり見える。それだけで恥ずかしい。
「きれい、だなんて……」
「本当です。先輩の瞳はきれいです。ほんのり赤くて神秘的で……」
――それを言ったら、リンの瞳の方がきれいだ。
丸くて大きな橙色の虹彩は、小さくて表情豊かな顔と橙色の髪に良く似合っている。いつも元気はつらつな彼女は、正反対の存在だといつも感じている。
「リンの言うとおり!」
クレアとリンの会話に、身支度を終えたナタリーとルーティが加わった。
「ナ、ナタリーさんまで……」
「ポニーテールでまとめたきれいな黒髪や、集中しているときの凛々しさは、ヤマト・プロダクションのサムライ・ガールみたいでかっこいいじゃん! ルーティもそう思わない?」
「あんたのコメント、容姿ばかりじゃない……」ルーティがクレアと向き合う。「クレアはアイドルとしても魅力的よ。白兵戦だったら、同年代のアイドルでは間違いなく一番だわ」
――そんなこと、突然言われても……
クレアは彼女たちの言葉を信じられなかった。心の中の劣等感はなくならない。大きな胸とお尻、それから筋肉でごつごつした肩とお腹。絶対にアイドルらしくない。
恥ずかしすぎて、何も答えることができなかった。
「あぁっ!」唐突にナタリーが声を上げる。「時間!」
ルーティが端末で時間を確認して、言った。
「二人とも、準備は?」
「は、はいっ。あと少しです」
クレアとリンは、残りの身支度を手早く終わらせ、ロッカーを閉める。更衣室の外で待っていたナタリーとルーティに合流して、食堂へと駆けて行った。
食堂では、恥ずかしすぎて気を失いそうになった。更衣室のつづきということで「お互いのいいところ褒め合いゲーム」が始まったからだ。クレアが褒めた言葉や褒められた言葉が何度も脳内で再生されて、顔のほてりが鎮まらない。マーリンが第三講義室に入ってきたとき、体調を心配されてしまった。
マーリンを囲む形で席に着いた四人に、タブレット型端末が配られる。彼の合図でそれが一斉に起動し、「ワールドツアー支援要請」というタイトルの資料が配信された。
「一週間後、『聖杯探索ユニット〈ワールドツアー・ユニット〉』の『カリス』がやってきます。キャメロットに、その活動に参加・協力してほしいと依頼がありました」
聖杯探索〈ワールドツアー〉とは、ISCIが企画・運営する国際的なプロジェクトのことで、アイドルランク基準監督本部のジュリア・ヴィジレイトがリーダーとなり、まだ見ぬ白のアイドルを発掘するのが、この活動の目的となっている。
近年、対ノヴム・オルガヌムのために活動内容に見直しが行われ、ワールドツアー・ユニット「カリス」による遠征が組み込まれた。
カリスとは、世界中から選ばれたトップレベルのアイドルを招集して編成されたISCI直轄の特別なユニットことだ。彼女たちが世界各地に遠征して、現地のプロダクションでは対応できない強力な黒のアイドルやイドラを排除しながら、白のアイドルのスカウト活動を行う。これが現在のワールドツアーの概要だった。
「ジュリアさんって……あの、ものすごく仕事ができそうなカッコいい大人な女性でしょ?」
ナタリーの言葉に、マーリンが応える。
「できそう、ではなく、とてつもなくできる人ですよ」
「今のカリスには、たしか……」
ルーティの言葉を受けて、マーリンがタブレットを操作する。資料の二枚目が表示された。
「フロンティア・プロダクション所属の義姉妹ユニット『シリウス』のヴァージニア・ナイセルとグレース・ナイセル。そして、ISCI直属のディーナ・ヴァインベルクです。三人ともに『4thランク』。実績も十分すぎるほど。活動期間は、もうすぐ二年目ですね」
プロダクションに所属する白のアイドルには、ISCIが定めるランクが付与されている。
アドミレーション生成効率、聖杯の深さ、聖杯連結力、輝化力。これら四つの指標を総合して判定され、1st、2nd、3rd、4thと上がっていき、5thとなったアイドルは「トップアイドル」と呼ばれ、英雄視される。リンが瞳をきらきらさせて言った。
「私が2nd、ナタリーさんたちが3rdだから……すごい人たちに会えちゃうんですねっ!」
「ワールドツアーでは、遠征先のプロダクションに所属するアイドルと協力することになっています。今回ジュリアから、それをキャメロットにお願いしたい、と連絡がありました」
「すごいじゃん!」
ナタリーが感嘆の声を上げる。しかし、マーリンは声を低めて、「ただし」とつづける。
「カリスの任務は、過酷で責任重大です。みんなも良く知っていると思いますが……前のメンバーであるキリアたちのようになってしまうこともあります――」
キリア。かつてのキャメロットのメンバーで、トップアイドルにまで登り詰めたキリア・エクスフィリエンス。彼女はジュリアに招集されてカリスとなったあと、とある任務中に行方不明になってしまった。二年前のことだ。
ナタリーたちの顔がくもる。ナタリーとルーティはわずかな間だったが、キリアとともにキャメロットとして活動していたし、リンにとっては、イドラから命を救ってもらった恩人だ。
クレアは直接会ったことがない。しかし、動画で観た彼女の雄姿は目に焼き付いている。
「――でも」マーリンの声が四人を鼓舞するように強く大きくなる。「挑戦してみませんか? キャメロットにとって、貴重な経験となるはずです」
「やりたい!」
ナタリーが間髪入れずに宣言した。「私もっ!」とリンがすかさず応じる。
「ちょっと二人とも、反射的に答えすぎ!」ルーティが慌てる。「マーリン、私たちはどこまで関わるんですか? もしも明らかに危険な任務だったら、辞退した方が……」
「大丈夫だよ。マーリンが守ってくれるって」
「もちろんです。ナタリー。私がちゃんと見極めます。任務の範囲についてもすでに交渉をはじめています。アクシデントを考えると油断できませんが、みすみすアイドルを失うような判断はしないはずですし、私がさせません。ブレーキ役、ありがとう。ルーティ」
「それなら、私も賛成です」
マーリンがこちらを向く。
「クレアはどう思いますか?」
「わたしも……賛成です」
「それでは」マーリンがぽんと手を叩く。「キャメロットはカリスとともにワールドツアーに参加します。カリスの来訪まで、みなさんは体調を万全に整えておいてくださいね」
「はい!」
――本当に大丈夫なのかな……
下手をすればイドラに聖杯を壊されてしまう。不安で仕方ない。正直な気持ちとしては、断りたかった。しかし、三人が賛成しているのに、クレアだけが断るわけにはいかなかった。
三人とともに席を立ち、講義室から退出する。「一週間後、楽しみですねっ」「そうだな! 今から特訓だな!」「ばか、なに言ってるの。次の講義行くわよ」と掛け合いをする三人の表情は、とても熱くきらきらしていた。
それを見ていると、自分の心にも熱っぽいものが宿った気がした。しかし、心の中の誰かが慌ててそれを冷ます。やっぱりそこには、不安しか残っていなかった。




