第一章 「予兆」
ビルの谷間を走り抜け、大通りに出た。
街の中心から離れる方向へ、たくさんの人が避難をしている。恐怖におののいたり、迷惑そうにしたり、さまざまな表情を抱えながら早足で通り過ぎていく。
クレアは、人の流れとは逆方向に向かって再び走り出した。
避難する人たちと何度もぶつかりそうになるが、ポニーテールや制服のすそ、スカートを揺らしながら、右に左に、衝突の寸前でするすると避けていく。
人波を越えると、端末が着信を告げた。表示はプロデューサーのマーリン。立ち止まってタップする。
「クレアは、そのまま左前方にある駅へ向かってください。イドラ・アドミレーションの反応が少なくとも三つ、その周辺にあります」
「さらわれた少女たちも、そこに?」
「ええ、可能性は高いです」
「わたしが、確認します」
「お願いします。ナタリーたちももうすぐ合流します」
「了解、です」
端末の表示は、三百メートル先。前を向き、地面を強く蹴って、街を駆け抜ける。
世界は今、「イドラ」に脅かされていた。イドラとは、人間の負の感情に含まれる「イドラ・アドミレーション」と呼ばれる黒色の精神エネルギーが凝り固まった異形の存在。ヒトを襲い、イドラ・アドミレーションで満たされた心を喰う怪物だ。
歴史とともに少しずつ、だが確実に、イドラは強くなり、その影響は拡大していった。転機となったのは三十年前。初めてイドラの組織的な破壊活動が観測されたことだ。交通、物流、デジタルネットワークを標的として、人間の生活、経済を停滞させ、ストレスや憎悪を生み出して争いをあおるなど、次第に活動が多発、高度化していった。
人類の天敵。そう呼ばれるまでに至ったイドラに対抗するため、「アイドル」が生まれた。
歌い踊るアイドルではなく、イドラ・アドミレーションとは反対の性質を持ち、互いに打ち消し合うエネルギー「アイドル・アドミレーション」を駆使して、人類を守る騎士となることを選んだ少女たちのことだ。アイドルは「プロダクション」と呼ばれる組織に所属し、訓練や教育を受けながら、イドラ退治を担う。
クレアは「アヴァロン・プロダクション」に所属するアイドルだ。一年前からマーリンが担当する四人組ユニット「キャメロット」の一員として、アイドル活動を行っている。
現在、キャメロットはイドラの襲撃を受けたこの街で、任務の遂行中だった。
――目標は、さらわれた少女の奪還とすべてのイドラの排除。この先にいるイドラを退治すれば、きっと少女たちも救出できる。
クレアは足を止めた。街を東西に貫く線路、その中心にある駅にたどり着いた。本来はたくさんの人が往来するにぎやかな場所なのだろう。大きなロータリーがあって、それを囲むように誰もが知っている看板を表示したビルが建ち並んでいる。
そのロータリーを横切って移動するものがいた。それは、でき損ないの黒いマネキンのような存在と泣き叫ぶ少女だった。マネキンは少女を引きずりながら、地上から二階の高さにある駅舎に向かって、階段を上がる。
すぐさま端末でマーリンに発信した。
「人型イドラ・変質者〈ディビアント〉一体を発見。少女を拘束して、駅舎へ侵入しました」
「わかりました。さらわれた少女は、これで合計三人。ナタリーたちの合流には、まだ時間がかかります。それまでイドラの足止めをお願いできますか?」
「問題、ないです」
「無理をしないように」
「はい」
クレアは端末を制服のポケットに納め、その場で毅然と立つ。
右手を前に突き出したあと、胸に当てる。胸の中心から鮮紅の光があふれてくる。十分に光が強くなってから右腕を横に払い、「輝化」を宣言した。
「輝け」
光はさらに大きくなり、全身を包み込む。紅い繭の中で変化が始まっていた
胸から四肢に向かって紅い鎧を装着する。ゴシックアーマー様式の騎士甲冑だ。ただし華美な装飾を廃した、どちらかというと変身ヒーローがまとうプロテクタのよう。頭にはフルフェイスのヘルムが現れる。半透明の紅いバイザーで顔が覆われていた。
最後に光が集束したのは、右手。クレアがつかむしぐさをすると、紅い光が長く伸び、長槍となった。穂先の刃は三方に広がる十字の形。石突には穂先とのバランスを取るための扇形の大きな部品がついている。
アイドルが発現するアイドル・アドミレーションは、一人ひとり独自の色を持っていて、心に存在する「聖杯」と呼ばれる特殊な領域から湧き出ている。
アドミレーションを聖杯の中に留めて共振現象を起こし、励起させることで「輝化」と呼ばれる状態となる。これを発現すると、「アスタリウム」という宝石のようにも、金属のようにも見える美しくて硬い鉱物となる。このアスタリウムを自らのイメージで成形し、イドラと戦う武器や防具に変えたものを、それぞれ輝化武具、輝化防具と呼ぶ。
――今日も、大丈夫。
輝化を終えると、全身から紅い粒子が飛び散った。周囲をキラキラと漂うそれをバイザーの内側から眺め、静かな闘志を秘めた声を放つ。
「戦闘開始〈ライブ・スタート〉」
ロータリーを全速力で突っ切り、階段を駆け上がって駅舎に突入した。アドミレーションによって賦活された体は輝化武具や防具の重さをもろともしない。
駅舎内は、たくさんの利用者を想定した幅の広いフロアだった。五十メートルほど先にある改札口まで障害物は何もなく、駅舎のガラス張りの天井まで吹き抜けになっている。
人型イドラと少女を改札口付近で視認した。猛然とダッシュし、距離を詰める。しかし、ホームへと降りる通路から現れた黒い仮面の女性に、少女が引き渡されてしまった。
「待って!」
クレアの声に気づいたイドラがこちらに振り向く。凹凸のない顔をかすかに引き締め、黒い四肢を巧みに動かして、改札を飛び越し、手から生えた爪を振り下ろしてきた。
長槍で受け止め、右に払う。がら空きになった体を石突でつき、態勢を崩した後、「やぁっ!」と気合を込めて、穂先の刃で切り伏せる。
黒い体から杯に似た「疑似聖杯」が浮き上がった。これが、イドラがアドミレーションを操るための器官であり、命と呼べるものだ。これを破壊されたイドラは、自身の形を保つことができない。この個体のようにボロボロと崩れ、消滅してしまう。
黒仮面の女性と少女は、ホームへの階段を降り、姿が見えなくなってしまった。
改札を飛び越え、ホームへ向かう。少女たちと入れ替わりで、もう一体のイドラが階段から上がってきた。先ほどの一体と同じタイプだが、こちらの方が、四肢が太い。
「じゃまを、しないでっ!」
筋肉質な黒いマネキンが鋭くて重そうな拳を繰り出す。体を左右に振って攻撃をかわし、攻撃の隙を見極め、腰のひねりで遠心力を上乗せした長槍を振り抜く。
槍の横なぎで、人型イドラが駅舎の壁に激突する。どぉん、という鈍い音が駅舎に響きわたった。クレアは槍を振りかぶり、起き上がろうとするイドラに飛びつくと、浮かび上がった疑似聖杯めがけて突きを繰り出し、貫いた。
槍を構え直し、イドラの消滅を待たずに、ホームへの階段に足をかけた。
――ようやく、イドラを率いる黒のアイドルにたどり着いた。
アイドルには、「白のアイドル」と「黒のアイドル」がいる。その違いは、聖杯から湧き出すアドミレーションが、アイドル・アドミレーションか、イドラ・アドミレーションか、ということだ。ただし、初めから黒のアイドルであったアイドルは今のところ確認されていない。黒のアイドルは、白のアイドルとイドラとの戦いの結果によって生まれるのだ。
白のアイドルのアドミレーションが尽き、かつイドラ・アドミレーションの影響を受けつづけると、聖杯の中にイドラ・アドミレーションが逆流する。これを「イドラ化」と呼んでいる。この度合いによって、アイドルへの影響が三段階で変化する。
おおよそ聖杯の半分以上なら、第一段階。深刻な頭痛とうつ病のような無気力感、それにさまざまな身体的な症状に悩まされることになる。次に、満杯近くまで流れ込んでしまった場合は、第二段階。そのイドラ・アドミレーションと聖杯が相剋して、聖杯が壊れてしまう。すなわち心が壊れてしまうのだ。
最後に、第三段階。そのアイドルの聖杯の容量を超えるイドラ・アドミレーションが一気に流入した場合、聖杯は破壊されずに、変形・変質する。これによって、その聖杯はイドラ・アドミレーションを湧出するようになる。このようにして、黒のアイドルが生まれるのだ。
また、彼女たちは黒い仮面を付けている。これは「イドラの仮面」と呼ばれるもので、あふれ出たイドラ・アドミレーションが体外で輝化したものだ。黒のアイドルの聖杯が成長し、アドミレーションをこれまで以上に受け容れられるようになれば、仮面は小さくなっていく。
――彼女の仮面は、両目と額が隠れていた。黒のアイドルになって、一年立っていない。
ホームに降り立ったクレアは、ぐるりと周囲を見回す。さらわれた少女を捜索するまでもなく、五十メートルほど先に三人の少女たちを発見した。彼女たちの元に駆け付ける。
ロータリーで目撃した、おさげ髪で十歳ぐらいの少女は座り込んで泣きじゃくっている。その彼女より少し年上、おそらく十二、三歳ぐらいのショートカットの少女は意識がないようだ。最後の一人は、クレアと同じ十七歳ぐらいのミディアムボブの少女。他の二人の少女をかばうようにして、クレアのことをじっと観察していた。三人ともにイドラ・アドミレーションによる手枷、足枷で拘束されている。
「今、拘束を解きます」
クレアが、マーリンに少女たちの発見を連絡しようとした、そのとき。
少女の一人が「うしろっ!」と叫んだ。その大きな声がきっかけとなり、体が緊張する。
しかし、別の感覚も襲ってきた。記憶のどこかに引っかかる、不安を催す感覚。声の主は、おそらくミディアムボブの少女だ。
その感覚に気を取られ、背後の存在に接近を許してしまった。背中に襲撃があった。
「ぐぅっ!」
アイドルは、アドミレーションによる攻撃でダメージを負う。ただし、体が傷つくことはない。例えば、輝化武具の剣によって斬られたり、突かれたりしても体は無傷だ。その代わり聖杯にダメージを受ける。アドミレーションが減少したり、聖杯に傷がついたり、変形したりして、大きなダメージを受けると、心が壊れ、人格の崩壊や記憶を失う恐れがある。
すぐさま不安な気持ちを振り払い、反転する。そこには黒仮面の少女が立っていた。腕の長さほどある黒色のはさみのような輝化武具をかまえ、ニヤリと笑う。
「ざーんねん。命びろいしましたね。正義のアイドルさん」
クレアは応える代わりに紅いバイザーの下で、少女をにらみ返す。
――不意打ち……しかも背中。
クレアは消えてしまいたい、と思うほど情けなくて、恥ずかしかった。
巨大なはさみが分離して、両刃の長剣二本となった。黒仮面の少女がそれらを軽々と操り、クレアに迫る。交互に、交差し、二刀の連撃が積み重なっていく。彼女の輝化防具である黒いロリータドレスのすそがふわりと舞うたびに、刃が鋭く風を切り、クレアの長槍で、ぎぃん、 と重い音を奏でる。
「あなたも、あたしの成果よ!」
クレアは、槍の穂先と石突、両方を使いながらはさみの刃を受け止める。
少女が踏み込む。遠心力を乗せた二刀を同時に振り下ろす。長槍で受け止めきれず、吹き飛ばされる。ホームを転がって衝撃を分散させる。
「あっはは! どうかしら? あたしの攻撃の鋭さ」
――苦手だな……
自分を強く見せようとして軽口を言う人が好きじゃない。特に実力が伴わない人なら、なおさらだった。クレアは立ち上がり、黒仮面の少女とさらわれた三人の少女たちをさらに引き離すために、彼女を挑発する。
「たいしたこと、ないですよ」
「なっ! ふんっ……強がりは、命取りですわよっ!」
仮面の少女が迫る。
クレアは、こちらまで充分引きつけて、鋭く重い突きを的確に繰り出す。槍の衝撃に耐えきれず、彼女が剣を一本、二本と落としていく。驚愕の表情を浮かべる彼女に槍を突きつける。
「今の言葉、そのままお返しします」
「くっ!」仮面の少女がアドミレーションを励起する。「あたしを、バカにするなぁっ!」
彼女が右手を開く。手のひらから突然、五つの黒い光弾が現れた。それらが一気にクレアを襲う。咄嗟にバックステップし、向かってくる光弾を打ち落とした。
――彼女の輝化技能〈パラノイアスキル〉っ!
輝化で生成されるアスタリウムの恩恵は、輝化武具、輝化防具の二つだけではない。
もう一つ「輝化技能」がある。白のアイドルの輝化技能は「コンクエストスキル」と呼ばれ、黒のアイドルの輝化技能は「パラノイアスキル」と呼ばれている。これらの力は、一言で言えば、アイドル固有の特殊能力だ。輝化の最後に飛び散った光の粒子。これは微細なアスタリウムの結晶で、この粒子に閉じ込められたアドミレーションを解放して特殊能力を発現できる。
仮面の少女は左手からも五つの光弾を放つ。最初はただの飛び道具かと思ったが、どうやら十個の光弾を両手の十指で操っているようだった。指を複雑に曲げて、配置を不規則に変えながら光弾をぶつけようとする。
「これで、あたしに、ひれふしなさい!」
攻め入る隙のない波状攻撃。しかし、問題ではなかった。アドミレーションを操作すると、周囲の粒子が全身に吸収され、体が紅く輝く。そのまま仮面の少女めがけて飛び出した。
光弾の嵐の中で、複雑に動くそれらを避けていく。まるでそこに光弾が来ることがわかっていたように、その間隙ができるのを知っていたように、避けて、前へ。踊るように。軽快に。
アドミレーションによって全身を賦活、反射神経を強化して、相手の攻撃を絶対回避する。
――わたしのコンクエストスキル「フライト」なら、この程度なんでもない!
仮面の少女が目の前に。その瞬間、彼女は両手に光弾を引き戻した。黒い光弾が背後から迫る。しかし、それらさえもフライトで的確に避ける。
「うそっ!」
彼女が驚いたような声をあげたあと、歯を食いしばる。
「これなら」真正面。至近距離からの黒い光弾。「避けられないでしょっ!」
――確かに、避けられない。けどっ!
アドミレーションを槍に集中させる。紅く輝くそれを、黒い光弾とその先にいる彼女に向けて突き出した。
光弾がはじけて、イドラ・アドミレーションが雲散する。
「あ、りえない、よ……」
煙る視界の先には、クレアの槍を胸に受けた仮面の少女がいる。周囲の光弾すべてが消滅して、彼女はくず折れた。
――なんとかなった……
ほっと胸を撫でおろしていると、仮面の少女が言った。
「こんなの、違う!」
「もう、ここまで。あなたの企みは終わり」
「うぅ――」仮面の下から涙がこぼれる。「違う! ゆるせないっ!」
「おとなしくして。これからあなたに迎えが来るから」
クレアはそう言って、拘束された三人の少女のところへと向かう。
背後から仮面の少女のつぶやきが聞こえてきた。
「こんな、思いをするくらいなら……」
嫌な予感がして、振り向いた。彼女は、いつの間にか再生成していた輝化武具をかかげている。そして、何の迷いもなく長剣の柄でイドラの仮面を思い切り突いた。
がちんっ、と音がして仮面が割れる。その割れ目から、液体化したイドラ・アドミレーションがどろりと漏れ出した。
「なんて、ことを……」
――イドラの仮面は聖杯とつながっているはず。こんなことしたら、イドラ・アドミレーションに呑み込まれて、聖杯が壊れてしまう。
どこにしまわれていたのか、というほど漏れ出したアドミレーションが、彼女の体を包み込む。卵の形になったそれは、ぼこぼこと細胞分裂を繰り返し、太く大きくなり、末端に向かって細部が出来上がっていく。ホームを這う触手のようなものに弾き飛ばされたクレアは、彼女が、ホームの屋根を破るほど巨大な食虫植物型のイドラに変化していくのを目撃した。
仕上げに三人の少女を触手で捕らえ、屋根を貫いた顔のように見える捕食器官に放り込む。
――急がないと!
三人の少女がイドラ化してしまうし、仮面の少女の命も危ない。
クレアは槍を構え、植物型イドラに向かって突撃する。人のウエストほどもある触手が何本も振り回される中、それらをコンクエストスキルによって紙一重で避けていく。目の前を通り過ぎる迫力と、風を切る音にひやひやしながら、襲ってくる触手やホームに根付く本体を攻撃する。しかし、槍で突いても、切断しても、植物型イドラはまったくひるまなかった。
「わたし一人じゃ……」
(到着しましたっ!)頭に声が届く。「聖杯連結」だ。(先輩、どこですか?)
(リンっ! ホームにいる!)
聖杯連結は、聖杯が持つ機能の一つ。個人間やグループ間でテレパシーのように会話することができる。連結可能な距離はアイドルの「聖杯連結力」に依存している。また、連結力が高いアイドルは、相手の記憶を読むことができるそうだ。
「遅くなりましたっ!」という声とともにリンがホームへの階段を駆け下りてくる。
「黒のアイドルが、仮面を割って……あの口の中に少女たちが閉じ込められてる」
「了解です、先輩。あいつを退治しましょう!」
リンは短くふわりとした橙色の髪を揺らして、つぶらな瞳に覚悟を宿す。彼女の輝化防具は、クレアと比べて軽装だった。翼の意匠付きの腰当の下には制服のスカートが見えている。脚の装甲は、両脚すべてを覆うように、もも当とすね当を装着し、腰当と同じ翼の意匠が施された靴も履いていた。
リンが右手に一本の投げ槍を輝化する。
「あの頭まで、近づいてみます」
「わかった。援護する」
リンが一歩踏み出す。彼女の脚に橙色の粒子が集まり、爆発的に加速した。一瞬でトップスピードとなってホームを駆ける。彼女のコンクエストスキル「ドライブ」だ。
タイミングよく迫ってきた触手を踏み台にして飛び上がる。リンが矢のように上昇し、イドラの頭頂部付近で二対の翼を広げ、滞空した。腰当と靴の意匠から発現するアドミレーションの翼だ。イドラは叩き落そうと触手を振り上げるが、それはクレアが切り落とした。
リンが槍を振りかぶる。呼応するように四本の同じ槍が現れ、宙に浮かんだ。
「やぁっ!」
投てきされた槍を追いかけるように周囲の四本も射出され、五本すべて頭部に命中する。並みのイドラなら貫通して風穴が空くはずだったが、深く突き刺さる程度で止まっていた。
「そんなっ」くやしがるリン。「それなら、もっと!」
再び投げ槍を輝化しようとアドミレーションを励起するが、イドラが先んじた。頭頂部に、ぼこぼこと新たな捕食器官が生える。たくさんの口が一気に開き、黒いアドミレーションが集束。黒い光弾となり、リンに向けて放たれた。
(リン! 危ないっ!)
直撃する。クレアはそう思った。しかし、リンの前に、黄色の障壁が展開される。あれは、コンクエストスキル「プロテクト」。黒い光弾が障壁で次々と爆ぜる。
(ナタリーさん! ありがとうございますっ)
リンが振り向いた先に、今の輝化技能の使用者である三人目のメンバーがいた。聖杯連結に別の声が届く。さわやかで安心できる。楽天的な声だ。
(ゴメン、遅くなった! 二人のやり取り聞いてたから。あいつの口、開くよ!)
隣のホームの屋根。その上にナタリーの姿があった。左手を開いて前に突き出すと、前方の空間に飛び石のように障壁が配置される。
ナタリーは障壁の上を飛びわたりながらイドラに迫る。彼女を狙う触手と光弾をクレアとリンが協力して防いでいる隙に、イドラの頭頂部に到達した。足場を踏み切った彼女は、宙でたっぷりとアドミレーションをまとわせた右腕を振りかぶり、上あごを思い切りぶん殴る。
イドラの頭が、がくんと折れ、それに伴って体も傾き、地響きとともに倒れる。触手だけが緩慢に動いていた。
リンとともにナタリーもホームに着地する。声だけでなく、金色のベリーショートの髪もさわやかな彼女は、ひと目見てどきっとしてしまうくらい顔が凛々しい。
キャメロットの盾となる彼女の輝化防具は、全体的に重装だった。特に両腕の手甲・前腕・上腕の装甲には大小さまざまなプレートがたくさん装着されている。その分、重量過多にも見えるが、しっかりと鍛えている彼女にとっては、何でもないように見える。
「さあ、少女たちを引っ張り出そう」
ナタリーがクレアとリンを促す。しかし、イドラの全身に無数の捕食器官が生えた。一斉に口を開き、先ほどと同じように黒い光弾を集束する。
「やばいっ! 二人とも、僕のうしろに!」
ナタリーが両手を突き出すと、手甲にあるプレートが分離・展開した。黄色の障壁が各プレートを覆い、連結させると、百合の花が開いたような一枚の大きな障壁が出来上がる。
クレアとリンがその影に滑り込んだ直後、黒の光弾すべてが一気に放出された。黒いアドミレーションで視界が覆われ、ものすごい音と衝撃に包まれる。
しかし、ナタリーの障壁はまったく揺るがなかった。
黒い光が過ぎ去ったとき、景色は一変していた。すべてのホームの屋根が吹き飛ばされ、駅舎の外壁にも光弾が抉り取ったあとが無数にある。
「……これ以上の被害は出せない。一刻も早く三人を救出して、イドラを消滅させるよ!」
「はい!」
(了解よ。私に任せて)
頭にまた別の声が届いた。落ち着いている。けれど、少し冷めた印象の声。
(ルーティ! 遅かったじゃないかっ)
(ナタリー、あなたみたいに体力バカじゃないの。……でも、ごめんなさい。もう少し早く合流できていれば、こんなに被害は出なかったわね)
階段の残骸。ルーティは、その一番上に背筋を伸ばして凛と立っていた。右手の青く透明な石がついた杖をイドラに向けると、彼女の全身が青く輝く。腰当に吊られた六本の杭から青い粒子が噴出し、背中まで届く髪とともにサーコートがはたはたと揺れる。
ルーティが左腰の六本の杭に順に触れていく。腰当から分離し、それぞれが自律的に動き、彼女の前方で宙に浮く。互いに平行に、円を描くように規則正しく整列した。
杖の先端にアドミレーションが集束する。青い光球が、特殊な輝化によって、冷気をぎゅっと凝縮したものに変わる。
(三人ともイドラから離脱して、私の『魔法』に巻き込まれるから)
六本の杭が、蓄えていた輝きを解放し、杭で囲われた空間のアドミレーション密度を上げる。そこに向けてルーティの体を隠すほど大きくなった冷気球が放たれた。
六角柱の空間に冷気球が侵入すると、爆発的な輝きを伴って反対側から力強いアドミレーションの奔流が飛び出した。龍が猛るような勢いのまま、植物型イドラの幹に直撃。イドラが白く変色するほど霜が付着していく――十数秒後、イドラは完全に凍結していた。
ここまでの苦戦が嘘だったかのように、凍結したイドラは簡単に崩壊してしまった。疑似聖杯を破壊すると、ナタリーが、ふうっと息をつく。
「ひとまず、落ち着いたね。それじゃあ、リンは念のため外周警戒をおねがい。新たな勢力が現れたら、連絡して」
「はいっ」
リンがドライブを使って飛び出していく。今度はルーティがクレアに声をかける。
「私たちは、イドラに捕らわれた少女たちの安否確認よ」
「了解、です」
イドラの頭頂部があった場所を確認する。そこには、三人の少女と黒いロリータドレスの少女が倒れていた。
イドラに取り込まれた三人の少女たちのイドラ化は進んでいなかった。しかし、黒のアイドルの少女の状況が良くない。仮面を割ったことで聖杯に深刻なダメージを負ったようだ。
クレアが少女たちを護衛し、ナタリーとルーティが黒のアイドルを監視している。リンから新たな脅威の連絡は入っていないが、念のため、キャメロットの全員は輝化したままだ。
「ぐすっ、ひぅ……おかぁさぁん……」
おさげ髪の少女が起き上がった。異様な状況に困惑したのだろう、泣き出してしまった。その泣き声で他の二人も目を覚ます。ショートカットの少女がおさげ髪の少女を抱きしめ、慰める。クレアと同年代に見えるミディアムボブの少女は、その様子をぼんやりと眺めていた。
ショートカットの少女がおさげ髪の子を連れて、クレアの元にやってきた。
「助けてくれたのは……あなたですか?」
「あ、は、はい」クレアは対応に困る。「そう、です。えぇと……無事で、良かったです」
「アイドルなんですよね?」
お名前は? ユニットは? 所属は? 彼女はアイドルが好きなようで、目をきらきらと輝かせて矢継ぎ早に質問される。クレアはたじろぎ、ぼそぼそと答えた。
「アヴァロン・プロダクション所属、キャメロット、名前は、クレア・アトロンです……」
名前の部分は自分にも聞こえないくらいにしぼんだ声だった。ヘルムごしなら、ショートカットの少女にも聞こえなかっただろう。しかし、彼女には、それで十分だったようだ。
「キャメロット!? すごい! アヴァロン・プロの創立以来ずっとつづいているユニットでメンバーを入れ替えながらも常に世界のトップクラスの実力を持っているんですよね? わたしが好きなのはトップアイドルのキリアさんなんですけど二年前に行方不明に――」
――ああ、やっぱりわたしはダメだな……
昔から相手の顔を見て話すことができない。気持ちを伝えるのが苦手だった。誰かと話すたびに、脇腹がちくちく痛む気がする。
泣いていた少女も、ショートカットの少女の軽妙な語り口を聞いて気分が晴れたようだった。その様子を見て安心したクレアだったが、再び視線を感じる。座ったままのミディアムボブの少女がこちらをじっと見ていた。そういえば、と先ほどの戦闘を振り返る。彼女の注意がなければ、深手を負っていたかもしれない。
――でも、何かが記憶に引っかかった。ほんの一瞬だけど、不安になって……
プロペラの音が、思考をかき乱す。
騒々しい音を発して、上空に二機の長距離輸送機が飛来する。一機はクレアの方に、もう一機はナタリーとルーティの方に垂直着陸した。こちらの機体から担架を抱えた青い服の医療チームが一糸乱れずにこちらにやってきて、少女たちの状態を確認する。機体の中には、その様子を心配そうに見守る人たちがいる。きっと少女たちの関係者だろう。
あちらの機体からは、マーリンが出てきた。キャメロットの育成、マネジメントを行うプロデューサーで、丸い大きなレンズのメガネに三つ揃いのスーツを着た、清潔感のある男性だ。
マーリンが聖杯連結でキャメロット全員に話しかける。
(すべてのイドラの排除を確認しました。それから黒のアイドルの彼女を奪還しようとする勢力は今のところ現れていません」
(それなら)ナタリーが尋ねる。(リンを呼び戻しますね)
(はい。そうしてください)
マーリンがつづける。
(あちらの三人には身体と聖杯に異常がないか精密検査を受けてもらいます)
(いつもと同じく、私たちもそれに立ち会うの?)
今度はルーティが尋ねる。
(はい、よろしくお願いしますね)
マーリンが横たわる黒のアイドルの少女に近づいて、言った。
(彼女は、これからアヴァロン・プロダクションで聖杯の応急処置を行ったあと、本格的な治療のため、ISCI本部に移送することになります)
ISCIとは、国連の一機関、国際対イドラ現象機関(International System of Counter Idola phenomenon)」の略称だ。世界中のプロダクションを統括し、アイドルとイドラの研究をにない、対イドラの最前線に立つ組織だ。
近年は、「ノヴム・オルガヌム」という黒のアイドルのみで構成された組織への対応が目下の課題となっている。この組織が世界の表舞台に現れて五年。黒のアイドルがイドラを率いて街を襲い、イドラ・アドミレーションの収集とアイドルとなり得る少女の誘拐を何度も試みている。今回の事件もその一つに当たるはずだ。
(ただいまですっ)
リンがアドミレーションの翼を羽ばたかせて、マーリンの近くに降り立つ。
(四人とも、おつかれさまでした。さぁ、プロダクションに帰りましょう)
マーリンの労いの言葉に、全員の緊張がゆるむ。
(いやー、いい運動になったぁ)
ナタリーが早速、輝化を解除する。同じく輝化を解いたリンが応えた。
(私もですっ。ルーティさんは、ちょっと……いや、かなりお疲れですね)
(あれだけ街中を走り回って、いい運動って……)ルーティも輝化を解いた(私には地獄よ)
(ルーティはもうちょっと体を鍛えないと。また僕といっしょに走ろうよ)
(冗談じゃないわ、ナタリー。あんなに疲れること二度とやらないから)
(でも、来週、体力測定がありますよ? 結果が悪いと、特別練習が……)
(リンの言うとおりだよ。いっしょにトレーニングしようよ~)
(ちょっ、ばか、こんなとこで抱きつかないの!)
ナタリーが、迷惑そうにするルーティにまとわりつきながら、ともに輸送機に向かう。リンから聖杯連結で声をかけられた。
(先輩も早くこっちに! 帰りましょうっ)
(うん。今、行くよ)
こちら側の輸送機には、すでに二人の少女が搬送され、ミディアムボブの少女が待機していた。彼女はクレアのことをまだ見つめていた。クレアは、輝化を解除し、回れ右をして、リンたちが待つ方へ一歩踏み出す。そのとき、彼女の顔と声が、何かに結びついた。
紅い光が、視界を覆う。
麻袋越しの視界。ぬかるんだ泥の感触。土の臭い。嘲笑の声。ナイフの閃き。紅い血。全力疾走。弾む鼓動。真っ赤に燃える夕焼け――そして、浮遊感。
足元の地面が崩れる。地の底は真っ暗で果てがない――
ナタリーが呼ぶ声に気づいた。
「クレアっ! 大丈夫? どこかにケガでもした?」
ホームの瓦礫が目の前にある。倒れていた。先を歩いていたはずの三人が近くにいる。
「だ、大丈夫です」クレアは、ゆっくり立ち上がる。「攻撃を、背中に受けたんです……けど、聖杯へのダメージは、ありません。疲れていて、瓦礫に足を取られただけ、です」
後ろを振り向くと、三人の少女たちを乗せた輸送機は、はるか上空にあった。
「先輩も走り回って疲れたんでしょうか」
「ほら、ナタリーとリンが特別なだけ」
リンとルーティの言葉にあいまいにうなずく。ナタリーが声をかけた。
「帰って、ゆっくり休もう」
「はい。そう、ですね」
クレアは、三人の仲間に見えないようにこぶしをにぎる。
――わたしは、問題ない。問題、ないんだ……