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咎の勇者  作者: 如月厄人
第三章 激動
38/44

3-8

 少し小高くなった『世界樹の寝台』の上から、安らかな寝息が聞こえてくると、アルマは立ち上がってその様子を見た。どこにでもいるような、穏やかな青年の寝顔が、そこにあった。ただ、その顔には似つかわしくない腹の痣が、アルマにため息をつかせた。


 彼の選んだ道を、邪魔したくはない。でも、これ以上彼が傷付くのはアルマとしても嫌なことだ。


 胸の内の葛藤を表に出さず、その頬を撫でて、アルマは改めて席に着いた。長テーブルの上にはお茶の入った湯飲みと、ギレアンの熱燗しか残っていない。そこへ、走り込みをしていたロイ少年が戻ってくる。


「ただい…うぉっ、なんだこれ」

「しー、今寝てるから、静かにね」

「うん、わかった。お母ちゃん、オレお風呂入ってくる」

「ええ、いってらっしゃい」


 またロイの姿が見えなくなり、ロイのお母さんがマリアに尋ねた。


「さっき、ちらっと聞こえたのですが…調停者様…なのですか?」

「うん、そうだよ。驚いた?」

「それは勿論。調停者様の事はこの村にも届いておりますよ。巡礼に参られたのですか?」

「ぁー…、うん、そうだよ。ここへはちょっとした寄り道で、だから、私がそうだっていうのは内緒ね」

「わかりました。固く、むすんでおきます」


 にこやかに頷いて、深々とお辞儀をしてから、ロイのお母さんは台所へと戻った。洗い物の音が聞こえる中、ギレアンが口を開く。


「ケイから粗方の事は聞いた。その上で、儂には疑問が幾つかある。調停者殿なら、わかると思うてな」


 お猪口を傾けながらギレアンが続ける。


「『罪』と『均衡』、儂にはどうしてもこの二つが儂の思うとる意味とまるで別物な気がしてならん。罪とは、均衡とは何を指しているのか、教えていただけまいか」


 マリアも湯飲みを傾ける。ちょうど良い熱さのお茶が喉を潤し、お腹をじんわりと温めてくれる。落ち着いた口調で、マリアはこう言った。


「人と魔族は、共存してたの」

「…なに?共存?人と…魔族が?」

「そう。だっておかしいでしょ?人がコレだけ勢力を広げてるのに、魔族は決していなくならない。必ず魔王が生まれて、魔族を統治してる。ていう事はつまり、魔族はこの世界に必ず必要な存在なの。そして、本来なら討つ必要もない存在なんだよ」

「なら、何故勇者が魔王を討つ伝統が生まれたんだ?」


 そう言った瞬間、ギレアンは後方に飛び退いて手刀を構える。


「そりゃあ人間の預かり知らんところさ」


 魔王が靴を脱いで玄関のある廊下から歩いてきた。エスも声と姿を見て身構えたもののアルマとマリアが微動だにしないのと、魔王から殺気や敵意がなに一つ感じられない為、ギレアンと二人を交互に見て、腰を落ち着けた。


 魔王はケイを上から覗き込んだあと、ロイの座布団が置いてあった場所に腰を落ち着け、まぁ座れよ、とギレアンに言った。


 ギレアンは暫く魔王を睨みつけていたものの、そろりそろりと腰を下ろした。まだ警戒が解けないのか、少し魔王を睨みつけているようにも見える。


「とぉいとぉい昔の話さ。ある時に魔族内で反乱が起きた。人よりも長生きをする魔族だから起きた内乱だ。俺たち魔王は普通の魔族よりも強く作られる代わりに、一般的な魔族よりも相当寿命が短い。だから補佐官一匹が務める間に魔王が四人五人と入れ替わる事だってザラにあったわけだ。そうすると、ただの強いだけの若造に王の座をくれてやるのが嫌になったんだろうよ」


 魔王が死ぬ度、また新しい魔王がやってくる。長生きする魔族からすれば、年功序列を無視して、人間、しかも別世界から突然やってきた何も知らない元人間に自分達の国を任せようなどと思うはずがないのだ。それに比べて勇者というものは、単純なもので、規定や条約を破った魔族や人間の粛清を行う、言わばお目付役。


 本来であれば討つ側、討たれる側として対等な立場になるはずのない二つは、その内乱を境に対等な立場に落とし込まれた。


「人間は内乱に乗じて勢力を一気に拡大させた。そして勢力のバランスが崩れ、人間の時代が始まったのさ」


 八つあった役目の内の勇者を含めた六人が人間側に生まれ、人間側はその味を占める事になる。


 軍備、経済の拡充、歴史の捏造、調停者のシンボル化、そして、咎の封印。罪と均衡の意味そのものを作り変え、自分達が繁栄し続ける為の基盤を作り上げた。


 完成した基盤は代を追うごとに強固なものへと変化していき、そして異邦人の世代が現代に近づく程、「これはそういうもの」という認識が強くなっていった。それはこの世界がゲームを思い起こさせる事もあるが、平和に毒された現代人にとって、正義と悪の簡潔な勢力図の刷り込みの効果は絶大であり、魔王は悪、勇者は正義、つまり自分達の行いは正義であるという大義名分を受けた現代人の懐疑心の無さには目を見張らされる。


 人間側としては操りやすいことこの上ないだろう。


「そして俺たちは保身に走らざるを得なくなったのさ。魔王という絶対悪を犠牲にして、細々と繋いできた。俺がこっちに来たお陰でそれも大分壊れたがな。勢力図は半分にし、その上で、刷り込みを行ってる人間を一掃する。それが、俺が王都を落とす理由だ」


 魔王は片膝を立てて、その腕に右腕を乗せたまま肩を竦める。


「まぁ、連れて行こうと思ったのは咎の方で、こいつの方はあんまり用はないんだけどな」

「当然です、私達だって本当なら貴方に用なんて一つもないんですから」

 

 アルマがむすっとした顔でそう言うと、魔王は鼻を鳴らして呆れた。


「役を持った奴が何事にも干渉しない方が無理なんだよ。ましてや、人間の罪で溢れかえってる今のこの世界で、咎が、マトモな生活を送れる訳がない」


 実際、咎という役は知らなかったで済ませてくれないことは、身をもって実感した。ウィズバーンでの強制的な役への切り替わり、その維持。元あったケイという人格を強制的に弾き出した上で、役が身体を乗っ取ったという事実は役を持つマリアでさえ恐怖を感じてしまう程だった。


 だからこそ、魔王にはその強さが必要だった。


 王都を攻め落とすには、生半可な力では困るのだ。


 魔王の勘が、彼処には危険が眠っていると告げている。


「魔王」

「なんだ重腕騎士、リベンジマッチか?」

「いいや、それはもういい。勝ち負け以前に、意味がない」


 ギレアンは手をぶらんと垂れ下げてヒラヒラと振った。もう既に警戒している様子もない。


「そんに、あそこは正直壊されても文句言えんけぇ。儂も好きではないけんの。儂が言いたいのは、王都殲滅戦に参加したいっちゅー話じゃ」


 そう言うと、魔王は目を二、三度瞬かせた後、ギレアンに尋ねた。


「正気か?」

「魔王に言われるとは思わなんだ」

「いや、そりゃあそうだろ。アンタ元騎士じゃねえか、普通に考えたら俺に文句ぶーたれる事はあっても、協力するとは言わねえ」


 ギレアンはそれを聞くと、無精髭を摩りながら彼に言った。


「ホントに魔王とは思えん発言じゃのぉ。気がトチ狂ったやつの方が好みかと思うたが…。騎士だった儂が王都を攻めるのは、見方を変えれば当たり前の事じゃ」


 ギレアンは空になった熱燗を覗き込みながら、最後の一滴を口に落とす。


「主君を護るのは家臣の役目の、そして務めじゃが、主君の罪を諌めるのもまた、家臣の役目よ。多くの魔族を犠牲にした罪は、償うべき事。何も知らぬ民ならまだしも、事の次第を知る者がその罪を贖わずして誰が罪を負うのか。とてもじゃないが、咎一人に負わせるには重すぎる」


 魔王はそれを聞いて、ウィズバーンに最後まで残ったこの男の背中が、何を語っていたのかを知った。


 あの時、ウィズバーンの種の素を取り返しに言った魔王は、種の素や研究員を守らず、自分の部下と市民だけを守り続けたこの男と対峙した。無論、魔王としては種の素を取り返し、人間側がこれ以上奢らぬ様に全滅させておく必要があった。


 だがこの男は一人でそれを阻止した。男が幾ら傷を負おうと、研究員がどれだけ犠牲になろうと、街の人々と部下を逃し続けた。結果として、魔王は第一の目的を達する事は出来たが、第二の目的を達する事は出来なかった。


 腹立たしく思えども、部下を逃し終わったこの男が刀を捨て、頭を垂れて首を差し出した時、魔王は戸惑ってしまった。


 なぜ逃げないのか、ではなく、なぜこの男は死のうとしているのか。


 その意味を、今知った。この男はあの研究施設が何かを知っていた。知っていたからこそ、何も知らぬ民と部下を逃し、事の次第を知る研究員と、自分の命を差し出したのだ。


 ならばその命、有り難く使わせてもらう他は無し。


「わかった。連れて行こう。だが、手加減する様なら、今度こそお前の首を落とす」

「なに、こちとら一度死んだ様なモノよ、未練もクソも無し」


 処刑人にはもってこいだろ。


 ギレアンの言葉に魔王はくつくつと笑い、立ち上がってケイを見ながら言った。


「咎守の族長は、こいつが王都に行くのを望んでる。そこに眠ってる罪が何かは知らねえが、それと真っ向から向き合う必要があるのは確かだ。でなきゃ、それは清算された事にならねえ」


 アルマが魔王を見上げる。咎守の族長、彼のことをやはり魔王は知っている。


(じゃあ…あの人が魔王と組んで勇者を…)


 項垂れるアルマを横目に、魔王は玄関に向かって歩き出した。


「ったく、センボスに行った後でそのまま連れてこうと思ったのに、随分と予定が狂っちまった。三日後またここに来る。咎の代わりに使い物になるようにしとけよ」


 玄関で靴を履いた魔王を追いかけて、マリアがやってくる。


 待って、と声を掛けると、魔王は何も言わずに振り向いた。その目元に傷痕が出来ているのを、マリアは見逃さなかった。


「治していい?」

「…頼む。心配させたくない奴がいる」


 マリアが青い光に包まれた手で優しく触れると、傷痕は跡形もなく消え去った。魔王は目元をなぞり、具合を確かめると、助かる、とだけ言って引き戸を開けた。


「ちゃんと、休んでね」

「…悪いが時間がない。均衡は戻ってきてる、狂気の度合いは?」

「うん、大分薄くなったよ。アルマちゃんからも、毒気が抜けた感じがする」

「…そうか。お前の力も順調に戻ってきてる見てえだな」

「あなたのお陰だよ。ありがとう」

「俺は元の形に戻してるだけだ」

「それでも、だよ」

「………、また来る」


 引き戸の向こうで、風が巻き起こる。ガタガタと戸が揺れる音を聞き届けてから、マリアは部屋に戻った。


「相当踏ん張っとるみたいじゃの、魔王は」

「うん…」


 本来なら顔に傷を負う様な輩ではないことはギレアンもわかっている。余裕綽々な振る舞いを見せていても、彼らには容易く見抜かれてしまう。


 だが、マリアにはその奥にもう一人居る事に気づいていた。彼一人で、今の今までの歴史を理解する事は難しい。彼の陣営に、全てを直に見てきた人物がいるのだ。


 それが、魔術士。

 

 人が覇権を握る前から生き続ける、元人間。


 魔術士は、どれだけこの時を待ち望んだのだろうか。魔王が勇者に勝ち、世界に均衡が戻る日を、どれだけ待ち続けたのだろうか。


 二十年ぽっちしか生きていない彼女には、到底想像ができない。


 長い時を生き続けた賢者にとっても、ここは正念場だろう。咎の扱いを間違えれば魔術士の苦労も水の泡と化す。だが咎は全ての罪を知らなければならない。


 知った上で、その罪をどう贖うのかを見届ける必要がある。魔王は世界をリセットさせる気はないのだろう。でなければ、わざわざ均衡を戻そうとは思わないはずだ。もし咎が世界をリセットするという判断を下せば、魔王はそれと戦うと、そう言っているのだ。


 否、彼だけではない。


 ここまで彼にやらせたのだ。自分も、できる限りの事はしなければならない。


 戦う術は無くとも、守る術はある。世界の為に、そして、彼の身を案じるその子のために、守ってみせる。


 自分の手を見て、固く握った。


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