弐 神視(カミ)
放課後。
いつものように部室へ向かおうとするあたしを、どこからともなくやってきた陽子ちゃんが呼び止めた。
「比女せんぱ~い!」
あたしはその声の方を振り返る。
「陽子ちゃん、授業お疲れ様」
陽子ちゃんは肩で大きく息をしながら、「お疲れ様です」と右手を挙げて答えた。
「どうしたの?そんなに急いで」
あたしが問うと、彼女は呼吸を整えながら唇を尖らせた。
「別に急いではいませんけど…。教室に会いに行ったら、もう部室に向かったって先輩方に教えて貰ったから。だから、走ってきたんですよ」
「それを、世間一般に急いでるって言うんじゃ…」
あたしは苦笑すると、再び踵を返して部室に向かって歩き始める。その横に、陽子ちゃんも続いた。
そういえば、陽子ちゃんはどこの部活に所属したのだろう。成城高校は、よほどの理由がない限りは全員がどこかの部活に所属することが義務づけられている。家庭の事情で家事をしなければいけないとか、身体上の事情などで、学校に申請して認められた場合だけが"よほどの理由"に該当する。
あたしは、興味をそそられて陽子ちゃんに尋ねてみた。
「陽子ちゃんはどこの部活に入ったの?もう入学して結構経つから、どこかに入ったんでしょ?」
「それが、まだ決めかねているんですよ。入学して最初の一ヶ月…四月中に決めなければいけないんですけどね」
「そうなんだ。だったら、陸上部なんてどう?かなり運動神経良さそうだし…」
神憑と対峙したときのあの反射神経と太刀捌きを思い出す。相当の運動能力を持っていなければ、あれほどの立ち回りは出来ないはず。うまくすれば、きっと陸上部…それも短距離走やハードル走などでいい成績を残せると思う。そうすれば、我が陸上部は安泰だ。成城は夏大会の常連校とはいえ、イマイチ勝ちきれない部分がある。練習量が少ないのか、それとも練習方法に問題があるのか、はたまた人材が揃っていないのか。斯く言うあたしも、インターハイでの優勝経験はない。上には上がいるものだ。
陽子ちゃんはしばらく考えた後に苦笑する。
「う~ん、比女先輩と同じ部活ってのもそそられるんですけど…もうちょっと考えてみます。って、そんなことを話に来たんじゃないんです!」
いきなりの強い発言に、あたしがびくりと身を震わせた。
「比女先輩、ちょっとだけ時間を頂けますか?」
眼差しが真剣だった。となると、話は神憑がらみか。あたしは頷くと、陽子ちゃんを伴って、中庭にあるテラスへと彼女を促す。
テラス…正式名称は"中庭公苑"という。でも、その風景と設備から、代々"テラス"と称されている。見事に刈り込まれた植木や、屋根付きの休憩所。近くに購買部と飲み物の時自動販売機もあり、放課や昼休み、放課後には、生徒達でごった返す人気場所だ。校舎全ての中央に位置するので、どの生徒も移動しやすいという利点がある。暗黙の了解で、新一年生は端の方しか使えないという規則も存在するが。今も部活に向かう前の生徒達が多数、談笑していた。
あたしは自動販売機で、カップのコーヒーを二つ購入して、一つを陽子ちゃんに手渡し、"三年生専用"と生徒間で勝手に言われているテーブルに着く。陽子ちゃんは戸惑うが、あたしは目で着席を促した。
「いいんですか、ここ、三年生専用スペース…」
「あたしと一緒だからいいでしょ。で、話って何?」
問うと、陽子ちゃんはコーヒーを一口啜ってから話し始めた。
「先輩のお友達…えっと、津島先輩と相田先輩のことです」
やっぱり、あの子の事か~。
昼休みにいきなり突撃してきたのは、彼女なりにあたしの話していた"神力をもつ者"である津島さんを確認するためだったんだろう。
「どうだった?すごいでしょ、彼女」
あたしは少しだけ自慢げに言った。
「ええ、凄いです。神力を"視る"という修練をあまり積んでいない私にさえ、あの人の力をビンビン感じましたから。でも…」
陽子ちゃんは手に持っていたコーヒーの紙コップをテーブルに置き、続けた。
「…気になっているのは津島先輩じゃない、相田先輩の方なんです」
思わぬ名前が出てきた。
津島さんが神力をもつ者であるのは分かっていたけど、何故にその力を一切持たない相田さんの名前が陽子ちゃんの口から出るのか。
「どういうこと?」
あたしは聞き返す。
「どういうことって聞かれても、あんまり上手くは答えられないんですが」
陽子ちゃんが頭を掻きながら照れ笑いをする。
「なんて言うのかな……底知れぬ闇の穴…みたいなのを感じるんですよ、相田先輩には。神力って言うのは、大体誰もが少しだけでも持っているものなんです。大元を辿ってゆけば、伊邪那岐様と伊邪那美様にたどり着くのが日本人ですから。途中どこかで必ず、何らかの神様が関わる。だからこそ、"眷属"って言葉が使えるんですよ。でも、相田先輩には、何の神力も感じない…。少なくとも、私は感じませんでした。比女先輩なら、もっとよく判ると思うんですが…」
そっか、あたしが"あたしとして"目覚めてから、相田さんと津島さんをよく視たことがなかった。昼休みも、結局他愛ない話をして終わってるし。そういえば、津島さんも相田さんからは何も感じないって言ってたっけ。しかし、眷属か…お姉ちゃんも稲田姫の眷属だって言われてたなぁ。
「うん、ちょっと視てみることにする。でも、あの二人は絶対にこの件には巻き込まないからね。勿論、神滅にもしない。それだけは覚えていてよ」
すると陽子ちゃんは頷き、
「解ってますって、ちょっとだけ興味があっただけですから。でも、神力になんらかの特徴を持つ人は神憑に狙われやすい傾向にあります。先輩も気をつけていてあげてください」
と、真剣な眼差しで答えた。
「そうだね、そうするよ」
言うと、陽子ちゃんはにこりと微笑み、紙コップの中のコーヒーを飲み干す。そして席を立ち上がった。
「お時間取らせてしまって、すみませんでした。これから部活なんですよね、頑張ってください」
「陽子ちゃんも、早いトコ部活決めなよ。じゃないと、強制陸上部だからね!」
あたしが少しだけ戯けて言うと、陽子ちゃんは苦笑いをして走り去っていった。
しかし、相田さんか…。
今日の部活を終え、あたしは校門のところで待ちぼうけをしていた。
時間的にはいつも八雲が迎えに来る時間なのだけれど、今日に限っては未だにその影すらも見えない。仕方がないので、あたしは鞄の中から携帯電話を取り出し、八雲に電話をかける。
しばらくの呼び出し音の後、女性の声のアナウンスが流れた。
『おかけになった電話番号は、電源が切られているか、電波が届かないところにあるので掛かりません』
…それもそうか、バイクを運転中なら出られる訳がない。でもなんか、モヤモヤするなぁ。八雲が約束を破る訳はないんだけど…。
そんなことを考えていると、遠くの方から聞き慣れた排気音が響いてきた。八雲のサイドカーだ。そのサイドカーは、爆音を撒き散らしてあたしの目の前に急ブレーキで停車した。
バイクの主は、バイザーを上げながらあたしに言い訳を開始する。
「すまん、あれから家に帰って寝たんだが、完全に目覚ましブッチしたわ!」
「寝たって……なんかあったかと思ったじゃない、心配させないでよ」
項垂れ、溜め息を付く。すると八雲はさらにぺこぺこと頭を下げた。あたしはサイドカーからヘルメットを取り出すと、頭に被って顎のストッパーを掛ける。
……ん、寝た?
「八雲、アンタ今日の大学の講義はどうしたのよ?まさか、サボったの?」
あたしは声のトーンを落として、八雲を睨んだ。すると八雲は首をぶんぶんと横に振る。
「まさか!元々今日は取る講義がなかったんだよ。研究室に顔出しても良かったんだが、ヤメた。明はきっちりと行ったみたいだがな。昨晩あれだけ呑んで、ケロリとした顔で大学に行くもんだからビックリだ。バケモンだな、あいつ」
あたしは今朝の明さんを思い出し、苦笑する。蟒蛇ここに極まれりってところだろうか。
サイドカーに飛び乗ると、八雲がスロットルを握り込んだ。サイドカーがゆっくり走り出す。
「そう言えば、明から伝言があったぞ。"必要事項の登録、終わりました"ってさ。なんだ、学校でタブレットをイジってたのか?」
「うん、今日中にって言われてたからね。夜は那美ちゃんたちに呼び出されてるんだから、学校でしか出来ないと思って」
「ああ、そうか。しかし、よくお袋さんがバイト認めたな」
そう、朝に帰ったとき、今日からバイトと偽った対神憑活動を始める事をお母さんに話した。そしたら、当然のようにお小言が帰ってきた訳だ。そして、学校での成績が下がった時点でバイトを辞めさせると言う、典型的な条件で許可をもらうことができた。八雲と一緒のバイトだというのも、許可に繋がった理由の一端にあったかもしれない。なんて言うか、お母さんの中での八雲の立ち位置は、かなり高いところにあるに違いない。
「まあ、普段のあたしの良い行いの結果ってところ?」
あたしが胸を張ると、八雲は含み笑いをしたみたいだった。まあ、この冗談は八雲にもバレるよね。
「まあ、そういう事にしておいてやるよ。だけど、これだけは約束してくれ」
「ん?」
あたしは、隣でバイクを操る八雲を見た。
「絶対、無理と無茶はするんじゃないぞ」
短い言葉だったが、あたしには八雲の想いがひしひしと感じられた。胸の奥が、何かに締めつけられたような感じがする。
「…うん、約束する」
あたしも、短く言葉を返す。これで、気持ちは伝わったかな。