参 遭遇(ソウグウ)
「じゃあ、バイト行ってくんね~」
あたしは、そう言いながら玄関でお気に入りのブーツへ足を通した。キッチンの奥からお姉ちゃんのおっとりとした声が聞こえる。
「いってらっしゃい~。気をつけて行くのよ」
「うん、わかってる」
革製鞄の中の神滅専用端末があるのを確認すると、あたしは玄関のドアを開けた。四月にしてはちょっと冷たい空気が、玄関に吹き込んでくる。外に出て空を見上げると、満月の光に照らされた大きめの雲が、かなり早い速さで流れていく。昼間に比べて風も少し強いようだ。もしかしたら、明日くらいに雨が降るのかもしれない。
あたしはコートのボタンを留めると、身体を温めるために駅まで走り出した。
今日は八雲同伴じゃない。あくまでもあたし個人に対して伊邪那岐様と伊邪那美様…すなわち、凪くんと那美ちゃんの呼び出した。
走りながら、お向かいの家の二階の窓を見る。電気が消えている、凪くんと那美ちゃんは、すでに二柱の社にいるのだろうか。
千河通りに出て、歩道を軽くジョギング。吐く息が白くなる。おかしいな、昨日の晩はこんなに息が白くならなかったのに。風が強い上、気温も低いのかな。八岐大蛇事件の時に八岐大蛇がツブした店舗は、この一ヶ月でキッチリと元通りになり、通常営業している。話を聞くと、神滅課の上層部、特務部から相当の援助金が出されたらしい。勿論、八岐大蛇の事は伏せてあるのだろうけど、店舗のオーナーは一体どんな顔をしてお金を受け取ったのだろう。そもそも、どんな理由付けで援助金を出したのかが気になるところだ。
あたしが駅南口につくと、電車がホームに入ってくるアナウンスが流れているところだった。一本乗り過ごしても、まだ十分に時間はあるから焦る必要はない。あたしはジョグから早足に変え、呼吸を整えつつ改札口を潜った。
地元の櫻台駅から塔京スカイツリーまで、乗り換えが上手くいけば一時間弱で到着する。今は六時半だから、約束の八時まで一時間半ある。井家袋くらいで、軽く夕飯が食べられるかも知れない。
ホームに入ってきた電車に乗り込み、空いている座席に腰を下ろすと、ようやく一息入れることが出来た。あたしは鞄の中からタブレットを取りだし、スリープモードを解除する。設定した四桁の暗証番号は、二二一八。二二は八雲の年齢、一八はあたしの年齢。それを単純に繋げただけだ。その数字を手早くタップして、デスクトップを表示させる。
デスクトップに表示されているアプリは、まだ三つだけ。一つは神滅課の主要メンバーの連絡先が登録されているアプリ、もう一つは武器顕現のアプリ。そして最後に、スカイツリーに入るための入館証アプリだ。エレベーターを動かしたりするアプリは、対応したエレベーターの端子にタブレットを接続すると自動的に起動するらしい。その時以外はシークレット扱いなのだろう。
武器顕現アプリについては、まだタップしても何も起こらない。八雲の話によると、凪くんと那美ちゃんがそれぞれの人に対応した武器をインストールして、初めて使えるようになるらしい。、どういった理屈とシステムでインストールしているのか、彼にもわからないそうだ。八雲の場合は"倶利伽藍太刀"。龍の眷属の力を秘めている武器なのだけれど、神剣"天羽々斬"を手に入れてからはほとんど使っていないと言っていた。斯く言うあたしにも、神刀"草那芸之大刀"がある。だから、このアプリを使う機会があるのかどうかは分からない。
『次は、井家袋です』
車内でアナウンスが流れる。ここで電車を乗り換えなければならない。乗り換える回数は三回、公共交通機関で出社するには、かな~り面倒くさい。
八雲のように、バイクのようなものがあればいいのにな。たしか、陽子ちゃんと直樹くん、関西支部の弥生ちゃんも、スクーターを持ってたんだっけ。あたしもお給料を貰ったら、免許を取ってスクーター買おうかなぁ。
そんなことを考えながら、電車を降りて乗り換えの改札へ向かう。そして、階段を昇ろうとしたところで気が付いた。
…人が少ない。
まだ辛うじて、というか、改札口へ向かう人々はいる。だけど、この時間にしては少なすぎる。
あたしは慌てて鞄の中からイヤホンマイクを取りだし、耳に装着する。そして本体のスイッチを入れた。もしも神憑が現れたなら、このイヤホンから無線のやりとりが聞こえてくるはずだ。
『……体、井家袋に…現です!』
神滅課職員さんの怒号が聞こえてきた。やっぱり!誰に指令が下るのだろう。昨日の夜は陽子ちゃんと直樹くんだった。その前に八雲も出動している。ということは、今日は大庭さんと蜂須賀さんコンビだろうか。
何にせよ、じっとしてはいられない。今から指令が下るとするなら、大庭さんたちが現場入りするまで二〇分くらいかかるだろう。それまで、あたしが足止めできれば!
あたしは立ち止まり、飛び交う無線に集中する。
『大庭コンビに出動要請!神憑は一体、憑依末期だ。速やかに井家袋駅に向かい、浄化してくれ!』
明さんの声が聞こえてきた。
『了解だがね!』
『…解…た!』
蜂須賀さんの声が聞こえた。途切れ途切れで聞こえたのは、大庭さんの声だろうか。しかし、なぜ彼の声だけ途切れて聞こえるんだろう。もしかして、それぞれが別の場所にいる?それに、現場は井家袋駅だって言った。ということは、この近くに神憑がいるんだ!
あたしは柱の影に素早く身を隠すと、ぴったりと柱に背中を貼り付けて周囲を警戒した。そして無線の通話スイッチを押す。
「明さん、聞こえる?」
数秒の間があり、明さんの声が返ってきた。
『ヒメちゃん?どうしたんだ、いきなり!』
「ゴメン、無線聞いちゃった。…じゃない、大庭さんたち、時間かかりそうなの?」
あたしはなるべく声を絞り、自らの目を「神力を視る」状態にして周りを見渡す。
『ああ、ちょっと離れたところにいるみたいだ…。いつもいきなりだからな。で、どうしたんだい?』
「あたし今、偶然その井家袋駅にいるのよ。神滅課に向かう最中だったんだけど、神憑はどのへんにいるの?」
聞くが早いか、改札口を出たところのキヨスクの裏に、建物を透かして真っ赤な神力が見えた。その神力は昨日の女子高生に憑いていたものと同じくらいの大きさか。
「…見つけた!」
あたしは思わず、口に出して叫んでしまった。
『ちょ…まさかヒメちゃん!?』
「うん、そのまさか。大庭さんたちが現場入りするまで、あたしが足止めするよ。出来るなら浄化まで持っていきたいところだけど…一人じゃキツイかな」
マイクに向かって話しながら、あたしは柱から離れて、じわりじわりとその神憑に近づいていく。まだ、神憑に気が付かれた様子はない。
『比女ちゃん、止めやぁ!』
蜂須賀さんの名古屋弁が聞こえた。そうか、無線はオープンだから、彼にも聞こえているんだ。
『そうだ、すぐにそこから離れるんだ!まだ人払いの結界が十分効果を発揮していない、姿を見られるぞ!それに、いくら神刀があるからと言っても、一人はやっぱり危険だ!大庭と蜂須賀に任せるんだ!』
『そうだがね、ボクはもうすぐ到着するで、最低それまで待ちゃぁ!』
「…くっ」
あたしは臍を噛んだ。目の前に浄化できる、助けられる人がいるのに、何もすることが出来ないなんて!
「だったら、神憑に見つからない距離でトレースするよ!蜂須賀さんが近くに来たら、位置情報を伝える。これならいいでしょ!?」
そう言うと、再びしばらくの沈黙があった。
『……わかった。くれぐれも見つからないように。で、無茶をするな?』
「さすが明さん!」
あたしは歓喜の声を上げた。そして、ゆっくりと遠ざかっていく神憑を睨み付けた。
「まかせて、稲田姫の"神視"の神力、見せてあげるわ」
これこそ、完璧な尾行作戦だ。陽子ちゃんには見つかってしまった拙い尾行技術だけれど、相手が神憑ならばあたしとの間にいくら障害物があろうと、その神力は追うことが出来る。
あたしは極力足音を立てずに、腰を低くしてその神憑を追い始めた。目標との距離は五〇メートルと離れていないだろう。その距離を維持しつつ、なるべく障害物に身を潜ませて追跡する。
神憑はよろよろと歩みを進め、時にはその神力で柱などを破壊しつつ、井家袋駅内を徘徊する。その時、ただ単にうろうろしていただけの神憑が、突然歩くスピードを上げた。
何かに向かって、一直線に歩いている。あたしはその姿を追跡しながら、神憑が進む少し先を視た。
小さく揺れる、ピンク色の神力が目に入った。間違いない、神憑はそのピンク色の神力を持つ人をターゲットに絞ったんだ!
「明さん!」
あたしは、マイクに向かって叫んだ。
『どうした?』
すぐに明さんから無線が返ってくる。
「人が追いかけられてる!」
『なんだって!?そんな情報は入ってきてないぞ!もう人払いの結界が完全に稼働しているんだ、人がいるわけが…』
「でも、事実追いかけられてるんだから!ごめん、救助に入るよ!」
あたしは更に強い口調で怒鳴り、神憑に向かって全力で走り出した。
『ちょ、待て!……いや、征け!だが、要救助者を助けたら、すぐに戦線を離脱しろ!』
「うん、判ってる!」
走りながら、胸の前で両掌を合わせる。そして、柏手を一回。
「八雲立つ…出雲八重垣…妻籠に…八重垣造る…其の八重垣を!」
祝詞を詠い、さらに柏手を二回打ち鳴らし、両手を一杯に広げた。
「お出でませ、神刀"草那芸之大刀"!」
身体から神力が抜け、胸の前に集中してゆくのを感じる。黄緑色の光が収束し、そこに一振りの神々しい太刀が浮かび上がった。あたしはその柄を握ると、肩口に構えて走るスピードを上げる。
視線の先には、真っ赤な神力を纏った女子高生が、あたしの姿に気が付くこともなくピンク色の神力の主を一心に追っている。
あたしは気合いの声を叫ぶと、背後からその真っ赤な神力に上段から一太刀を浴びせた。
『グギャァァァっ!』
この世ならざる叫び声を神憑は上げ、立ち止まってあたしの方を振り返る。あたしは、追いかけられていた人物に怒鳴った。
「逃げるよ、あたしについてきて!」
そして、その人物を見て愕然とした。
心臓が、一気に脈打つ速度を上げる。呼吸が荒くなり、一瞬だけ時間が止まったかのような錯覚を覚えた。
「…うそ…」
ピンク色の神力の持ち主…、その人は、あたしの友人である津島絵美ちゃんだった。




