弐 月読(ツクヨミ)
時間は、既に午後九時を経過していた。
買い物と言って家を出てきたけれど、さすがにおかしいとお姉ちゃんも思ってるだろう。あたし自身、まさか記憶を取り戻すだなんて思っていなかったし、神滅課とこうして再び戦う事になるなんて考えもしなかった。
でも、今はあたしも暫定的とはいえ神滅課の一員。今後は、何かしらの理由を付けて家を抜け出さないといけなくなる。
その度に八雲をダシに使うか…。でも、それもどれだけ通用するだろう。
あたしの復帰一戦目、それは、原塾に出現した神憑の浄化だ。八岐大蛇事件のように、八雲とコンビを組む事になった。ただ違うのは、あたしが八雲と合一していない事。八雲が補助役で、あたしが接近戦役と、立場が全く逆転したことだ。
まだ湯津爪櫛を髪に挿していないので、あたしは倒れるまで神力を使う事が出来る。さっき神刀"草那芸之大刀"を顕現させたばかりだけど、もう一回くらいなら呼び出す事が出来そうだ。
神滅課事務所のある塔京スカイツリーから、原塾まではおおよそ四〇分。あたしと八雲は、いつものサイドカーに非常点滅灯を点灯させ、サイレンを鳴らしながら国道をトバしている。
「なるべく、駅前でケリつけたいね!東側の店舗街へは行かせないようにしないと!」
バイクのエンジン音と排気音で声が掻き消されてしまうので、あたしはなるべく大きな声で運転している八雲に話しかけた。
「なんでだ?」
八雲が問う。
「だってさ、ジョージのお店…"fortissimo-ff"には、キズ付けたくないじゃん!」
"fortissimo-ff"とは、あたしが初めて八雲から服をプレゼントして貰った時に連れてってもらった店。オネエ系の男性、ジョージという日本人が経営している。あたしはそれから何度か、彼の店に足を運んで冷やかすだけ冷やかして帰ってきたりしている。何となく気に入ったのだ。
「そうだな、もし店舗街に神憑がいるなら、駅前まで引っ張り出してやろう。オレもあの店がツブれるのを見るのは忍びない。みづきの好きな店だしな!」
みづきさん。それは、八雲の実の妹。大分前に神憑となり、それ以来行方不明だ。八雲の目標の中には、彼女を神憑より解放するというのも含まれる。そして、それはみづきさんの彼氏であった明さんの目標でもある。
「そうだね、頑張ろう!」
あたしたちの乗ったサイドカーは、まもなく表参道にさしかかる。ここまで来れば原塾は目と鼻の先だ。
案の定、人通りがどんどん少なくなる。人払いの結界の効果が現れているのだ。そして原宿駅前に到着する頃には、周囲は静寂に包まれた。
駅前の道路のど真ん中に堂々とバイクを停め、あたしと八雲は、ほぼ同時にヘルメットを外した。
バイクから降りて周囲を見渡す。しかし、神憑らしき姿はどこにもない。大体、神滅課職員さんたちは神憑を中心にして結界を張る。だから、神憑きが存在するならばこの辺りのはず。
八雲はケースから超電磁銃を取り出し、組み立てる。その間にあたしは、サイドカーを中心に周囲一〇〇メートルくらいの範囲を捜索した。
すると、駅前のベンチに、一人の女子高生が座っている。この結界内に存在出来るという事は神憑であるか、よほどの神力を持つ人かどちらかだ。
でも、様子がおかしい。もし一般人なら、職員さん達が結界外へ誘導しているだろうし、神憑であるなら、その身体に取り憑いているのがあたしには確認出来るはずなのだ。
しかし、その子には神憑らしき様子は見あたらない。いくらあたしが神力を視ようとしても、その欠片さえも見つからないのだ。
あたしはその子に見つからないように、小走りに八雲の元へ戻る。
「見つかったか?」
八雲が、超電磁銃を担いで待っていた。あたしは駅前の広場を指差す。
「うん…、あっちに、女子高生が一人いるんだけど、様子が変なのよ。おそらく神憑なんだと思うけど、あたしがいくら視ても神力が分からないの」
「なんだと?一般人じゃないのか?」
「だって、一般人が紛れ込んでるなら、とっくに職員さんたちが結界の外に避難させてるでしょ。それに、ただベンチに座ってるだけ。こんな状況で、周りを気にしないなんて有り得ないと思わない?」
八雲はしばらく考え込み、言った。
「取り敢えず、その子の所に行ってみよう。万が一にも一般人なら、避難させないとマズいぞ」
「うん、そう…だよね」
あたしは頷き、八雲をその場所まで案内する。しかし、まずは彼にもその状況を確認して貰わないといけない。
街路樹の影に隠れて、あたしと八雲はその子を遠巻きに観察する。あたしは何度も神力を視ようとするが、やはり結果は一緒だった。八雲も小首を傾げる。
「確かに、おかしいな…。オレが声を掛けてくる。何かあったときのために、お前はここで様子を窺っててくれ」
「うん、わかった。気をつけてね」
「おう」
あたしは街路樹にぴったりと背中をくっつけて、その子に近づいていく八雲を視る。八雲は背中に超電磁銃を隠して近づいていき、話しかけた。
さすがに会話の内容までは聞き取れないが、確実に八雲の言葉にその子は反応していた。ということは、やっぱり一般人だったのかな。
しばらく会話を続けた後、一瞬だけその女子高生の口元が不敵に歪んだ気がした。そして、八雲の数メートル後ろに地面からじわじわと湧き出す、真っ赤な神力。
「八雲!後ろ!!」
あたしは叫んで、街路樹から飛び出す。そして、八雲が気が付いて振り返る頃には、その神力は完全な人型を取っていた。
その神力は、今までのような朧気な姿じゃなかった。どこからどうみても、長身の男性の様に見える。その人型神憑は、手に握った弓のような物を構え、八雲に狙いを絞る。八雲は持ち前の反射神経をフルに発揮し、その場を飛び退く。その刹那、八雲が経っていた場所にスパンと音を立てて長い棒が突き刺さった。
八雲は走り距離を取ると、その人型神憑に向き直り対峙した。超電磁銃を構え、トリガーを引く。銃身から放電し、目にも止まらない速さで弾丸が撃ち出されるが、その攻撃を人型神憑は横に身体を揺らして最小限の動きで避けて見せた。
「八雲!」
あたしは叫ぶと、柏手を打ち、胸の前で両手を合わせる。八雲はあたしを一瞥し、すぐに同じポーズを取った。
「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」
「八雲立つ…出雲八重垣…妻籠に…八重垣造る…其の八重垣を」
八雲とあたしは、同時に祝詞を詠っていた。それぞれの神力が両掌に集中してゆく。そして更に柏手を二回打ち鳴らす。
「出でませ!」
「お出でませ!」
「神剣、"天羽々斬"!」
「神刀、"草那芸之大刀"!」
叫んで両腕を広げると、あたしの胸の前には緑色の輝きを放つ太刀が、八雲の胸の前には、純白の神力を輝かせる鋼剣が浮かび上がる。その柄を右手で掴み、大きく振って見せた。神力が剣の軌跡を描き、霧散する。
その光景を、人型神憑は眺めているだけだった。はっきり言ってしまうなら、絶好の攻撃チャンスだったはず。どちらかというと、その神憑はあたしたちが御神器を顕現させるのを待っていたようにも見えた。
正面に八雲、背後にあたし、どちらかが必ず死角を付く事の出来る体勢で、人型神憑の出方を窺う。
すると、その人型の神憑きは弓を構えたまま、口を開いた。
『なるほど…神を絶つ剣か。よもや、この時代で再び相見えようとはな…。力を全て己が物としたか、素戔嗚よ…』
八岐大蛇が喋った時のような片言ではない。確実にはっきりと、その神憑は流暢な日本語を喋った。
「なん…だと……?」
その言葉に八雲が反応し、人型神憑を睨み付ける。言葉を話す事も驚くべき事だったけど、更に八雲が素戔嗚尊の転生だということも知っているのが驚愕だった。とすると、あたしが稲田姫だということも知っているのだろうか。
あたしが草那芸之大刀を握る右手に、じわりと汗が滲み出る。
「言葉を喋るだけの神憑だと思っていたら…そうじゃないらしいな!」
『ふむ…、汝達は、我らの事を神憑などと呼んでいるのか。その様子だと、我の事はまだ思い出せないようだな?』
八雲は表情を変えない。しかし、額から流れる汗で、かなり動揺している事があたしには分かった。
『情けないな素戔嗚よ…。只一人の兄の事すら、思い出せぬと言うのか…?』
言って、人型神憑は弓を引き絞り、八雲に向けて矢を放つ。それは八雲の足下に突き刺さり、すぐに霧散した。まるで、八雲をおちょくっている感じだ。
『ならば、思い出させてくれよう。貴様の死と引き替えにな!』
すぐに弓を引き絞る。八雲もそれに対応し、左手で超電磁銃を構えた。
八雲がトリガーを引くのと、人型神憑が矢を放つのは同時だった。それぞれの獲物は、お互いの頬をかすめる形で通過し、その後ろの建物に突き刺さる。
「き…貴様ぁぁ!」
八雲が吼えた。右手の天羽々斬を構え、人型神憑に走り込む。だめだ、完全に頭に血が上ってる!
「ツ・ク・ヨ・ミぃぃぃぃぃ!!」
ツクヨミ…。月読尊!?あの神憑がそうだっていうの?
考えるのは後にしよう。兎に角今は、何とかして八雲を落ち着かせないと。
あたしは草那芸之大刀を構え、月読尊の背後に走り込んだ。




