狐の商人・下
お待たせしました。時期が空きすぎて文体変わってるかもしれません…。
目の前にいる細目の青年は、わたしの困惑した顔を見て、わざとらしく「おおっと、これは失礼」とおどけてみせた。
にこりと笑うその笑顔はとても平凡で人好きをさせるけれど、どこか胡散臭さを感じさせる笑み。
「名乗りもせずに失礼しました。遅くなりましたがご挨拶を。はじめましてお嬢さん。僕は白百合殿下のお召しにより参じました、しがない商人でございます。美しい宝石やドレス、あるいは花々など、ご入用でしたら是非にご贔屓くださいませ」
「商人……?」
「はい、本日は商談と噂の“薄紅花“を拝見させていただくつもりでした」
先ほどまでの気安い雰囲気ががらりとかわり、丁寧な口調で告げてきた。それと同時に「よければお手をどうぞ」と手を差し出された。ずっと座り込んでいたためにさすがに冷えてきていたのだ。
恐る恐るその手を取りながら、ああ、やっぱりこの花を見に来たってことだったのかとわたしは納得した。
それにしてはずいぶん早い時間に来るものだと思いはしたものの、殿下は体が弱いため朝早くから起きて、早くに休む生活をしてらっしゃるので、大事な話とかも早いのかもしれない。
そこまで考えて、はっとする。
ならば、わたしがここにいるのはまずいのではないか。
殿下の大事なお客様なのに、わたしが勝手に会ってしまうなど。
けれど、この人はさっきわたしと殿下や宰相のことを知っているようなことを言っていた。……普通の商人じゃないの?
「あなたは一体……」
この言葉には目の前の“自称“商人もひょいと眉を上げて、くすりとおかしそうに笑う。
「申しましたようにただのしがない商人ですとも、お嬢さん?」
「ただの商人なら、わたしのことは知らないはずです」
訝しむわたしの言葉を聞いても目の前の青年の表情は変わらず、人好きのする顔でにこにこと微笑んだままだ。じっと見つめていると、少し困ったように眉が下がる。
「そのように見られると困ってしまいますが……そうですね。せっかくなのでお近づきの印にこれをどうぞ」
そういって彼が取り出したのは色鮮やかな一口サイズの飴が入った小瓶。
「うちの人気商品ですよ。御婦人方にも大変人気なんです。色によって味も違いましてね?珍しい南国のフルーツの味もあって、これがなかなか旨いんですよ。御婦人方に贈り物としても大変喜ばれる品でして、お嬢さんもよければ差し上げます」
御婦人受けのためなのか、瓶のふちに可愛らしくリボンを巻いた瓶を差し出され、いけないとわかっていながらも思わず受けとってしまう。瓶の中の飴は色とりどりにきらめいていて、食用というのが勿体ないくらいに可愛らしい。
瓶をくるくると回して角度を変えながら光にかざす。光を受けてきらきらする飴玉を目を輝かせて眺めていると、その様子を黙って見ていた商人はふっと笑みをこぼす。口の端だけをゆるめて目を細めたそれは、どこか卑屈さを感じたけれど。
でも、先ほどまでのわざとらしいにこにこした顔ではなく、本来の彼のものであろう自然な笑み。
わたしの行動で笑われた事には少し物申したいものがあるけれど、でも彼の表情は楽しそうだったから。
わたしが見ていることに気付いたのか、一瞬で表情がまたも貼り付けたようなにこにこ顔に戻った。
「さっきのほうがいいわ」
「え?」
思わずぽろりと本音が零れ、怪訝そうにわたしを見る彼にしまったと思う。思っても言うつもりなんてなかったのにと口元を抑えるが、わたしの脈絡のない言葉の真意が測りかねるのだろう彼は言葉の続きを待っているようだ。
「変ににこにこしてるよりも、楽しそうにしてるほうがいいと思うわ。あなた、笑ってるのに目が笑ってないから笑顔がなんだか気持ちわるい」
「……気持ち悪いなんて初めて言われましたよ」
にこにこした顔がぴきりと固まる。口元がひくりと震えている。
笑顔が気持ち悪い……とつぶやくのが聞こえたけれど聞こえないふりで「それに」と言葉を続ける。
「今の言葉遣いも、変。なんだかむずむずするの」
「……は」
これには言葉もないようで、貼り付けた笑顔のまま固まってしまった。
うーん、言い過ぎたかしら? でも、笑顔のままが怖いっていうのは本当のことだし……。
それにしても……。
「変な顔ね」
「……」
ずっと笑顔でいるのってすごく大変なのに、今でもまだそれを保っているのだから素直にすごいとは思うけれど、若干崩れているため大変面白い顔になっている。
わたしの言いように言葉を失ったままだった商人の口の端がひくひくと震えだす。
そして決壊した。
「あっはははははあ!! もう、無理!! なにこれ、我慢できないんだケド!! なにコレ、なんでこんなんが育つの!? おっかしい! あーっはははは!!」
なんかいきなり爆笑しだしました。
え、なに。なんでですか? いえ、失礼なことを言った覚えはありますけど、うけるポイントではない気がしますが。
体をくの字に曲げて、げらげらと笑う彼は先ほどまでの胡散臭さはどこにもない。
「ひーっ、ひー……あーもう、だめ。もう参っちゃう。これはたしかにたまんない…」
ひとしきり笑ったのだろう、落ち着いてきた商人は目じりにたまった涙を拭い、わたしに向き直る。
「ねぇ。僕は、僕のままでいいのかな?」
先ほどまでのわざとらしい笑顔でなく、にやにやとした表情で彼は言う。
「うん、そのままがいいわ」
「……そっかぁ」
一重の目をさらに細めて嬉しそうににっと笑うそれはまるで少年のように純粋で楽しそうで、心からのものだと思える彼の笑み。
「んふふ。僕は僕のままで……かぁ」
楽しそうに言葉を繰り返していた彼は何かに気付いたように言葉を切る。
「残念。時間切れみたい。こわーいお兄さん達に叱られる前に退散しなくちゃ」
その言葉にぎくりとなったのはわたしのほう。
こわいお兄さん……えっと、心当たりがありすぎて……。
ど、どうしよう。
内心焦るわたしを面白そうに見つめていた商人は「んじゃね」と踵を返し、ふとこちらを振り向いて。
「今日のことは内緒だよ?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべた彼は、軽い足取りで庭園から消えてしまった。
立ち尽くすわたしがこれからどうしようか、と逡巡していると、入れ替わるようにばたばたと誰かが駆け寄ってくる。
「姫様っ!」
ああ、わたしの生真面目な騎士がやってきた。
勝手に出歩いたことを咎められるだろうなぁ。うう、せっかく気分を入れ替えようと思ったのに安らげなかった……。
手のひらの瓶をもてあそびながら、これはどう説明したものかと頭を悩ませるのだった。