目覚めたら異世界
―もう、誰も巻き込みたくないと、願っていたのに…。
―同じ誕生日の人がいないか、確認したはずなのに…。
―僕は、何度、同じ事を繰り返すんだろう…?
誰かが、泣いている。
低く、声を抑えて、泣いている。
―誰だろう?
なんて悲しげに泣くんだろう?
何が悲しいんだろう?
半分意識のない少年は、そっと、自分の側で泣いている人物に手を伸ばした。
触れる、指先。
しかし、その人物はするり、と少年の指から逃れた。
そして、涙に濡れた声が耳に飛び込んで来る。
「坂上君、大丈夫?」
―誰の声だ? どうしてオレの名前を…?
「巻き込んじゃって、ごめんね…?」
何に、オレは巻き込まれたんだろう?
そこで、ようやく少年は目を開けた。
飛び込んで来たのは、見た事のない天井と、一人の華奢な少年の泣き腫らした顔だった。
―誰、だ…?
「気が付いた? …ごめん、巻き込んじゃって…」
「おま…」
声を出そうとした坂上少年に、華奢な少年はそっと水差しを手渡した。
「目が覚めてから、いきなりしゃべったらダメだよ。飲んで?」
坂上少年はようやく喉がカラカラに乾いている事に気付き、寝かされていたベットから起き上がり、華奢な少年から水差しを受け取ってそれを一口飲んだ。
「甘…」
「うん、喉に良いように、ちょっとだけ蜂蜜を入れたから…。甘いの苦手だった?」
坂上少年は首を振り、蜂蜜入りの水を飲み干した。
そうしなければ、目の前の少年が泣き出しそうだったから…。
しかし、それが功を奏したのか、幾分か周りの状況を見る余裕が出来た。
「…ここ、どこだ?」
坂上少年が寝かされていた部屋は、木の壁に木の天井の古ぼけた部屋だった。
高校の保健室ではない、決して。
「…」
しかし、華奢な少年は答える事も出来ずに、困ったような表情を浮かべるだけだった。
そこで、ようやく坂上少年はこの華奢な少年が、今日自分のクラスに編入して来た鳴矢少年だという事に気付く。
「えっと…鳴矢?」
「…ごめん、僕にもまだ分からないんだ」
嘘ではないだろうが、どこか嘘臭いと感じたのは、気のせいだろうか?
「…ここ、学校じゃないよな?」
「うん、違うよ。多分…時代的に言えば、中世あたりじゃないかな?」
さらりと言った鳴矢少年の言葉に、坂上少年は一瞬納得しかけて面食らう。
「そっか、中世か…って、中世?! なんだよそれ!」
「…ごめん、落ち着いて聞いてくれる?」
今にも泣き出しそうな鳴矢少年の言葉に、坂上少年は黙り込んだ。
しかし、このまま何も聞かずにいても問題の解決にはならない。
「どうして、オレ達は中世にいるんだ?」
「…僕のせいだよ。…驚かないで聞いてね?」
「ああ」
もう十分驚いているのだが、話が進まないから疑問は後で聞く事にする。
「えっと、僕の家系では、とある日に生まれた子供には、次元転移能力が備わるんだ。で、僕はその力を受け継いでしまっていて、今まで生まれた人達の中で、一番力が不安定なんだって話なんだよ。それで、その力が君とぶつかった事によって発動してしまったみたいなんだ」
「…次元転移? テレポーテイションの事か?」
「ううん、ちょっと違うよ。テレポーテイションは、人間の体などが長距離を一瞬にして移動する現象の事を言うんであって、時代や次元は超える事は出来ないよ」
坂上少年は頭を抱え込み、今までの知識を掻き集める。
―次元転移…? 確か、ゲームでそんな話があったよな…。
そんな坂上少年の考えを読み取ったのか、それとも言われた事があったのか、鳴矢少年は困った表情で続ける。
「ゲームでは装置とか、キーアイテムがあってそれを使って移動するけど、僕の場合はこの身体に流れている『血』が鍵…つまり、キーアイテムになるんだと思うよ?」
「まさしくRPGだな」
「前に巻き込んだ人も同じ事を言ってたよ。…でも、これは死んでもリセット出来るゲームじゃないんだ。それだけは、覚えて置いて? 怪我を治す魔法だって存在しない、『現実』なんだから」
その様子に、坂上少年は鳴矢少年の持つ心の闇、のようなモノを垣間見たような気がした。
あくまで、気がしただけなのだが…。
しかし、ここで泣いても喚いても、鳴矢少年を責めた所でこの問題が解決するワケでもなさそうだ。
「…で?」
「何?」
「さっき、鳴矢は『とある日に生まれた子供』がどうのって言ってたよな? それっていつの事なんだ?」
あまり動揺していなさそうに―実際そんなに動揺していないのだが―見える坂上少年に、鳴矢少年は面食らったような表情を浮かべた。
しかし、少し沈黙した後に答える。
「2月29日の2時29分生まれだよ」
「…何か細かいな。でも、オレも2月29日生まれだぜ?」
「…だと思ったよ。そうじゃなきゃ、ぶつかっただけで次元転移はしないから…」
そこで、坂上少年は何やら疑問に思ったらしく、考える素振りを見せた。
鳴矢少年は黙ってベットに座る坂上少年を見詰める。
「…閏年に生まれただけで、なんでそんな力を持ったんだ? オレにはそんな力なんてないぜ?」
「うん、僕の家は昔、何かを奉っていた巫女さんの家系で女系家系なんだ。そのせいか代々女の人に次元転移能力が出るらしいんだ。何故か僕の代で男の僕にその能力が現れて、今でも親類の女の人達は大騒ぎしてる。…まあ、初めてこの能力が表に出たのも遅かったし…」
何故か悲しげな表情を浮かべる鳴矢少年に、坂上少年は罪悪感を感じていた。
聞いてはならない事を聞いてしまったような気がしてならなかったが、ここで聞いておかなければ聞く機会がなくなってしまう。
「…何を、奉っていたんだ?」
「…日本の神さまじゃないから、言っても分からないよ」
拒まれた、と思わずにはいられないその冷たい表情。
しかし、次の瞬間にはその表情は柔らかいモノに変わっていた。
「…ただの宝珠だよ」
「宝珠?」
「うん、金色の宝珠。女の人達は『時の宝珠』って呼んでるけどね」
「…『時の宝珠』?」
「うん。でも、4分の1ぐらいに欠けてるんだけどね」
それは『宝珠』ではなくただの『石』になるのではなかろうか?
そんな疑問を抱く坂上少年に、鳴矢少年は苦笑してみせた。
「まぁ…昔の人だから…」
そんな簡単な事でもなさそうなのだが…。
しかし、それは坂上少年には関係のない事でもある。
今現在の二人の課題はどうやって『戻るか』だ。
坂上少年は意を決して鳴矢少年に質問する。
「…所で、お前ん家の事情は何となく分かったとして…どうやって帰るんだ?」
「さぁ…?」
意外な鳴矢少年の返事に、坂上少年は目を丸くする。
「『さぁ…』って、何よ?」
坂上少年の剣呑な様子に、鳴矢少年は説明が足りなかったと反省しつつ続けた。
「あ、いつも何となく戻れる感じがして帰るから、いつ帰れるか僕にも分からないんだ…」
「…今まで巻き込んだ人間は?」
鳴矢少年は僅かに考え込んだ後に、小さな声で呟く。
「君で二人目。でも、巻き込みそうになって僕一人で『跳んだ』事もある」
「…何が原因で跳ぶんだ?」
鋭い所を突かれた、といった表情を浮かべた鳴矢少年を、坂上少年は真っ直ぐに見詰め返して返事を待つ。
鳴矢少年は視線を宙に彷徨わせ、どう答えようか迷っている素振りを見せた。
そんな鳴矢少年に、坂上少年は凄んで見せる。
「鳴矢? オレは短気なんだから、早く言えよ」
その言葉に、観念したかのような表情を浮かべて、鳴矢少年はゆっくりと言葉を吐き出した。
「…原因の要因としては、ひとつが強い衝撃。次が僕と誕生日が同じか前後の人が巻き込まれやすいみたいなんだ。…女の人達は、次元転移能力を持つ巫女達を『次元の狭間生まれ』とか、『時の子』とかって呼んでるけど…」
「へぇ? じゃあ、オレもお前の親戚に言わせれば『次元の狭間生まれ』って事になるのか」
淡い笑みを浮かべ、鳴矢少年は坂上少年の言葉に頷いて見せた。
「そうなるね。…君は、この力が怖くないの? こんな風にいきなり知らない場所に跳ばされて、いきなりこんなワケの分からない話をされたのに…」
坂上少年はにんまりと笑い、ベットの上で行儀悪く胡座をかいた。
「なるようになるし、こういう誰も経験した事のないような事ってわくわくするよな」
「でも、これは…!」
「現実なんだろ? だったら、過去の世界ってモンを楽しむのも手じゃないか。誰も知らない、誰も記憶にない時代を見れるなんてすげぇよ!」
坂上少年の言葉に、鳴矢少年は面食らったかのような表情を浮かべ、続いて傷付いたような表情を浮かべた。
「…前に巻き込んだ人も、同じ事を言って、そして怪我して、僕を罵ったんだ…」
「…前のヤツがそうだからって、オレも同じになるとでも言うのか?」
無責任にも、前向きのようにも取れる坂上少年の言葉に、鳴矢少年は微かに表情を曇らせる。
「これは『現実』なんだよ?」
「だから? いつ戻れるか分からないのにジタバタしても仕方ないだろう? だったら、今の現状を堪能しなくてどうする」
胸を張ってそう主張する坂上少年に、鳴矢少年は何も答えなかった。
─危険である事には変わりないのに…。
そっと溜息を洩らした鳴矢少年に対し、坂上少年はあくまで前向きでベッドから立ち上がり、服装─普通のガクランだ─を整え扉に向かって歩いて行く。
その様子に鳴矢少年は慌てて止めに入った。
「ちょっ…ちょっと坂上君どこに行くつもり?!」
「え? そんなん決まってるだろ! 外を見学しに行くんだよ」
のんきすぎるというか、肝が据わっているというか、坂上少年は問答無用で扉を開けた。
「うおっ! すっげぇ~!」
止める鳴矢少年を振り切り、建物─多分宿だろう─から出た坂上少年は、街中で大きな声を出して感動に浸っていた。
街は、映画で見たような中世の町並みだった。
決して大きな街ではないようだが、教会がいくつもあり、煉瓦造りの家が並び、所狭しと市が立っている。
「なんか、外国に来たって感じだな」
「坂上君、あんまり大きな声を出すと目立つよ? ただでさえ目立ってるんだからね?」
そんな忠告もなんのその、坂上少年はお構いなしに歩いていく。
市を覗いては冷やかし、町並みを眺めては感動する。
彼は、好奇心に満ち溢れていた。
しかし、そんな彼も生理的現象には敵わなかったらしい。
ぴたっと足を止めたかと思ったら鳴矢少年を振り返って一言。
「…鳴矢、腹減った」
「え? …そうだね、少しお腹空いたね。じゃあ、どこかに入ってご飯にしようか?」
その言葉に、坂上少年はふとある事に気が付く。
「…そういや、ここって日本じゃないんだよな? なのに、どうやって金払うんだ? あの宿みたいな所の支払いは? そもそも誰がオレをあそこに運んだんだ?」
鳴矢少年は僅かに考えてから、小さく答える。
「…何故か、日本円でも充分に通用するから大丈夫だよ。でも、それは僕だけみたいだから坂上君は支払わないでね? 捕まるから。宿はとりあえず1週間分支払済みで、運んだのは僕だよ」
「お前のオゴリかよ。てか、そんな華奢なクセしてオレをどうやって運んだんだ?」
坂上少年はがっちり系。
鳴矢少年は華奢。
どう見ても鳴矢少年が坂上少年を運ぶのは難しそうだ。
「イヤなら後で請求するよ? 一応僕だって男だし、同級生くらい運べるよ」
にっこりと微笑んだ鳴矢少年を、坂上少年は胡散臭気に眺めやる。
しかし、彼は嘘とは無縁なような気がして、それ以上聞く事をやめた。
─こいつ、謎だらけだな。
それが、坂上少年が鳴矢少年に抱いた感想だった。