十六話
◆◇
春だった。
駅からの帰り道。夕方の街は少しだけ賑やかで、学生たちの笑い声があちこちから聞こえてくる。
響也はその中を、友人と並んで歩いていた。
「そういえばさ」
それまで宿題の話、授業の話、漫画の話と転々と続いていた雑談が途切れた頃に、不意に友人が声をかけた。
「お前の姉ちゃん最近見ねえな」
響也が顔を上げる。
友人は少し思い出すように視線を散らしながら、何気ない様子で口を開く。
「ほら、あのギャルっぽくて、やたら元気な姉ちゃん!」
友人のどこか好意的な言葉に、響也は少しだけ目を細めた。
空を見上げる。
穏やかな、春の空だった。
「あー……、留学行った」
「あ、そうだったん。どこ?」
響也は少しだけ笑った。
「異世界」
「はぁ?」
即座に変な声が返ってくる。
響也は肩を竦めた。
「冗談だよ」
少し間を置く。
「……とにかく遠いところ」
友人は首を傾げる。
けれど、なんとなく寂しそうな響也の様子に、それ以上は聞かなかった。まあ、結構こいつシスコンぽかったもんなぁと内心で思い出す。口に出したら怒るだろうから、言わなかったけれど。
なんとなく、そのまま沈黙が落ちた後、しばらく歩いて不意に友人が立ち止まった。
「なんかお前さ」
「ん?」
「ちょっと大人っぽくなった?」
響也は眉をひそめた。
「別に?」
「そうかぁ?」
友人は首に指先を当てたが、やがて響也が帰り道もずっと手に持っていた本をチラリと見て、からりと笑った。
「まあでも、確かに未だにラノベ好きだしな」
「……これは勉強だし」
「はぁ?」
友人が吹き出した。
「ラノベ読むのは勉強じゃなくて趣味だろうが!」
「違う」
「違わねえ!」
けらけら笑う友人に、響也は言い返そうとしたが、小さく息を吐いた。
結局、同じように笑う。
腕の中には一冊の文庫本。
『異世界の渡り方』――そう書かれた本は、もちろんこの世界にいた人間が書いた、空想、フィクションの世界の話。
魔法使いの世界に迷い込んだ主人公が、異世界で懸命に生きるといった内容。ご都合主義のハッピーエンドの話。
少し擦り切れた背表紙を持ち直す。
そして響也は、いつもの顔で友人と並んで歩き出した。
夕暮れの街の中へ。
何事もなかったみたいに、日常の中へ。
◇◆
神社の朝は静かだった。
柔らかな陽光が境内へ差し込んでいる。
鳥居の向こうには青空が広がり、木々の葉が春風に揺れていた。
響也が手にした竹箒が石畳を滑る。
掃き集めた落ち葉を端へ寄せながら、響也は何気なく顔を上げた。
石段。
手水舎。
境内の隅に置かれた古い木桶。
見慣れた景色ばかりだ。
けれど、そのどこを見ても。ふとした拍子に芽依の姿が浮かぶ。
眠そうな顔で欠伸をしながら竹箒を引きずる姿。
「さむ〜……」なんて文句を言いながら掃除を始める声。
途中で飽きて石段に腰掛け、祖父に見つかって怒られる姿。
そして結局は笑いながら最後まで掃除を終わらせる姿。
春の風が吹く。
木々がざわりと揺れた。
誰もいないはずの境内が、一瞬だけ賑やかになったような気がした。
「姉ちゃんがいないせいで、俺の仕事が増えた」
ぽつりとした声で、響也が呟く。当然、帰ってくる声はないけれど。
一度だけ、唇をぎゅっと噛んでから、響也はまた黙々と箒を動かす。
境内を一周し、落ち葉を集め、最後に鳥居の前を掃く。
祖父がやっていたように。
姉がやっていたように。
いつもの朝。
何も変わらない朝だった。
掃除を終える。
竹箒を肩へ担ぎ、社務所へ戻ろうとし、――その時だった。
突風が吹く。
「うおっ!?」
思わず目を閉じる。
強い風だった。
巻き上がった落ち葉が空へ舞う。
春なのに、妙な風だった。春一番にはもう遅い。それよりもずっと、温かい風。
ざわざわと木々が揺れる。
空気が震える。
まるで何かが境界を越えてくるみたいに。
響也は息を呑んだ。
風の中心が、立体的になっていく。
小さな竜巻のようなものが生まれている。
枯れ葉が舞う。
細かな光の粒子が踊る。
そして――ぽとり、と。
何かが足元へ落ちた。
呆然としながらも、ほとんど何も考えず、反射でそれを拾い上げる。
落ちていたのは、白い封筒だった。汚れはないが、少しよれている。
響也は固まる。
手が、どうしようもなく震えた。
どくん、どくんと、自分の心臓が大きくなるのがわかる。
息が苦しい、まるで全力疾走で走った後みたいに。
見覚えのある雑な折り方をされた、それの封を開く。
簡素な一枚の紙だけが、そこにはあった。
『今度こそ届いてるか!?』
大きな文字。
勢いだけで書いたみたいな文字。
――見覚えが、ないわけない。
封筒を持つ指に力が入らない。けれど、必死に堪えて、指に力を入れる。落とさない、落とせない。
『元気か!!!』
更に大きな文字。
思わず響也は顔を覆った。
馬鹿みたいな字だった。
頭の悪そうな文章だった。
あまりにも姉らしかった。
だから、だからこそ、伝わる。
生きているのだ。ちゃんと。
向こうで笑っている。
ちゃんと幸せにやっている。
胸の奥で何かが弾けた。
安堵なのか、嬉しさなのか、寂しさなのか、もう自分でもわからない。
ただ、止まったはずの時間が、ようやく動き出した気がした。
手紙の上に雫が落ちる。
気付けば視界が滲んでいた。
響也は慌てて目を擦る。けれど次から次へと涙が零れた。
あまりにも止まらないものだから、もう、涙を拭うことを諦めて、清々しい気持ちで空を見上げる。
春の風が吹く。
どこか遠い世界へ続くみたいな風だった。
響也は鼻をすすった。
そして小さく呟く。
「……ばーか」
掠れた声が漏れる。
返事なんてない、芽依はここにいない。
けれど封筒は消えない。泣いても、瞬きしても、時間が経っても、ちゃんとここにある。
響也は目元をぐしぐしと拭ってから、大切に手紙を懐に入れて、駆け出す。
居間で新聞を読む祖父と、朝ごはんの準備をしているだろう祖母の元へ。
「じーちゃん! ばーちゃん! バカから手紙が届いたぁ!」
大きな声は湿っぽさを吹き飛ばす。いつも騒がしかった、姉の真似だ。
走ったその背を優しく押し出すように、春の風が境内を吹き抜ける。
響也の声は、きっと風に乗って遠い遠い世界と繋がっていく。
(第二部 完)
一旦こちらで一区切りとなります。
完結表記にしてますが、まだまだ書きたい話があるので、いつかまた連載再開させていただきます!
・芽依のいない四年間を過ごしたリヒトの話
・メイが異世界に戻った後の話
あたりを書けたらなぁなんて思ってます。
何はともあれ、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




