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女神のティア  作者: 詠城カンナ
第三章 盗賊と花嫁
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(7)

「汝、生涯この者を支え、愛していくことを誓いますか」


 祭司が唱えた言葉は魔法のことば。決して逆らってはならぬ――


 水色のベールに包まれ、花嫁衣装を纏ったサーシャはこの世のものとは思えぬほどうつくしかった。銀色の絹のごとき髪は目を引き、先は水につかってきらきらと輝いている。エメラルドグリーンの魚尾は宝石のように秀麗で、芸術品のようだ。そもそも、彼女自身が芸術品そのものなのだが。

 しかし、彼女の顔は冴えず、落ち込んでいるようだ。

 ジュゴン種は昔から物珍しいとニンゲンには狙われ、獣人からは倦厭され、呪禁ジュゴンの掟に縛られ――自由などありはしな……そう思っていた。

 厳しいけれどやさしい父、たくさんの姉妹、仲間たち……深い海底はうつくしく華やかで、けれどとても寒かった。

 そんなサーシャを、暗い暗い海底から太陽の下へと引っ張ってくれたのは、友達の存在だった。三人仲良く過ごす日々が、とても愛おしく、今では懐かしい……

 思わず涙ぐみそうになり、あわてて唇を噛む。

 泣いてはダメ。相手を喜ばせるだけだから。


「汝、生涯この者を支え、愛していくことを誓いますか」


 祭司は再度そう言った。黙り込んだサーシャに焦れた様子もない。

 サーシャは項垂れる。もじもじと俯いて指をいじっていても、時間ばかりが過ぎていく。

 泣きたかった。いっぱい泣いて、声を上げて、助けてと叫びたかった。


『サーシャの涙は宝石みたい。とってもきれい』

 友はそう言った。邪気のない、純粋なきらきらした瞳で。

 うれしかった。はじめてまっすぐに褒められた気がした。

『本当、縛るのは勿体ない』

 豪快に笑う友達は、サーシャの支えであり、すべてだった。

 泣き虫でも、煩わしいと言うことなく付き合ってくれた友達。助けて、と言いたいけれど、友を危険にさらすのはまっぴらだ。だから唇を噛みしめる。


「汝、生涯この者を支え、愛していくことを誓いますか」


 三度目、たぶん、最終通告であろう。案の定、隣の小太りな男が苛々と舌打ちしている。

 もし、己が答えればどうなるのか。そんなことわからない。きっとどちらにしろ、深い絶望に叩き落されることだろう。

 けれど。


『ねぇ、サーシャ。アンタが笑うと太陽みたいにあたたかだよ』

『その歌声も、とてもうまい』


 サーシャは顔を上げた。どこか晴れ晴れしい気持ちだった。


「誓いません」


 静かにささやき、どよめきと怒号が響いたが、サーシャの気持ちを曇らせることはできなかった。





+ + +


「しまった! ハメられた!」

 顔を真っ青にして、彼らしくないポーズでうなだれ、ダグラスは絶叫しそうな声でそう言った。

「グルだった! あいつら全員! 盗賊もみんな! ちくしょうっ!」

 そんなことだろう、とエヴァージオは肩をすくめているが、同情のまなざしは皆無だ。

 時はすこし遡る――


 一日待っても盗賊の頭は姿を見せず、作戦失敗かに思われた。頭が逃げたという線が濃厚になり、ダグラスは重い足取りでググリ領主の仲介人が泊まる宿屋へ向かった。

 その間、アジェたちは宿屋で休息していたが、途中、用事があると言い置きエヴァージオは外へ出ていった。余談ではあるが、昨夜、彼は散々、口をすっぱくしてアジェに小言をのたまっていた。

『ねぇ、アジェ。俺は嫉妬に悶え死にそうだよ。アジェが他の奴らに取られるくらいなら、俺が先に食い殺してあげたっていい。むしろそしたいとさえ思う。だからね、アジェ。気をつけて。俺から目をそらしちゃダメだからね』

 アジェ自身よくわからなくて首をひねったが、ダグラスがそっと、「ヤキモチだ」と教えてくれた。なるほど、これがヤキモチか、程度にしか思わなかったのが、アジェがアジェたる所以でもある。

 さて、仲介人と話をつけるのだから、ダグラスの帰りは遅いだろうと思っていたが、案外はやく彼は帰途した。

 顔を真っ青にしたダグラスと、呑気に欠伸をしているエヴァージオが帰ってきたのはほぼ同時だった。

 部屋の戸を閉め、床に膝をつき、顔を覆って――「しまった! ハメられた!」と、件の台詞を口にしたわけである。

 理由を問えば、なんでも仲介人は昨日のうちに宿を発ったのだとか。嫌な予感を感じて警備隊の役所へ行けば、さらに愕然とした。村の警備隊に預けていたはずの、盗賊三十五人すべてを引き連れていったらしい。しかも向かった先はググリではなく、逆方向のユウラミ公国の方角だったとか。警備隊もググリの許可証に騙され盗賊を渡したらしいが、彼らをのせる馬車の紋章は公国のものだったらしい。

「どうして警備隊はそのとき止めなかったんだ?」

「さあな! ただ、どちらにしろ、公国にもググリにも逆らえないだろうさ。町や村の警備隊っていうのはよ」

 唸り、疲れたように肩を大きく落とし、ダグラスはため息をついた。顔を両手で覆って、何度も何度も息を吐く。

「終わりだ……ググリ領主とは契約違反になっちまう……」

「だが、その仲介人はググリの許可証を持っていたのだろう? それが偽物であるなら、こちらも騙された被害者じゃないのか?」

 アジェの問いにもダグラスはうなだれたままだ。

「いや、俺はググリ領主から直々に依頼されこの地へ来たんだ……仲介人だと名乗った男とはハビヤ村で出会った。勝手に勘違いし騙された俺の責任だ」

「その領主が本物のググリ領主だって証拠は?」

「ググリの紋章をもってた」

「その紋章が偽物だったってことは……? 今回の許可証のように」

「……ま、さか」

 そういえば、とダグラスは眉根を寄せ、過去の記憶を思い出そうとしばし頭をひねって、絞り出すように口をひらいた。

「たしかに、俺が依頼されたのは、町の飲食店でだった……そんなところでおかしいな、とは思ったんだ。だが、内密にしたいと言っていたし、そういう場合も、あるのかなって」

 ふたりは顔を見合わせる。結局どちらにしろ、ググリ領主のもとへ行かねばなるまい。


 ググリ領はニンゲンにとっては治安がいいが、獣人にとっては地獄のような場所だと聞く。奴隷狩りと称しての獣人狩りが横行し、領主も黙認しているのだとか。真偽のほどはたしかではないが、少なくとも獣人が住みよい場所でないことはたしかだ。

 そんな場所に――エダは、いないだろうけれど。


「乗りかかった船だ、わたしたちも行こう」

「いいのか?」

「えーっ、面倒くさい」

 尋ねるダグラスにかぶせて、エヴァージオは不満げな声をあげた。

「アジェ、いいの? ほんとうに?」

 琥珀色がじぃっと見つめてくる。まるで、エダに非難されているかのような錯覚に、一瞬アジェは息をつめた。

 しかし。

「いいんだ、行く」

 ダグラスのことも心配だし、なにより真相が気になる。それに、きっと。

「エダなら、面倒だと言いながらも、首を突っ込むと思うんだ」

「――ふうん」

 エヴァージオは一瞬表情をなくし、低い声でつぶやいた。次の瞬間には、いつもの表情でけろっと目を細めた。

「この事件はそうそう簡単に解決しないと思うぜ。たぶん、ジュゴンが絡んでる」

 ダグラスがググリの領主の仲介人のもとへ向かっている間、エヴァージオは勇者求ム、と書かれたポスターを張っていた店の主に話を聞きにいっていた、と告げた。

「ジュゴンに関わるなら慎重にならないといけない。呪魂の禁忌を破ったのか、呪言に背いたのか。逆らったのは『どっち』なのか。それを知る必要がある」

 エヴァージオは肩をすくめた。

「村人は困惑して、恐れてる。呪言を受けることを、きっとずぅっと。俺は最初、件の盗賊がジュゴンの涙を領主から盗んだのだと思った。けれどきっとそれは真実じゃない。ググリの領主を騙っている奴が盗賊の仲間だとすれば、話はがらりと変わるだろう」

「どういうことだ? ジュゴンとはいったいなんなんだ」

 混乱するアジェに、エヴァージオは苦虫を噛み潰したような顔で、無理矢理笑った。

「ジュゴンは魚の獣人さ。存在が禁忌にまみれて、決して人間と関わらないようにしてる深窓の姫君。彼女に関わるなら、多大な誘惑に打ち勝たねばならない。とにかく厄介な存在だよ」


 ジュゴンは人魚で、多くいる魚人とはちがう。孤獣に次ぐ、高位の獣人だという。そして、彼女の涙は貴重なもので、禁忌に触れるから人間は関わってはならぬという。


 ふいに、エヴァージオは黙り込んだダグラスに目をやった。

 彼は、血の気の引いた真っ青な顔でぶるぶる震えている。

 ややして、アジェとエヴァージオの視線に気づき、ひ、と短い悲鳴をあげた。

「ああ、ダグラス……アンタ、ジュゴンと関わってるな」


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