嵐は唐突に
楽しかった演奏会が終わって、私にはやることが極端に減った。アルフレッドは仕事で家を空けることが増えたし、暇になってしまったわ。
せめて研究室に出入りできれば、アルフレッドが集めた文献を読んで時間を潰せたのに。あとは他の研究員が置いている小説ね。あれは現代を学ぶのに役立つわ。新聞も勉強になるけれど、興味を持てるかどうかは別よ。
暇を持て余していたある日、屋敷に武装した神官たちが来た。
「無差別に呪いをかけていると通報があった。取り調べのため、神殿まで同行してもらいたい」
抵抗すれば引きずってでも連れて行くと言いそうね。
「お待ちください。まずは旦那様に連絡を……」
アルフレッドの執事が間に入ってくれたけれど、あまり強く拒否できないみたい。王族といえども神殿には一定の配慮が必要なの。アルフレッドの客人だと名乗っても、拒否はできないわ。
「抵抗しても無駄だ。あいつが来たところで、この状況は変わらないぞ」
神官たちの間からギルバートが現れた。彼が手引きしたのね。鈍い私にも察しがつくわ。
ここで拒否をすれば、アルフレッドの使用人たちに迷惑がかかりそう。
「分かったわ。言う通りにするから支度をする時間をちょうだい」
ギルバートには嫌な顔をされたけれど、貴族女性が外へ出る前に着替えが必要なのは理解しているみたい。早くしろと言って屋敷を出ていった。
この隙に私が逃げるかもしれないって考えなかったのね。もしかして根は素直な性格なのかしら。募金詐欺とか可哀想な話をしてお金をせびってくる詐欺師に騙されそうで心配になってくるわ。三番目の姉様みたいに、守ってくれる人がいるといいけれど。
いけない。今はそんなことを考えている場合ではないわね。
「誰か、アルフレッドに知らせてくれる? いきなり処刑されることはないと思うけれど、私だけの力で誤解を解くのは難しそうなの」
「どうか、ご無事で」
執事はすぐに使用人の一人に指示を出して、アルフレッドの元へ向かわせた。
外出着に着替えた私は、馬車に乗せられて神殿へ連れて行かれた。裏口から建物内へ入り、ベッドと机しかない小部屋に通される。少し豪華な牢屋かしらと考えていたら、扉が閉められた。鍵がかかる音もしたわ。
「どういうこと?」
「取り調べまで、こちらで待っているように」
私をここへ連れてきた神官は、そう言ってどこかへ行ってしまった。扉の外には、別の神官が見張りについているみたい。
ふと気になったことがあって、私は見張りに話しかけた。
「ねえ。トイレはどこかしら?」
「そこに壺があるだろう」
「え……」
酷いわ。元婚約者に監禁された時だって、ここまで酷い扱いじゃなかったわよ。まともなトイレがあったし、私を世話してくれる使用人が一人いたもの。
長い時を経て、元婚約者が私を人道的に扱っていたと気がつくなんて。人生って本当に何があるか分からないわ。
幸いなことに、私は壺を使う前に部屋から出された。廊下を何度か曲がって足早に連行された先は、広い部屋だったわ。狭い部屋で怖い神官に脅されると思っていたから拍子抜けね。
部屋の真ん中には粗末なイスが一つ置いてある。私をここへ連れてきた神官は、そこへ座るよう指示をして離れていった。私の正面は床が数段高くなっている。重厚そうな机が置いてあって、位が高そうな三人の神官が席についているわ。彼らの背後にある壁には、神殿のシンボルを刺繍したタペストリーがかかっていた。
私の後方にはギルバートを含めた十数人が座っている。神官とそれ以外が半々かしら。証人か聴衆か分からないけれど、友好的じゃない態度で私を見ているわね。
私が結婚のために隣国へ行ったとき、まさにこんな空気だったわ。どこにも居場所がなくて、頼れる人もいない。嫌な懐かしさね。
アルフレッドの大切な使用人に迷惑をかけられないと思って出てきたけれど、私一人でこの状況を好転させないといけない。取り調べされるってことは、私はまだ有罪と決まっていないのよね。いきなり処刑されることはないと思うわ。
ないわよね?
「ここに呼ばれた理由は分かっているか?」
「いいえ」
正面にいる神官に質問されたけれど、分からないわ。
「歌を媒介にして複数人に呪いをかけた疑いがある」
「呪いなんてかけてません」
私を石化させた人のことは盛大に罵ったことがあるけどね。でもそれは遠い昔の話で、呪いとは程遠いわ。だって私を石化させた愛人には、何の効果もなかったんだから。
子供の頃に魔術師が私の才能を調べてくれたけど、魔力を持っているだけの一般人だと言っていたのよ。もし魔法や呪いの能力持ちだったなら、平民だろうと英才教育をされたから間違いないわ。
「証言が正しいかどうか、これから調べさせてもらう」
「その調査、待ってください」
唐突に入ってきたのはアルフレッドだった。唯一の味方が来てくれたわ。思わず顔がにやけて泣きそうになったけれど、仕方ないわね。だって嬉しかったんですもの。
アルフレッドに対し、最初に反応したのはギルバート。席から立ち上がって、もう来たのかって呟いたの、聞こえたわよ。
「調査の邪魔をしに来たのか?」
「違う。決めつけで罪状が確定しないようにしたいだけです」
堂々とアルフレッドが言い返す。なんだかいつもより頼りになる雰囲気だわ。明確な目標があると尻込みしないのね。
「決めつけだと? 神殿の調査官が不正をするとでも?」
「調査は正確でも、証言によって事実が歪められるかもしれません」
「ほう。俺が罪を捏造すると言いたいのか」
「故意かどうかは関係ありません。証言が調査の方向性を狭め、事実とは遠い地点に我々を導くこともあると言いたいのです。誰かに望ましい結末がある場合は、特に」
アルフレッドはギルバートが私に不利な証言を用意していると確信しているみたい。自分の兄が神殿を巻き込んで、私をここへ引っ張り出したのだから予想できることではあるけど。
ギルバートの表情からアルフレッドを小馬鹿にする態度が消えたわ。ようやくアルフレッドの聡明さを知ったのかしら。うっかり発言したことで揚げ足を取られて、私を有罪にする証言が役に立たなくなるって気がついたのね。
「ではお前にこの女の無実を証明できるか?」
「ギルバート殿下。勝手に進めないでもらいたい。調査は神殿の主導で行うと言ったではないか」
放置されていた神官が不満を口にした。自分たちの庭で好き勝手に兄弟喧嘩を始められたら、そう言いたくなるわね。
「申し訳ありません。では調査に協力していただける神官に入ってきてもら――」
アルフレッドが喋っている最中に、誰かが扉を豪快に開けて入ってきた。
「グレアム師!?」
壇上の席についていた神官が驚いて席を立つ。
侵入者はどこかで見た顔だと思っていたら、アルフレッドの研究室にいる悪魔を誘拐……ではなくて排除してくれた神官だったわ。
グレアムと呼ばれた神官は部屋に入るなり周囲を見回した。
「どうしてここに? 今日は礼拝を担当するはずでは……ちょっと、聞いてますか?」
正面に座っている神官がグレアムに話しかけたけれど、彼は答えずに壁を触ったりイスを持ち上げて何かを探し始めたわ。聖書で床を叩き、いきなりギルバートたちがいる場所へ乱入したかと思えば、拳で床を粉砕した。
「な、何をしている!?」
突然の奇行にギルバートが焦っている。その間にアルフレッドは私を壁際まで避難させた。
この部屋の床なんだけど、石なのよ。グレアムはそれを素手で壊したの。あの人の体はどうなっているのかしら。
「おい、アルフレッド。どうしてこんな面ど……賑やかな神官を呼んだ!?」
「いいえ。俺は呼んでません」
ギルバートはだいぶ言葉を選んで言ったわね。面倒だなんて、神官たちの前で侮辱になりそうな言葉を避けて言い直したわ。
アルフレッドとグレアムは本当に無関係だったみたい。彼も不思議そうにグレアムの奇行を見ているから。
「やはり異臭の発生地点はここだったか。お前たちの誰一人、気がついていなかったのか?」
グレアムは神官たちを睨みつけ、砕いた床から黒いものを引きずり出した。
体の大きさは膝丈ほど。人間のように目や口がついているけれど、直感で私たちとは異なる生き物だと感じたわ。だって赤い目は縦についているし、口には尖った歯が並んでいるのよ。猫のようにしなやかな体と尻尾には可愛らしさがあるけれど、不気味さを払拭できるほどではないわ。
「まったく……神殿に悪魔の侵入を許すなど、聞いて呆れる。お前たち全員、修行のやり直しだ」
言われた神官たちの顔が青ざめた。口々に言い訳らしきことを言っているけれど、グレアムが撤回する様子はないわ。私には個性的な除霊と悪魔祓いをする神官という第一印象だったけれど、神殿内での地位は高かったのね。
「やかましい」
グレアムは捕まえたばかりの悪魔を銀色の袋へ乱暴に詰めた。以前と同じく袋の中で暴れていたけれど、床に叩きつけられて大人しくなったわ。
次にグレアムは空いているイスを壇上の神官へ向かって投げた。イスが神官の机に当たると、なぜか机から短い叫び声がする。
「やはりこちらが本体か」
素早く走りだしたグレアムは握りしめた銀色の袋で机に襲いかかった。ところがグレアムが到着するよりも早く、机が黒く変色して粘着質のものが飛び出す。それは私が座っていたイスの近くに落ち、鹿に似た姿へ変化していく。
ツノが木の枝のよう。目は一つしかないわ。口から黒い炎を吐き出して、威嚇しているみたい。
「なんだこいつ……おい、神殿はなぜこれを見逃していた?」
ギルバートが叫んだけれど、誰も答えられない。
「殿下。危険です。下がってください」
付き人か護衛らしい人がギルバートを後ろへ連れて行こうとした。でも黒い鹿は人が多いところへ向かって跳ぶ。ギルバートたちは自分が標的にされると感じたらしく、口々に悲鳴をあげて逃げ惑う。
黒い鹿を追ってグレアムも室内を走り回る。他の神官たちは我に帰ったように結界を展開させて、ようやく一般人が避難できる場所を作った。
壁際に避難していた私とアルフレッドは、薄青い結界に守られて騒動を眺めていたわ。もちろん私は結界なんて使えない。消去法でアルフレッドしかいないわね。どうして魔法が使えるって教えてくれなかったの?
「アルフレッド! 貴様、自分だけずるいぞ!」
結界に避難したギルバートが叫ぶ。さんざん走り回って髪が乱れているわ。いち早く安全圏に逃げた弟に対し、憎しみがこもった目を向けた。
「申し訳ありませんが、この結界は二人用なんです」
ええ、狭いわ。アルフレッドに抱き寄せられて、ようやく入れるぐらいの広さよ。
「誰も彼女を保護しないだろうと判断しました。この場にいる人は皆、彼女を疑っていますから」
「この混乱に乗じて始末すると言いたいのか」
「そう聞こえたなら謝罪します。でも誰もが自分のことで頭がいっぱいだったでしょう?」
ものすごく冷めた声でアルフレッドが言う。こんな声も出せるのね。
兄弟が言葉の応酬をしている間に、グレアムが黒い鹿を部屋の隅に追い詰めた。彼の拳が光を放ち、黒い鹿の胴体へ吸い込まれるように重い一撃を放つ。黒い鹿は空気が潰れるような声をあげ、ふわりと床に倒れた。
意外と軽いのね。実物の鹿じゃないから、重さも違うのかしら。
「終わった……?」
誰かがつぶやく。
「いや、まだだ」
グレアムは黒い鹿を両肩に担ぎ、一人の神官の前に立った。確か、グレアムが乱入してくるまでギルバートの隣に座っていた人よ。
「な、何かご用で――!?」
黒い鹿を担いだまま、グレアムは神官の腹を拳で殴った。体を折り曲げるようにして床に膝をついた神官の口から、黒い小さな石が落ちる。グレアムはそれを拾い上げた。
「よし。これで終わりだ。邪魔したな。あとは任せたぞ」
満足そうにグレアムが去っていく。後に残ったのは荒れた室内に、怯えた一般人。それと殴られて倒れた神官。説明もなしに丸投げしていい状態じゃないと思うの。
「え……? これをどうしろと?」
任された神官たちは顔を見合わせた。
気持ちは分かるわ。傍観していた私だって、何を見せられたのか理解できなかったから。
***
某月某日
悪魔祓いに行ってくると礼拝の最中に脱走した師匠が、生き生きとした顔で戻ってきた。今回捕まえたのは、神殿の中に侵入できるほど力が強い悪魔らしい。どうりで。
師匠はいつものように、特別室と名付けられた対悪魔用の密室で、魔界へ送り返す儀式を始めた。襲ってくる悪魔を聖なる鉄拳で説得し、時に拳で語り合い、神の言葉を教え、そして力を削いだのちに魔界へ捨て――送り返す。はっきり言って師匠以外はできない方法だ。
あんなのが何人もいてたまるか。
以前、どうして人間から悪魔を隔離するときに物理攻撃をするのか聞いたことがある。
師匠は「悪魔に取り憑かれた被害者は急速に弱ってしてしまう。苦痛を短くするには、悪魔を一分一秒でも早く被害者から離さないといけない。最も速く、効果的だったのが聖なる力を纏わせた拳で体から叩き出すことだったのだ」
悪魔は即座に殺す。
そう語る師匠のほうが悪魔ぽいなんて言えない。別の部署へ行きたい。地方の神殿に派遣されて暇だとぼやく同僚がうらやましいよ。
――とある神官の日記より抜粋




