第11話 モブ執事は報告する
ダリアの錬金工房を後にして、アロガンシアの屋敷に着いたのはハウンドロッドの使用人たちが早朝の準備に忙しなくしている頃であった。
「……戻ったか」
「ただいま──」
その中でも特に鉄火場……一番の忙しさを誇る料理場にて、俺は執事長である父ラーゼンに屋敷へと戻ってきたことを報告していた。
凡そ、まるまる二日ぶりの再会であるが、事前にお嬢様がらみの仕事で屋敷を外すことは伝えていたので、別に彼から「今までどこで何をしていた!?」とお小言を貰うことはない。
「その様子だと、今回も恙なく問題は解決できたようだな」
「恙なく……かどうかは分かんないけど、なんとかね。これから朝一でお嬢様に報告をしに行くよ」
「それがいい。アリサお嬢様もお前が早く帰ってこないか、気にしていたご様子だったからな」
「それは俺というより、ペンの方だろ?」
「さあな」
要領を得ないラーゼンの言葉に、首を傾げながらも俺は足早に料理場を後にする。
朝昼夜、飯時前の料理場は正に戦場のような熱気に包まれ、忙しそうだ。そこにいつまでも突っ立っているのは邪魔でしかない。去り際、焼けたばかりのパンやぐつぐつと煮立ったスープが鼻腔を通り抜ける。……うん、今日も我が屋敷の料理長クッカーの料理は実に美味しそうである。
「あ、セナくんお帰り!」
「あぁ、リーヴェル姉さん。ただいま」
そういえば昨日の昼から碌なモノを食べてなかったなぁと今更ながらに空腹を思い出していると、ちょうど入れ替わるようにして料理場の出入り口でリーヴェル姉さんと鉢合わせる。
彼女は野菜のこんもりと入った籠を抱えながら、どこか慌てている様子だ。今日は料理場の担当らしい。
「そ、その……」
「ん?」
ぼんやりと目の前の姉が抱えている籠を見事にひっくり返すドジを空想していると、件の彼女がおずおずと申し訳なさそうに謝ってくる。
「わ、私の所為でセナくんに迷惑かけてごめん……ね? 二日も屋敷から離れて──大変だったよね……」
気にしいな彼女のことだ。罪悪感とか、面倒ごとを押し付けてしまったことに対して変な負い目を感じているのだろう。だが、俺としては全くそんなの気にすることではなかった。
「別に気にすることはないよ。適材適所。俺だっていつも姉さんに助けられてるしね」
「セナくん……!!」
「んじゃ俺、アリサお嬢様のとこまで報告行ってくるよ。姉さんも包丁とかで指を切らないようにね?」
「う、うん! 気を付けるね!!」
先ほどまでのしょぼんとした雰囲気から一転、リーヴェル姉さんはふんすとやる気を漲らせる。
発破をかけてしまったことで、逆に空回りしてしまわないか不安になりながらも、彼女が厨房に入っていくのを見届け、今度こそ俺はお嬢様の部屋へと向かうのだった。
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一階の調理場からお嬢様の部屋がある二階まではそれほど距離はない。
屋敷の中でも一番日当たりの良い位置にあるのが彼女の部屋である。その扉の前では独りの老婆が、部屋に近づく俺の存在に気が付いた。
「……おや、どうしたんだいセナ?」
「おはよう、リリ婆。お嬢様にお目通り願いたいんだけど……いま、大丈夫?」
殆どのメイドが着用を義務付けられるエプロンドレスではなく、執事服を改良した特別な制服をピシッと着込んだ長身の老婆の名はリリベルと言い、続柄的にはラーゼンの母、そして俺にとって祖母にあたる。
そんな、アロガンシア家に長く仕える古株の彼女が部屋の前にいると言うことは、今日のお嬢様の当番であるらしい。
「これの件で……ね」
「なるほど」
不思議そうにこちらを呼び止めたリリ婆は、俺が懐から取り出した一本のガラスペンを見て全て察する。
流石はアロガンシア家の古株である彼女は、俺がわざわざ全てを語らずとも素早く答えに勝手に辿り着いてくれて助かる。次いで彼女は困ったように笑みを作って言った。
「そのペンが真っ二つに折れたと聞かされた時は、お嬢様をどう諫めたものかと困ったもんだけれど……よくまあ完璧に元通りに直したね?」
「駄目もとで職人区画の錬金術師に直せないか聞いてみたらいけた。本当に運がよかったよ……」
リリ婆のどこか好奇心を孕んだ視線に俺は肩を竦めて答える。
流石に、あの〈黒輝の錬金術師〉に「再生の錬金」をお願いしたと正直に話せば、色々と面倒なので詳細は濁す。普段からお嬢様の無理難題をあの手この手で攻略してきたことによる信用か、依然として彼女の興味は尽きないようだが、かと言って深くツッコまれることもなく納得してくれた。
「いい職人を引き当てたね。お嬢様も随分と心配されておられた。当主様方から送られた大事な品だったからね……」
「リーヴェル姉さんを殺すって言ったときは本気で肝が冷えたけどな……」
「あっはっはっ! それは本当に大変だったねぇ」
「笑い事じゃないよ……」
カラカラと他人事のように笑うリリ婆に俺はゲンナリとする。
仮にも大事な孫娘が殺されるかもしれなかったのだぞ? とは思いながらも、リリ婆のことである。いざと言うときは何か策があったのだろう。それぐらいの秘策を彼女は無数に用意している。俺も、どれほどその秘策に助けられたことか……。
「すまないすまない。まぁなんだ──よく頑張ったね」
「身内の打ち首なんて見たくないしな……」
「そりゃそうだ。それで、お目通りだったね。問題ないよ。早く報告してあげなさい」
「ああ」
どこか愉しそうに、リリ婆は部屋の扉を目で追い促してくる。
俺は一つ深呼吸をしてから部屋の扉をノックした。
「朝早くに失礼いたします、お嬢様。セスナでございます。先日のお願いの件で、ご報告があり馳せ参じたのですが……お時間よろしいでしょうか?」
「入りなさい!」
即座に中の主から大きな声で入室の許可が下りて、俺は丁寧な所作で部屋の扉を開けて中へと入る。
そしていつも通り俺は開口一番に、主に対して綺麗にお辞儀をして挨拶をした。
「おはようございます、お嬢様。本日も大変に──」
「挨拶はいいわ。それで、ペンはちゃんと直ったんでしょうね?」
着付けを終え、不機嫌そうに窓の外を眺めていた少女──アリサ・アロガンシアはこちらの挨拶をガン無視して、単刀直入に尋ねてきた。
それに、思わず顔が強張るのを我慢し、平静を保ちながら件のペンを主に手渡した。
「……はい。こちらに」
「ッ──!!」
入って早々、遅かっただの、時間をかけすぎだのと罵詈雑言を投げつけられるかと身構えてみれば意外や意外。お嬢様は本当に安堵したように、今まで強張らせていた表情を一気に緩ませて大事そうに、しかして柔絹に触れるようにペンを握りしめる。
その予想外の反応に俺は呆気にとられながらも、すぐに取り繕うように言葉を紡ぐ。
「一応、職人の厚意で以前よりも上位の防御魔術が付与されています。なので、今度はそう簡単に折れたり割れることはないかと……」
「そう──ごくろうだったわね、駄……セスナ」
「……滅相もございません──」
一瞬、いつもの「駄犬」呼びではなく、ちゃんと名前を呼ばれたことに驚くが何とか取り繕って見せる。
──俺も、大概安直な人間だな……。
どんな無理難題、理不尽を投げつけられようとも、この主の満足した瞬間──殊更、無邪気で天使のように笑みをほころばせる彼女から感謝されるというのは、使用人冥利に尽きるというか……自分は根っからの使用人の人間なのだなぁと実感する。
「本当に、よかった……」
今にも消え入りそうな声で微笑む主の姿を見るのは、こうして彼女の我儘を何とか攻略した俺にのみ与えられたご褒美、特権と言えよう。
その代わりに支払った代償はそこそこしたのだが……まぁ、一つ重たい肩の荷が下りたと思えば許容できる範囲内ではあった。これで、彼女の我儘が少しでも減れば更に素晴らしいのだが、そんな世の中、単純なモノでもない。