⑤デバッカー
「これはアレだよ、最近増えてるバグの一つ。」
「バグか...」
「錺もやれば良いのに」
凜は錺にコントローラーを渡そうとする
「俺はやらないの」
「なんで?」
「ポリシー。」
錺は凜の頭をグリグリ撫でながら言う。
「きもい触るなっ!なんだよポリシーって下らない。錺はもっと他に大切なもの見つけた方が良いよ。自分やりたいことだとか、夢だとかさ。」
錺は「はいはい、そうだな」と何食わぬ顔で受け流す。凜は怪訝そうな顔でコントローラーを机に置いて、そのまま「萎えたわ」と言って自室に戻っていく。「消してけよ」と背後で聞こえる錺の声は無視して、2階の部屋の扉がバタンと閉められる音がした。
◇◇◇
一週間後の昼。良く晴れ燦々と輝く日差しが高校の中庭に染み込んだ水分を蒸発させ、湿っぽい臭いと湿気に包まれながらもウェイウェイと遊ぶ男女を横目に、錺たちは文芸部へ体験入部に赴いた山田正義を交え昼飯を取っていた。もう二人の狸寝入りは良く結託したようで、クラスの右端で小村を作り昼を共にしていた。
(あれもいずれ、我が城へ取り込もう...)
錺は角が立たないように日を置いて仲間を増やす算段を妄想する。ただそれよりも、今は新規の山田と探り会いをして有効を深めるのが先だと踏んでいた。そう、別にいざ会話を割って入る勇気は無いとか、きっとそういうことではない。
「違うっての!!」
山田は小ボケを繰り出した錺の頭を平手で叩く。
(痛ってぇ、馴れ馴れしいなコイツ。)
錺は中々の威力に薄ら笑いを浮かべる。その時、錺は内心で友達が少ない人間に対して分析とカテゴライズをしていた。
(主に4つだ。声が通らない奴、空気が読めない奴、面白くない奴、コミュニティを持たない奴。そこに内気だとか顔が良い悪いとかはあまり関係なく、何れか一つでも当てはまればボッチルート突入への危機。ちなみに分析は男だけに尽きる。偏見で言えば女子は{空気が読めない奴}に対する当たりや比重が大変にヘビィィ.....)
錺のグルグル回転する脳にストッパーを挟むように、携帯の着信音が鳴る。
「アタシですが。」
「100%無理だと思います。」
錺は陽菜の話を待たない内に回答をよこす。
「なんでそんなこと言うんだよ」
その要件は錺の読み通りだったらしく、陽菜は怒り気味に返す。「ちょっと」と席を外し、錺は廊下へ出て人の少ない南側階段まで歩いていった。
「まず一つに時間がない。」
錺は左手を肘と腹部で挟みながら手すりにもたれ掛かり、頭の中を整理しながら昨晩巡らせた思案を浮かべる。
「俺も色々調べたけど本大会の前に予選が有るよな。それがまず8月の15日だっけか?夏休み前ギリギリに創設できたとして練習の期間が短すぎる。特に連携が勝敗を左右する競技性の高い5人用FPS。運動部で例えれば冷やかしのレベルで大会に挑むことになる。」
陽菜は「そうだけど」と半ば悔しそうな声を漏らす。
「そしてもう一つ、金がない。」
陽菜は徐に口を閉ざす。
「うちの学校はfpsをスムーズにやれるだけの設備や機材は持ち合わせて無いだろうし、それを揃える金も出さない。それと――」
錺は少々云い淀み、ゆっくりと階段の折り返しまで登って行く。
「お前には金が無い。」
閉鎖された屋上の薄暗いスペース。太陽はカーテンに遮断され、埃と壊れた机や椅子らが無造作に並べられたその上に陽菜は座っている、階下の錺を見下ろしながら。
「高校から強制される新入生の入部と、高校から禁止されている在学中のバイト。その勤務先はモデルとか演者では無くコンビニ。お前は正規のルートでしっかり許可取ってるって言ってたよな。それってつまり許可が降りるほどの生活苦ってことだ。」
錺は陽菜の目付きが著しく攻撃的になる様を見て、軽い達成感に自惚れて酔いしれる。けれど陽菜は噛み殺すように笑顔を取り繕って、目線を合わせながら電話越しの錺に問う。
「でも錺はゲーム得意なんでしょ?必要な機材の算段だって無い訳じゃないんだよ私にゃ。だからさ...」
「全く逆だ。俺は非生産的なことは大っ嫌いなんだよ。」
「でも、錺となら上手くいくって――」
「誰から聞いたか知らないけど、そいつ相当性格悪いね。校内で俺ほどゲームが嫌いな人間はいない。特にFPS。」
錺は徐々に敵意を見せながら語気を荒くする。
「あと、お前みたいに大事なモンほったらかして中途半端に遊んでるやつも大嫌いだ。極めつけは家族を蔑ろにする奴。この高校は公立校。大方親が薄給で姉弟多いからバイトして、でも遊びたいから楽な部活を作ろうって腹だろ。そういう時期だよな。そうじゃないならあまりにも計画は杜撰で、圧倒的に無謀だもんな?」
陽菜は俯きながら階段を降りていく。互いの通話はもう切れていた。
「ごめん。今日は...もういいや。でも、また聞くから」
陽菜は錺と重なるその通り際に、自身にも言い聞かせるように「諦めないから」と、吐き捨てる。
錺は呆れたように言い返す。
「頑固だよな、そういうところから身を滅ぼす。」
去り行く陽菜に追い討ちをかけるように、錺は陽菜の背中を言葉で刺す。
「髪染める金は有るんだな。」
その日の陽菜の髪は先日と打って変わって真っ黒の毛並みをしていた。陽菜はその言葉にビクっと体を震わせ立ち止まる。しかし陽菜は振り返ることもせず淡々と教室へ戻っていった。
錺は少しボンヤリと惚けて、窓越しの中庭を眺める。
「完璧なジャブ、正しさの勝利。」
◇◇◇
教室へ戻ろうとする錺をトイレから出てきた山田が制止する。
「錺、C組の美人が髪染めてた。どうしたんだろうな。今期の覇権ヒロインに影響されたのか?」
「覇権ヒロインって.....。さぁな、イメチェンでもしたんじゃないの?お前のメガネあげたらあの声量バカも少しは賢くなりそうだ。」
「茶化すなよ、泣いてたんだぞ。あんな能天気キャラが黒い髪ぐちゃぐちゃにして。なあ、何があったんだろうな。」
錺は頭に侵入する黒い感情を思考ごとカラッポにして、また惚けたように虚空を見つめながら答える。
「さぁな、失恋でもしたんだろ。可哀想に――」
「あんな美少女フレる奴なんて校内にいないっての。どうでも良いけど、女の子泣かすやつなんて許せないよな?」
山田は錺に真剣な面持ちで問いかける。
「あぁ、全くだよ。ありえねぇな良心のカケラも無――」
「お前のことだよ、錺。」
山田は曇ったレンズ越しに錺を睨み付ける。錺はそれに薄ら笑いを浮かべる。
「ははー、見てらしたんですね。野暮だなぁ」
「ちゃんと僕にも説明しろよ、野暮なのはそっちだぞ。お前みたいな奴があんな娘と付き合えるわけないんだからよぉ!」
山田は錺の逸らした瞳をグッと見つめる。
「いやメンドクサイことになってさ。俺も間違えてはないと思うんだけど。」
「複雑なのか?」
「それなりに。」
「じゃあ聞くよ、友達だろ。」
錺はさも当たり前のように神妙な面持ちをする山田を不思議に思う。それは彼自信が根っからの名前通りの正義マンだからなのか、去っていった鈴木陽菜の顔が其れほどまでに見るに耐えないものだったからなのか。雨上がりの快晴の陽が陰る廊下の隅っこで錺は若干の憂鬱を覚えた。