⑥WATE FOR US , CHRONICLE .
Rerated:とある少女の孤独を描いたストイックな曲です。
https://youtu.be/gT7r3Ic5nII
「Focus mirai」
「だから、謝ってこいって。」
錺と山田は場所を変え、先刻の屋上に続く階段で会議をしていた。
「いやだからな?俺は現実を教えてあげただけであって、アイツが頑固だから其れに合わせた言葉をだね?」
「言いたいことは分かるけどさ。」
山田は元来中々の聞き上手で、錺はテンポよく説明をする。自分の非とそれに至る理由を錺が打ち明けてしまう程に、旧友の仲と形容しても差し支えないほどの軽快な口振りで二人の会話は進んでいく。
「でもそれは錺の私情だろ。言われた方はそりゃ傷付くって、だからその部活がどうであれ謝らなくちゃ可哀想だろ。」
「だから――」
「わかった錺。じゃあ謝らないにせよもう一度自分の口で説明すべきだよ。錺の話を聞く限りなら、鈴木さんが無謀なことをしてるって客観的にも思うし。それに巻き込まれたくない錺の気持ちも分かる。でも事実、彼女は錺を頼ったし好意を持って誘ってくれたんだろ?なら一層、ケジメをつけるべきだ。」
山田正義は空気の読めない奴ではあった。錺は考える。
(それでもコイツは、物事の良し悪しについて明確な考えを持つ芯の通ってる人間だ。ただプライドもそれなりに高くて心情は時々複雑そうに見える。ただ自分の相容れないものには憶さずNOを突きつける。それゆえに他者と噛み合わない複雑さの悩み。良く、)
良く「人間」している。人に流されず単純さに逃げず、自分の問題に対しても他人の問題に対しても真摯に悩める、良く悩み良く生きている人間臭い人間。錺はそういう類いの人間が嫌いになれないタイプであった。
「錺、僕はまだ文芸部には入ってなかったよな。今は茶道部でさ。金曜日だけ部活が有るんだけど、まぁ万に一つも無いと思うけど。もしそのゲーム部?参加部門は「クロニクル」だろ。もしやるんだったら僕は錺とゲームしたいと思うよ。」
「いや、それは無いかな。」
「そっか」
山田は静かに立ち上がる。
「じゃあケジメ、付けてこいよ。僕は美術選択だから先行くわ」
そういって彼は足早に立ち去った。刻々と定刻のチャイムは近付いている。錺はしばらく一人でうつ向いたまま、より人気の無い、煩雑に並べられた机や椅子が埃を被る鈴木陽菜のいた場所へ登って行く。
「なんで俺だったんだ。」
当初から沸き起こっていたその疑問に錺は頭を悩ませる。そして、あるいは(誰が、俺へと仕向けたのか。)という疑問。机の上には埃を除けた陽菜の手形痕があった。思った以上に小さいソレと自信の手を比べるように被せて乗せる。机の奥には何やらチラシのようなものが山積みにされていた。逆手のもう一つは握られた様な痕跡。隣にある臀部とスカートの痕。その斜め後方には何やら文字が書かれていた。それは雑な英字が流動する迫真の筆記体で書かれた、意思の文字列。それに錺は心を締め付けられる。
{ WAIT FOR US, CHRONICLE!!}
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錺は重ねたその左手から引きずるように机をなぞり、滅茶苦茶に痕を消し去った。
夏の天気の気紛れに、錺は窓から手を出して、汚れたそれらを洗い流した。
遥か遠くの曇天が雷鳴を轟かしながら校舎に迫る。
週末の東京には、巨大でノロマな台風が迫っていた。
◇◇◇
6限の終わりを告げるチャイムが後20分で鳴ろうかという時だった。ピンポンパンポンと全校教室へ向けたチャイムが授業の有無を問わず全ての担任教論を招集した。約10分の自習を経て錺の選択科目であった書写の教員が黒板をさっと消し始める。無言の教員と勢いのます雨音に教室内は不穏な空気が立ち込める。しばらくするとまた、ピンポンパンポンと言うスピーカーから東海林教頭がアナウンスを告げた。
{えぇー全校生徒。台風が思った以上にでかいみたい。電車が止まる恐れが出てきたのでぇ、下校時刻繰り上げっ。帰宅準備をすること。尚、生徒会役員は生徒会室に集合で。繰り返します―――}
『『『 いぇええええええええい!!! 』』』
アナウンスが終わるのを待たずに四方の教室から歓声があがる。東京は強風域にはまだ入らないという状態ではあったが、遅延や運行休止、混雑を予想した柔軟な対応であった。
「――っという訳で、今回は主に公共交通機関を利用した生徒への配慮だから。君たち役員の中で家が近いものは学内に残り、生徒がいないかの確認をしてから下校してもらいます。君たちと残りの先生たち数名の特別最終下校時刻は17:30。俺も家遠い組だから帰るけど、報告用の先生は最後まで残るから、理不尽だけど頑張って!バイバイ。」
◇◇◇
東京に降り立った嵐と、嵐の様な女とのケジメ。錺は何としてでも口頭で可能な限り早く、陽菜とのケジメを着けたかった。それは何よりも錺自信の為で有り、かつ部活動が未創設のままに夏休みまで二週間を切り、誰よりも時間を惜しんでいるはずの陽菜の為であった。
ホームルームの終わった教室でスマホを取り出す錺に山田が近寄っていく。
「悪い山田、今日は一緒に帰れない。」
山田は「もちろん」と笑い、教室を去っていった。
他のクラスメイトも次々に昇降口へ向かう中、錺は人混みを掻き分け逆流するようにC組へと向かう。そこに陽菜の姿は無かった。ただ一つ、「帰った?」と打ち込んだ錺のメッセージには、陽菜が「まだ、」と返信をしていた。
「いまどこ?話したいことがある。」
そう打ち込んだ錺のメッセージには既読だけが付いた。
錺は昇降口から靴を履き正門の前まで走っていく。自転車通学の錺はカッパを羽織り濡れた前髪を指で退けながら陽菜を探す。防水のスマートフォンを右手に、左手は濡れきった顔面を拭いながら立ち尽くして20分も30分も経った。それでも陽菜の姿は一向に見えない。
錺は痺れを切らし、今度はまた昇降口へ走り戻る。焦燥の中、錺は雨の中を走りながらカッパを脱いで全身に雨粒を浴びる。電話はかけ続けている。下校時刻と嵐と陽菜と、錺の中ではその全てを引っくるめた何か抽象的な不安とその焦燥が次第に募っていった。
錺は急いで上履きへ履き替える。一般生徒の下校時刻はとうに過ぎ去っていた。辺りは段々闇に溶けていく、錺の目的地は南階段屋上前。切らした息から鉄の味がする。錺は四階までの階段を一気にかけあがり、南階段までの長い廊下を一呼吸もせずに走りきる。途中で西向きの窓を持つ教室から見えた正門からは、ぞろぞろと帰路に付く教員たちが見えた。
錺は必死な願いを込めて屋上前に飛び出す。
「陽菜!」
そこには誰もいない。
最後のアテだった。そこを外した錺は半ば諦めながらスマホの明かりを照らし周囲を見渡す。昼間にはあったチラシが机の上から消えていた。錺は埃まみれの机を眺める。昼間とは埃の痕が僅かに違っていた。そして錺が触れていない机の上には新しくうっすらと筆記体で{WATE FOR HINA,CHRO}と書かれていた。
錺は確かに陽菜が居たことを確信する。何のためにか、誰のためにか、自分か、陽菜か、そんなことに意味が有るのか。錺の頭は目まぐるしく回る思考と、それを放棄してただ陽菜を見つける為だけの理性を度外視した何かが交錯しながらその身体を動かしていた。やがて錺は3階を走りながら北階段の屋上へ通づる扉の一つだけが施錠の外れたものだったことに気付く。
果てしない悪寒と吹き出すように湧いた冷や汗が錺を包みこむ。咄嗟に錺は中庭方向の窓を開き空を見上げた。人影はなく。雨音以外にはなにも聞こえなかった。多少の安堵とまだ拭えない不安の中で錺は視線を落とす。
錺は刹那驚きに震えた。
体育館と校舎とを繋ぐ渡り廊下から数歩先の中庭の銀杏の下にいつのまにか人が立っていたのである。
長く黒い髪の毛を結ぶものは何もなく、その髪はただ雨にうたれて垂れ下がっていた。錺は急いで外廊下へ向かう。最後の階段は八段ほど飛ばして前転の内に衝撃を流し、濡れた廊下の水滴を湿ったワイシャツが吸い上げる。それから息もつかぬ間に外廊下へ飛び出し陽菜と目を合わせる。
「おい...!」
錺は呼吸を整えながら陽菜に話す。
「そこにいたら、濡れるぞ。」
「もう濡れてる。」
(確かに...)
錺は中庭に飛び出て雨に当たる。
「その説明というか.....」
錺は脈を抑えるように息をキレ良く吐いて顔をあげる。しかし錺が喋る前に陽菜が口を開く。
「何、告白?」
陽菜の顔は悲しそうに笑っていた。
「それともアタシの優雅なサクセスストーリーのお手伝いでもする気になったのかな?」
陽菜は錺の心配が馬鹿馬鹿しくなるほどに陽気な口振りだった。
「そうと決まれば練習しなくちゃね、明日からみっちり練習して一ヶ月後には優勝して年末に向けてまた練習をして――」
「お前は――」
「ていうかまずは人集めなきゃね、最低あと三人。チーム名も決めて、連携の練習して、ステージを思いっきり飛び回って、沢山笑ってさ、時には泣いてさ、いっぱいいっぱい練習して、いっぱい...」
「お前は、まだそんなこと言ってんのかよ!!」
錺の怒号が雨を割くように響いた。校舎をの壁を反響して、誰もいないピロティをバウンドして、陽菜の鼓膜を震わせて、
「お前家族大変なんじゃねぇの!?金ねぇから毎日遅くまでバイトして、食わせていかなきゃいけねぇ人がいるんじゃねぇの!!図星だから逃げたんじゃねぇのかよ!!図星だから泣いてたんじゃねぇのかよ!!」
陽菜は雨の中で震えていた。陽菜には確かに沢山の家族がいた。弟と双子の妹、上には一人姉が、病床に臥している母親と高齢の祖父母、父親は死んでいた。それは正に、
「どうしてそんなこと......」
陽菜にとっては図星のことを
「どうしてそんなこと、錺が知ってんだよ!!」
錺は言い当てたのである。
「そうだよ...お金が無いんだよ」
陽菜は堪えていた涙を雨に流しながら言う。
「お金が無いんだよ!それでもお姉ちゃんが!好きなことやりなさいって言ってくれたの!!」
その身を震わせながらも懸命に立ち向かうように話す。
「受験もバイトしながら塾に行かずに頑張って!この高校に入ってさ!それでも沢山バイトして!就職するから待っててねってさ、言ったんだよ!」
陽菜の顔はグシャグシャだった。
「そしたらさあ、、、お姉ちゃん、陽菜のやりたいことは陽菜が決められるんだよって、お化粧もオシャレも好きなことも!陽菜が決めて良いって言ってくれたの!!」
真っ赤に火照った陽菜の顔を冷まし続けるように、風が雨を叩きつけるようにして降っている。
「それは違う。」
そして錺は冷酷にも”錺”のスタンスを崩さない。錺には錺のポリシーがあるから。
「お前のやりたいことを決めるのはお前じゃない。お前のやりたいことを決めるのはお前の環境でしかない。それが現実で。人が決められものはその中の妥協の産物でしかない。お前の姉が!一人でなんとかできると思ってんなら!お前はいま、そこで泣いてないだろ!!」
錺は勢いを殺さない、それが彼の優しさであるから。
「いいか?俺はお前の話をしてたんじゃない、俺は俺の話をしてたんだ!父親が死んで母親が病弱で妹一人守れなかった憐れな昔の俺の話を!!」
錺には兄弟がいなかった。しかし父親が再婚した母親には娘がいた。
「家族を蔑ろにする奴は大嫌いだ。お前は俺だよ!!いや俺よりももっと酷い...そのくせ夢だとかやりたいことだとかこの期に及んで宣ってやがるどうしようもないバカなんだよ!!」
そして錺は父親が死に母親が二度目の再婚をするまでの間、極貧生活を送っていた。とりわけ錺は死んだ父親の、その職業が気にくわなかったのである。
「なにが250万だ、普通に働いて普通に生きていればやがて一年も経たずに手に入る。そんな金の為に家計苦しめて不安定な職業騙って、俺はな!”プロゲーマー”が大嫌いなんだよ!あんなのは仕事じゃない!アイツらに家族を作る資格は無い!!幸せになる資格なんて無い!!」
内心では悟っていた。優勝賞金250万円の先で陽菜が描いている彼女の人生、彼女の夢、彼女の希望。内心のほんの片隅で錺はそれに気づいていて、もとより彼は嫌悪感と共にそれを否定するつもりだった。
「......姉ちゃん。苦しませたくないんだろ?」
「分かってるよ!」
陽菜は、心も既にぐちゃぐちゃになっていた。錺の境遇に、その至極全うな意見に。けれども陽菜には確かに一つ吐き出しきれてない蟠りがあった。
「お金無いよぉ」
陽菜は銀杏にもたれ掛かりながら泣きじゃくる。
「お姉ちゃんが好きだよぉ、弟も妹もお母さんもお婆ちゃんもみんな好きだよぉ、わがまま言いたくないよぉ、迷惑かけたくないよぉ!幸せになってほしいよぉ!...それでも――」
陽菜は声をあげて全身で錺に伝える。
「それでも...大切なものが心にあるんだよ!」
陽菜は胸に手を力無く当てて、酷い顔で錺を見つめる。理解されないと分かっていても。
「中途半端じゃないの、ちゃんと調べて、私には無理だなって、でもさぁ、見てみたい景色があるの、夢みたいな景色が、私にはあるの、あるはずだったの、あったんだよ......」
陽菜は手に持っていたびしょ濡れの紙を見せる。
「それでさぁ、こんなものまで作ってさぁ」
【――WATE FOR YOU , CHRONICLE!!】
{部員募集!アットホームな部活になるよ!}
それはいつも昼間にバカ騒ぎをしている陽菜を連想させるような、人を惹き付けるような明るいカラーのチラシだった。
「バカみたいだよねぇ」
陽菜は大雨の中庭でそのチラシをばら蒔いた、何度も何度も良く散らばるように思いっきり投げた。
「でっ、でも、でも。錺のお陰で目が覚めた......」
陽菜の頑固さも諦めの悪さもその捨て台詞が良く表していた。悔しそうに言葉も唇も噛み締めながら。
「錺の言う通りだよ、お金も無い、時間も無い、そんな環境も、気力だってもう無いよ、それなのに、それでも――」
陽菜は降りしきる雨の中、俯きながら拳を強く握り、やがて力が抜ける様に肩を落とした。
「そうだよね......うん......ごめんね。そうだった、ここまで...ありがとうね...」
最後まで震えた声で言うのであった。
「じゃあ私さあ!! バ、バイトがある...始まっちゃうから!!行かなきゃね!」
陽菜は泣きながら駆けていく。涙で前を見えなくさせ、内廊下への扉に肩をぶつけながら。
錺はそれを目で追わない、ただ上を見上げて顔を洗う。濡れきったワイシャツで鼻水を拭いて、そのまま首を下げて、陽菜が作ったチラシの一枚に近づく。
{FPSクロニクルのメンバーを募集しています!遊ぶつもりはありません!}
{E SPORTSとは、コンピューターゲームをスポーツとして捉えた名称です。}
{私はゲームが好きなのですが、E SPORTSには魅力が詰まっていて、私にとっては憧れのカッコイイ舞台なのです!私は時々そんな舞台に自分が立っている姿を想像してしまいます。夢のような景色です。そんな舞台に...――}
錺は読むのを止めた。もうなにも読めなかった。自分の涙を拭い、あたり一面に広がって濡れたバカみたいに量の多いカラーコピーに薄ら笑いを浮かべ、茫然と、時折蹲りただ泣くしかなかった。
(大切なものがここにある……。――大切なものがここにある......。――大切なものが。俺は、いや、それは誰にも、誰でもない。誰も持っていない。そんなものは...、彼女から"それ"を奪う権利など、誰も持ち合わせて良い筈がない.....)
錺は蹲る。中庭のレンガ状の床に額を付けて、雨の滴が跳ねるその高さで、陽菜の濡れて破れたチラシを抱いて、ただ泣いていた。陽菜の悲痛なその言葉を反芻させて。
「帰れ」
体育館の入り口から出てきた男が、欄干に寄りかかりながら言う。
「難儀だな、時間切れだ。もう一般生徒の下校時刻は過ぎた。誰のかは知らないがそのゴミはお前に始末してもらうぞ。」
降りしきる雨に、吹き付ける風に、虐められるかのように蹲る錺はチラシを守る様に背中を丸めた。
「ゴミじゃない……!!」
錺は見ず知らずの、学年も分からない生徒へ怒鳴り付ける。しかし男は狼狽えることも無く、凍える程に冷静な声色で、錺を見下ろしながら淡々と言った。
「お前の意見など聞いていない。お前がそのゴミにどのような価値を見いだそうと、お前がそのゴミにどれ程の思い入れがあろうと。いま変わらぬ事実は、そこに落ちていればやがてゴミになるという事のみ。」
その男は自身の腕章を外し雨の降りしきる中庭の、蹲る錺の顔の側へ投げ付けた。
「5:30までだ。俺は帰る。校門を出るまでそれを外すな。」
錺はやけに偉そうなその男を見上げる。
「そしてちゃんと、色を付けて返せ。1年A組、志田錺。」
――錺は降りしきる雨の中、目線の先に投げつけられたその腕章をグッと掴んだ。
「土曜授業は無いぞ月曜の昼にだ。きっちりとな。」
男は背を向けて立ち去った。
◇◇◇
~3日後~
明るくなりきった天井を仰ぎ、鈴木陽菜は久しぶりに誰もいない部屋で伸びをする。二日前の風邪はとっくに治っていたが、小部屋に隔離された陽菜は何気なく学校をサボろうとしていた。
(よく寝たな...)
昨晩早めに寝床へ着いた為に陽菜はバッチリ目が覚めて、眠気の「ね」の字も無い状態だった。
(バイトまで暇だ。)
陽菜はそう思いながら、C組の学級委員をつとめてる岸辺文香に電話を繋ぐ。時刻は7時45分。
(遅刻。)
電話はすぐに繋がった。岸辺文香は派手な見た目にそぐわず鈴木陽菜に似て真面目な性格をしていた。
「あぁフミちゃん。うん、風邪は直ったよ。でも今日は休もうかとね。――うん、気が乗らなくて。」
二人は中学時からの付き合いであり偶然にも同じクラスに配属されたため、C組女子は二人を中心とした友人関係が容易く形成されていった。そして岸辺文香は鈴木陽菜の良き理解者でもあった。
「それは良かったけど、風邪は治ったんでしょ?」
「うん、そうなんだけど。行かなきゃダメ?」
「いやバイト戦士のアンタの事だからさ、いつ休んでくれてもむしろ嬉しい位だけどさ。」
文香は少々興奮気味に、時折鼻で笑いながら陽菜へと話す。
「これ見ないでグースカ寝てるのは、私はちょっと勿体ない気もするなぁ......」
「何々?写真送ってよぉ」
陽菜はゴロゴロと横に回りながらいじらしく頼む。
「それはできない相談、それに今日限りのことだろうしね」
文香は笑いながら言う。
「風邪治ったんなら自分の目で見たら良いよ、学校がね...」
段々と文香の後ろで徐々に増えていく、登校したばかりのギャラリーたちがザワザワと喧騒の渦を広げてゆく。ワイワイガヤガヤ、中には笑ったり叫んだり驚いたりと、おおよそ朝とは思えない程の騒がしさが電話越しから陽菜の耳へと届いてゆく。稀に見るお祭り騒ぎだと陽菜の鼓動は徐々に早くなった。先刻のことを頭の片隅へと残したまま、陽菜の中ではモヤモヤとそれを吹っ切り前を向こうとする気持ちが交錯する。
交錯はするが。陽菜はすぐに選択する。
「分かった。行くよ!!」
――行動しあぐねていることが、無意味に思えたから。
「はい、じゃあ玄関で待ってる」
◇◇◇
陽菜は自転車を飛ばした。台風が曇天を掻っ攫い、天気は快晴。何かを始めるにはもってこいの良好な日差し。今の生活サイクルを維持したまま、愉快で有意義で充実していて、
しかし、それを考えれば考えるほどに。それを想えば想うほどに。妄想は過去の屈辱へと景色をシフトさせ悔しさが滲んでゆく。
その悔しさを忘れるように、陽菜は精一杯漕いだ。腹には何もいれてない。体調は良好、風も微風で心地が良い。陽菜は越えた橋の下り坂でもペダルを漕ぎ続ける。変わるギリギリの信号では更に加速した。必死に走る。ただ走る。それ以外は頭に入れなかった。
――キキィと、ブレーキを踏み鳴らし。――ザザッと、駐輪場の砂を挽き陽菜は昇降口へ駆ける。――ダッと、方向を変え身体を向けた階段の先には手を振っている文香がいる。その背中では喧騒たちがザワザワと各々の教室へ、ゾロゾロとゆっくり向かっていく。
『おぉ待ぁたぁぁあ??―――せッ!!!』
喧騒の中。陽菜は文香の両肩を叩き、それを払った文香がその光景を見せるように身体を逸らした。
「ハハッ!何これ!!」
中には驚き。
「うっわ酷いな...」
呆れ。
「爆笑なんですけど!写メろっと。」
笑い。
「なになに?」
興味。
エントランスを包む幾多の混沌とした感情の渦の中で、
「え、?」
鈴木陽菜だけが膝を突き、力が抜けたように泣いていた。
陽菜の目の前に広がる光景は、濡れてボロボロになったチラシの乾かされた一枚一枚が、昇降口から廊下の先に至るまでに無数の列をなして連なる果てしない貼り紙の壁面だった。それらはあの台風の日確かに、陽菜が勧誘の為に持ち寄ったそれと全く同じ物。希望を抱いていたあの時の、何かが始まりそうだと胸を躍らせたの時の、打ちのめされたあの時の、自分が作ったビラ。全ての紙に施された、たった二文字の修正を除いては。
【――WATE FOR" US ", CHRONICLE !!】
「ず、ずるいよ錺――」
陽菜は息を漏らす。嗚咽するように、感情の波を堪えるように。
「ずるいよ!こんなの......」
文香はただ、その熱くなって震える背中をゆっくりと擦っていた。




