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転生したら原作では殺されている、ロマンス小説のヒーローの姉でした  作者: 彩戸ゆめ


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第1話 転生したら原作では殺されている、ロマンス小説のヒーローの姉でした

全10話完結済

12時と17時に投稿します

よろしくお願いしまーす!

 頭が、割れる。


 それが最初に浮かんだ言葉だった。


 痛みというより圧力に近い、頭蓋の内側から押し広げられるような感覚。


 ずっと残業続きで、徹夜も何日か重なっていた。やっと家に帰れると思ったのに、玄関を開けた後の記憶がない。


 起きなくちゃ。会社に遅れてしまう。

 体を起こそうとして、腕が思うように動かないことに気づいた。まるで鉛が詰まっているみたいに重い。目を開けるだけで精一杯で、意識はまだ、ふわりと白いところを漂っている。


 そこへ、ドアが開く音がした。


「奥様、お目覚めですか? 朝食のご用意ができました」


 奥様。誰のことだろう。テレビでもつけっぱなしにしたまま寝てしまったのだろうか。


「失礼いたします。カーテンを開けさせて頂きますね」


 光が、一気に流れ込んできた。


「うわっ……眩しい」


 思わず腕で顔を覆う。


 その手の甲に触れるシーツの感触がおかしかった。いつものざらついた木綿じゃない。指が沈み込むような、信じられないほど滑らかな布地だ。


 そっと腕を下ろして、目を開けた。


 見覚えのない天井が広がっていた。白い漆喰に、繊細な植物の浮き彫り。部屋のすみずみまで届く、明るすぎる光。


 ここ、どこ?


 うちのワンルームとは似ても似つかない、高級ホテルのスイートみたいな部屋だ。なんでこんなところにいるんだろう。


「お疲れかと思いましたので、こちらに朝食を運ばせて頂きました」


 声のする方を見ると、そこにはメイドのような格好の女性が立っていた。中年で、地味な顔立ちの女性だ。エプロンの前で手を揃え、無表情でこちらを見ている。


「もしかして……奥様って、私のこと?」


 他に誰かいないかと見回したとき、大きな姿見が目に入った。


 え、ちょっと待って。あの鏡に映っているのは誰?


 なんとか上体を起こして、鏡を正面から見る。

 そこには、艶やかな栗色の髪とブルーグリーンの瞳を持つ女性がいた。清楚で、肌は白く、どこからどう見ても日本人じゃない。


 軽く手を挙げる。鏡の女性も手を挙げた。

 首を傾げる。鏡の女性も首を傾げた。

 頬に手をやる。鏡の女性も――って。


「……もしかして、私?」


 いや、待て。どう見たって外国人だ。ドッキリ? でも私は芸能人じゃないし。なんで、どうして……。


「奥様、どうかなさいましたか?」

「あ、ねえ。私の名前って、なんだったかしら」


 我ながらおかしな質問だと思ったが、女性はわずかに眉を上げただけで答えた。


「奥様のお名前は、ご結婚前はエマ・オースティンでいらっしゃいましたが、リンド家に嫁いでいらっしゃいましたので、今はエマ・リンド様でございます」


 エマ・リンド。

 私の名前は高橋絵麻で、そんな外国人みたいな名前じゃない。


「奥様……?」


 メイドが不審そうにこちらを見ている。

 気づかれた。落ち着け。


 深呼吸をする。鏡の中の女が、私と同じ動きで息を吸った。

 これは夢なのか。試しに頬をつねってみると、ちゃんと痛かった。


 夢じゃ、ない。


 仕事が忙しくて、ずっと寝ていなかった。もしかして私、過労死してしまったんだろうか。それで一度死んで、このエマ・リンドという人に転生した?


 それにしても、エマ・リンド……どこかで聞いたことがあるような。


 あっ。

 寝る前に読んでいたロマンス小説!


 そうだ、あの小説に出てきた名前じゃない? 確か、ヒーローの姉で、物語が始まる前に死んでいるキャラクターが、エマ・リンド。そして、その犯人は――


「ミセス・ロブソン!」


 思わず名前を叫ぶと、メイドが「はい。何でしょうか、奥様」と返した。


 私は口元に手を当てた。やってしまった。この人が、そのミセス・ロブソン本人なんだ。


「あ、いいえ。なんでもないの」


 ミセス・ロブソンというのは、エマ・リンドを手にかける人物だ。そんな人が、私付きのメイドだなんて。


「まだ具合が良くないのですか?」

「ちょっと色々あって……疲れているみたい」


「結婚式の翌日ですからね。ごゆっくりなさってください」

「結婚式!?」


「はい。旦那様も奥様も、とてもお似合いでした」

「そ、そう……」


 結婚式の翌日。

 にしては、なんていうか、この部屋には新婚の雰囲気がないというか……。確かに豪華な部屋ではあるんだけど、どう見ても客間っぽいのよね。


 ええっと、確か小説では――。


「もう少し休むわ。旦那様には謝っておいてちょうだい」

「かしこまりました」


 ミセス・ロブソンが出ていくと、私は肩から力を抜いた。


 慌てず、騒がず、まずは状況を整理しなければ。


 エマ・リンド、旧姓エマ・オースティンは、裕福なオースティン子爵家の長女だ。

 実の母は亡くなっていて、父と後妻と腹違いの弟の四人家族。父は若い後妻に夢中で、エマのことには興味がない。


 それでも適齢期の娘をいつまでも家に置いておくわけにもいかず、後妻が勧めるリンド伯爵家との縁談をまとめた。


 リンド伯爵は社交界でも有名な美男子らしいのだが、行き過ぎたシスコンで何度も破談になっている、訳アリの男性だ。


 小説にそう書いてあったけれど、何度も破談になるほどのシスコンって、どれだけひどいのよ。

 後妻もさ、早く追い出したいのは分かるけど、もうちょっと相手を吟味してほしかった。

 父親がもっとしっかりしてくれればよかったのに。しかも結婚した相手に殺されるとか、ひどすぎる。


 私は大きくため息をついた。

 その瞬間、エマの記憶が洪水のように流れ込んできた。


 幼い日の庭。亡くなった母の百合の香り。継母の冷たい視線。知らないはずの光景が、次から次へと頭の中で像を結んでいく。


 え、待って。私は高橋絵麻で、エマ・リンドじゃなくて……。

 でも次々に浮かぶ記憶は、確かにエマのものだ。エマの記憶と絵麻の記憶が、急激に混ざり合っていく。


「嘘でしょう……。じゃあ本当に、転生してしまったってこと?」


 しかも、原作では殺されている、ロマンス小説のヒーローの姉に。


「最悪……」


 どうせなら結婚する前に前世の記憶を思い出したかったわ。そうすれば、この家に嫁がずに済んだかもしれないのに。


「逃げるにしても、実家には逃げられない。きっとすぐこの家に戻されてしまう」


 エマが殺されるのは、結婚式から一年後だ。


 小説では、三歳下の弟のハロルドが連絡なしに突然会いにきたら、ちょうど姉が亡くなった直後だった、と書いてあった。


 死因は病死ということになっているけれど、実は殺人だ。実行犯はミセス・ロブソンで、指示したのは夫のフランシス――昨日、結婚式を挙げたばかりの男。


 メイドの淹れるお茶に毒が入っているから、それを飲まなければ……。

 そこへドアをノックする音がして、返事をする間もなくミセス・ロブソンが入ってきた。


「奥様、まだ起きていらっしゃいますか?」

「ひぎゃあぁぁぁぁ!」


 思わず飛び上がった。ノックと同時にいきなりドアを開けないでほしい。


「び、びっくりしたわ。ノックしたなら、少し待ってからお入りなさい」

「お加減が悪いとのことで、薬湯をお持ちいたしました」


 淑女とは思えない悲鳴を聞いても、ミセス・ロブソンの表情はまったく崩れない。差し出されたカップから、湯気が上がっていた。


「や、薬湯?」

「はい。それから、旦那様が奥様をお見舞いしたいとお越しです」


 入り口を見ると、ミセス・ロブソンの後ろに、背の高い男が立っていた。


 息が、止まった。


 金色の髪が、部屋に差し込む朝の光を反射していた。コバルトブルーの瞳が、少し心配そうな色でこちらを見ている。まるで作り物のような美貌が、現実の空気を歪めているみたいだ。


 これが昨日結婚式を挙げた、フランシス・リンド――。


 いきなりラスボスが来たー! 私はどうすればいいの!?


 うろたえながらも、目が離せない。まばゆい黄金の髪も、コバルトブルーの瞳も、小説でしつこいくらい描写されていた通りだ。というか、本当に人間とは思えないほど綺麗だ。こんな人が存在するなんて、信じられないくらい。


 小説で自分を殺す男だと分かっていても、つい見とれてしまうんだもの。物語の中のエマが心を奪われてしまったのも、無理はない。


「エマ、具合はどうだい?」


 声まで、いい。


「ごめんなさい、まだ本調子ではなくて……」


「慌ただしい結婚式だったからね。君はとても疲れていたから、疲労回復にとロブソンに薬湯を用意させたけど、効きすぎてしまったのかもしれない」


 その薬湯で毒殺するつもりですか?

 なんて、聞けるはずもない。


 殺されるのは結婚から一年後だから、今日じゃないはず。とはいえ、薬湯を飲む習慣をつけておいて、いざ毒殺する時に「薬湯です」と渡されても疑問を持たないようにする――その布石という可能性は高い。だから薬湯なんて飲みたくないんだけど……。


「薬湯、ですか」


 黙り込んだ私を見て、フランシスは薬湯そのものを不審がられたと思ったのか、慌てて説明を付け加えた。


「妹が病弱だから、メイド長のロブソンには薬の知識もあるんだ。主治医は別にいるけれど、なにかあったらすぐ相談するといい」

「え……ええ。そうさせてもらいます」


 私を殺す相手に相談とか、そんなの絶対に無理だけど。

 でもここまで言われたら、今日のところは薬湯を受け取るしかない。


 大丈夫。まだ、殺されないはずだから。


「ところで、妹さんのお加減はいかがですか? 昨日の結婚式にはいらっしゃらなかったので、お体の具合が悪いのかと心配しておりました」


 そうなのよ。昨日の結婚式のことも記憶にあるんだけど、妹の姿を見ていないのよね。というか、一度も会ったことがない。


 貴族の結婚であれば、一度くらいは両家の顔合わせがあるものだ。けれどフランシスの双子の妹はとても病弱で家から離れられず、私の方も、王都から離れたリンド伯爵家の領地に行く機会がなかった。


 だから短い婚約期間の間、私は一度もフランシスの妹に会ったことがなかったのだ。


「昨日のうちに顔合わせを済ませたかったんだが、体調を崩してしまって……。申し訳ないが、君の方から後で妹の部屋に来てもらえないだろうか?」

「お体が弱いのは心配ですね。もちろん、こちらから伺いますわ」


 ラスボスペアの片割れと対面なんて本当は嫌だけど、逃げ出すためには敵をよく知らないといけない。これも我慢だと思うしかない。


 妹を気遣う私の言葉に、フランシスはほっとしたような顔を浮かべた。

 なるほどねー。重度のシスコンは噂じゃなくて本当だった、って感じ。


「ありがとう。家族に対する思いやりのある女性と結婚できて、私は幸せ者だな」

「家族……ええ、そうですよね。家族に、なったのですものね」


 あなたの「家族」は妹だけなんでしょうけど!

 決めた。私は絶対に、ここから生きて逃げ出してやる。


 殺されてなんて、やるもんですか!


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