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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第八話 最後の冒険の思い出

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温泉入浴

今回は冒頭のシリアスパートがありません。

なんせ合流しているので。

白い湯気が立ち込めるその場所は、まさに地上の楽園と言っても過言ではないだろう。

だって温泉なのだ。


宿『龍泉閣』自慢の露天風呂――通称「岩風呂」。

ゴツゴツとした自然の岩をそのまま浴槽として利用した野趣あふれる造りで、周囲は手入れの行き届いた植栽に囲まれ、復活したばかりの源泉から掛け流される湯は、独特の香りを漂わせながら滔々と溢れ出して湯気を作っている。


広々とした浴槽には、まだ客の姿はまばらだ。


湯口の近くで目を閉じて堪能しているカピバラの獣人が一人と、隅の方で背中を流し合っている狸の親子の獣人が一組。


静寂と湯の流れる音だけが支配する穏やかな時間。

だが、その静寂は唐突に破られた。


「おいバカ、ラファエル離せ!」


脱衣所から続く引き戸が乱暴に開かれ、一組の影が湯気の中へと躍り出てくる。

鍛え抜かれた肉体を持つ赤髪の青年――ラファエルだ。

彼はその脇に、必死に抵抗する小さな影を抱えていた。


「暴れるなスフィア、危ないぞ」


「ふざけんなっつってんだよ! 俺は風呂なんて入りたくねえんだよ!」


スフィアがラファエルの腕の中で手足をバタつかせ爪を立てようとするが、ラファエルはものともせずにズカズカと洗い場を通り過ぎ、湯船へと歩を進める。


「そうもいかないさ。メリアさんからきつく頼まれているからな。『スフィアさんをしっかり風呂に入れて、旅の汚れを洗い流してきてください』とな」


「余計なお世話だ! 一か月前には風呂入ったわ!」


「いや、それは普通に汚いと思うぞ……これは湯に放るしかないな!」


「おい待てちょっと」


ラファエルは湯船のふちまで来ると抱えていたスフィアを持ち上げ、振り子のように前後に揺らした。


「てい!」


「ラファエルてめぇ――――!!」


掛け声と共に、スフィアの身体が宙を舞う。


ドッッパァァァァァァァン!!!


盛大な水柱が上がり、スフィアの小さな身体が熱い湯の中に沈んだ。

湯面が大きく波打って湯船の縁からお湯がザバーッと溢れ出す。


その騒ぎに、湯口の近くで微睡んでいたカピバラの獣人がゆっくりと目を開ける。

彼は頭に乗せた手ぬぐいを直しながらのんびりとした、しかし諭すような口調で言った。


「おいおい兄ちゃん。友達を投げ込んじゃ駄目だよ」


「あ、すいません……」


ラファエルは反射的に直立不動になり頭を下げた。

こんな時でも丁寧に謝る辺り、育ちの良さが隠しきれていない。


「やれやれ、元気なのはいいことだがね」


後から入ってきたエルセインが苦笑しながらタオルで身体を隠しつつ湯船に近づく。

その年齢不詳の美貌は、湯気の中でも一際神秘的に輝いていた。


エルセインが興味深そうに周囲を見回す。


「しかし温泉に入るのは初めてだな。しかも野外とは」


王族や貴族文化には「風呂」という概念はあるが、それはあくまで身体を洗うための設備であり、このように自然の中で湯に浸かることを楽しむ「温泉」という文化は稀有なものだ。


「『岩風呂』というらしい。変わっているね。服を脱いで外に出るというのは、なんとも奇妙な開放感がある」


ラファエルもまた、湯船に足を浸しながら同意する。

熱い湯が冷えた肌を包み込み、じわりと芯まで温めていく感覚。

二人は並んで肩まで湯に浸かり、ふう、と長い息を吐いた。


「極楽だな……」


「ああ、戦いの疲れが溶け出していくようだ」


二人が至福の時を味わっていると、先ほどラファエルがスフィアを投げ込んだあたりからブクブクと泡が立ち上る。


プハッ!


水面を割って、スフィアの顔が勢いよく飛び出した。

濡れた灰色の毛が顔に張り付き、金色の瞳が怒りに燃えている。


だが、その姿を見た瞬間、ラファエルとエルセインは顔を見合わせ同時に噴き出した。


「ぶっ……!」


「はははははは!」


普段はふわふわの毛並みに覆われて丸っこく愛らしいシルエットをしているスフィアだが、お湯で毛が完全に寝てしまったことで、その本来の骨格――驚くほど華奢でスレンダーな身体のラインが露わになっていた。

まるで濡れた子猫のように貧相で、細っこいその姿はギャップが大きく笑いを誘う。


「聞いてはいたが細いな! ちゃんと食べて……いるな!」


ラファエルが腹を抱えて笑う。


食べていないはずがない。

あれだけの健啖家なのだから。


「スフィア君にそういう心配は無用だろうね。単に、毛のボリュームが本体の三割増しだったというだけのことさ」


エルセインもまた、目尻に涙を浮かべて笑っている。


「うっせー! 笑うんじゃねえ!」


スフィアが顔を真っ赤にして叫ぶ。

自分の貧相な濡れ姿を見られるのは彼の最大の屈辱のひとつである。


「俺を温泉に放り込みやがって! 覚えてろよ! お前らもびしょ濡れになれ!」


スフィアは小さな両手で水面を叩き、バシャバシャとお湯を二人にかけ始めた。

熱い飛沫がラファエルとエルセインの顔に降りかかる。

ラファエルも童心に帰ったように笑い、手で水面を掬ってお湯をかけ返す。


「お、やったな! 反撃だ!」


「こらこら、入浴中に遊んではいけないよ。他のお客さんの迷惑になる」


エルセインが笑いながらたしなめるが、その手元でも密かにお湯を弾く準備がされていたりする。

三百歳を超える竜も、友人と一緒ならば少年の心を取り戻すらしい。


そんな三人のじゃれ合いに更なる乱入者が現れた。


「うわー! でっかいお風呂!」


脱衣所の方から、地響きのような足音が近づいてくる。


現れたのは巨漢のミノタウロス――ブルだ。

その筋骨隆々の巨体は、湯気の中でも圧倒的な存在感だ。

彼は広々とした岩風呂を見るなり目を輝かせて駆け出した。


「気持ちよさそう! いくよー!」


「ま、待てブル! 勢いをつけるな!」


ラファエルが制止の声を上げるが、時すでに遅し。

ブルは助走をつけて豪快に湯船へとダイブした。


ザッッッッパァァァァァァァァン!!!!


「ぶわっ!?」


「ぬおっ!?」


「ぎにゃあ!」


ブルの巨体が着水した瞬間、岩風呂の水位が一気に上昇し、小型の津波が発生した。


ラファエル、エルセイン、スフィアの三人は頭から大量のお湯をかぶり、洗い場の方へと押し流されそうになる。

湯船の湯が三分の一ほど溢れ出して庭園の植木にお湯の雨が降り注ぎ、ラファエルが顔を拭いながら立ち上がる。


「ぷはっ……な、何事かと思った……」


「兄ちゃん! 身体大きいんだから静かに入らなきゃ駄目だよ! びっくりしたじゃないか!」


カピバラの獣人がお湯の波に揉まれて目を回しながらも必死に抗議の声を上げた。

温厚そうな彼も、さすがにこれには肝を冷やしたようだ。


「あ、すいません……つい嬉しくて……」


ブルは湯船の中で正座し、しゅんとして頭を下げた。


ラファエルとエルセイン、そしてスフィアは頭からびしょ濡れになり、髪も毛並みもぺちゃんこになったお互いの顔を見合わせる。

そして一拍おいて、三人同時に吹き出した。


「「「あはははは!」」」


「ひっでー顔だぞ、ラファエル」


「君もな、スフィア!」


「やれやれ、騒がしい湯殿だ」


湯煙の向こうに、種族も立場も超えた男たちの笑い声が響き渡った――。

温泉はマナーを守って入りましょう。

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