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 ごおごおと音を立て、真っ赤な炎が夜空を染め上げる。ぱちぱちと火の粉が舞い上がり、JR秋葉原の万世橋陸橋を不気味に浮かび上がらせた。

 燃やされているのは大量の同人誌、ゲーム、アニメのDVD。それにあらゆる種類の美少女フィギアだった。

 松明を持った上下つなぎの工員服を着用した男女が、燃え上がるマンガ、DVD、フィギアを見詰めている。ツナギには「御意見無用」とか「喧嘩上等」とか「世炉死苦よろしく」などの文字が刺繍やプリントで書かれている。いわゆる「特攻服」というやつだ。ツナギの特攻服を着こんでいる男女は、髪を金髪や、赤、青、緑などの原色で染め、男はパンチ・パーマやリーゼント、中にはツルツルに剃り上げているのもいた。女はポニー・テールや男のようにリーゼントにしている。男女は無言で、中央の焚火に時折、本やフィギアを投げ込み、燃え上がる炎を凝視していた。

 投げ込まれる書物には、大量の美少女ものと、SFの単行本、文庫本が混じっていた。

 ツッパリ、ヤンキーはSFを読まない。読まないし、理解もしない。したがって美少女ものと同じ「オタク」的な趣向として敵視していた。

 同じSF映画でも「スター・ウォーズ」は戦争映画で大量の人間がバタバタと死ぬので理解できる。しかし「2001年宇宙の旅」となると、理解不能で当然廃棄の対象になった。この時代、多くのSF名作映画のDVDが焼却処分となっていた。

 ツッパリ、ヤンキーに人気のマンガ「銀河番長ガンガガン」は主役がロボットに搭乗し、宇宙を駆け巡るSFマンガだが、もし彼らに「これはSFマンガだ」と指摘したら烈火のごとく怒り狂うだろう。

「ガンガガン」はツッパリマンガであり、断固としてSFなどのオタク趣味ではないと、頑固に否定するはずだ。

 焚火の周りをどこか軍服のようなデザインの、詰襟服の男たちが取り囲んでいた。詰襟服に目庇まびさし付きの制帽を目深に被り、手には竹刀や警棒を持っていた。雰囲気は物々しく、権威を背に負っている者特有の傲岸さが感じられる。

 詰襟服の男たちは油断なく周囲に気を配り、何かあればすぐ駆けつけられるように身構えていた。

 駅前の道路を、鼠色の護送車がゆっくりと近づいてきた。詰襟服の男たちは護送車を見て、さっと散会して出迎えた。

 護送車の後部扉が開き、おどおどした様子の男女が降りてきた。皆一様に小太りか、痩せっぽちで、あまり運動が得意でなさそうなぎこちない動作で地面に降り立った。

 詰襟服の集団から、一人の巨体の男がずい! と一歩前へ出ると、手にした竹刀を思い切り地面に叩きつけ、男女に向かって怒鳴りつけた。

「グズグズするな! 一列になって、こっちへ来るんだ!」

 バシン! と竹刀の音が響いて、護送車から降りた男女はビクリッと飛び上がった。

 竹刀を手にした男は他の隊員と違い、上着はわざと着用せず上半身には真っ白なタンクトップだけで、発達した筋肉を誇示していた。盛り上がった大胸筋、がっしりとした両肩に上腕二頭筋は瘤のように鍛え上げられていた。

 並んだ男女の中で、一人の若い男が巨体の男の顔を見て、驚きの声を上げた。

「あんた……赤田さんじゃないか? 何やってんだ、こんなところで?」

 赤田、と呼びかけられた男は若い男に向かって叫び返した。

「何やってるかって? 決まってる。オタク狩りだよ。俺の格好を見て判らないか?」

 若者は赤田の巨体をまじまじと見つめた。

「信じられない。本当にあんた、赤田さんなのか?」

「この体つきかね? 以前の俺はふやけたデブだったが、一念発起して筋トレしたんだ。いいぞ! 肉体改造が成功してから俺は毎日が健康そのものだ!」

 ガハハハ……、と赤田は高笑いした。

 竹刀を握っていない左手には、一抱えもありそうな大きな紙箱を握りしめていた。紙箱には〝超健康優良プロティン〟と印刷されていた。

 赤田は紙箱を口許へ持っていき、中身のプロティン粉末をがばっと広げた口の中へぶち込んだ!

 白い粉末をむしゃむしゃと貪ると、隊員の一人が〝α水素πウォーター〟なる健康飲料のペットボトルを差し出した。受け取った飲料をグビ……グビ……グビ! と音を立てて呑み込み、口中の粉末を胃に流し込んだ。ぐいっと口元を拭い、満足そうに「ういーっ! 今日もプロティンが旨いっ!」と叫んだ。

 赤田斗紀雄あかだときお

 もともとは著名な評論家で、得意分野はアニメ、マンガ、ゲームなどのオタク文化だった。本来なら詰襟を着ている側ではなく、護送車で送られる側であろう。

 呼びかけた若者はぽかんと口を開け、つぶやいた。

「まさか〝転びオタク〟?」

〝転びオタク〟という言葉に、赤田はニヤリと笑いを浮かべた。

「そうだ。いつまでもオタクなんかやってられないからな。これからの日本にオタクは必要ない。オタクを一掃するため、俺は働く! さあ、これからお前たち全員、検査する」

 中国の〝焚書坑儒〟という故事に倣いこの儀式は〝焚フィギア坑オタ〟と呼ばれている。

 赤田の「検査」という言葉に、男女は一斉に顔を青ざめさせた。赤田が仲間たちに合図すると、詰襟の一人がプラスチックの下敷きを持ち出した。下敷きには目が大きく、幼い顔立ちの少女のアニメ絵が描かれていた。

「さあ! その下敷きを踏むんだ!」

〝踏み萌絵もえ〟の検査だった。

 一列に並んだ男女は、一人ずつそのプラスチックの下敷きを踏んでいった。全員目をつぶり、歯を食いしばって下敷きに足を載せた。

 が、一人の若い男が下敷きに足を載せようとしたが、突然うずくまり、大声で叫んだ。

「出来ない! 僕には出来ない!」

 泣き叫ぶ若い男を冷厳に見下ろし、赤田は厳しい声音で断罪した。

「決まりだ! そいつはロリコンだ! 連れて行け!」

 詰襟の男が二人、若者の両脇を抱え上げた。若者は自分で立ち上がれず、ずるずると両足を引きずって連れていかれた。引きずられながらも「僕には出来ない、僕には出来ない」と繰り返しながら泣きじゃくっていた。

 これが〝踏み萌絵〟検査だった。

 考案したのは赤田で、ロリコンだったら絶対踏めそうにない絵柄を選定し、検査を実施したのだった。

 泣きじゃくりながら連行される若者を、特攻服の男女が軽蔑の表情で見送った。特攻服たちは、連行される若者に向かって口々に罵声を浴びせかけた。

「死ね! このロリコン野郎!」

「お前なんか、一生社会に出てくるな!」

「痴漢野郎! この糞野郎!」

 若者は社会的になんの犯罪も犯していない。単に、赤田の考案した〝踏み萌絵〟の検査を通過できなかった、というだけだ。しかしそれだけで十分だった。萌え絵を踏めない、ただそれだけで、ロリコン容疑は立証されたのである。

 その後、数人の女性が〝踏みBL絵〟で腐女子だと判明し、連行された。この時代、ロリコンだけでなく、BL趣味も逮捕要件を満たす犯罪だった。ロリータ、BL、ショタなど異常嗜好とされる趣味は、総て反社会分子として社会から隔離された。

 彼らの連行先は、東京から遥かに離れた海上の孤島に設立された監獄だった。

 別名「ガッツ島」。

 そこで強制労働を課せられ、社会復帰のため教育刑を受けさせられる。社会的に抹殺されるべきオタクを、正常なヤンキー、ツッパリにするため「ガッツを入れる」という目的の島だ。

 赤田もガッツ島で教育刑を受け、すっかり人格が変容して戻ってきたのだった。戻ってきた時には、もとオタクの経験と知識を生かすロリコン捜査班の主任として辣腕を揮うようになっていた。

 このようなもとオタクが転向し、ヤンキー、ツッパリに更生し、オタク弾圧者となることを〝オタ転び、ヤン起っき〟と呼ぶ。

 燃え上がる焚火の明かりを受け、赤田の膨らんだ頬はてらてらと油光りしていた。

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