5
カルフォルニア州、サンフランシスコは坂の多い街だ。北側に金門橋が観光資源として有名だが、サンフランシスコはアメリカ大陸の西岸にあり、太平洋をまたいで古くから日本の移民や、ロシア系移民、あるいはメキシコなどからのヒスパニック系移民で構成されている。
ロサンゼルスが近いこともあり、映画関係者も多く住み、倉庫街などでは様々なアーティストが集まっていた。
日系移民が多いためか、割とアメリカ国内では日本のポップ・カルチャーの浸透が早く、ここで開催されるコミック・コンベンションでは日本のマンガ・アニメ・ゲームの紹介が盛んだった。
「だった」と過去形で記したのは訳がある。
日本の政治が朝比奈総理の登場で激変し、マンガ・アニメ・ゲームなどのポップ・カルチャーに厳しい規制がかかるようになって、それまでの日本の絵柄が大幅に変わっていった。頭身の低い幼い少女のキャラクターが全面的に禁止になり、それまでの二頭身、三頭身キャラがすべて八頭身以上のマネキンのようなスタイルになり、顔つきも目が小さく、顎が張り出したごつい、要するに「アメコミ」そっくりになったためだ。
それじゃわざわざ日本のマンガに関心が集まるわけがない。
今年のコミコンは低調だな、とアイリスは会場をぶらつきながら思っていた。
アイリス加藤。名前で分かるが日系アメリカ人で、父親は日系人。母親はアフリカ系である。母親から受け継いだのは、コーヒー色の肌と、すらりとした手足の長さに、小柄だが見事なプロポーションだ。父親からはアフリカ系では珍しい、癖のない直毛を受け継いだ。
ただ彼女の瞳だけは、違っていた。
名前と同じく、菫色をしていた。子供のころは鳶色をしていたのだが、成長するにしたがい、徐々に青色が混じり、十八歳の今では神秘的な菫色になっていた。多分、両親のどちらかに、北欧系の遺伝が混在しているのだろう。アメリカのような他民族国家では珍しいことではない。見かけは白人だが、遺伝的には黒人、またはその逆はかなり例がある。
コミコンの会場は閑散としていた。ただ玩具メーカーや、ゲーム、映画関連の企業ブースでは宣伝のため様々な催しをしていた。初期のファンの交流会という性格は、回を重ねるごとに企業の宣伝の場となりつつある。
ちらほらと見かける参加者たちは、思い思いのコスプレでお互いポーズをとって、写真を撮りあっている。
もちろん、アイリスもコスプレを決めていた。
アイリスのコスプレは日本の大規模仮想現実参加型《VRMMO》ゲーム「蒸汽帝国」登場人物のコスプレだった。日本のアニメ、ゲームでは珍しく、肌が黒いエルフという設定だったので、アイリスにはぴったりだった。なぜか日本のマンガやアニメでは、黒人の登場人物が滅多に登場しない。もしかして、日本には黒人はいないのだろうかとアイリスは疑っていた?
ゲームと同じく、アイリスは長い髪の毛を青く染め、エルフになりきるため尖ったつけ耳をしていた。原作ではエルフの瞳は青く、アイリスの瞳はそのままでコンタクトをつける必要がないことも、エルフのコスプレを選んだ理由であった。
企業ブースはほとんどアメリカ国内のもので、日本からの出店はなかった。日本のマンガを探していたアイリスはがっかりした。たまにあっても、以前のような目の大きく、幼い外見の少女が活躍するマンガは日本のメディアから消え去っていた。
と、アイリスの足が止まった。
左綴じのアメリカのマンガに混じって、見覚えのある画風のマンガが目に留まった。
手に取ると左綴じだが、中身は完全に日本のマンガだ。セリフは英語で、擬音などの書き文字もアメコミ風だが、絵は日本のマンガ家の手によるものだ。
「これは?」
出店した販売員に問い掛けると、太って顔中に濃い髭を蓄えた、いかにもオタクっぽい外見の中年男が自慢そうに答えた。
「ああ、そりゃ日本のミドリ・サキモトのマンガだよ。昨月からこっちで販売しているんだ」
崎本美登里の名前なら、アイリスも承知していた。美登里の描く美少女キャラは、アイリスのお気に入りでもあった。
ぱらぱらとページを繰って、アイリスは眉を微かにひそめた。
書かれたセリフが、アイリスには奇妙なものに思えたからだ。セリフはアメコミ風に、書き文字になっていているが、絵と微妙に内容が合っていないように思った。
「変なセリフ。あたしだったら、こんなセリフ口にしないな」
販売員の中年男は顔をしかめた。
「そうかい! 売れているんだがね」
アイリスは顔を上げ、中年男を睨みつけた。
「そりゃ、ミドリ・サキモトのマンガだったら、売れるわよ。あたしが言いたいのは、翻訳している人間が、日本のマンガを良く理解していないってこと!」
中年男は肩をすくめた。
「おれは日本語は判らんからな。お前さん、日本語のセリフで意味が判るのかい?」
アイリスはにんまりと笑った。相手には会心の笑みと映るだろう。
「判るわよ! あたしは日系人だもの」
「あんたが?」
中年男はあんぐりと大口を開け、アイリスを上から下まで何度も見返した。
しかしアイリスの父親は確かに日系人だが、すでに四世で、日本語は一言たりとも理解できない。アイリスは独学で日本語を学習していた。
「どう見てもアフリカ系にしか見えないが」
アイリスは中年男の疑念には取り合わず、手にした崎本美登里のマンガを買い取った。歩きながら、背表紙にある出版社の名前を確認する。思った通り、アメリカ国内の名前も知られていない会社だった。
アイリスは決意していた。
こんな翻訳では、崎本美登里のマンガの神髄を知らせることはできない。自分が翻訳を手掛けよう、と思った。




