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第十二話 お別れの挨拶 そのに

 ぽかぽか陽気にドレスもすぐに乾き、支度を済ませたわたしは、和歌恵ちゃんのお家へと足を進めていました。

 少し湿った腐葉土が堆積した地面。

 洗ったばかりのパンプスが汚れるのを嫌い、苔の絨毯を選んで歩いています。

 道草を食うこともしばしば。

 意味のない寄り道を重ねること四回。


「着いちゃった……」


 和歌恵ちゃんのお家である、大樹の根っこ。そのうろに到着。

 乙女チックに胸の前に両手を重ね、しずしずと近づきます。

 一歩進んで、二歩下がって。

 三歩進んで、五歩下がる。


「……後退しているじゃないですか……」


 自分に突っ込みを入れるわたし。

 む、虚しい……。

 このままじゃらちが開かない。こういうのは、勢いに身を任せるが得策です。


「ええいままよっ!」


 意を決して扉の前に立ちます。

 そしてこんこん、と扉を叩きました。


「……むにゃ、ノックするのだれー?」


 向こう側から寝起きのような声が聞こえました。ちょっと遠く感じるのは、彼女がベットの上だからだと予測できます。

 どうやら和歌恵ちゃんは寝ていたご様子です。


「色絵です。じ、実はですね、お別れを言いに来ました」

「…………」


 おや?

 少し待ってみても、扉が開く気配はありません。

 決意が揺らぐことを恐れ、沈黙を裂くように構わずわたしは続けます。


「わたし、おねえちゃんのところへ帰ろうと思います。前に教えてくれたところへ、行ってみようと思います。和歌恵ちゃん、ほんの数日ですけど、良くしてくれてありがとうございました。……とても、楽しかったです」

「にゃむ」

「……和歌恵ちゃん? もしかして寝てます?」

「…………」


 あ、これ駄目なやつだ。


「うー、物事は順風満帆じゅんぷうまんぱんとはいかないものですね……」


 さてさてどうしたものか、と考えます。

 このままお別れというのも、ありっちゃあり……かもしれません。けれど、一番お世話になったのはやはり和歌恵ちゃんです。

 彼女とだけは、きっちりと。ちゃんと別れを言いたい。

 そう思う最中――


「あー! ねーた、ねーただー!」


 舌っ足らずでピースフル満点の甲高い声。

 はた、と振り向くと、そこにはロリっ子、もといロリっ狐たちがいました。

 先日、事故に巻き込まれたとは思えないほど元気いっぱいです。

 まりちゃんは手を振りながら駆け寄ってきます。


 すってーん


 と、不格好にも素晴らしくそのオノマトペが似合う感じに、それは見事に転びました。

 持っていたお椀が宙を舞い、まるで帽子をかぶるように椀ちゃんの頭へと落ちます。

 わたしの胸にあった堅苦しかった気持ちは、雲のように完全に吹き飛ばされました。 


「あうぅ……」

「椀ちゃん、大丈夫?」

「うん!」


 満面の笑みでうなずく椀ちゃん。

 お椀から散らばった赤いクワの実を拾いつつ、


「ねーた、ねーた。きのーはあーとね! 椀げーきなたー!」

「……その滑舌の悪さ、もはや暗号ですよね」


 言葉の意味が理解できていないのか、その笑みは崩れません。

 うつぎちゃんは、後ろの方で不思議そうに顔を傾げていました。

 そして、ふよふよーと舞うゴマダラチョウを見つけた槍ちゃんは、興味を完全にそっちに移したのか、持っている槍を振り廻し、チョウと追っかけっこを始めました。

 どうやら本能に忠実な子のようです。

 見た目もそうですが、大丈夫と判断すると大胆な行動をとりはじめるあたり(出会ったとき、ドレスを引っ張ったり、胸を鷲掴みにされたのがまさにそれ)、やはり狐っぽい。

 わたしは椀ちゃんの目線に合わせ、しゃがみます。


「あのね、椀ちゃん。色絵おねーちゃん、帰ろうと思うの」

「かえるー? みどりのぴょんぴょん?」

「それはカエルですね」

「げこげこー、あはは」


 子供との会話って難しいです。

 可愛いなぁ、もう。


「そっちの脊椎動物亜門・両生綱・無尾目に分類されるカエルじゃなくてですね。帰るんです。おねーちゃん。バイバイ、ならわかるかな?」

「……………………えっ?」


 途端、無表情になる椀ちゃん。

 こういうリアクションが一番辛い……。反面、ちょっと嬉しかったり。


「や、やーだよ? ねーた、ねーた、椀とあそぶのきらい?」

「いいえ、好きですよ。大好き。すごく楽しかったです、あなたのような妹がいたらなぁ……なんて思っちゃうくらい」

「じゃーあそぼ? 椀とずーといっしょ。ね? ねっ?」

「うん。それも素敵ですね。でも、駄目なの」


 わなわなと、震える椀ちゃんの唇。

 気持ちを伝えようと言葉を探す――けれど、見つからなかったのか、彼女の口から出た言葉は端的なものでした。


「……なんでぇ……?」


 泣き崩れそうな顔。

 わたしは笑みで返します。


「椀ちゃんは、槍ちゃんのこと好きですよね? それと同じで、色絵おねーちゃんにも大切なキノコがいるんです」

「どこに?」

「椀ちゃんの知らない場所です。ここの木よりも背が高くて、でも空が広くて、近くて……」


 言いつつ、故郷の風景を思い起こしていきます。

 姉との思い出も一緒に。


「……吹き抜ける風も、ちょっと冷たいんですけど、とても気持ち良くて。晴れた日はよく丘に行っていました。薔薇嶺おねーちゃんと、毒美ちゃんと。ちょっとしたピクニック気分で、とくに何をするってわけでもないんですけど……」


 だらだらと過ごした時間。

 そんな無駄とも思える瞬間が、積み重なって想いとなる。いまはそれが恋しい。

 ……馬鹿ですよね、わたしって。

 失って初めて気がついたんです。

 大切なもの――かけがえのないものに。


「……だから、バイバイしなきゃ駄目なんです。山をひとつ越えなければいけないかもしれませんし、大冒険です」


 ぽけーっとする椀ちゃん。

 あっるぇー?

 いま結構いい場面なのに、感動的な別れのシーンなのに、そんなハニワみたいな顔されたらまるで台無しじゃないですかっ!

 しかし、やがて放たれた言葉に、わたしは大変驚きました。(感情直訳)


「おか? 椀、そこしってる!」


 と。


「本当っ!?」

「うん!」


 だったら案内を!

 案内をばして頂けたら――とか思う刹那、わたしの冷静な部分が冷たい判断を下します。

 数日前に和歌恵ちゃんから教えてもらった通り、わたしの住んでいた森は、このブナ帯より上で、高山帯までの範囲にあるはずなのです。環境が違えば、わたしたちキノコは発生することは出来ません。もちろん、異なる環境に投げ出されてしまえば、たとえばピプシー・マルモさんのように体調を崩してしまうのです。(わたしは凛として可憐にたくましいので例外とします)

 だから、冷静に考えてみて、そんなことはあるはずはない。

 きっと、わたしを帰したくない、まだ一緒にいて欲しい、という気持ちから付いた嘘でしょう。話し半分に聞いて置くべき。


「そこでね、あかいドレスきたキノコにあったの」

「…………えっ?」


 思考が停止しました。

 ちょっと待ってくださいね、いま再起動かけますので。


 ……、


 …………、


 ……………………はい、お待たせしました。完了です♪



 …………えっ?(思考停止)



「椀ちゃん? そのキノコ、どんな風だった?」

「あか! どれすにねー、おはないっぱいついてて、ねーたみたいなの! おめめもあか!」


 特長はわりとピンポイント。ていうか、もろです。

 もしかして、本当に、本当に知っているのかも……?


「椀ちゃん! そのキノコ、胸はたわわだった!?」

「うん! ほわほわー!」

「触ったの!?」

「ぐわししたー」

「どんなリアクションだった!?」

「しゅんってなて、おちこーでたー?」


 イエス、ビンゴ。


「椀ちゃ―――んっ! それわたしのおねーちゃん! そこに連れてって! 案内して! わたしを導いて―――――――――っ!」

「ん? うん? うん―――っ! 椀みちく――――――――っ!」


 わたしの大声に釣られてか、椀ちゃんも声を張ってうなずきます。

 希望です。

 希望が見えてきましたよ。

 たしかに、アグレッシブなロリっ子、もといロリっ狐たちなら、広範囲に渡っての散策――というか冒険ごっこで、偶然にもそこに辿り着いた可能性もなにきにしもあらず。もとより大まかな情報からの決断だったので、椀ちゃんの確固とした情報は、この上ない心強さがありました。


 ぎい


「朝から騒々しいなぁ。あたしは寝てたんだけどねぇ。……ん?」


 虚の扉が開き、中から寝起き丸出しの、もふもふパジャマ姿の和歌恵ちゃんが出てきました。目をくしくしと擦り、どうやらわたしたちに気がついたようです。


「あっ……あの、あのね、和歌恵ちゃん……」


 身体がきゅっとすくむのを感じました。

 イメージしてきたことを、言えばいい。なのに、それだけなのに、言葉が出てこようとしません。作っていた台詞が消滅し、栓をしたみたいにまわりの音が遠ざかっていきます。

 別れの言葉。

 言わなくちゃいけない言葉。

 わたしはかぶりを振り、心の中に湧きあがる断片的な影を、枯れ葉のように払いのけます。


「和歌恵ちゃん、わたし、故郷に戻ろうと思います。面倒みてくれて、ありがとうございました。とても……楽しかったです」


 言えた。

 ちょっと自分を褒めてあげたい気分になりました。

 けれど、次に和歌恵ちゃんの顔を見るのが怖くなりました。

 うつむいたまま、彼女の言葉を待ちます。


「ねーた! まりね、おしえるの! たびーついてくの!」


 わたしの気も知らず、椀ちゃんは楽しそうに言います。

 依然、視線を上げれずにいるわたし。しかし、予想に反して和歌恵ちゃんの別れの台詞は、


「おーそっか。気をつけてねー」


 うわぁ、かるぅーい。(脱力)

 まあしかし、それも和歌恵ちゃんらしいといえば、そうでした。

 なにももう二度と会えなくなる訳じゃないしねぇ、とかそういう風に思っているのかもしれません。重く考えていたわたしは、いったいなんだったのでしょうか……。

 なんだかなぁ、と思いつつも、わたしはぺこり、と頭を下げました。

 まだとろんとした目で、ふりふりと手を降る和歌恵ちゃん。

 椀ちゃんも同様に。

 和歌恵ちゃんとの別れは、こんな感じに終わりました。

 ちなみに、槍ちゃんは目下行方不明。



 *



 わたしたちは、しばらくの寝床に、と使わせてもらっていたブナの木の根に戻っていました。

 辺りには真上から照らす太陽が葉の天井を割いて、木漏れ日となって森に光のカーテンを掛けています。そのわだかまる霧間から光だけが差し込んでくる様子は、どこか神々しさを感じさせました。

 欝蒼うっそうと生い茂る草木、まるでジャングルのような広葉樹林帯もここ数日で馴れたものです。短い期間ではありましたが、寝食をともにした土地から去るというのも、別れに似た感覚がありますよね。


「……行っちゃうんだ?」


 ブナの木の中からの声。

 どこか虚空に消え入りそうなそれは、ピプシー・マルモさんのものです。


「ええ。結局、面と向かって話すことはありませんでしたね」

「ふーん……。ま、迷惑なお客さんが消えて、ありがたいっちゃありがたいかな」

「また来てもいいですか?」

「……勝手にすれば?」


 彼女との面識はありません。

 きっと、これからもないでしょう。

 だって彼女もわたしと同じく、これから旅立つのですから。

 わたしは深くお辞儀をします。


「ねーた? だれとはなしてたの?」

「素敵な隣菌ですよ、大屋さんって言ったほうが正しいですかね」

「んー?」


 首の角度を斜め四十五度に傾け、不思議そうな顔をする椀ちゃん。

 わからないのは、それは仕方のないことかもしれません。だって椀ちゃんはまだ……


「……いいえ、これからおっきくなるんですもんね。案内お願いしますよ、椀ちゃん」

「うん! 椀、ねーたあなるー!」

「…………う、うん」


 もう絶対わざとやってるとしか思えないほどの滑舌の悪さですよね。

 ともあれ。


「そろそろ行きますか」


 わたしは大きな葉っぱの雑草をひょいと引きぬき、ちょっと優雅な気分でそれを日傘にします。

 それを真似て、椀ちゃんも雑草を掲げます。槍ちゃんは持っているヤリを同じように。

 頼もしき旅の仲間を得たわたし。

 向かうは北。

 目指すはおねーちゃんのいる故郷へ。


「さあ、大冒険の始まりです!」



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