第15話 リビングデッド
夜の体育館は、昼間とは別の場所みたいに静かだった。
壁際に敷かれた布団に横になったまま、由伸はしばらく天井を見上げていた。
身体は少し休まったはずなのに、頭の芯だけが重い。
目を閉じても、昼に見た光景ばかりが浮かんでくる。
「……少し早いですけど、僕はもう休みます」
そう声をかけると、隣に座っていた黒原がこちらを見た。
暗がりの中でも、由伸の顔色くらいは読めたのだろう。
「そうした方がいい。肉体の疲れは寝れば多少取れるけど、精神の方はそう簡単に回復しないから」
黒原は膝を叩いて立ち上がった。
「俺は少し外の空気を吸ってくる。体育館、息が詰まりそうでさ。もし何かあったらフレンド通話でも飛ばして」
「……はい」
黒原は人を起こさないよう足音を殺して歩き、そのまま静かに体育館を出ていった。
由伸はゆっくり視線を巡らせる。
少し先には、白い布をかけられた遺体が並んでいた。
夜の薄暗さの中では輪郭が曖昧になっていて、その曖昧さがかえって不気味だった。
とはいえ、気味が悪いからといって場所を変えられるわけでもない。
校内は避難民で埋まりきっていて、体育館以外にまともに横になれる空間は残っていなかった。
結局ここで眠るしかないのだと割り切り、由伸は掛け布団を胸元まで引き上げた。
すぐ隣では、佐奈がもう眠っていた。
規則正しい寝息が、かすかに聞こえる。
その事実を意識した途端、由伸は妙に落ち着かなくなった。
昔、好きだった女の子が、今は手を伸ばせば届きそうな距離で眠っている。
こんな状況なのに胸の奥がわずかにざわついて、自分でも嫌になる。
意識を切り替えるように、由伸はウィンドウを開いた。
淡い光の板が視界に浮かび上がる。
黒原が話していた掲示板機能だ。
既プレイヤーたちを中心に、生存者が情報交換しているらしい。
スレッド一覧には、切迫感のあるタイトルがずらりと並んでいた。
・【至急】都内東部、生存ルート情報求む
・【検証】スーパー滞在時間は一日合計60分で確定?
・死体の近くで変な音を聞いたやついる?
・【避難所共有】埼玉・千葉・神奈川
・レベル1でも倒せるモンスター教えて
・【捜索】家族を探している人 part7
由伸は適当に一つ開き、流れる書き込みを追った。
1: 名無しの生存者
新宿駅周辺マジで地獄。空飛んでる石像みたいなの確認。銃効いてるか分からん
2: 名無しの生存者
それガーゴイルじゃね?
3: 名無しの生存者
ガーゴイルってなんだよ詳しく書け
4: 名無しの既プレイヤー
UUOの中級モンスター。低レベルで相手するの無理。都心行くな
5: 名無しの生存者
いや都心行くなって言われても家族いるんだが
6: 名無しの生存者
自衛隊来てたぞ
7: 名無しの生存者
来てても押されてる。期待しすぎるな
別のスレッドも覗く。
12: 名無しの生存者
スーパー入ったらカウントダウン出たんだけど何これ
13: 名無しの既プレイヤー
店舗ごとの滞在制限。スーパーは一日合計60分っぽい
14: 名無しの生存者
出たらまた入れたぞ?
15: 名無しの既プレイヤー
同じ店は再入場クールタイムあるはず
16: 名無しの生存者
はずってなんだよ
17: 名無しの既プレイヤー
まだ初日だから断定はできん。少なくとも俺のとこは6時間って表示出た
18: 名無しの生存者
現金消えてゴールドになったんだがふざけんな
19: 名無しの生存者
それ俺も。財布の一万円が10000Gになってた
由伸は無意識に指を滑らせ、さらに別の書き込みへ飛ぶ。
63: 名無しの生存者
避難所ってどこが安全なんだ
65: 名無しの生存者
>>63
学校に集まってる人多い
71: 名無しの生存者
うちは市民センター。水はあるけど食料がきつい
73: 名無しの生存者
>>71
ウィンドウショップで現金をゴールドに換金したら食料も買えるぞ
109: 名無しの生存者
NPC商人いる場所ある?
158: 名無しの生存者
近所のコンビニ店員が全員ローブのおっさんになってたわwww
159: 名無しの生存者
想像したらじわじわくるけど笑えねえ
由伸は、その一文の上で指を止めた。
探せば役立つ情報は確かにあるのだろう。
だが、どれもまだ断片的だ。
誤認も混じっているだろうし、恐怖や混乱で事実が歪んでいる可能性も高い。
既プレイヤーの分析も、初日では検証不足なものが多い。
それでも、誰かが必死に書き込んだ言葉が流れてくるのを見ていると、不思議と少しだけ落ち着いた。
自分だけが取り残されているわけではないのだと、そんな当たり前のことをようやく実感できたのかもしれない。
ただ、安心したら、まぶたが重くなってきた。
文字を追っているはずなのに、内容が頭に入ってこない。
意識がゆっくり沈んでいき、ウィンドウを閉じることさえ億劫になってくる。
そしてそのまま由伸は、浅い眠りへ落ちていった。
*
何か、音がした。
湿ったものを床に引きずるような、耳の奥にぬるくまとわりつく嫌な音だ。
夢の続きか現実かも分からないまま、由伸の意識は無理やり浮上させられた。
頭はまだ眠気の底に沈んでいたのに、危険だけは先に察知した。
理由は分からない。
ただ、嫌な感じがした。
胸の内側を冷たい指でなぞられるような、生理的な嫌悪感だった。
由伸は重いまぶたをこじ開ける。
すぐ目の前に、顔があった。
「うわぁぁああああああああああっ!」
絶叫が喉を突き破る。
反射的に布団を蹴り飛ばし、由伸は転がるように飛び起きた。
心臓が暴れ、全身の血が一気に逆流したような感覚が走る。
それは人間の顔だった。
ただし、生きた人間のものではない。
皮膚はどす黒く崩れ、肉の下から骨の輪郭が浮き出ている。
片方の頬は抉れたように裂け、濁った眼球が由伸をまっすぐ捉えていた。
口元はだらしなく開き、腐った唾液のようなものを垂らしながら、腕を伸ばしてくる。
自分に食らいつこうとしていることだけは、一目で分かった。
脳裏に、馴染みのある名前が浮かぶ。
リビングデッド。
UUOに存在する、ゾンビ系の希少モンスター。
その瞬間、恐怖とは別の回路で思考が一気に覚醒した。
リビングデッドは特殊な発生条件を持つ。
動物の死体が一定時間放置されたとき、ごく低確率で発生するモンスターだ。
通常、倒されたモンスターはポリゴン片となって消える。
だが、まれに死体として残る個体があり、それが時間経過で変質しアンデッド化する。
だからゲーム内でも遭遇率は低かった。
だが、今は違う。
この世界ではプレイヤーは死んでも復活しない。
遺体は残る。
火葬されなければ、そこにあり続ける。
そこまで考えたところで、由伸の背筋がぞっと粟立った。
「……そうか」
かすれた声が漏れる。
分かっていたはずだった。
死の重みも、復活がないことも、何度も意識してきた。
なのに、たった一つの致命的な違いを見落としていた。
死体が残る世界では、リビングデッドの発生条件がほぼ無制限になる。
死体はすぐに火葬しなければならなかった。
少なくとも、これだけの数を一ヶ所に集めておくのは危険すぎたのだ。
ここで眠るということは、モンスターの発生源のすぐ横で無防備に横になるのと同じだった。
「由伸くん!?」
由伸の絶叫でで佐奈が飛び起きた。
寝ぼけた様子はなく、異常を察したらしい。
だが、彼女の視線が由伸の向こうを捉えた瞬間、顔色が一気に青ざめる。
「え……なに、あれ……人、じゃ――」
「下がって! モンスターだ!」
由伸はインベントリを開き、建設用チェーンを取り出そうとする。
だが、その前に視界の端で別の動きが見えた。
白い布の列が揺れている。
一つではない。
二つでもない。
体育館のあちこちで、床に寝かされていたはずの遺体がゆっくりと動き始めていた。
布の下から腕が持ち上がり、肩が痙攣するように震え、不自然な角度に首を傾けたまま上体を起こそうとするものもある。
やがて白布がずるりと落ち、腐敗しかけた顔が次々に露わになった。
由伸の喉がひりつく。
一体ではなく、何体もいる。
ここに安置されていた死体が、時間の経過とともに死霊型モンスターへ変わり始めているのだ。
由伸はついに建設用チェーンを取り出し、立ち上がった。
最初のリビングデッドは、再び腕を伸ばして由伸の足元へ這い寄ってくる。
その向こうでも、白い布をまとった死体たちが次々と身を起こしていた。
あれだけの数が、全部敵になる。
そう思っただけで頭がくらりとする。
避難所のど真ん中で、眠っていた人間たちのすぐそばで、モンスターが一斉に発生する。
こんな事態を誰が予想できただろう。
――いや。
予想できたはずだった。
由伸は歯を食いしばった。
気づかなかった自分への後悔が、熱を持って胸を焼く。
UUOを知っていたのに、この危険を見落としていた。
知識があることだけが自分の強みだったのに、その肝心なところが抜け落ちていた。
ここはもう、ただの避難所ではない。
現実の顔をしたまま、UUOそのもののルールが剥き出しになった領域へ変わっていた。




