第12話 道程
スーパーを出てから、由伸たちはすぐに移動を再開した。
視界の端に浮かぶアイコンへ意識を向け、マップを開く。
目的地を北田小学校へ設定すると、半透明の案内線が地面の上に淡く浮かび上がり、住宅街の道路を縫うように先へ伸びていった。
「最短距離と安全な道は、必ずしも一致しない。できるだけモンスターと鉢合わせしないように、慎重に行こう」
「……ですね」
由伸がそう言うと、佐奈も小さく頷いた。
こうして三人は、北田小学校へ向けて歩き始めた。
住宅街は不気味なほど静かだった。
風が吹くたびに電線がかすかに鳴り、どこか遠くで何かが崩れる音が聞こえる。
それなのに、人の話し声も車のエンジン音もほとんどない。
つい数時間前まで確かにあったはずの日常が、音ごと消えてしまったようだった。
由伸はいつでも鎖を取り出せるよう備えながら、周囲を警戒して進んだ。
佐奈は少し斜め後ろ、黒原はさらに外側。
いつの間にか、そんな陣形になっていた。
「ところでさ」
しばらくして、黒原が前を見たまま口を開く。
「さっき、コンビニを見つけたんだよ」
「コンビニ?」
聞き返すと、黒原は軽く肩をすくめた。
「入ってみたんだけどね。スーパーと似たようなものだったよ。規模を小さくした版って感じかな」
「……時間制限もあるんですか?」
「ある。しかも別枠じゃなくて、残り時間がそのまま引き継がれる」
黒原は人差し指を立て、講義でもするように説明を続ける。
「たとえばスーパーで10分使ったとするだろう? そのあとコンビニへ入っても、新しく1時間もらえるわけじゃない。残り時間は50分のまま、って感じだね」
由伸は内心で舌打ちしたくなった。
つまり、気軽に店へ入って様子を見るだけでも、貴重な時間を消費することになる。
アイテムを買う時は慎重に考えないといけない。
何でもかんでも店舗へ入って確かめるのは得策ではない。
店内が安全地帯である可能性は高い。
だが、その安全を使える時間が限られているなら、無計画な入店は損失にしかならない。
由伸が考え込んでいると、黒原が「ああ、そうそう」と思い出したように付け足した。
「これは言い忘れてたんだけど、同じショップにはクールタイムがある」
「クールタイム?」
「うん。一度出たら六時間は再入店できないみたいだ。さっきのスーパーも、もう一回入れるのは六時間後らしい」
「……そうだったのか」
思わず声が漏れた。
店内に安全地帯としての価値がある以上、六時間の再使用制限は重い。
不用意に時間を使えば、本当に必要になった時に駆け込めなくなるかもしれない。
佐奈も不安そうに目を瞬かせる。
「じゃあ……間違えて入って、すぐ出ちゃったら、もうしばらく使えないってことですか?」
「そうなるね。なかなか意地が悪い仕様だよ」
黒原は苦笑した。
だが、目は笑っていなかった。
「たぶんこの世界、プレイヤーに安全へ慣れさせすぎないようにできてる」
十分あり得る話だった。
異星人の目的が人類観察なら、安易な避難や籠城を許さないのは当然だ。
「ただし例外もある」
黒原が続ける。
「アイテムショップ扱いでも、店の種類ごとにカテゴリが分かれてるみたいなんだ。たとえばホームセンターは別枠だった。スーパーとは別の時間、別のクールタイムで管理されてる。で、そこがまた面白くてね」
黒原は少しだけ表情を明るくした。
「ホームセンターは武器屋だった」
「武器屋?」
佐奈がきょとんとする。
「正確には装備屋かな。工具とか作業着とか、防具や武器扱いになってた。剣や盾、そういうのも全部装備品として並んでたよ」
「なるほど……」
この世界では、ホームセンターが武器屋になるのか。
「でも、ほとんど買えなかったんだ。レベル制限とか職業制限がついてた。いかにも使えそうな装備ほど条件が厳しい。今の僕らのレベルじゃ、装備できるものは大した性能じゃなかったよ」
「もっと強くなってからじゃないと意味ない、ってことですか」
「そういうこと」
黒原はちらりと由伸を見る。
「まあ、由伸君みたいに戦える人なら、低レベル装備でも扱い方次第で何とかしそうだけど」
「……買いかぶりすぎです」
そう返したものの、素直に受け取る気にはなれなかった。
今の由伸は、知識と経験こそあっても、結局はただの高校生にすぎない。
上位プレイヤーだった頃の力も装備もない。
調子に乗れば、あっさり死ぬ。
だからこそ、情報が重要だった。
由伸は頭の中で情報を整理する。
時間制限。クールタイム。カテゴリごとの管理。簡易ショップとの住み分け。
理不尽ではある。
だが、一応ルールにはなっている。
ルールがあるなら、対処のしようがある。
それを理解できれば、生き残る確率は上がる。
しばらく進むと、道の角に見慣れたコンビニが見えてきた。
「……あれか」
「そうそう。あれが簡易版スーパーみたいなもの」
黒原が顎で示す。
「寄る?」
「いや、やめときます」
由伸はすぐに首を振った。
「今は時間もクールタイムも無駄にしたくないので」
「賛成。判断が早くて助かるよ」
黒原はあっさり引き下がった。
佐奈もほっとしたようだった。
無理に店へ入る必要がないなら、そのほうがいいに決まっている。
三人はコンビニを横目に、そのまま通り過ぎた。
さらに歩きながら、今度はモンスターの出現傾向について話が移る。
「これも僕の見解だけどね。住宅街に雑魚モンスターしか現れないのは、人がまばらだからだと思う」
「……都心部はもっと酷い、ってことですか」
由伸が言うと、黒原はすぐに頷いた。
「うん。あっちは今、たぶん誰も太刀打ちできないレベルのモンスターが出てるらしい」
「地方は逆に安全かもしれない、ってことですか?」
佐奈の問いに、黒原は「たぶんね」と答える。
「人が少ない田舎ほど、安全な可能性は高い。少なくとも、いきなり高レベルモンスターが大量に出てくることはないはずだ」
その考えには、由伸も同意だった。
人口が多い場所ほど、観察対象も多い。
なら、より過酷な環境をぶつけてくるのは自然だ。
都心部は地獄で、地方ほど比較的ぬるい。
嫌になるほど分かりやすい構図だった。
佐奈はその会話を聞きながら、ぎゅっと自分の腕を抱いた。
「じゃあ……ここらへんは、まだマシなんですね」
「マシではある。でも安全じゃない」
由伸ははっきり言った。
「ワイルドピッグやコボルトでも、一般人には十分すぎるほど危険だから」
「うん……」
佐奈は小さく頷いた。
怖がらせたかもしれない。
それでも、現実を甘く見るよりはずっといい。
その後しばらく無言で歩いていたが、やがて黒原が「そういえば」とまた話を切り出した。
「掲示板、見た?」
由伸は首をかしげる。
黒原は少し驚いたように目を瞬かせた。
「ステータスウィンドウの中にある機能だよ。本来のUUOでも、情報交換でよく使われてたやつ」
「あ……」
言われて、ようやく思い出した。
黒原は慣れた様子で説明を続ける。
「レアアイテムのドロップ地点とか、クエスト情報とか、質問とか雑談とか、いろんな情報で溢れてる場所だ。で、今は当然、現実の生存情報で埋まってる」
「既プレイヤーたちが?」
「たぶんそう。少なくとも、ゲーム知識がないと書けない内容がかなり多い」
黒原は少し得意げに笑った。
「僕もそこで、北田小学校が避難場所になってるって知ったんだ」
「ということは……」
由伸が言いかけると、黒原が先を継いだ。
「そう。そこにはUUOの既プレイヤーがいる可能性が高い」
かなり心強い情報だった。
ゲーム知識のある人間がいるなら、一般人だけの避難所より対応力はずっと高いはずだ。
少なくとも、モンスターやシステムに完全な無知ではない。
「頼もしいですね……」
佐奈がほっとしたように言う。
道は次第に広くなり、住宅街の景色も少しずつ開けてきた。
ところどころに壊れた塀や割れた窓はある。
だが、スーパーへ向かう途中で見たような生々しい惨劇の跡は少ない。
気づけば、かなり歩いている。
なのに――死体が見つからない。
由伸は周囲を見回しながら、ぽつりと口にした。
「この辺、あまり死体がないですよね……。もしかして、ここらはまだ安全なんでしょうか」
佐奈の表情が少しだけ明るくなる。
だが、黒原はすぐには頷かなかった。
「安全ってわけではないだろうね」
周囲を見渡しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「どこかに遺体を運び込んでる場所があるのかもしれない。それこそ、北田小学校とか」
安置所のようなものだろうか。
「死体をそのまま放置しておくわけにもいかないからね。避難所があるなら、運び込んでいても不思議じゃない」
現実的な推測だった。
聞いて気分のいい話ではない。
それでも筋は通っている。
由伸もまた、周囲に死体がないことを単純な安全の証拠とは考えなかった。
むしろ、誰かが片づけているのだとしたら、それだけ避難所が機能している証でもある。
視界の先に、学校の敷地を囲む高いフェンスが見えてきた。
「あれ……」
佐奈が息を呑む。
「北田小学校……?」
由伸はマップを確認し、案内線がその方向で途切れているのを見た。
「間違いない。目的地だ」
門のある正面側まで近づいていく。
見慣れたはずの公立小学校が、今は砦のように見えた。
門は閉ざされ、フェンスの向こうには人影がちらほら見える。
だが、問題はそこではなかった。
「……いるな」
由伸は足を止めた。
校門の周囲を、数体のモンスターがうろついていた。
正確な数まではすぐに把握できなかったが、少なくとも無視して突破できる配置ではない。
佐奈が小さく息を詰める。
「どうして……門の前に……」
「柵を越えたがってるんだろう」
黒原は学校の外周へ目を向けながら言った。
校庭を囲むフェンスは高く、足場になるものも少ない。
モンスターたちは中へ侵入できず、それでも門の周囲には張り付いている。
「中へ入りたくても、あれじゃ僕たちも簡単には無理だね」
学校の中には避難民がいるかもしれないし、母の情報もあるかもしれない。
正面から突っ込むのは論外だ。
かといって引き返すのも違う。
フェンスを越える方法はあるのか、別の入り口はないのか、中にいる人間へ接触する手段はあるのか。
門の向こうにある避難所と、門のこちら側にいる自分たち。
その間にあるのはたった数十メートルの距離にすぎないのに、ひどく遠く感じられた。




