【第七話】兵士クゲル
やっぱり一人称の方が書きやすいので一人称で書きます。
すみません。
闇のように黒く長い毛並みに覆われ、四足歩行の犬のような見た目をした猛獣。
冷徹な紫紺の目つきが荒野の熱を一気に冷ました。
男の背後に向かって一心不乱に駆ける猛獣を目の当たりにし、俺の身体は完全に固まってしまった。
身体が動かない。じわじわと身体の内側から寒気が蝕んでいくのを感じた。
やばいやばいやばい死ぬ死ぬ死ぬ。
俺とハルの不自然な息遣いに男が眉を顰める。
「ん、どうした...?」
ゆっくりと振り向く男に俺は思わず口を開いて手を伸ばした。
必死に首を横に振るも、すでに男は身体をそむけて俺の警告には気づかないだろう。
──それがもうここまで来ているという事に。
「だめだ...!!!」
恐怖に打ち勝ち、辛うじて声を絞り出した。その刹那、男の左肩に猛獣の鋭い牙が沈むように深く刺さった。
服が食い込み、やがて張り裂ける。そこから弾けるように深紅の濃血が溢れ出る。
血は宙を舞って魔獣の体中に張り付いた。
「うぁっ...」
男が唸り声を上げると同時に、魔獣は首を捻って筋肉を噛み千切る。足で男を蹴り飛ばすと、そのまま後方へ飛び退いた。
さっきとは比べ物にならないほどの血しぶきが肩から上がり、聞くに耐えないほどの悍ましい悲鳴が荒野に響く。
鮮血に染まった左肩を抑えながら男は、二人の前で呆気なく倒れた。
「ぁぁ...ぁっ...」
言葉にできない恐怖が身体中を冷たく支配する。
歯はかちかちと不規則に音を鳴らせて、呼吸も小刻みに震える。
膝から崩れ落ちそうなのを必死に我慢をするも、もうすぐで力が抜けるだろう。
「っ...」
その時、するりと手から何かが落ちるのを感じた。
おもむろに視線を落とすと、そこには膝から崩れ落ちたハルが、瞳から光を消して虚空を眺めていた。
その手はもはや震えてすらおらず、もう生きることを諦めたのだと直感した。
「はっ...」
諦めたらだめだ。
死ねない。絶対に。
直後、脳内にしまい込まれた一つの記憶が突如として爆発する。
そうだ。俺は誉。霞陽夜誉だ。クソみたいな夢の所為で鬱になって、しょうもない死に方をした。
この子にはしょうもない死に方してほしくない。魔獣に殺されるなんてバカバカしい。
左の拳を強く握りしめた。勇気というより怒りからきたものだろうと感じ取った。
そっと右手をハルの頭に置く。彼女がはっとした様子で顔を上げると、俺は不器用ながら優しく微笑みかけた。
「大丈夫」
そう言うと風は靡いてハルの髪を揺らした。
すると、ハルは再び瞳に涙を溜めながら、温かい笑みで「うんっ」と頷いた。
強く歯を食いしばって魔獣を鋭く睨みつけた。
気がつけば魔獣は五匹に増えていたが、それでも、恐怖に負けたら終わりだ、と心の中で言い聞かせる。
──グオオオオオオオオオオオッッッ!!!
俺が睨んでいた一匹の魔獣が、濁った低い声を響かせた。
すると一匹、また一匹と続いて鳴き出し、それはやがて一度に収束した。
「くっ...待て...」
ふと視線を落とすとそこには、今にも倒れそうな様子で立っている男の姿が。
傷口を抑える右手が強張っている。
「お前らの相手は私だ」
そう口を開くと腰にある剣へと左手を伸ばした。
柄をぎゅっと握るとゆっくりと鞘から漏れ出したのは銀色の刃。
それは燦々と照りつける太陽の光に反射して光り輝いていた。
「えっ...大丈夫なんですか...?」
男の荒い息遣いが耳に入り、おもわず口を挟む。
だって、本当に今にも倒れそうなのだ。
「あぁ、安心しろ。ちょっと貧血でくらくらするくらいだ」
「それってかなりやばいんじゃ」
男の言葉にさらなる心配がこみ上げる。
そもそも左肩の神経を噛みちぎられているはずなのに、どうして左肩が動かせるのか。
俺の思考はまだ追いついていない。
「問題ない。君はそこのお譲ちゃんを守っていろ」
だが、男はまるでかっこつけているかのように俺の心配を一刀両断し、剣を鞘から全て引き抜いた。
きっぱりとしたその姿に、「は、はい」と答えるしかなかった。
男は数メートル先でグルグルと唸る魔獣に向けて勇ましく剣を構えた。
──グオオオオオオオオオオオッッッ!!!
再び魔獣が吠えたかと思えば、今度は男が声を上げた。
「私はサジタリアス王国の兵士”クゲル”!忌々しい貴様らを滅することが我ら”兵士”の使命である!!!肝に銘じておけ!!!」
男のその言葉がどうにも俺の心の中で響いた。
なんとも迫力のある声で、一瞬ぼうっとしてしまうほどだ。
風が舞っている。俺にはそれが、この兵士の気迫に乗っているかのように思えた。
クゲルは兵士の教訓のようなものを言い終えると、気勢を上げて魔獣の元へ駆けた。
踏み込む足からは土が舞うのが見えた。巻き上がっては、落ちる。それが、一瞬の出来事のようにも、緩徐のようにも感じた。
肉を裂く生々しい音が聞こえると、俺は顔を上げた。
クゲルが一匹の魔獣の首を撥ねていたのだ。
切られた魔獣の首からは紫色の液体が飛び散っては、クゲルの体中に豪快に張り付いた。
その瞬間、希望が生まれた。
──勝てるかもしれない。
そう思うと拳を握る力が上がった。
その拳を力強く天に突き上げて叫んだ。
「いけぇぇぇぇっ!」
その瞬間、クゲルの動きが変わったように見えた。
まるで、魔獣の動きを読んでいるかのように俊敏に牙を躱しているのだ。
一匹の魔獣がしびれを切らしたのか、無防備に猪突猛進する。その瞬間、クゲルの目が輝いた。
その時を待っていた。そう言わんばかりに小さく口角を上げて片足にくっと力を込める。
魔獣との距離が二メートルほどに縮まると、ひょいと右に避けた。
突進に一心だった魔獣は標的を失う。
その頃にはもう、クゲルの剣は天高くに突き上げられていた。
「うおりゃぁ!!」
力強い気勢と共に、剣は魔獣に向かって振り下ろされる。
力強さ故に、肉を裂く鈍い音は一瞬だった。
魔獣の頸は荒野の乾いた岩石に重たげに落ちた。
「おぉ!」
俺の漏らした感嘆の声も束の間、クゲルは三匹目の魔獣を相手にしていた。
しかし、体力の消耗が激しく、傷口も開くばかりでとても優勢とは言えなかった。
それに、クゲルと相手する魔獣は二匹。足手まといは二人。最悪の状態だろう。
──応戦するしかないのか...?
一つの考えが脳内をよぎる。
いやいや、戦い方も知らなければ武器もない状態の俺が戦場に立ったところで何ができるんだ。
固唾を飲んで見守ることが俺とハルにとっての応戦なのか。
二つの思考が葛藤する一方で、クゲルの勝負は着々と決着がついていた。
二匹の魔獣に囲われて、なすすべなしと言ったところだろうか。
よろけながらも不器用に剣を振り回し威嚇している。
なにか方法はないか。自分でもできることは...
懸命に戦うクゲルの姿が陽炎に揺れる。
「自分でもできること...」
着々とクゲルとの距離を縮める魔獣を目の当たりにし不安と焦りで頭がいっぱいになる。
考えようと頭を捻ろうとも、思考はびくともせず、時間だけが経過していく。
「くっそ...」
自身の無力さに拳を強く地面に叩きつける。
ドツ、という鈍い音が地を鳴らすと、ハルの肩がピクリと動いたのが視界に映った。
あっと声が漏れた。
ハルが怯えて俺から後ずさりしていたのだ。
驚かせてしまったと直感すると、申し訳ないという気持ちに苛まれた。
「何のためにここに来たんだ俺は」
ぶつりと一言。
しかし、その言葉は自身への憤りで満ちていた。
「いいや、俺でもないハルのために来たんだろ、俺は」
また一つ声を漏らすと、笑みが溢れた。
これも、ただただ自分勝手で自己中心的な感情だった。
「誰かのために身体を張るって...一体何年ぶりだ?」
しかし、それでも、今だけはそれで良いと噛み締めた。
「元気がなけりゃ頭が回るわけないよな...」
クゲルの方へ再び顔を上げた。
しかし、自分でもわかるくらいさっきとは違うような気がした。
「ビビることない。なにせ俺は命がけで死のうとした男だからな」
この世界に転生したときから、俺はずっと感じていた。
助けを求めてきた時、心の底では凄くやる気がみなぎっていた。
「なぜか無性に、無条件に人を助けたかったんだ。」
左足にくっと力を込めて前傾姿勢を作る。
「ごめん、ハルちゃん。少し離れる。」
心の中に恐怖心が消える。それと同時に、闘争心が滾った。
ゆっくりと瞬きをすると、力強く地を蹴った。
その瞬間、つま先から踵を一直線に衝撃が走る。まるで、雷を落とされたかのように。
「おわっ!?」という間抜けな声を出したときにはもう遅かった。
身体が強く打ち付けられる感覚に襲われ、それと同時にドゴンと雷が落ちる音が鼓膜を劈いた。
わけもわからないまま反射で閉じていた瞼を開けると、俺の腹部に魔獣の胴体が接触していた。
ただ、それも刹那だった。
体制を崩すと地面に頭から着地し、そのまま魔獣と共に数十メートルまで吹き飛ぶ。
痛い痛い痛い。
荒野の硬い岩は容赦なく貧弱な身体を打ち付けた。それもかなりの時間だった。
──何が起きた????
それもそのはず、俺はただ単にクゲルを囲っていた魔獣の気を自分に向けようとしていただけだったのに。
それなのにこの様。体中は激痛に襲われ、ただ呻くことしかできない。
なにかこみ上げてくると思えばそれは吐血だった。
胃液が混じっていて酸っぱいし熱い。気持ち悪すぎてもう一度吐きそうになる。
荒い息の中、辛うじて開いた目に映ったのは一匹の魔獣が俺の数メートル先で倒れていた姿だった。
新しい魔獣に襲われたのか。あの魔獣の攻撃ではないことは直感していた。
だが、もしそうだとしたら泣きっ面に蜂だ。
辺りを見回すとすぐにクゲルの姿が見えた。しかし、なぜか唖然としていて動かない。
俺が踏み込んだ辺りは真っ黒に焦げていた。そして、それは魔獣とぶつかったタイミングでなくなっていた。
意識が朦朧とする中で懸命に全体を見回すととあることに気がついた。
俺を攻撃したと思しき魔獣は居なかった。
その瞬間、俺の中で一つの仮説が浮かんだ。
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