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やり直しの獣は愛しい花に触れられない  作者: トウリン
二人の王子

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13/22

待ち望んでいた再会

 宰相ブランシュ公爵とその妻公爵夫人。


 そして、もう一人。


 その姿を目にした瞬間、アルベルクはヒュッと息を呑んだ。


(彼女だ)


 間違いない。

 間違いようがない。


 噴き出すように、胸の奥から込み上げてきた多幸感。

 ずっと、ずっとずっと長い間、焦がれ続けていた。もう一度逢いたくて、たまらなかった。

 もう一度逢えるなんて、心の底から望んでいたことだけれども、信じてはいなかった。

 きっと、もう二度と逢うことは叶わないのだと、気持ちのほとんどは諦めていた。


 なのに。


 また、逢えた。

 逢えて、うれしい。


 彼女に駆け寄りたい衝動に襲われる。


 いつもそうしていたように、駆け寄って――


(――いつものように……?)


 刹那、スッと、アルベルクの中から何かが抜けたような気がした。

 会いたい、会えて嬉しいという気持ちは依然として彼の胸の内を満たしているが、ほんの一瞬前まで燃え盛っていた身の置き所がないようなどうしようもないほどの衝動は、消え失せている。

「何だったんだ?」

 思わず呟いたアルベルクに、ロジェが問いかけるような眼差しを向けてくる。忠実な侍従に小さくかぶりを振って、アルベルクは再びブランシュ公爵たちの方へと眼を戻した。


 夫妻と、その、一人娘。


 父親と母親の後ろで二人の陰に見え隠れしながらゆっくりと近づいてくる彼女に、アルベルクはひたすら目を凝らす。

 髪の色はよく熟れた栗の実のようで、アルベルクの記憶にあるものよりも明るいような気がする。だが、同時に、まったく違和感なく目に馴染んで、確かにその色だったようにも思う。

 アルベルクは眉をひそめた。リリアーヌのことは何一つ忘れていないと思っていたから、そのわずかな記憶のズレがしこりのような違和感になる。

 だが、子どもの時と髪色が変わることは、あり得る話だ。公爵夫人は亜麻色に近いし、きっと、段々と薄くなってきたのだろう。

 リリアーヌが変わっていく様を傍で見ていられなかったことは口惜しいが、過去のことはどうにもできない。どうやっても取り戻せないことにこだわっても、仕方がない。


 それよりも。


(これからはずっと一緒にいられるのだから)

 今この瞬間から先のリリアーヌのことは、何一つ見逃さなければいい。


 そんなふうに気持ちを切り替えたアルベルクの前で、歩み寄ってきていたブランシュ公爵が微笑んだ。

「アルベルク様、こちらが娘のリリアーヌです。最後にお会いになられたのはもう十年も前のことですから、お忘れかもしれませんが」

 そう言って、ブランシュ公爵は背後に控えた娘を促す。

「ほら、リリアーヌ。こちらがアルベルク王子であられる。ご挨拶なさい」

 父親の言葉で、彼女が前に踏み出した。

「アルベルク様。お久しぶりです」

 銀の鈴を鳴らすような声が、夜会の喧噪の中で唯一の音色のようにアルベルクの耳に届く。子ども特有の甘さが消えて、少しだけ低く落ち着いた響きになった、声。

 そうして彼を見上げてきた瞳は、覚えているものと寸分違わぬ菫色。


「リリィ――」


 ホロリと口から零れ落ちた呟きに、アルベルクはハッと我に返る。


 何故、そんな呼び名が出てきたのか。

 ある意味ほとんど初対面に近い淑女を愛称で呼ぶなんて、不躾にもほどがある。

 案の定、リリアーヌはキョトンと目を見開いて、アルベルクを見つめていた。

「なんで、その呼び方……」

 小さく呟いた彼女に失礼を謝ろうとしたアルベルクだったが、ブランシュ公爵に阻まれる。彼は娘に咎めるような眼差しを向けた。

「何を呆けているんだ。アルベルク様、この子は田舎暮らしが長かったせいか、社交の場に不慣れでして」

 我に返ったアルベルクは、小さく咳払いをして取り繕う。

「いや、私もぼんやりしていたよ。リリアーヌがあんまりきれいになっていたから」

 嘘偽りのない本心でそう告げると、リリアーヌの頬が紅く染まった。アルベルクの言葉は他の貴族青年が駆使する美辞麗句の足元にも及ばないような代物だったが、彼女は今まで僻地に引きこもっていたから、異性からの称賛を受け慣れていないのだろう。

「ありがとうございます。アルベルク様もお元気になられて」

 そう言ってふわりと笑めば、幼い頃の面影が濃くなった。


(この、笑顔だ)

 愛らしさが勝つ面立ちに浮かんだその笑みは、アルベルクの記憶のままに温かく心地良い。


『そう、オレは、この笑顔が好きだった』


 今、アルベルクの中には、十年の時を経ているというのにまるでずっと傍にいたかのような既視感があった。


 笑っていてくれてうれしい。

 幸せでいてくれてうれしい。


 そんな想いが溢れ出す。


 ――何だろう。


 確かに己の身の内にあるものの筈なのに、まごうことなきアルベルクが感じて思っていることだというのに、何かが少しおかしい感じがする。

 その違和感を追いかけようとすると、ズクンとこめかみに痛みが走った。


 思わずそこに手を当てたアルベルクに、案じる声が届く。

「アルベルク様?」

 眉根を寄せて見つめてくるリリアーヌは、顔いっぱいに「心配だ」と書いている。それは、昔、アルベルクが具合を悪くするたびに彼女が見せていた表情そのものだった。

(十年前に戻ったみたいだな)

 幼いリリアーヌがそうやって心配そうな顔をしたときは、いつも、アルベルクは彼女の丸い頬を両手で包んで宥めていた。


 今も、無意識のうちにそうしようとしたアルベルクだったが。


『だめだ!』


 突如頭の中に響いた鋭い声に、リリアーヌに向けて伸ばしかけていた手を鞭で打たれたように跳ね上げた。

 それは、見るからに不自然な動きだったに違いない。

「アルベルク様? どうかされましたか?」

 リリアーヌに呼ばれて自分が取った行動に気づいたアルベルクは、顔の筋肉を総動員して笑顔を作った。釣られたように、リリアーヌもおずおずと笑みを浮かべる。

「ごめん。なんでもないよ。公爵、リリアーヌを私に預けてくれるかな?」

 いぶかしむ彼女の眼差しから半ば逃れるようにブランシュ公爵に目を向ければ、彼は深々と頷いた。

「それは、もちろん。積もる話もおありでしょう。どうぞ、お連れください」

 許可を得て、アルベルクはリリアーヌに手を差し伸べる。


 今度は大丈夫。

 何も、起きない。


 ――ならば、さっきは、いったい、何だったのか。


 アルベルクは重ねられたリリアーヌの小さな手をそっと握り返す。

(もしかしたら、リリアーヌに会えた喜びで少しおかしくなっているのかもしれないな)

 ずっと、長い間焦がれていたことがようやく実現したのだ。

 多少、頭のどこかがおかしくなっても仕方がないことなのかもしれない。

 アルベルクは自分自身をそう言いくるめ、リリアーヌを見下ろした。目が合えば返される微笑みに、この上ない充足感を、覚えながら。


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