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ゆきにぼたん  作者: みみずく
第一章 牡丹と枯野
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差し出された手を取った瞬間、グイッと手を引かれて、私は、枯野の腕の中にいた。

私達に近づいてきた橘公爵は、私の腰に回された腕をちらりと見た後、親しげな口調で枯野に話しかけた。

「今晩は、枯野殿。素晴らしい夜ですね」

枯野は、軽く会釈をすると、返事をした。

「今晩は、橘公爵。まったく最高の夜ですね」

橘公爵は、視線をずらして、枯野の腕の中で身を縮めている私を視界におさめた。

「宮廷に慣れるまで時間がかかる方もいらっしゃるようですが、枯野殿には、いらぬ心配のようだ。美しいご婦人を連れていらっしゃいますね。ご紹介頂けますかな」

枯野は、ふわりと笑い、私を抱く腕に力を込めた。

「牡丹といいます。今しがた、私の婚約者になりました」

橘公爵の目が大きく見開いた。

余裕たっぷりに微笑む枯野を公爵は忌々しげに見た。

「思い出しましたよ」と公爵は言った。

「どこかで見たことがある顔だと思ったら、散里王女の女官ではありませんか」

ねっとりした視線が気持ち悪く感じて身を竦めると、枯野は、私の頭を撫でて、額に口づけを落とした。

私を自分のものだと誇示するための演技だと頭では理解していても、頬が熱くなるのを感じた。

「そうです。王女に献身的に尽くすように、私のことも想ってくれる女性です」

「ご冗談を。散里王女のお気に入りだといえども、所詮は女官でしょう。愚かな夢を見せるのは、残酷ではありませんか」

公爵は、苛々したように言った。

「勘違いをされているようですが、牡丹は、れっきとした伯爵令嬢です」

しれっとした顔で言い放つ枯野に気色ばんだ公爵は、人目も憚らず、声を荒げた。

「とても信じられませんね。不義を犯して、家を放り出された女の娘だ。伯爵は、一度も会いにきたことがないと聞きますよ。本当の娘ではないと思っているのでしょうな」

公爵の声は、大きくて、私の心いっぱいに広がるほど響いた。

私の出生を知る人間は宮廷に多くないと思っていたのは、私の思い違いだったようだ。

公爵の言葉は大部分真実だったけれど、それだけに心をえぐられたような気分だった。

周囲から注がれる好奇の視線から逃れたくて、その場を離れようと身を動かした時、腕を強く掴まれた。

逃げるな、と言われている気がした。

顔を上げると、橘公爵を見据える枯野の横顔が見えた。

いつも飄々とした印象を与える男は、別人のように冷たい空気を放っていた。

「牡丹は、私の婚約者です。私の婚約者を貶めるような言葉は慎んで頂きたい」

静かな、けれど、きっぱりと言った枯野は、私の腕を掴んだまま、夜会の会場を後にした。






人気のないところまでくると、枯野は、私の腕を離した――――と思ったら、抱き締められた。

「泣くんだ」

枯野は、命令するような鋭い声で言った。

「大丈夫です」と言って離れようとしたけれど、腕の拘束は強まるばかりだ。

枯野は、私の頭を自分の胸に押しつけて、髪を撫でる。

私は、拘束から逃れるのを諦めて、目を瞑った。

頭上から息遣いが聞こえ、硬い胸板の奥からドクンドクンと規則的な音が聞こえる。

枯野の腕は私を逃さない強固な囲いのはずなのに、不思議と恐怖を感じない。

考えてみれば、私には、誰かにこうして強く抱き締められた記憶がない。

母親の腕は、いつだって幸のだけのものだった。

幸はいつも安心しきった顔をしていた。

今の私も同じ顔をしているのだろうか。

ふと気が付くと、目の前にある枯野の胸が濡れていた。

――――雨だろうか。

いや、屋内に雨が降るはずはない。

私は、はっとして、頬に触れた。

熱くて、しっとりと濡れている。

「少しずつ。ゆっくり泣けばいい」

低い声が囁き、大きな掌が私の顔を包み、筋張った指先が頬を伝う熱い雫を拭う。

優しい仕草は、なぜか私を苛立たせた。

心を覗かれているようで。

「悲しくなんかない。誰も私を傷つけることはできない。これは、涙じゃない」

激しい口調で弁解すると、枯野は首を振った。

「母親を悪く言われたんだ。誰だって、泣きたくなるくらい悲しいことだと思うよ」

「そうなの」

「そうだよ」

枯野は、空が青いのは当然だという口調で言った。

だから、私は、泣いた。

心ゆくまで。

時間はまるで止まったように。





「頭痛い」

鼻声で文句を言うと、枯野は、私の額をそっと大理石の支柱に当てた。

ひんやりと冷たい感触に力が抜けていく。

泣き過ぎて、柱に頭をあずけたまま、私は、問いかけた。

「どうして、私と婚約したいの。私が大好きってわけでもないでしょう」

枯野は、「そうだな」と言った。

「春までに宮廷である程度の地位を確立したいと思っているんだ。あなたは、王女のお気に入りだし、宮廷に10年もいるから、作法に詳しいだろうから、心強い。それから、俺は、宰相の息子だけど、春まで爵位をもらえない。婚約でもしなければ、3ヵ月間ずっと年頃の娘を持つ爵位持ちの親に遠慮なく追い回されるだろう。婚約者がいると非常に助かるんだ。あれ、がっかりした?」

私が一歩後ろに下がったので、枯野は、首を傾げた。

私は、「いいえ」と答えた。

「打算的な理由でよかったと思いました」

そう言ってから、私は、宰相様の息子であり私の婚約者である枯野という名の男に手を差し出した。

「今日は、庇ってくださってありがとうございます。出来る限り、あなたの野望に協力しますから、春まで頑張りましょう」

枯野は、少し驚いた顔をした後、目を細めて探るように私を見た。

私は、にっこり笑ってやると、枯野もにやりと笑った。


私達は、握手を交わした。


ゴールデンウィークなので、明日は都会に出てきます。


大きな本屋さんに行きたい。


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