第1話「発火」
東京。
夜なのに、空気が熱い。
ななが立ち止まる。
「……暑ない?」
ゆたかが空を見上げる。
「気温ちゃうな」
神父が静かに言う。
「局所的です」
一拍。
「“感情熱”の反応に近い」
人面犬が鼻を鳴らす。
「また厄介なの来たな」
その瞬間。
遠くでサイレン。
1台ではない。
複数。
連続して鳴っている。
「火事か?」
ゆたかが呟く。
だが——
すぐに気づく。
「……多すぎる」
サイレンが、線のように続いている。
なながスマホを見る。
ニュース通知。
『都内複数箇所で同時火災発生』
一拍。
「は?」
神父が眉をひそめる。
「同時発生は不自然です」
人面犬が笑う。
「偶然じゃねぇな」
そのとき。
“ドンッ”
遠くで爆ぜるような音。
夜空に、赤い光。
炎。
ビルの一角が燃えている。
ななが小さく言う。
「……えぐ」
だが——
違和感はそこではない。
ゆたかが目を細める。
「人が逃げとるのに」
一拍。
「焦ってない」
神父が続ける。
「むしろ……」
「怒っています」
ななが振り向く。
「怒ってる?」
そのとき。
通りすがりの男が叫ぶ。
「ふざけんなよ!!」
別の場所でも。
「なんで俺が!!」
さらに。
「許せへん!!」
怒り。
それだけが増幅している。
人間同士の衝突。
火災現場なのに。
ななが呟く。
「避難ちゃうやん……」
ゆたかが言う。
「違うな」
一拍。
「火が先やない」
視線を上げる。
炎の揺れる方向。
そこに——
“立っている”
女性。
ゆっくりと。
燃える街の中に。
だが、燃えていない。
周囲だけが燃えている。
彼女の周りだけ。
静かに。
熱だけが歪んでいる。
ななが息を呑む。
「……あれ、何?」
神父が答える。
「観測されています」
一拍。
「感情の中心です」
人面犬が笑う。
「出たな」
ゆたかが一歩前に出る。
「紅蓮女か」
女性が顔を上げる。
表情は——
怒っている。
というより。
ずっと怒っている顔。
固まっている。
動かない感情。
ゆっくりと口を開く。
「……うるさい」
一拍。
「全部、うるさい」
炎が揺れる。
ななが後ずさる。
「いやいやいや……」
「なんなんこれ……」
ゆたかが低く言う。
「溜まっとるな」
神父が補足する。
「抑圧された感情の蓄積です」
人面犬が鼻を鳴らす。
「爆発寸前って感じだな」
その瞬間。
紅蓮女の視線が——
こちらに向く。
なながビクッとする。
「見られた……」
空気が変わる。
一気に。
熱が上がる。
呼吸が重い。
怒りが、流れ込んでくるような感覚。
ななが顔をしかめる。
「なんか……ムカついてきた……」
ゆたかがすぐに言う。
「気ぃつけろ」
一拍。
「これは“感染”や」
神父が言う。
「感情伝播です」
炎ではない。
怒りそのものが——広がっている。
紅蓮女が一歩、進む。
その瞬間。
周囲の怒りが爆発する。
誰かが叫ぶ。
「なんやねん!!」
別の声。
「ふざけんな!!」
怒りが連鎖する。
人が人にぶつかる。
火事より先に。
人間が崩れていく。
ななが呟く。
「これ……戦われへんやつやん……」
ゆたかが言う。
「せやな」
一拍。
「殴ったら負けるタイプや」
紅蓮女が静かに言う。
「我慢してた」
一拍。
「ずっと」
炎が少し強くなる。
「もう無理」
ななが呟く。
「……話、通じるん?」
ゆたかは答えない。
ただ見ている。
神父が言う。
「接触は危険です」
一拍。
「怒りが増幅します」
人面犬が笑う。
「めんどくせぇ敵だな」
紅蓮女が一歩進む。
炎が揺れる。
空気が歪む。
そして——
ゆっくりと。
こちらを見て。
言う。
「全部……消えればいいのに」
■ 第11章 第1話 終




