二章 27夢 立場
――「内通者は『アルメリア』だ」
シギリのその一言は、決定打であると共に、ユミの王城での生活。その憂いを消失させた意味をも含まれている。
ユミは啖呵を切って自らの立場を形成。それでも立ち位置は未だ不鮮明ながらも、第二王子の客人というその立ち位置が、自然と外堀を埋めていく。不自然な『赤髪』といえど、己を保持した行動を第一王子――シギリが褒めたたえたのだ。それだけで――否、それが王家という力。しかもその力は、ほんの一端でしかない。
シギリの支配力がとてつもなく大きいのは、言わずもがなのことである。
内通者疑惑はアルメリアへと向けられている。これで全てが終わり――などあり得ない。だからこそ、ユミは急いで資料室を飛び出した。
――何のために戻ってきたのか。
それは約束を果たすため。
約束とはコウと紡いだ甘えさせるという、とても身勝手なものだ。ならばそこにアルメリア――彼女の存在は必要ない。
だが、繋がっている。ユミとアルメリアは繋がっているのだ。
客人と侍女という希薄な関係なのかもしれない。だけどユミにとってアルメリアはそれ以上の――妹見たいな存在だ。
出会ってからたった三日。そのわずかな期間でも、それ以上の確かな追憶はユミの中にあって――裏切られ、売られ、拒絶し、殺した。それらセンセーショナルな死亡遊戯で掛け直ししてもなお、ユミはアルメリアにこだわる。
自分自身が言ったことだ。
――――アルちゃんは私が守ってあげる。
彼女からすれば、何とも思われていないかもしれない。厄介な存在だと思われていても何ら不思議ではない。ただそれでも守りたい。似た物を持つ者同士だから惹かれたのだろう。理由などそれで十分。一度繋がったこの架け橋を捨てて行くなどできやしない。そんな思いが今のユミを突き動かしていた。
ユミは急いでアルメリアを探そうと、まずはコウたちのいる執務室を目指すために、同じように曲線を描こうとした矢先、ドンッと何かにぶつかって尻餅をついた。目の前が眩む最中、「大丈夫か?」と眼前に差し出された手のひらに、「あゎゎ……ごめんなさい、ごめんなさい」とあわくって謝りながらその手を取ると、半分まで体が持ち上がった途端、ポイッとその手をほどかれてユミは再び尻餅を着いた。
「なっ!? 何するのよ!」
ユミは力強く見上げた先の人物へと思いをぶつけた。
ムカつく。いけ好かないやつがいたもんだと思った。ぶつかったのは謝っただろうに。
明らかにわざとだ。手を差し伸べたにも関わらず、それを捨て置いて嘲笑う。いかにも貴族のやりそうなこと。魂胆が見え見えなのだ。羞恥を晒させる行為に励む前に、泥のついたその腑抜けた高位を、自分自身のために磨きあげたらどうなとか。
ユミはリコリスとは別の意味で、女心を知らぬ者がいようとは思わなかったが、そんな苛立ちの募る内心も、瞬時に塗りつぶされることになる。
「あははは、悪い、悪い、ユミ。――でも、謝るのは無しだって約束しただろ? 忘れたのか?」
「――えっ!? こ、コウ!?」
そこにはなんと、転んだユミを見て爽やかに笑い飛ばし、再び手を差しのべる人物が、第二王子――コウ・ゼネリアだったからだ。
「俺も謝ったから、これで差し引きはなしだ」
「……ありがとう、コウ」
何とも言えない気持ちになって、ユミはコウの手を取って立ち上がった。
――――久しぶりにコウに会えた気がする。すごく久しぶり……なんだろうこの気持ち。胸が高鳴ってる。緊張なのか、びっくりなのか分かんない。けど……。
今は感慨に浸っている場合ではない。
ユミは平静にパッパッと転けた際の埃を払っていると、「ユミだけ?」とコウの後ろにいたカイから投げかけられて、
「――え? ど、どういうことですか?」
疑問点が浮上し始めた。
アルメリアはコウたちのもとに行ったはずなのだ。それなのにカイのその質問はまず前提としておかしい。
それにコウは剣を携えている。紛れもなくその剣は、前にユミがリコリスから受け取ったことのある剣であったからなおのこと。
「質問に質問で返されても、分からないよ?」
「あっと、その……私は今、一人です。一応、リコリスさんと一緒に資料室に来たので、厳密に言えば一人じゃないですけど……」
「そのことは分かってる。俺たちがここに来たのも、ユミの部屋で書き置きを見たからだ。――リコリス候は資料室にいるのか?」
「う、うん……」
ユミの返事を受けて、コウはカイに合図を送る間もなく彼女は資料室へと入っていった。
ユミにはコウたちが何か慌てているように見えた。それだけに、アルメリアのことが伝わっているのだと悟った。
「――あ、あのねコウ」
「――あのなユミ」
シンクロするように二人は同時に語った。「あっ……」と漏らす声も重なるが、ユミはそれを押して前へと出た。
「――アルちゃんのことでしょ?」
急務に飛び出す強ユミは、コウへと瞬時に本題を切り出した。
今はとにかく時間が惜しかった。今必要なのはためらいなどではない。急ぎつつも冷静に事を運ぶことだ。
コウは即座にユミの意図を理解したようで、「ああ、そうだ」と一言。彼女の肩に手を置き、目線の高さを合わせた。彼の顔色が真剣そのものへと変貌していき、
「とりあえずユミは部屋に戻れ。俺たちが戻ってくるまでの間、部屋を出るな。――いいな?」
「そ、それは……私はコウたちの邪魔者ってこと?」
「それは違う。――お前の言いたいことはだいたい分かってる。アルを助けたいのは俺も同じだし、カイもそうだ」
コウはユミの意図を理解し、言葉を代弁した。
――助けたい。
その一心で動いているのは自分だけじゃない。コウもカイも同じ気持ちなのだと、ユミは少し安心感を得た。しかしそれも、「けどな――」とそれから続けられたコウの立場上の見解を聞かされて、自らに込み上げてくる思いとの葛藤に苛まれた。
「それとこれとでは全く話が変わってくる。もし本当に情報を流しているのがアルなら、俺はこの国の第二王子として『内通者』をみすみす野放しになんて真似はできない。――この先は俺の域を完全に超えた問題だ。この国事態の問題なんだ。……分かってくれ、ユミ」
コウは不甲斐なを露にしてユミへと懇願した。
――――分かってる。
ユミは十二分に理解しているつもりだ。組織の頂点に近しいがために、苦渋を飲まさせる立場のことを。
自らの意思に従えない。自分を守るために組織にいるのではない。組織を守るために自分がいる。そのために支払う代償に、今コウは悩まされる。しかしそれでも、ユミはコウの手を払い退けて、「――イヤだっ!」と力強く彼の体を押して、訴えかけにかかった。
二人の間には、少しばかりの距離ができた。
たとえ嫌われてもいい。ユミはその一心で悪役でも、悪者でも、悪ユミでも何でも買ってやると決めた。
「コウの言ってることって、つまりは損切ってことでしょ? そんなの駄目だ! アルちゃんを切り捨てて、ホントにコウはそれでいいと思ってるの? 自分に嘘ついて、ホントに苦しくなった時が来ても、その時にはもう後戻りなんてできないんだよ? 分かってるの?」
「分かってる! 俺だってアルを助けたい! そのために思いつく限りのことは考えたつもりだっ! ……っ、どれも意味なんてないけどな」
鼻で乾いた笑いを飛ばしたコウ。苦笑いよりも深く、引きつらせたその表情に、ユミは手立てがないことが窺えたが、
「――それでもそれを話してって言ってるのよっ! 一人で抱え込んでも意味ないでしょ! ……何? クールぶって一人で諦めて、結局は自分のことが一番大切だなんて言うつもりなの? 笑わせないでよっ!」
「そんなこと一言も言ってないだろ!」
「……っ!」
それでもあえて挑発まがいに煽る言葉でユミはコウを刺激したが、結果は逆効果だった。彼から聞く初めての怒声に突き飛ばされ、ユミは再び尻もちをついた。見上げる彼の表情が険しさを纏っている。
――――一人で抱えても意味がない。
そう思ったのだが、今のコウにそれが通じていない。それをみなまで伝えたところで、焦燥感に苛まれている彼はさらに落ちてしまう。だからここは自分で気づくしかない。
コウは我に返ったのか、「わ、悪い」と軽はずみな行動を謝罪し、ユミへと手を差し伸べた。
差し出された手を前に、ユミは思う。その手を取っても何も変わることはない。元に戻るだけでしかない。そして、ここでその手を取ってしまえば、コウが辛くなるだけだ、と。
だからこそ今はその手を思いきり弾いて、「落ち着いて」と冷静さを取り戻すように促した。
ユミは一人で立ち上がり、今度は自分がコウの肩を掴んで見上げて、
「……私が言うのも変だけど、今は私たちで言い争ってる場合じゃない。今できることをしようよ」
まるでマッチポンプのように、自分で起こしたことを棚に上げた発言に、「……お前が言うなよ」とコウに冷静に突っ込まれて、「だから変だって言ったじゃん!」とユミは突き放して逆切れのようにプンプンと怒った。
そんなユミを見て笑みを浮かべるコウがいた。一先ず早まったことを阻止できたようで、「……ホント話せないの?」と弱々しく詰め寄ると、「……分かった」と話す気になってくれたはいいものの、情けなさがひしひしと伝わってくるコウの返事であった。
「アルを助けるにはどうしたって兄さんが障壁だ。兄さんは俺のずっと先を行ってるし、俺の考えにだって当然行きついてるはずなんだ。そうなれば手を回してくる。もし仮にアルを助けられたとしても、次は恐らく……」
言いずらそうなコウだが、ユミは大方理解した。もしアルメリアを助けれたとしても、その火の粉は次に自分へと来るのだと。ただそれでもなおユミは、「……続けてコウ」と催促する。
「――お前にはまだ借りがある。約束だって残ってる。お前とアル。どちらかしか救えないとしたら、俺ははっきり言って選べない。選べないが、それでも選ばなくてはならない時が今だとするなら、ユミ――俺はお前を選ぶ」
ユミは素直に嬉しかった。アルメリアより自分を選んでくれたことが、すごく嬉しいはずなのに、
「そんなのダメ! 私じゃなくてアルちゃんを選んでよ!」
ただどうしても、アルメリアを捨てて自分が選ばれることを受け入れなど、到底できやしなかった。
ユミは強く断りをいれると、「……お前ならそう言うと思ったよ」とのコウの思わせぶりな言葉とその際の視線誘導に、思わず釣られてしまう。振り返ってしまった――次の瞬間、
「――すまない、ユミ」
「……っ!」
頭に強い衝撃が走って、ユミの目の前は闇に染まっていった。
バタリとその場に倒れるユミ。それをコウは受け止めて、
「……お前に非はない。これは俺の力の無さが原因だ」
彼女を強く包容しながら、聞こえていない彼女の耳元でそっとそう呟いた。
戻ってきたカイにコウはユミを託し、共に現れたリコリスとその場から去って行く。
内通者を捉えるために動き出してしまったコウのことを、その時のユミは当然、知るよしもなかった。




