一幕 9話「一日の終わり」
ぼんやりと黄色い布にくるまれたランプの炎が揺れる。縫い目が織りなす、か細い影が薄っすらと石造りの壁に伸びている。
タケルは、ベッドに横になり、なんとなくその様子を眺めていた。
「どうした? 浮かない顔をして」
「そんな顔してた?」
うむ。とアルが少し眠そうな目をしながら頷いた。小さなテーブルの上に敷かれた布のベッドに腰を落とし、丸くなっている。色合いがダルマみたいだ。
「なんだか、夢みたいなんだよ」
「ほう?」
「現実じゃないみたい。うーん、でも夢でもないんだ。すごく鮮明で‥‥」
「ここは、紛れもない現実だからな」
「君にとってはそうなのしれないけど」
タケルは、カラフルな衣の袖をグッと伸ばしてみせた。風呂上がりに、着替えがいるでしょ? とサファイアが用意してくれたものだ。
「この生地の柔らかさ、しっとりとした感触も確かに感じてる。夢ならこんな風に感じないはずだよ‥‥ でもまだ信じられないんだ」
「もとの世界というやつか」
タケルは、コクリと頷く。白い色の石壁が、オレンジと赤のコントラストに揺らめく。壁に飾られた綺麗な絵画は、微笑する夫婦の絵だった。なんとなく、あの二人に似ている。
「もう、帰りたいとは思わないのか?」
「そりゃ帰りたいさ‥‥ でも、帰っても‥‥」
現実世界で起きたことを想像するだけで、胸が痛くなる。帰ったところでどうすると言うのだろう。二人がいない世界で、涙に暮れろというのだろうか。
タケルの悲しげな表情を読み取ったアルが、首を傾げた。ごまかすようにタケルは、質問をする。
「ねえ、リラってどんな子だったか、続きを聞かせてよ?」
「リラ様の話か?」
「そうだな‥‥ アルはいつからリラって娘に使えてたの?」
「‥‥ 私は、生まれも育ちもフィブラ王国でな。幼く飢えていた私を、アウドフィル家が拾ってくださったのだ。それ以来、私はこの生命をアウドフィル家に捧げると誓った。‥‥ だが、その役目を果たせなかった‥‥ 。ならば、せめてリラ様だけは、お助けせねば」
アルは、嘴にぐっと力を込めた。あの軍勢が国に侵攻し、王女を連れ去った。それが、何を意味するのか。
そして心の底から、アルはフィブラ王国とリラという少女に忠誠を誓っているのだ。
「明日は、上手くいくかな‥‥」
「それは分からんな」
安心させて欲しく言った言葉をあっさりと否定される。
「とにかく隠密に動くことだ。どこに囚われているのか、警備の数は何人か。作戦を立てるための前段階だ。ここで見つかっては元も子もない」
トパーズに、当時の監獄の位置や警備システムについては聞いた。しかし、現状がどうなっているのかは、侵入してみないと分からない。
「怖いか?」
「そりゃ怖いけど‥‥」
「けど?」
「笑わないでよ。夢を見たんだ。恐ろしい影と戦う夢。舞が囚われていてね、僕はなんとか助けようとするんだけど。結局は助けられない。だから‥‥ 今度こそ、助けたいんだ」
けれど、それだけじゃない。あれは舞で、死んでいないんだと信じたい。元の元の世界に帰る方法はそれからでもいいと思えた。
アルは、目を細めながら、くすりと笑ってみせた。
「笑わないで、って言ったじゃないか」
「これは侮蔑の意ではない。見直したのだ、貴様の強気心をな」
「なんだよそれ」
コクリ、と喉を鳴らし愉快そうにアルは笑っていた。きっと今、この瞬間にも彼女がどうなっているか分からない。そんな不安が少しだけ和らいだ。
「それとさ。あんなに疑えって言ったのに、あの二人のこと信用したんだね」
「‥‥ まぁな」
「あれだけ、いろいろ教えてくれたから? でももし、城に内通していたらどうするのさ。侵入することだってバレているかもしれないし」
寝床だけでなく、夕食や服まで用意してくれた二人を疑うのは嫌だったが、あまりの親切さに否が応でも考えてしまう。もし、すべてをバラされたならと。
「確かに、タケルの言う通り可能性はある。ただ、少し思う所があるのだ。確信ではないのだが‥‥」
アルの小さな目が、チラリとこちらを見る。一瞬、壁にかけられた二人の絵の方に目を向けると、ニッコリと表情を崩した。
「ところで、タケルが探している舞という娘は、どんな子だったのだ?」
「舞のこと?」
「あぁ。聞かせてくれ」
そう言われて思い出す。ここに直前にあった出来事を。大きな地震が、二人の命を奪った。
「死んじゃったんだ‥‥ 」
ボロリと溢れた涙を、指の腹で拭う。ヒリヒリとした痛みが、瞼を刺激した。
「‥‥ そうか。すまない、そういうつもりじゃなかったんだ」
「ううん。大丈夫。地震で‥‥ 。死んだって聞いただけなんだ。津波で流されちゃったって、全然実感ないよ」
アルが深く息を吐く。悲しげな思いと、深い憐憫が吐息に混ざっていた。
「それに、昼間に捕まっていたのは、やっぱりリラちゃんだと思う。この世界に、舞がいるはずがないし‥‥」
信じたい反面、常識が邪魔をする。
「それは、分からんではないか。貴様がここにいるのだ。その娘がこちらの世界にいない道理はない」
はっとしたタケルの表情を、アルがじっと見つめる。
「情けなどではないぞ。見間違えるほどそっくりなことの方が驚きだ。不思議なことが起きているなら何があってもおかしくない。リラなのか舞なのか。本人に聞けば分かること。それを確かめるために救い出すのだ」
うん、とタケルは頷くと、灯りを消した。心地良い白いシーツを手繰り寄せる。長かった一日が終わりを迎える。舞やサトシが死んだのも含めて、長い夢で目覚めたら元の世界なのかもしれない。そんなことを考えながら、タケルは深い眠りの中へと落ちていった。
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