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もう終わったこと  作者: ミカン♬


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1/9

1 戻って来た夫の元カノ

 夕暮れが迫るエントランスで、私はその光景を静かに見下ろしていた。


 石床に膝をつき、みすぼらしい衣で泣き崩れる女。

 腕の中には、小さな少女。


 彼女はレリアーナ・(元)ローグ伯爵令嬢。


 かつて、私の夫カミーユの婚約者だった女性。

 四年前、恋人と駆け落ちして、すべてを捨てたはずだった。

それが、今まさに、夫の元に戻って来たのだ。


「ごめんなさいカミーユ。本当に後悔しているわ」


 かつての気高さは、もうどこにもない。


 それでも。


 カミーユは迷わなかった。


 私を一瞥すると、こう言った。


「メイベル、君の言った通り、レリアーナは戻って来た。私は彼女の力になるよ」


 胸の奥が、かすかに軋む。


「どうぞ、お気の向くままに」

 私は目を伏せ、答える。


 いつも通り、

 貴方の望み通りに。


 

 カミーユは私を残し、彼女へ手を差し伸べた。


「可哀そうに、こんなに落ちぶれてしまって。ほら、立って。子どもも怯えているじゃないか」


「で、でも、奥様が……」


 一瞬だけ、こちらに向けられる視線。

 ──挑発している。


 夫は気付きもしない。


「妻は優しくて寛大な人だ。君は私の大切な客人。遠慮はいらない」


 夫に、レリアーナは甘い微笑みを浮かべた。


「最上級のもてなしを! 決して失礼があってはならない!」


 夫の命令に使用人たちが動き出す中、レリアーナは夫の手を取り立ち上がった。


 その時、幼い女の子が呟いた。


「パパなの?」


 無邪気な声が響く。


「ニーナ! ごめんなさいカミーユ。小さい子の勘違いよ。許して」


 そう言いながらレリアーナは、ニーナの口を塞ぐ。


 けれど、

「構わないよ。ここでは私は君のパパだ」


「パパ!」


 抱きつくニーナを、カミーユは優しく抱き上げる。


「お部屋に、行こうか」

「うん」


 ……まるで、本当の親子のように。


 軽い足取りで去っていく夫の背中。

 その嬉しさを、隠しもしないで。


 私は、ただ見送る。

 何も言えずに。



 部屋へ戻ると、執事のセバスが控えめに訪れた。


「奥様、今夜からの食事はお部屋でお召し上がりください。それから『部屋からは出ないように』との、若旦那様からのご命令です」


「なぜ?」


「レリアーナ様が悲しまれるからだそうで……申し訳ございません」


 胸の奥が、鉛のように重く沈む。


「そう、部屋で大人しくしているわ」


 セバスは深く頭を下げて去っていった。


 ……分かっている。

 レリアーナこそ、夫が命を懸けて愛した女性なのだから。



 四年前のことだ。


 レリアーナの裏切りに絶望したカミーユは、庭園でナイフを手に命を絶とうとしていた。


 それを見つけたのは、偶然訪れていた私と、彼の妹セシリー。

 止めに入った私は、腕とこめかみに深い傷を負った。


 ──その責任を取る形でカミーユは、私の婚約者になった。


 金髪碧眼の、美しく気高い人。

 柔らかな物腰の奥に、繊細な心を抱えたセシリーの兄。

 そんな彼に密かに憧れていた。


 けれど私は、あわ色の髪の平凡な伯爵家の次女。

 妻になど、なりたいと思ったことはなかった。


 なのに。

 父の命令と、セシリーの願い。

 それに押されるようにして、この婚約を受け入れた。


 ──案の定、彼の心はさらに壊れていった。

 生気を失った彼の傍で、私はただ静かに寄り添い、見守り、世話を続けた。


 そして一年後、私たちは結婚した。


 

 初夜。


 彼は無表情のまま言った。


『やはり君を妻には出来ない。補償はするから、いつでも離婚してくれて構わない』


 驚きはしなかった。分かっていたことだから。


『貴方が永遠に愛するのはレリアーナ様ですものね。いいですよ。これからは夫婦ではなく主従の関係で暮らしましょう。ただ、私が思うのに、いつかレリアーナ様は貴方の元に戻ってきます』


 そう言うと、彼は初めて、まっすぐに私を見た。


『どうしてそう思うんだ?』


『駆け落ちした夫婦など、破局が見えています。それが裕福な貴族であればあるほど、平民の暮らしなど耐えられないでしょう』


 ──これは、義妹セシリーと何度も話したこと。


 レリアーナは天使のように振る舞っていたけれど、本当は虚栄心が強く、思い通りにいかないと気が済まない人だった。

 侯爵夫人の座を捨てたのも、愛ではなく──うっかり恋人の子を身籠ってしまい、逃げ場を求めただけ。


『その時、今の貴方の姿を見てレリアーナ様はどう思うでしょうか? 実家に捨てられ平民に落とされ、頼れるのは貴方しかいないのに』


 確信があった。

 そしてその時が、私とカミーユの分岐点になるだろうと。


『レリアーナが……戻ってくる……』


 そう呟いて、彼は部屋を出て行った。


 それ以来、私たちは同じ夜を過ごしていない。



 それでも時間は流れた。

 カミーユは少しずつ回復し、今では薬も必要としない。


 夫が、かつての姿を取り戻した時。


 ──レリアーナは帰ってきた。


 予想通りに。



読んでいただいて、ありがとうございました。


粟色あわいろは、あわの粒のような、薄く黄色がかったベージュ色を指します。

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