第八話 沈黙の区画
花は咲いている。
あの一輪は、いまや学院の象徴になりつつあった。
中庭を通るたびに誰かが立ち止まり、
感嘆の声を漏らす。
春は、明るい。
だが、その光の届かない場所があった。
発芽率0%のまま、更新が止まった区画。
誰も立ち止まらない。
誰も写真を撮らない。
土は、ただ平らだった。
そこに立っていたのは、ルイだった。
手には、小さな木札。
区画番号が記された札を、静かに引き抜く。
「……もう、いい」
誰に向けた言葉でもない。
自分に向けた、確認。
セレスティーヌが気づいた。
「今日は、水を……」
言葉が止まる。
木札が外されている。
「やめるの?」
「うん」
ルイは笑った。
泣いてはいない。
怒ってもいない。
ただ、少しだけ軽くなった顔。
「出なかった。それだけだ」
責める声は、どこにもない。
誰も彼を非難しない。
再評価枠は保証ではない。
皆が知っている。
だからこそ、言葉がない。
アレクシスは少し離れて立っていた。
何も言わない。
統計上、想定内。
だが、想定内であることと、
目の前の現実は、別だ。
彼は帳面を閉じる。
更新は、これ以上ない。
0%のまま、終了。
アルフォンスは、その様子を見ていた。
(責任は、誰にある)
制度か。
土壌か。
季節か。
それとも、誰にもないのか。
誰も責めない。
だが、その沈黙が重い。
ルイは花壇を離れる。
足取りは、乱れていない。
「来年、またやるかもしれない」
振り返らずに言う。
「でも、今年は終わりだ」
春の光が背中を照らす。
影が長く伸びる。
中庭では、花が揺れている。
歓声は、まだある。
成功の物語は、語られ続ける。
だが、そのすぐ隣で、
静かな敗北が確定した。
拍手もない。
断罪もない。
ただ、終わり。
レディアナは、沈黙の区画にしゃがみ込む。
土を一握り、掌に乗せる。
「敗北ではありません」
小さく呟く。
「今年が、そうだっただけです」
だが、その言葉は、本人には届かない。
届かない言葉は、風に溶ける。
セレスティーヌは立ち尽くす。
「咲いた花の陰に、こんなに静かな場所があるなんて」
涙は出ない。
代わりに、胸の奥が冷える。
春は明るい。
光は強い。
強い光は、影を濃くする。
沈黙の区画は、何も語らない。
だが、その存在は確かだ。
成功が祝福されるほど、
そこに届かなかったものの輪郭も、はっきりする。
夕暮れ。
中庭は橙色に染まる。
咲いた花も、沈黙の土も、同じ色を帯びる。
アルフォンスは静かに言う。
「誰も責めない世界を望んだ」
レディアナは答える。
「ええ」
「だが、責められなくとも、敗北は残る」
風が吹く。
花は揺れる。
沈黙の土は動かない。
春の光の裏に、影が広がっていた。
そして学院は、
その影とともに、次の選択へと進もうとしている。




