第六話 温室の影
温室の扉を開けると、空気が違った。
外の中庭はまだ不均一な春を抱えている。
だが、ここには均質な緑が並んでいた。
整列した苗。
揃った高さ。
葉の色も、張りも、申し分ない。
湿度は一定。
温度も安定。
風は入らない。
「……見事だな」
アルフォンスの声は、思わず本音を帯びる。
リシャールが満足げに頷いた。
「管理下に置けば、結果は安定します。
これは実証です」
苗は応えるように光を受けている。
ここには、発芽率0%の区画は存在しない。
生徒たちもざわめいていた。
「全部出てる」
「外より綺麗だ」
「やっぱり、管理って大事なんだな」
誰かが言う。
「やはり管理は正しい」
その言葉は、静かに、しかし確実に広がる。
アレクシスは温室中央で説明を始める。
「温室区画、発芽率九割。
成長速度も外部区画より平均一・三倍」
紙に示された比較表。
数値は明確だった。
「環境制御が結果を左右することは、
既に証明されています」
彼は一拍置く。
「再評価枠の一部を温室管理へ移行させるべきです」
室内の空気が引き締まる。
拡張案だった。
温室を増設し、管理下の苗を増やす。
失敗を減らし、成功を確保する。
合理的な提案。
リシャールも加える。
「温室は選別ではなく、補助です。
外で芽吹けない種に、機会を与える」
言葉は優しい。
だが、その裏にあるのは制御だ。
風を遮り、温度を決め、水を管理する。
成功を設計する空間。
アルフォンスは苗を見下ろす。
どれも整っている。
均一。
美しい。
失敗の影がない。
(これが、安心か)
外の不均一さ。
沈黙の土。
あの揺らぎが、ここにはない。
その時、レディアナがゆっくりと歩み寄った。
彼女は苗の葉に触れない。
ただ、空気を吸う。
「温かいですね」
「当然です。最適に保たれています」
アレクシスの返答は即座だった。
「成長に最も適した環境です」
レディアナは、静かに首を傾ける。
「最も、ですか」
彼女は扉の方を見る。
外では、風が花壇を揺らしている。
「守られた芽は、風を知らない」
その言葉は、小さく落ちた。
だが、温室の中でよく響いた。
「風は、成長を妨げる要素です」
アレクシスは淡々と返す。
「不要な負荷は排除すべきです」
「風は負荷でしょうか」
レディアナの視線は苗から離れない。
「それとも、強さを育てるものですか」
沈黙。
苗は揺れない。
ガラス越しに見える外の緑だけが、風に応えている。
アルフォンスは、両方を見る。
揃った温室の苗。
揺れる中庭の芽。
どちらが正しいのか。
どちらが望ましいのか。
答えは簡単ではない。
「拡張は、急がなくてもよいのでは」
彼はゆっくりと言う。
リシャールが眉を寄せる。
「今が最適な判断時です。
成功事例がある今こそ」
「成功は、温室の中で完結している」
アルフォンスはガラスに触れる。
冷たい。
「外で通用するかは、まだ分からない」
温室の中は静かだ。
整った緑が並ぶ。
だが、その静けさの奥に、影がある。
守られることは、失敗を減らす。
同時に、揺らぎを奪う。
外へ出ると、風が頬を打った。
双葉は揺れている。
折れそうで、折れない。
レディアナが隣に立つ。
「均一な成功は、美しいですね」
「ああ」
「ですが」
彼女は空を見上げる。
「風を知らぬ芽は、嵐に耐えられません」
春はまだ穏やかだ。
だが、季節は変わる。
温室の影は、静かに広がり始めていた。




