第8話:選ばれなかった種
温室では、新しい芽がそろい始めていた。
背丈の揃った緑。
光を受け、確かな成長を見せる鉢。
だがその奥――棚の上には、手つかずの瓶が並んでいる。
発芽率の低い種。
四二%。
三八%。
二九%。
数字の横に、小さく印が付けられている。
冬期未播種。
生徒会室。
机の中央に、その瓶が置かれた。
リシャールが口を開く。
「保管期間は三か月。春播種の枠は限られています」
帳面には計画表。
春の区画は、すでに八割が埋まっている。
「低発芽率種を組み込む余地は、ほとんどありません」
セレスティーヌが瓶を抱える。
「でも……まだ芽吹くかもしれません」
「確率は低い」
冷静な指摘。
「高発芽率種を優先すべきです」
合理的。
正しい。
だが――静かな重さが室内に落ちる。
「廃棄、という選択肢もあります」
リシャールは、淡々と言った。
その瞬間、空気が止まる。
セレスティーヌの指が強く瓶を握る。
「捨てるのですか?」
「期限を過ぎれば、発芽率はさらに下がる。
保管コストもかかる」
合理性は揺るがない。
「可能性に固執すれば、全体の効率が落ちます」
王子アルフォンスは、瓶を見つめていた。
小さな種。
選ばれなかった粒。
温室で芽吹いた者たちとは違い、
まだ土にすら触れていない。
「選ばれなかった、か」
ぽつりと呟く。
レディアナが静かに言う。
「選ばなかった、のですわ」
言葉の向きを変える。
「まだ、選んでいないだけ」
リシャールが反論する。
「選ばないことは、排除と同じです」
「本当に?」
レディアナの声は穏やか。
「時間を与えることも、選択ではありませんか」
エドモンが口を開く。
「種は、眠れます」
全員の視線が向く。
「乾燥と低温で、数年は」
「数年……」
セレスティーヌの目が揺れる。
「はい。すぐ蒔かねばならぬわけではございません」
リシャールが計算する。
「長期保管庫の空きは……ある」
だが王子は、まだ迷っていた。
「保管すれば、蒔く義務が生まれる」
彼の声は低い。
「期待を先送りすることになる」
確率の低い未来を、
抱え続けることになる。
「統治とは、選び続けることだ」
彼は言う。
「だが、選ばぬ勇気もいるのか」
沈黙。
雪解け水の滴る音が、遠くから聞こえる。
セレスティーヌが、小さく言う。
「芽吹くかどうかは、分かりません」
瓶を胸に抱く。
「でも、土に触れる機会すらないのは……さみしいです」
その言葉は、理論ではなかった。
感情だった。
レディアナが王子を見る。
「可能性は、行使しなければ消えるものもございます」
「だが保存すれば、残る」
王子が応じる。
「ええ」
彼女はうなずく。
「すぐに使わなくても」
長い沈黙の後。
王子は瓶を一つ手に取る。
光に透かす。
小さな粒。
まだ何者でもない。
「……保管する」
静かな決定。
リシャールが顔を上げる。
「優先順位は?」
「春の余白に、再評価枠を設ける」
新しい言葉。
再評価枠
黒板に書かれる。
「廃棄ではなく、保留」
王子の声は揺れない。
「可能性を、閉じぬ」
棚に、新たな箱が置かれる。
低温保管庫。
ラベルには記される。
春期再検討種子
セレスティーヌが、ほっと息を吐く。
リシャールも、反対はしない。
「管理表を更新します」
合理性は保たれている。
だが、冷たさはない。
夜。
温室の芽が、わずかに揺れる。
棚の中、眠る種は静かだ。
芽吹いた者。
まだ眠る者。
どちらも、否定されていない。
王子は窓辺で言う。
「確率は低い」
レディアナが応じる。
「ゼロではありません」
可能性を保存することは、
成功を保証することではない。
だが、消さないという選択。
選ばれなかった種は、
まだ終わっていない。
春は、すべてを同時に呼ばない。
けれど棚の奥で、
小さな未来が静かに保たれている。
それは希望というより、
信頼に近いものだった。




