黒の柱 ― 契りの地
みてみて
黒の柱があるのは、かつて“鬼と人とが初めて契った”地――
その土地には、今も“血の誓い”が染みついているという。
椿たちは、険しい岩山を越えた先の谷底へと足を踏み入れていた。
そこには、草一本も生えていなかった。
赤黒い大地。鉄の匂い。空には、常に黒い雲が渦を巻いている。
「……ここが“契りの地”か」
蓮が呟く。
「気味が悪い。空気が重すぎる」
椿もまた、無意識に胸を押さえていた。
何かが、体の奥にまとわりつくような感覚――
それは“血”の匂いだった。
「鋼次……?」
だが、鋼次の姿がない。
「さっきまで、隣にいたのに……?」
そのとき、大地が揺れた。
黒い柱が、空に向かって突き刺さるようにそびえ立っていた。
だがそれは、これまでの柱とは違っていた。
“うねっていた”。
まるで“生きている蛇”のように、黒い光が表面を這っている。
そして、その柱の根元に――鋼次がいた。
彼は、膝をつき、両手で顔を覆っていた。
「鋼次……?」
椿が駆け寄ろうとしたその瞬間。
「来るな!!」
鋼次の怒声が響いた。
「……俺は、ここで“鬼になった”。
いや……鬼と人の、“境”になったんだ」
その言葉に、椿と蓮は動きを止める。
「ここは、“俺の生まれた場所”だ」
風が吹く。
だがその風は、生ぬるく、何かの呻き声を含んでいた。
鋼次は語り始めた。
「俺の母は、鬼だった。……正確には、鬼と人の“混血”。
人里に紛れて、男と暮らし、子を産んだ。
それが……俺だ」
椿は言葉を失う。
蓮の目が細められた。
「混血……?」
「俺の中には、“人”としての理性と、“鬼”としての血”が流れてる。
普段は眠ってる。だが、この柱の近くに来ると――暴れ出す」
鋼次の身体が震え始めた。
「もう、近づくな。……俺は、お前らを斬ってしまうかもしれねえ」
椿が一歩、進もうとしたとき――
「来るなって言ってんだろ!!!」
鋼次の身体から、“黒い炎”が吹き出した。
鬼の気配。
だが、どこか不完全で、歪んでいる。
「これが……鋼次の“鬼”の姿……?」
「違う……まだ完全にはなってない」
蓮が低く構えた。
「このままだと、柱が鋼次を取り込む。
黒の柱は、“鬼と人の境界”そのもの。
契りを拒めば、人の心は鬼に引き裂かれる」
「なら……どうすればいいの?」
「鋼次が“自分の在り方”を選ぶしかない。
鬼として生きるか、人として抗うか――そのどちらかだ」
椿は叫んだ。
「だったら……私が“呼び戻す”!!
鋼次は……鬼じゃない! 鋼次は、私の――!」
その瞬間、柱が黒い光を爆ぜさせ、地面を裂いた。
炎の中に、鋼次の姿が沈みゆく。
「鋼次ッ!!」
椿が手を伸ばす。
そして彼女も、炎の中へと飛び込んだ。
(→ 後編「契りの真実」へ続く)
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―契りの真実―
炎の底に、椿は飛び込んだ。
視界は赤黒く歪み、重い匂いが肺を満たしていく。
だがその奥で、確かに“鋼次”の気配があった。
「鋼次! どこにいるの!?」
叫びに答えるように、光が走った。
彼女の目の前に――幼い鋼次がいた。
「……っ」
まだ少年だった彼は、母の手を引かれながら、黒い柱の根元にいた。
「鋼次。……覚えておきなさい。
この柱は、人と鬼が初めて契った“誓いの地”。
でも、その契りは、“嘘”だった」
母の声は美しかったが、悲しみに満ちていた。
「鬼は人を裏切り、人は鬼を狩った。
それでも私たちは、あなたを生んだ。
……それが、唯一の真実よ」
炎の中の記憶が、椿の心に焼き付く。
柱が共鳴する。
“混血”の鋼次が、柱に呑まれ、存在そのものを曖昧にしていた。
鬼でもなく、人でもなく。
「なら――私は、彼を“椿の仲間”と呼ぶ!」
椿の声が、柱の深奥に響く。
「鬼でも、人でもなくてもいい!
鋼次は、私の仲間!
一緒に、柱を壊して、ここまで来た!
あの夜、私が陽菜を忘れていたのと同じように……
鋼次も、自分が“何者なのか”を、ここで思い出せばいい!」
その瞬間、空間が割れた。
椿の前に、鬼の形をした鋼次が立っていた。
黒い角、裂けた口、紅い眼――
だが、椿を見たその瞳は、人のものだった。
「……お前は、怖くないのかよ。
こんな化け物を、仲間だなんて……」
「怖いよ。でも――あなたが“鋼次”であり続ける限り、私は信じる!」
椿が差し出した手に、鋼次が手を重ねた。
その瞬間、黒の柱が震えた。
石の中から、“契りの文”が浮かび上がる。
それはかつて、鬼と人が交わした、血の誓い。
──**“鬼と人が一つになる時、柱は不要となる”**──
「なら……壊そう。
鬼と人を繋ぐものが、もう俺たちの中にあるなら……
こんな柱、いらねえ!」
鋼次の拳が、炎をまとい、柱へと振り下ろされた。
次の瞬間、柱が――砕けた。
漆黒の光が四散し、契りの地が静かに崩壊していく。
その中央に立つ椿と鋼次の手は、まだ離れていなかった。
蓮が駆け寄る。
「……選んだか。お前の“生き方”を」
鋼次は笑った。
「まあな。鬼でも人でもねえ、“俺”ってやつをな」
椿も、そっと微笑んだ。
「ようこそ、“仲間”へ」
風が吹いた。
黒の雲が裂け、空が見えた。
それは、三本目の柱が消えたことを告げる、晴れ間だった。
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次章予告
また見てや