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星眼の魔女  作者: しろ
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第三章 獣のような視線

午後の陽は、春の終わりを思わせるほど柔らかかった。


函館図書館の前庭には、手入れの行き届いた小さなバラ園がある。季節にはまだ早いが、苗木は青々としていて、土の匂いが心を落ち着かせる。


真木あやのは、図書館の縁にあるベンチに腰かけていた。読みかけの本を膝に置き、遠くの海を眺めていた。


その横顔には、静けさが宿っていた。


……が、それを乱す視線があった。


すぐには気づかなかった。だが、何かが、空気の密度をわずかに変えていた。

風が止まり、鳥の鳴き声が遠のいたとき、あやのは本から顔を上げた。


まるで、草むらに潜む獣がこちらを狙っているような……そんな感覚。


視線の先。図書館の外壁に寄りかかるようにして、ひとりの少年が立っていた。


彼は制服のようなブレザーを羽織っていたが、ネクタイは緩く、上着のボタンは外されている。髪は癖のある黒、眼差しは鋭く、どこか飢えたような光を帯びていた。


目が合った。


ほんの一瞬。だが、確かに感じた。


この少年は、見ている。


「人を見る」のではない。

「獲物を見る」目だった。


あやのの中で、何かがざわめいた。


山で育ったあやのは、本能に近い部分で他者の気配を読む。声も表情もなくても、ある種の「気」は漏れてしまうものだ。


その少年の「気」は、妙に濃かった。


むせかえるほどの執着。

手に入らないものを、どうにかして手に入れようとする、強引な意志。

そしてなにより――どこか歪んだ、純粋な好奇心。


一言も交わさないまま、あやのは立ち上がった。


本を脇に抱え、静かに図書館の建物へと戻ろうとする。逃げるわけではない。ただ、そこに留まってはいけないと感じただけ。


だが、足音がついてきた。


遅れて、しかし確実に。

あやのが数歩進めば、後ろもまた、同じ数だけ進む。


視線を背中に感じる。まるで背骨に氷を当てられたような、乾いた恐怖。


しかし――逃げることに意味はないと、あやのは思った。


立ち止まる。


ゆっくりと振り返る。


その瞬間、視線がぶつかった。

甲斐大和――のちにそう名乗るその少年は、口の端をわずかに吊り上げていた。


まるで「見つけた」とでも言いたげな、確信に満ちた顔。


あやのの中で何かが点火した。

冷たい火。怒りとは違う。拒絶でもない。

ただ、明確な「警告」だった。


――これ以上、近づくな。


それは言葉ではなかった。だがそのまなざしが放つ威圧に、少年の表情がわずかに変わった。

そして、そのほんの一瞬の「揺らぎ」を見逃さなかった。


あやのはゆっくりと、真正面からその少年を睨んだ。


笑いもせず、怯えもせず、ただ無表情のまま。


風が再び動き出し、木の葉が揺れる。

バラの苗が小さく震えた。


沈黙の中で、奇妙な均衡が生まれていた。

音のない衝突。


だが、それもほんの数秒のこと。


あやのは黙って背を向け、図書館の扉を押し開けた。

もう振り返らなかった。


少年――甲斐大和は、その場に立ち尽くし、ポケットの中で拳を固めた。


その拳の中には、まだ名前を知らぬ存在への、強烈な関心と衝動が蠢いていた。


けれど、今はまだその感情が何であるか、彼自身にもわからなかった。


ただひとつ――

彼の人生が、たった今、大きく変わったことだけは確かだった。

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