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王都に入り、城に到着すると騎士団の詰所に寄って身支度を整える。騎士団長の元に挨拶に赴き、簡単な報告を済ませると、その後ジルベスター殿下からの呼び出しが来た。
ジルベスター殿下は婚約破棄騒動が起きるまで、ほとんど城にいなかったため、実はそんなにお会いしたことがない。いつも以上に気を引き締めて謁見の間へ向かう。
謁見の間にはジルベスターと宰相、文官、そして騎士団長がいた。広間の中央まで進み、片膝をついて頭を下げ、声がかかるのを待つ。
「ギルベルト・ヴァイマール隊長、顔を上げよ。」
朗々とした男の声が響いた。顔を上げると、真っ直ぐに声の主であるジルベスター殿下を見る。黒い髪を後ろに撫でつけたその顔は、元王太子殿下との血の繋がりは感じられるが、より知的でより精悍だ。体つきも普通の貴族よりもいいので、何か武道を鍛錬しているのかもしれない。
「さて。急な勅命で急がせてすまなかった。単刀直入に、簡単な報告と君が実際に行って感じたことを教えて欲しい。」
変わったお方だ。命令ではなくお願いの形で話してくる。俺も自分の思ったことを話した。
「オストブルク辺境伯様は歴戦の猛者です。その方が異変を感じて兵を要請したとのことでしたが、呆気ないほどに異常がありませんでした。」
「それは勘が外れたということか?」
「いえ。オストブルク辺境伯様ほどの方ともなれば、勘が外れることは死を意味します。私はむしろ、国軍がいる間は動かない、あるいは何かの隙を窺っているように感じました。念のため連れて行った半数の騎士はまだ国境沿いにおりますし、副隊長をはじめ、彼らにはオストブルクの装備をつけさせ、国軍が撤退したように見せてあります。」
「なるほど。で、リーゼロッテ嬢はどうだ?」
「は。…は?あ、いえ。失礼いたしました。」
突然リーゼロッテの名前が出て聞き返してしまった。
「今リーゼロッテ嬢の婿を考えているんだけど、オストブルク辺境伯の要求が多すぎて…。」
「リーゼロッテ様は大変聡明で、また兵の事情にも明るいお方です。引く手は数多でしょう。」
「それがなかなか。で、オストブルク辺境伯から先日、君をくれって手紙が来たんだよ。」
「…。」
俺は口を開いたが何を言っていいかわからなかった。
「まあ今すぐにじゃなくていい。強制ではないから断っても構わない。まずは東の国境だ。オストブルク領のギリギリのところで軍を駐屯させ、連絡が入り次第出撃できるようにしておいて。長兄も連れて行け。代わりに父親と弟たちに王都を守らせる。」
「御意。」
もう一度頭を下げると退出した。謁見の間を出ると、詰めていた息が口から漏れる。
一度着替えに子爵家へ戻った。そこで兄弟たちに殿下の命を伝える。すぐに兄の妻が出てきて、兄と共に屋敷内に指示を出す。一気に屋敷内は慌ただしくなった。兄と共に城に着くと、父と騎士団長に挨拶をする。
「帰ってきて早々慌ただしいが、今私たちはここを離れられない。東の国境を死守せよ。」
騎士団長から激励された。
「家訓を忘れるな。いかなる形でも。」
父親の言葉に2人でうなずく。そうして急遽騎士達の部隊を編成し、慌ただしく出立した。王都の父たちと連絡を密に取り合い、補給部隊は後ほど順次出発することになる。オストブルク領と隣接する伯爵家にも連絡を出し、一時的な駐屯地となる場所を用意してもらう。長年オストブルクと隣接した場所を治めているためか、伯爵は有事の際の振る舞いを知っており、伯爵領からも救援物資を入れる準備をしてくれていた。これも親父さんの人柄なのだろう。何もないことを祈りつつ、駐屯地へ向かった。
ーオストブルク領東北側に隣国の軍隊と思しき1小隊(50人ほど)を発見。
駐屯地に入って3日後、その知らせが入った。最初の知らせから3時間ほどで砦に奇襲がかけられたとの連絡が入る。
「ギルベルト、どう思う。」
「いくらなんでも砦に奇襲をかける人数ではないな。だが、ある程度崩されているところを見ると、内通者がいるかもしれない。」
「同感だ。」
「それと」
俺は地図を持ってきて机に広げた。東南の国境沿いの一部を指差す。
「俺ならここに本隊を置いて、奇襲の後こちらから進軍する。」
「何故だ。」
「ここは最短で王都に行くことができる。大きい隊を動かすには砦に目を向けておく必要がある。」
「なるほど。ではお前が本隊を率いてそこへ、私は援軍を持って砦へ向かう。内通者も捕らえられそうなら捕らえておこう。」
「わかった。」
「私も噂の騎士姫、リーゼロッテ嬢に会ってみたかったからな。」
「なっ!」
「親父さんからお前をくれって連絡が来たからな。」
「子爵家にまで…」
兄はしてやったような顔で笑うと、指示を出すために天幕の外へと出て行った。まずは迎撃だ。ここからなら砦にも東南の国境にも、1日ほどで着く。もし隣国が本格的に攻めてくるなら戦争が始まる。
俺たちが国境沿いで陣形を展開したとき、山の向こう側に兵の姿が見えた。目視での規模は一旅団(4000前後)だ。対する俺たちは一個師団(1万)だ。
隣国側はすでに待ち受けられていたことに驚いたのだろう。あっけなく数日で決着は着いた。ジルベスター殿下に伝令を逐一飛ばし、捕虜の護送を始める。大将は隣国の公爵家だった。彼らの言うことを信じるならば、公爵家単独の進軍であり、目的は我が国のルエーガー公爵家ローザ様だそうだ。国境側に連れて来られるはずで、そのまま隣国に引き渡すことになっていたらしい。それより詳しい取り調べは王都で行われることになった。
「隊長!砦側も無事撃退!ですが、リーゼロッテ様が矢傷を受け、重体とのことです!」
「隊長。ここの後始末は俺が引き継ぎます。砦にいるハルトムート様と交代を。」
副官に言われ、俺は馬に乗り砦に急いだ。
「リーゼロッテ嬢は!!」
砦で兄に再会すると開口一番に詰め寄った。
「矢を受けている。毒が塗られていたようで、かなり危ない。乗り越えられるかは半々だそうだ。」
「なぜ!」
「彼女の妹が突然現れた。妹を庇ったんだ。そしてその妹が内通者だった。」
「なんだと!!」
兄の胸ぐらを掴む。
「ギル!!落ち着け!!妹はあちらの間者に惚れて、あれこれ砦の情報を流していたらしい。ただ、隣国の間者だとは知らなかったようだ。とりあえず牢に入れてあるから大丈夫だ。お前はリーゼロッテ嬢に一目会ってこい。許可は取ってある。」
兄と交代し、砦の中にある一室に入る。そこはリーゼロッテの病室だった。枕元には医師がいる。肩に包帯が巻かれ荒い息を吐いていた。そっとベッドに近づく。
「リーゼロッテ…」
そっと呼ぶと、リーゼロッテがうっすらと目を開く。
「ギル…べ…の……最後に…か…見られ…よかっ…」
途切れ途切れに俺の名を呼ぶとふわりと笑った。
「時折、あなた様のお名前を呼んでおります。幻影か何かを見ておられるようで…」
医師が俺に言った。俺は思わず射抜かれた方とは逆のリーゼロッテの手を握る。その手は細く、燃えるように熱かった。
「リーゼロッテ、リーゼ、死ぬな。俺はずっとそばにいる。」
反対の手で汗で張り付いた赤い髪を額から除けてやる。そのまま時折浮かされたように自分の名を呼ぶリーゼロッテの手を握り、医師や侍女に出される時以外は彼女のそばに居続けた。
そうして2日ほど後、リーゼロッテは峠を超え、徐々に回復を見せた。
「ギル、ベル…どの…」
「リーゼ、目を覚ましたのか!今医師を呼んでくるから。」
侍女や医師を呼び、診察をさせる。親父さんのところにも走った。ひとしきり家族が面会を済ませたあと、再びギルベルトが呼ばれた。
「ギルベルト殿…ずっと…そばにいていただいたそうで…ありがとうございました…」
「いや、いいんだ。ゆっくり養生して早く元気になれ…」
そう言って彼女の額に手を置いた。リーゼロッテの顔が赤くなる。ハッとして手を避けた。
「すまない…」
「いいんです。ひんやりしていて、気持ちいいから…」
そう言って、そっと目を瞑ったリーゼロッテの赤い髪をしばらくすいていた。
若さなのか普段の鍛錬の賜物なのか、毒が抜けたリーゼロッテは次の日にはベッドから起き上がり、2日後には砦の中を歩き回るまでになった。だが、俺も周りの人間もリーゼロッテが動き回るのを許さず、戦後の処理は俺と兄で分担している。それでも1日に何度かはリーゼロッテの病室を訪れ、進捗の報告をしていた。今日も俺は兄と共に砦の作戦室で戦傷者への補償について話していた。
「で、もう2週間ほどで我々は引き揚げられそうなわけだが、お前はどうする?」
「どうする、とは。」
「このままここに残ってリーゼロッテ嬢を支えるか?ということだ。正直、お前がここにいるなら、我々は安心だ。」
「だが…」
「何を迷っている?どこからどう見てもお前らは相思相愛だろう。」
「相思相愛って…」
恥ずかしげもなく言われた言葉に俺の方が恥ずかしくなる。
「受けるんだろ?婿入りの話」
「まだ…決めてはいない。」
「どうせ、自分だけヴァイマール家から抜けてのうのうと生活していいのか、とか考えているんだろう。」
兄は時たま驚くほどに鋭くなる。兄から視線を外す。
「父上が言っていただろう?『いかなる形でも』と。お前がここでリーゼロッテ嬢と共に国境を守ることは家訓を守ることにもなる。」
「父上まで…」
「安心しろ、我ら兄弟は日の目を見られずとも、息子たちは変わらず取り立ててくださるとジルベスター殿下にお約束いただいた。お前が背負いすぎることはない。」
兄はそう言うと、父そっくりな顔で笑った。
いつかの夜と同じように砦の上を歩いていると、前と同じところにリーゼロッテがいた。
「ギルベルト殿…」
「いつかの夜と同じですね。」
そう言って前と同じようにリーゼロッテの隣に座った。
「こんな夜に外にいては冷えてしまいますよ。」
「皆がそう言って甘やかすので、身体が鈍ってしまいます。」
リーゼロッテは膝を抱えて座り直す。いつもよりも幾分幼く見えた。
「大事な身体なのですから、大切にしてください。」
「こんな傷のついた身体になってしまって、もう本当に嫁の貰い手はありませんよ。」
そう言ってリーゼロッテは切なそうに矢傷をそっと撫でた。
「そんなことはない。あなたは今もとても綺麗だ。身体の傷はあなた自身の何も損なわない!」
突然大きな声で言った俺に驚いたようにリーゼロッテがこちらを見た。リーゼロッテの後ろにまわり、リーゼロッテに腕を回す。
「親父さんから婿入りの話が俺にきました。」
リーゼロッテの身体が小さく跳ねた。ぎゅ、と強く腕に力を込める。
「俺はあなたが欲しい。あなたと共に親父さんが守ってきたものを守りたい。リーゼが背負っているものを俺にも分けて欲しい。俺にはもう名誉も何もない。継ぐべき財産もない。でも、リーゼが欲しい。俺にくれないか。」
リーゼロッテの手が、そっと彼女に絡みつく俺の腕に触れた。ぽたりぽたりと温かいものが腕に落ちる。リーゼを見れば彼女は肩を震わせて泣いていた。俺の腕の中でくるりと体をまわすと、リーゼロッテの華奢な腕が俺の首に回った。男とは違う、柔らかい体を抱きしめる。
「私はもう、最初から…」
全ての言葉を聞く前に、俺はリーゼロッテの口を塞いだ。
リーゼロッテの妹であるシャルロッテは機密を外部に漏らしたという罪により、戒律が厳しいと評判の修道院に行くことになった。オストブルクとは王都を越えてかなり離れたところにあるため、もう会うことは叶わないだろう。知らなかったとはいえ、罪の重さ、姉に重傷を負わせたことを深く悔いたシャルロッテが自ら望んだことだった。親父さんは奥様と共に王都に戻り、手厚い医療を受けながら体を養生することになった。俺とリーゼロッテの結婚が決まり、孫をしごくのだと張り切っていた。病は気からともいうから、もしかしたらまた元気な親父さんに戻るかもしれない。
今日は俺たちの結婚式だ。
柄にもなく、青い空に祝福されているような気持ちになる。隣に立つリーゼロッテは首元までレースに覆われ、傷が見えないデザインのドレスを着ていた。いつもは一つに束ねるだけの髪も、ゆるくウェーブをかけられ丁寧に結い上げられている。幸せそうに笑う彼女は、誰よりも美しい。
リーゼロッテを見ていたことに気づいたらしい。彼女がこちらを見上げる。
「リーゼ、愛してる。」
そういうと、リーゼロッテは少し背伸びをして、内緒話をするように俺の耳に唇を寄せた。
「きっと、私の方が早かったわ。」
軍の規模についてはネットで調べた人数と私の想像の人数が入っています。