16. 味方を増やす② 美しい花には棘がある
王宮の執務室。
ヴォルケン宰相は書類を書き上げるとペンを置いた。
すぐに部下が書類を持ちあげ、別室に運ぶ。そちらで書類に砂をかけ、インクを乾かすのだ。
机の上には膨大な書類の数。宰相は淡々と次の書類に手を伸ばした。
「宰相、突然お邪魔して申し訳ありませんわ」
扉が開き、柔らかな笑みを浮かべた令嬢が入って来る。宰相はすぐさま立ち上がった。
「レディ・デイジー」
宰相はデイジーの手を取ると、ソファーに案内する。ほどなくして侍従がお茶を運んできた。お茶を優美に飲むデイジーを見て、宰相はいぶかしがる。王子の婚約者であるデイジーとは、宰相は公の場では何度か言葉を交わしたことがある。しかし、私的に会ったことは一度もない。
否。努めて接点を持たないようにしてきたのだ。
ゆえに、分かるはずがない。勘付かれているはずがない。この私が加担している計略。
ルーク王子を影で操り、リュベナーの権勢をピンク髪令嬢によって削いでいき、ゆくゆくは己が王国の最上位に就くこと。そうすれば、居丈高で古びた妻とその実家から逃れ、若く従順な女を好きなだけ侍らせることができる。権力と女と自由。男のロマン全て手に入れることができるのだ。
夢の実現のために、この娘には煮え湯を飲んでもらわねばならぬのだが。少しばかり哀れに思っていると、小娘は眉ひとつ動かさずに言葉を発した。
「次の夜会でルークはわたくしに婚約破棄を告げるご予定ですの」
「なっ」
海千山千、老獪、したたかと評されることの多い宰相は、虚を突かれ言葉を失う。
なにもかもを見透かしているかのような目。これは、本当にあの田舎娘か?
「わたくし考えましたの。双頭のワシを呼べないルークは、どのように王位継承の正当性を示すつもりなのかしらって。それに、辺境を敵に回しても王権を維持できる自信はどこからくるのかしらって」
音もなくカップを置いたデイジーは、小さなバッグの中から一枚の紙を取り出し、ポンッと机の上に投げた。宰相の目は紙にくぎ付けになる。正確には、わずかに残っている割れた封蝋の紋章に。
「他国の後ろ盾を得て、そそのかされたのでしょうね。そうでもなければ、ヘタレのルークが婚約破棄イベントなんて大それたことを思いつくはずがあり得ませんもの」
宰相は持てる全ての力を使って動揺を内に抑え込んだ。紋章から目を離し、デイジーをまっすぐ見つめる。
「両陛下はこのことをご存知ないのでしょう。陛下の領地巡回中、国政を担う宰相は見て見ぬフリをなさっている。そうせざるを得ない何かがある。それが、あれかしら。いえ、失礼、あれらかしら」
デイジーがバッグの中から紙を出しては机に放り投げる。
「山男爵令嬢への恋文。川子爵夫人への蜜言。森伯爵の侍女への誘い。まあまあ、殿方っていくつになってもお盛んですわね、ホホホ。いえね、独身なら眉をひそめられるぐらいですけれども。愛妻家で知られ、裕福な妻の力で今の地位を得たとささやかれる既婚者ともなりますとねえ。王国が揺れる大スキャンダルですわ」
宰相の頭の中は、なぜ、どうして、どうすれば、そんな言葉が渦巻く。
パシンッと乾いた音が部屋に鳴り響く。しばらくして、宰相は頬が痛むことに気づいた。
「しっかりなさいませ。これは戦争ですわよ」
戦争? 何を大げさな。帝国とは話がついている。
ついているはずだ。抜かりないはずだ。はずなのだが、なぜ背中を冷や汗が伝う?
「わたくしは存じております。宰相閣下もまた何者か踊らされたお立場にすぎないと」
「何のことやら」
なにを言っているのだこの小娘は。この私が何者かの傀儡だとは。絵を描いたのはこの私だというのに。
いや、ちがう。もしや、この娘。私に逃げ道を用意しているというのか?
「とぼけるおつもりならかまいません。しかし宣戦布告され、みすみすアドラーベルグ王国を他国に明け渡すリュベナー一族ではございません。わたくしの言いたいことが正しく理解できたなら、これからは、わたくしの指示に従っていただきます。よろしくて?」
間違いない。この女は全てを見通しているのだ。
その上で私を生かさず殺さずにしようとしている。私を切るのではなく、従順な子分としてこき使おうとしているのだろうか。宰相を断罪して国政が乱れることより、馬車馬のごとく働かせる方が国のためになるという判断なのか。私は首輪をはめられた犬。
私の負けだ。私は負けたのだな、見くびっていた小娘に。
美しい花には棘があるというが。小花であるデイジーにもこのような棘があったとは。
「レディ・デイジーの御心のままに」
そう答えるしかなかった。蛇に睨まれた蛙、いやワシにくわえられた蛙の気分であった。
すると、デイジーはあっさりと答える。
「では、これは燃やしてしまいましょう」
デイジーはマッチをすり、紙に火をつけるとカップの中に入れる。ふたりは無言で、手紙が灰になるまで見届けた。切り札を燃やすのはなぜと一瞬よぎったが、ちんけな証拠など彼女は必要ないのだ、己は完膚なきまでにやられたのだ、そう宰相は理解した。消えて灰になりたいほどに、恥ずかしかった。
「宰相の護衛にリュベナー一族の精鋭をつけます。ご安心ください、腕は確かな者たちです」
デイジーが立ち上がり扉を開けると、全身が鋼の筋肉でできていそうな男が数人入って来る。
「お願いね」
「お任せください、お嬢」
筋肉男たちは人懐っこい笑顔を浮かべ、丁重にデイジーを見送る。デイジーが出て行くと、男たちは獰猛な表情になり、宰相を囲んで座る。宰相は丸太のような腕を肩に回され、全身から血の気が引いた。
「お嬢の計画を説明する。黙って聞け」
宰相は放心してただ頷き続けた。
***
「ふぁーーあ。さすがに緊張したわー」
宰相を散々脅しつけてうまく手下にくわえたデイジーは、王宮を出てから大きく伸びをした。
「宰相がのらりくらりはぐらかすようだったら、奥様の方に話を持っていこうと思っていたけれど。観念してくれてよかったー」
宰相が怯えまくっている奥様は、最後の手段にしたかった。武士の情けってやつだ。異国の言葉で、かっこいいから好きだ。
「さーて、宰相はどこまで吐いてくれるかしら」
他国の手が入っているところまでは分かっていた。そこがどこかまではまだ不明だったけれど、うまくはったりがきいて宰相は落ちてくれた。
猛者たちが搾り上げて聞き出してくれるだろう。
頼れる領地の仲間に後を託してデイジーは意気揚々と屋敷に戻った。




