表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/48

9. 飛ばない方が楽


足元の桟橋が、少しだけ白く見えた。


海の反射ではなかった。黒札の時の重い白さに似ている。夕方の色が抜け、古い停泊場の船たちが、紙でできた影のように薄くなる。


ダッタは目を閉じていない。


それなのに、操縦室の赤い灯りが見えた。


戻れ。


警告音。


おお、と聞き違えた声。


見られたいと思った手。


戻すのが遅れた操縦桿。


飛ばなければ、落ちなかった。


その言葉が、黒札の声より近くに来る。耳ではない。歯の裏でもない。胸の中、卵の殻の内側に、文字の形で触れてくる。


飛ばなければ。


「ダッタさん」


キールの声が遠い。


ギータが何か言っている。ボイロが観測紙を開いている。アンが一歩前へ出た気配がする。


でも、マーの声だけは近い。


「止まることを、負けだと決めたのは誰だ」


その問いは、優しく聞こえた。


優しく聞こえたことが、怖かった。


止まっていれば、もう落ちない。


船を直さなければ、直した船で失敗しない。


誰かの白紙へ線を引かなければ、間違えない。


名前を書かなければ、外さない。


見てほしいと言わなければ、見てもらえなかった時に傷つかない。


全部が、少しずつ正しい。


正しいものだけが、足元を白くしていく。


記録板の奥で、卵が濁った。


見て。


助けたい。


落ちたくない。


間違えたくない。


文字は声にならない。殻の内側で重なり、読める前に曇る。ヒビは広がらない。ただ、今あるヒビの端が白く濁って、そこから音が消えかける。


こ。


音が途中で止まった。


ダッタは息を吸った。


吸っただけで、答えは出ない。


「俺は」


声が出た。


小さい。


マーには届かなかったかもしれない。


「俺は、まだ」


止まった方が楽だと思っている。


その言葉を言いかけて、飲み込む。


飲み込んだことに、卵の内側が重くなる。


ダッタは記録板を開いた。


手が震えて、紙の端が鳴る。


ギータが支えようとして、止まった。


キールも何も言わなかった。


ボイロは観測紙を下ろした。


アンは、マーを見たまま、ダッタの横に立っている。


誰も代わりに書かなかった。


ダッタは一行空けた。


ギータが言った通りに。


それから書いた。


飛ばない方が楽に見えた。


ペン先が紙に引っかかる。


文字は黒くならなかった。


ほどけもしなかった。


ただ、重かった。


ダッタは続けて書いた。


でも、楽な方を選びたいのかは、まだ分からない。


こつ。


卵の奥で、止まりかけていた音が一度だけ戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ