今晩は結婚の余韻に浸らせてくれる?(1)
魔力に似た匂いがするが、魔力でないもの。
それは多量の水分と多少の鉱物を使って作られるが、使用される鉱物の中に「愚者の金」があった。黄鉄鉱だ。人々を金だと錯覚させて歓喜させてから、正体を表してどん底に突き落とす様は、今回の偽の魔力と似ている。
その偽の魔力は透明だ。間違いなく魔力特有の臭気を纏う。しかし、この製造法では水素が至るところに紛れ込む構成だろう。
――正しい位置に水素があれば、何の問題もない。適正量の水素が正しい位置にない場合は、危険な影響が大きくなるわ。
大気の主成分は窒素と酸素で、水素はそもそもが非常に少ない割合で作られている。
私がモヤモヤとしている理由は何なのか、自分でも分からなかった。
――なぜ、621人も亡くなるのかの説明は何なのかしら?
――「魔力」供給が絶たれていたのは間違いないわ……。
――でも、一気に621人も亡くなるのがひっかかるのよ。
――「偽の魔力」に問題がある……?
私は馬車の中でついウトウトとしてしまっていたようだった。
***
あの夜、第三連特殊部隊のハードな勤務を終えた私は、ダンジョンの先のキャバクラでお酒を飲んでいた。
チラッと腕にはめた時計を見ると、午後8時を過ぎていた。奥の化粧室で口紅を塗り直してきた同僚は、デート相手を探している。
私はため息をついて、そろそろ帰ろうと思った。
亡くなった祖母のことで気持ちが沈んでいて、楽しく飲む気分ではなかったから。
同僚は収穫が無かった模様で、お酒の入ったグラスを手にあっけなく戻ってきた。
「クリスはそこのダンジョンで浮気をしているわよ」
「え、なんのこと?」
「ボスのクリスのこと。あの元素周期オタクのことよ。あんたのことをずっと口説いていたでしょ。その裏でやることやってんのよ」
耳の奥で、あの夜のキャバクラでの喧騒が蘇った。ダンジョンでカービンの銃口をクリスにロックオンするわずか20分前のことだ。
――元素周期オタク……。
頭の奥でキャバクラの薄暗い照明と、かかっていたジャズの音楽が蘇った。
オシャレなキャバクラだった。場末のキャバクラ感がありながら、音楽だけは洒落ていた。
――あれは何の曲だったっけ……。
――元素周期オタク……ねぇ。
***
「フローラ、着いたよ」
私は目を開けた。
目の前にはブルーの瞳で私を見つめる男性がいた。彼は氷の貴公子としてとても有名な男性だ。
彼は私の顔を覗き込んでいた。
心臓がドキンとした。
――アルベルト様があまりに魅惑的な方であることに、なかなか慣れない……。
私の目と氷の貴公子の瞳はあまりに近くにあった。当然、唇もだ。
――この唇とさっき……私は……。
顔が真っ赤になり、私はぼーっと氷の貴公子の唇を見つめた。
――どうしよう……この唇と……。
「お嬢さまぁ?お腹が空きましたか?」
馬車の外でシャーロットの声がして、私はハッとして私は慌てた。シャーロットは心配そうに私たちの様子をのぞき込んでいた。
どうやら馬車はセントラル中規模魔術博物館に着いたようだった。
だが、本物から偽物に魔力が入れ替えられていることはもう分かっている。
急がなければならないのだが、気になることが頭の隅にあって、それが何なのか一向に分からない。
――何かが頭の中で引っ掛かっているのに、その何かが出てこないのよ。
私たちが聖ケスナータリマーガレット第一女子学院に行っている間に、先回りしていた王家の兵たちが続々と周りに集まってきていた。
朝から夢中で行動して、結果的に昼食も食べていなかった私たちへの食糧の提供もあった。
お茶の入ったティーポット、ティーカップ、角砂糖、スポンジケーキ、プディング、サンドウィッチなどだ。
「シャーロット、馬車の中に入ってちょうだい。そのバスケットのフルーツを私たちにも分けて欲しいの。お腹が空いたでしょう。シャーロットも一緒にお茶をいただきましょう」
シャーロットはまあるいほっぺを膨らませて、びっくりした顔になったが、フルーツが欲しいとリクエストされたため、恐る恐る馬車の中に入ってきた。
私はドアを閉めて、シャーロットが給仕してくれたお茶とフルーツをつまみながら、ドレスの膝の上に広げた地図に見入った。シャーロットと氷の貴公子は、なんと同じバスケットからフルーツを一緒に仲良くつまみ、お茶をいただいていた。
私は集中しようとしていた。
――列車事故の瞬間を思い出して。本物の魔力を元に戻す前にこのモヤモヤを何とかしなければならない気がするわ……。
豪華で快適な寝台列車を楽しむ乗客たちは食堂車にいた。あの時、窓の外には緑豊かな田園風景が広がっていた。
――それからどこを通ろうとしていた?
――約100年近く前に建築され始めた運河が沢山ある街に差し掛かっていた気がするわ。
食堂車の窓からは、石炭や鉄を運ぶための大きな運河が見えていた。
――あの都市は……バガム?
私はさっきの地図で探した。
「アルベルト様、一体どこで事故が起きたのでしたでしょう?私たちの列車はどこまで行った時に事故に遭ったのでしょう?」
クシャクシャのブロンドの髪を悩ましげにかき上げたアルベルト王太子は、一点集中の顔つきになった。
「あの時は……俺は本当に君しか見ていなかったんだ。君に釘付けだった。印象的な話をしてくれたから……?あとは食堂車の皆がちらちらと君を見ているのに気づいていた。運河が見えて……丘陵地帯に入ったような……ごめん、そのぐらいしか覚えていない」
私たちが何の話をしているか分からないシャーロットは「君しか見ていなかった。君に釘付けだった」という言葉を聞いて、まあるい頬に笑みを浮かべてにこにこした。
嬉しそうに、口をもぐもぐ動かしていた。
「丘陵地帯……」
私は考え込んだ。




